噛みつき評論 ブログ版

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豊洲に危険はない

2016-09-19 09:18:09 | マスメディア
[お知らせ]
コラムを始めて約10年、マンネリ化は避けられません。毎週更新していましたが、
今後はマシなものだけを不定期に載せるつもりです。ご了承ねがいます。

[本文]  
 ベンゼンとシアン、通常あまり耳にしない物質ですが、豊洲市場への移転問題で脚光を帯びています。ベンゼンはありふれた物質でガソリンにも0.5%、つまり5000ppmほど含まれます。シアンは青酸カリで有名ですが、梅や梨の種子に1000PPMほど含まれています。どちらも有害な物質ですが、毒性レベルは有名なダイオキシンやカビ毒であるアフラトキシン、フグのテトロドトキシンなどに遠く及びません。

 そもそも、地中に含まれる汚染物質がどうやって短時間置かれた食品に染み込み、食品を汚染するのか、という疑問があります。じかに土の上に食品を並べたり、土と食品を混ぜたりしたら別ですが、そんなことはないでしょう。下部の土とはコンクリートなどで遮断されている筈です。

 推測ですが、ベンゼンとシアンが注目されるのはこれらが気体になりやすく、土を簡単に通り抜けて地表まで達しやすいためなのでしょう。しかしコンクリートは土ほど簡単に通り抜けないと考えられます。大騒ぎになった盛り土のない地下空間から採取された水にも規制値以下の微量のヒ素しか検出されませんでした。水は強アルカリでしたが、コンクリートから溶出した石灰(水酸化カルシウム)による可能性が高いと思われますが、成分を分析すればわかります。

 とすると4.5mもの盛り土は何のためであったのでしょう。4.5mという大袈裟な盛り土は実際の効果よりも無知なメディアと大衆受けを狙ったものではないでしょうか。つまり子供だまし。担当者はメディアに理をもって説いても無駄という認識があったのかもしれません(これは理解できます)。

 もともと汚染土の問題は移転反対派の反対材料にされた部分がありました。反対派も、またメディアも汚染物質→危険→食品の扱いに適さない、という単純な理解しかできず、物質の性質や濃度に対する評価などには無知同然でした。

 つまり汚染に対する感情的な反対を抑えるために、ほぼ不必要と思われる4.5mもの盛り土を行うこととしたけど、建物下部はスペースが欲しかったので盛り土を止めた、そんな感じでしょうか。そもそもコンクリートだけでも安全に遮蔽できると、堂々と説明しなかったことが発端ではないでしょうか。その背景にはメディアの安全に対する過剰な意識と科学に対する無理解があります。

 とはいえ、都はいくつもの不手際を重ねてきたことは確かです。建物入札の問題など他にも飛び火し、小池都知事の格好の攻撃目標になって、知事の人気とりに大きく貢献しそうです。そのためのゴタゴタと安全性は別の問題と考えるべきです。必要な個所の汚染物質を測定し、安全が確認されれば移転すればいいだけのことです。

 18日のフジテレビの新報道2001では地下から採取された強アルカリ性の水を説明するために、同じようなPHを示す次亜塩素酸ソーダと苛性ソーダを溶かした水を用意し、それに食品を浸す実験をして、タンパク質が溶けたと驚かせていました。

 次亜塩素酸ソーダは強い酸化力のある物質であり、苛性ソーダは劇薬で蛋白を溶かします。PHが同じというだけで全く性質の異なるものを使うことはとんでもないことで、視聴者に恐怖を与えるための効果を狙ったものとして思えません。風評被害をわざわざ作っているようなものです。採取した水、あるいは石灰水で同じ実験をなぜしないのでしょう。このようなメディアの無知と、でたらめな煽情体質が不必要な4.5mもの盛り土を招いたとも言えます。

日弁連が死刑廃止宣言

2016-09-12 09:05:11 | マスメディア
 日本弁護士連合会は10月の「人権擁護大会」で組織として死刑制度廃止の宣言をするそうです。冤罪が発覚した時、当人が死刑になった後ならば取り返しがつかないこと、そして「残酷な罪を犯したとしても適切な働きかけで人は変わりうる」というのが理由のようです。後者はいささか楽観的すぎるように思いますが。

 背景にあるのはすべての人間は善であり信頼できるとする、美しいけれど非現実的な考え方です。憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」に見られる理想主義と共通するものがあります。けど現在の周辺諸国を見る限り、この美しい憲法前文はとても現実世界を反映したものとは言えません。大嘘つきです。

 死刑判決を受ける者は様々です。強姦殺人などで10人以上を殺害した小平義雄や同8人の大久保清もあれば、オーム事件のように教祖の指示に従って罪を犯したものもあります。日弁連の趣旨は彼らにも一律に人権を認めて死刑をやめようということのようです。つまりヒトラーのような人物にも人権を認めるということになります。ヒトラーは数百万人の人権を制限どころか殺害して消滅させました。

 最近、18歳以上に選挙権が認められましたが、誕生日がきた瞬間、選挙するに十分な見識・能力を持っているとされるわけです。考えてみると実に奇妙な話です。15歳でも十分な見識を持つ者もいれば、50歳になっても持たない者がいます。これこそ法が本質的にもつ「いい加減さ」だと言えるでしょう。細かい分類は面倒だからと適当に線を引いて区分するわけです。物理や数学の世界では式の簡潔さ・美しさが重視されますが、法の世界にあっては、簡潔さは現実の一部を切り捨てることになります。

