噛みつき評論 ブログ版

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科学に弱い司法の迷惑度・・・再審に20年

2015-10-26 09:04:27 | マスメディア
 ロウソクの芯は融けたロウを吸い上げて燃やし、ロウがある限り、芯自体は燃えません。ロウは芯より気化しやすいため、芯はロウの気化熱によって低温に保たれるからです。多分これは中学生レベルの問題です。

 20年前、大阪市東住吉区で女児が死亡した火災で、殺人や現住建造物等放火などの罪で無期懲役の判決が確定した母親ら元被告2人の再審開始決定に対する即時抗告審で、大阪高裁は再審開始を認めたとの報道がありました。

 7リットルのガソリンを撒いた放火か、それとも自然発火か、が主な争点になり、複数回の実験も行われました。マスメディアの報道と「東住吉冤罪事件を支援する会」が掲載した約4年に亘る控訴審の記録にざっと目を通しただけの感想ですが、重要な点が争点にならなかったことに疑問を感じました。それにしても長年の弁護側の努力には頭が下がりますが。

 私見ですが、それは車の燃料注入口の真下の塗装が帯状に焼け残っていたことです。これは周囲が高温に晒されたとき、この部分だけはガソリンに覆われていたことを示します。つまりガソリンが注入口から継続的に流れ出ていたことはほぼ確実と考えられます。これは放火がなくても出火した可能性があることを示します。

 朴氏の第4回公判で弁護士から、現場を検証した警察官に対して、この点についての尋問がありましたが、その後は主要な争点になっていないようです。もしこの点が徹底的に検証されていれば放火説はかなり苦しくなっていたと思われます。

 今回の高裁決定は「火が上る前にガソリンの漏出が始まっていたとうかがわせる痕跡などから、自然発火の可能性は具体的で現実性がある」とあるので、まともな評価をしているようです(痕跡を塗装の焼け残りと理解すればですが)。

 放火と断定した地裁、高裁、最高裁はこの痕跡を正しく理解・評価することが出来なかったというわけです。その点、警察や検察などの司法関係者も同じですが・・・。以前の記事「検察の理系音痴を暴露した高裁判決」では東京女子医大事件でも同様の問題を指摘しましたが、司法関係者がもう少し科学の知識を持っていればこんなにことにはならなかったであろうと思います。

 現象を科学的に理解することが出来なければ、より自白に頼る傾向が出てきても不思議ではありません。科学がいくら進んでも、司法関係者が文系ばかりでは被告が科学の恩恵を受けることは難しいというわけです。冤罪であればの話ですが、二人とも「偽の自白」に追い込んだ警察・検察の能力は「素晴らしい」ものです。濡れ衣の場合、誰でも十分に気をつける必要がありそうです。

 死刑か無期懲役の判決が確定した戦後の事件で再審が始まったのは8件、すべて無罪が確定したそうです。再審開始=無罪であったわけで、これは再審が確定判決の決定的な誤りを認めて初めて開始されることを意味します。と同時に再審の実質的な意味が存在しないことも意味します。

 長い時間がかかるのも問題です。8件の再審事件で、事件から無罪が決まるまでの平均は31.9年です。これも再審の実質的な意味の低下を意味します。誤判をゼロにすることは無理でしょうが、その疑いが生じたときは速やかに再審をすることはできるはずです。

 横浜のマンションが2cmだけ傾いた事件では大手企業のトップまでが謝罪しました。メディアは原因の究明や再発防止にも熱心です。一方、冤罪事件は当人だけでなく、その家族にとっても人生を破壊されるほどの深刻な事態となりますが、そのわりには誤った判決を下した裁判官などが謝罪する姿を目にすることはなく、メディアにも誤判に対する問題意識があまり感じられません。やむを得ない冤罪判決もあるでしょうが、知識や能力不足によるものについては相応の謝罪やペナルティを受ける仕組みが欲しいところです。「疑わしきは罰せず」という原則もあるのですから。
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日本は危険な国家なのか?

2015-10-19 08:43:58 | マスメディア
 歴史人口学者のエマニュエル・トッド氏は文芸春秋10月号に「幻想の大国を恐れるな」という興味深い記事を書いています。記事の主旨は中国問題ですが、話は日本の事情にも及んでいます。(トッド氏はソビエトの崩壊を予想したことで注目され、最近の著書「『ドイツ帝国』が世界を破滅させる」はベストセラーになっています)

「私が日ごろから非常に不思議だと感じているのは、日本の侵略を受けた国々だけでなく、日本人自身が自分達の国を危険な国家であると、必要以上に強く認識している点です」
「長い日本の歴史の中で、日本が侵略的で危険な国であったのは、ほんの短い期間に過ぎません。しかも日本が帝国主義的で軍国主義的だった二十世紀の前半は、ヨーロッパの大国も同じことをやっていました。(中略)当時の日本の攻撃的な性格はもともとあったもので、日本という国家の決定的な本質であるかのような議論はまったく非現実的であると思うのです」

 トッド氏は、歴史的な経過の中で、左派の論拠がまったく非現実的であると指摘しています。私もまったく同感です。ただ戦後70年も経っているのになぜ連綿と続いているのか、その解明が十分になされてきたとは思えません。

 そこには単に左派が強情であるとか、硬直的であるとかではなく、メディアを含めた構造的な問題があるように思います。ごく簡単に言えば、それによって食っている人たちがいて、それに乗せられている人たちがいるということになりましょうか。ひとつの特殊な産業が成立しているといってもよいでしょう。

 それによって食っている人たち、とは左派メディアなどのことです。政治に緊張感をもたらすという点では有益ですが、重要な課題に対する国論の統一という点では明らかに有害です。いささか迷惑な産業ってことになりますね。

 何万人もの人がかかわっている左派のメディア、学者・文化人の認識が正しく、エマニュエル・トッド氏が誤っているのでしょうか。もっとも左派のメディアや学者でソビエトの崩壊を予想した人はいなかったようです。彼は次のようにも述べています。

「私は日本自身の防衛力の強化が不可欠だと考えています。日本は、巨大な中国に対して科学技術上、経済上、そして軍事技術上の優位を保ち続けていかなければなりません」・・・日本では言い難い雰囲気がありますが、ごくあたりまえのことです。
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レッテルの威力

2015-10-12 09:00:51 | マスメディア
 ノーベル医学・生理学賞を大村智北里大特別栄誉教授が、物理学賞を梶田隆章教授が受賞されました。日本人としてまことに喜ばしいことです。報道を見ているとノーベル賞がいかに凄いものと思われているかがわかります。前日までは普通の人であっても受賞後は特別な人とみなされます。前日も当日も変わらぬ同じ人なのですが。ノーベル賞は同時に超強力なレッテルでもあるのです。

 梶田教授の研究は一般人には理解し難く、その功績を評価することも困難ですが、大村氏の業績、中でも社会に対する貢献の大きさはわかりやすいものです。今回その業績と貢献の大きさを遠い国の選考委員に教えられました。ノーベル賞というレッテルを貼ってもらわなければ彼の世界的な業績は世に知られることはなかったでしょう。これは数千の記者を抱える日本のメディアの情報伝達能力に疑問を投げかけるものです。

 大村氏の業績は業界内では広く知られていたようですから、知ることが不可能であったとは考えられません。マスメディアでは文系出身者が大半を占め、彼らの関心や理解能力に沿った事件、犯罪、芸能、スポーツ系の記事・番組が多く作られます。その反面、科学技術に関する理解能力が低いため、こんなことになったのでしょう。科学技術の存在感が希薄になれば「理系離れ」の原因ともなります。情報の多くを支配するメディアは社会の価値観にまで強い影響を与えます。しかしそれを制御する有効な仕組みはありません。

 ここまで書いて、以前に同じ内容の記事を書いていたことを思い出しました。それは、疥癬のため全身の毛が抜けたタヌキにイベルメクチンを処方されたことがきっかけで、大村智氏の業績を知り、マスメディアは何故こんな人物を無視して、堀江貴文氏や村上ファンドの村上世彰氏を時代の寵児と持ち上げるのか、という内容です。5年近く前の記事ですが、途中で頭がヘンにならない限り、同じ人間はおなじことを考えるものですね(それはやがては飽きられるってことですが)。

 話を戻します。安全保障関連法には「戦争法」というレッテルが貼られました。世論調査では反対意見が多数を占めましたが、このレッテルの果たした役割は大きいと思います。レッテル貼りはたいてい極端な単純化を伴います。単純な人間に対しては絶大な効果がある反面、実態との乖離が大きい場合もしばしばです。従ってうまく使えば面白いのですが、使い方によっては危険なものとなります。
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若者の政治行動は危険

2015-10-05 09:06:50 | マスメディア
 先日成立した安全保障関連法への反対運動で、デモは久しぶりの活況を呈しました。SEALDsと称する組織など、若い世代の参加者が目立ちましたが、若者が政治に目覚めたといったように、これを賞賛する動きが見られました。若者の政治的行動とその前提となる政治的な見識は信用できるでしょうか。

 60年安保騒動は今回と比較にならない規模でしたが、現在、安保条約改定は評価され、当時の反対運動が正しかったとはとても思えません。全学連中央執行委員であった西部邁氏は「安保反対と言って騒いでいた中に安保条約の中身を読んで反対していた人間はろくにいなかった」と語っています。若者は知識や経験が乏しいのが普通であり、その上、不勉強とくればまともな判断が期待できるわけがありません。つまり大多数は自分で考えるのではなく単に乗せられていただけというわけです。

 少し古くなりますが、1936年の2.26事件は20代を中心とする若い将校達が起こしたものです。不況に苦しむ農村など、国を想ってのことと説明されますが、この事件後、軍部は影響力を強め、日本が本格的な戦争に突入していく転換点であったとされます。

 一方、中国の文化大革命は毛沢東が権力奪還のために仕掛けた、10代を中心とする紅衛兵の大暴走でした。文化の大規模な破壊や殺戮が行われ、数百万人~数千万人ともいわれる犠牲者を出したとされています。滑稽なのは、事情をよく知らない朝日などの左派メディアが絶賛し、多くの左派学生がそれに乗せられたことです。当時、京大には「造反有理」などの看板が所狭しと立ち並んでいました。

 自然科学の世界では比較的若い時代に優れた業績を上げる人が多い反面、人文科学の分野ではある程度の年齢になってから優れた業績を上げる傾向があるそうです。人文科学のように曖昧で、広い知識が必要な分野では、若者は不利であろうと理解できます。現代の複雑な政治は不得意分野の典型でしょう。

 経験や知識に劣る若者は批判能力が乏しく、直情径行の性向があります。誰かに煽動されて過激に行動しやすい特性があります。新興宗教はこのことをよく知っているので主として若者を勧誘します。若者は扇動者にとっての使いやすい駒なのです。

 若者のデモ参加を賞賛し煽る行為には危険が伴います。上の例を持ち出すまでもなく、若者が政治を主導すれば大きな過ちを犯す可能性があります。政治はそれほど単純な世界ではないからです。また左派メディアが安保反対という自分達の主張に合うからと彼らを礼賛するとすれば、それは姑息なご都合主義というものです。歴史から学ぼうとしない者同士、気が合うのかも知れませんけど。
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