 また心神喪失者の行為は罰しない、とありますが、心神喪失の区分は曖昧で、判定者によって異なる結果が出ることも少なくありません。判定結果によって死刑、または無罪となるわけです。こういった法の「いい加減さ」を認識することも大切です。

 死刑廃止には日弁連が理由に挙げたような利点も確かにあります。しかし廃止論は、何人も殺しておいて自分は生きるというアンバランス、それによる被害者遺族の感情、数十年間に及ぶ刑務所の費用負担(年間約二百数十万円とも言われる)の問題があります。

 とりわけ指摘したいのは死刑になりそうな者を一律に更生可能と考える単純さです。前に触れましたが大金を払ってライオンやキリンなどの動物を射殺して楽しむ人間が存在します。そして殺人を楽しむような残忍な犯罪者も存在します。「適切な働きかけで人は変わりうる」というのは夢物語であり、これはまるで小児の発想です。変わる人もいるが変わらない人もいるというのが現実でしょう。

 理想はあくまで理想であり、現実を理想に合わせて見てしまっては対処を誤ります。諸国民の公正と信義を信頼するのと同じで、まず現実を直視することが前提になります。現実の裏付けがなければ空疎な机上の空論です。

 死刑より無期や終身刑の方が残酷である、という見方もあります。受刑者によってはそういうことも考えられます。彼らには希望すれば安楽死の選択肢があってもよいと思います。また受刑者には精神的な障害を持つ者が多く含まれていると聞きます。この場合、罪は彼の悪意というより、生来の資質や環境要因によって生まれた部分が大きいと言える反面、更生の困難さを思わせます。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して…」
「残酷な罪を犯したとしても適切な働きかけで人は変わりうる」
 どちらも美しい理念を表していますが、現実への理解が欠けています。司法の一翼を担う日弁連が理念先行では現実的な対応能力が心配です。日弁連が司法における民主主義の実現という理念を重視して推進した裁判員制度を含む司法改革もほぼ失敗であったと私は思っています。

携帯電話会社の儲け過ぎ

2016-09-05 08:58:51 | マスメディア
 ソニー製のスマホが購入後一年半経った頃、ボタンが反応しなくなり、さらにGPS機能も不安定になりました。白ロムを買ったものですが、保証期間は過ぎ、保険はなし。修理より他製品を買った方が安くて面倒がないと思って中国産ファーウェイのSIMフリースマホを購入しました。

 価格は1万円台前半、ソニーの機種に比べ4分の1程度です。CPU(中央演算処理装置)の性能は少し劣り、メモリも少なめですが、ゲームなど負荷の高い用途はともかく、一般的な用途には全く問題ない性能でした。またGPS精度が高く、定評あるソニー製に勝るとも劣らずでありました。価格/性能比はとても優秀です。

 私は主にパソコンを使い、スマホは普段あまり使いませんが、山によく行くので、GPSを使って現在位置や歩いた軌跡を地図上に示す機能は実に重宝します。山の遭難の半分程度は道迷いが原因とされるので、安価になってこれが普及すれば大きな効果が期待できます。

 さて本題です。SIMフリースマホは通常MVNO(仮想移動体通信事業者)と契約して使うのが普通です。この格安スマホは3月末で約4%(総務省発表)のシェアですが市場は急成長しています。従来のスマホのように販売店の十分なサービスがないので踏み切れない人が多いのでしょうが、料金は概ね半分以下と圧倒的に安いのでこの勢いはしばらく続くと思われます。

 一方、15年度の営業利益ランキングでは、ソフトバンクが3位、KDDIが4位、ドコモが7位と携帯電話大手3社は常に上位を占め、営業利益合計は約2兆3千6百億円もあります。一方の端末メーカーのNECは約1100億円、富士通は約1200億円、ソニーは680億円、シャープに至っては身売り状態です。しかし携帯電話事業は電気・ガス・鉄道などと共に社会インフラとも言える存在です。公共事業にも近い業種で携帯大手3社が大儲けしているのは問題です。

 政府にも携帯大手は儲け過ぎだとの認識があったようで、安倍首相も料金の引下げを指示をしました。私企業の価格にまで言及するのは極めて異例で、よほど目に余ったのでしょう。MVNOとの通信料金の価格差が大きいことからも分かるように、利用者はずいぶん割高の料金を払わされているわけです。

 現在の条件付きのSIMロック解除ではなく、SIMロックを禁止することで携帯大手の競争が起きて料金が低下すると言われています。しかし、政治的な力が働くのかどうか知りませんが、なかなか進みません。格安スマホの普及が寡占体制を崩すことになればいいのですが。

 キャリア3社の携帯電話業界は、消費者に不利益をもたらす典型的な寡占体制といえますが、山ほどおられる経済学者も、マスコミも、何故かあまり興味をお持ちではないようです。高邁な「戦争法案」反対も結構ですが、もっと地道に、消費者の利益のため、そして公正な経済のためにも努力してほしいところです。