噛みつき評論 ブログ版

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弁護士大増員という大失敗

2012-04-30 10:06:42 | マスメディア
 総務省は司法試験合格者を年間3000人程度とする政府目標を見直すよう法務省と文部科学省に勧告したそうです。合格者の急激な増加は質の低下や、弁護士の就職難が懸念されるというわけです。大幅な増員を始めてから数年しか経っておらず、なにをいまさら、という感が否めません。

 法曹界などの権威あふれる「偉い人たち」が大勢集まり、何年もの時間をかけて、なぜこのような誤りを犯したのかは、とても興味あることです。また社会に大きな影響を与えたものであり、このままウヤムヤに済ませてよいものではないでしょう。

 司法試験合格者「激増」させる企みは裁判員制度と同じく司法制度改革審議会によって生み出されました。司法制度改革審議会は憲法学者、佐藤幸治近畿大学教授(当時)を会長として中坊公平氏ら6名の法律家と曽野綾子氏ら7名の非法律家で構成されています。(委員名簿)

 会長の佐藤幸治氏は司法制度改革を引っ張った人物といわれています。ウィキペディアには「全体的に観念論的・法実証主義的な理論を展開する。そのためその内容はあたかも観念論哲学の様相を示し・・・」と書かれています。まあ観念論的な人は現実性に乏しいと考えてもよいでしょう。

 また彼は「社会のすみずみまで法の支配を」と主張しましたが、これは元検事総長の但木敬一氏が主張する「法化社会」とも符合します。法化社会とは但木氏によれば「究極的に紛争のすべてが裁判所に持ち出され、あるいは持ち出されることを前提に準備しなければならない社会」と定義されます。それを実現するための法曹の大幅増員が必要というわけです。法は彼らの生業とはいえ、ここまで法を崇める姿勢は信仰に近く、原理主義と呼んでもよさそうです。

 このような主張の裏には現在の法の支配が十分ではないという認識があるのだと思われますが、はたしてそうでしょうか。弁護士が街に溢れる米国などと異なり、わが国では紛争の多くは当事者間の話し合いで解決されてきました。これは第三者に事情を説明する手間もなく効率的な方法です。

 反面、下請け関係など、立場の強弱により弱者が泣き寝入りをすることも少なからずあると思われます。しかしこれを法的な解決に委ねればいいと言うほど簡単ではありません。そんなことをすれば取引関係の継続が難しくなります。また一時的な関係であっても資力によって雇える弁護士の能力に差があれば公平にはなりません。法は決して万能ではないわけです。

 法による徹底した支配を目指す姿勢はジョージ・オーウェルの「1984年」を連想します。たとえ善意によるものであれ、支配が徹底した社会は息苦しさを感じます。ある程度のいい加減さ、寛容さが必要です。法がのし歩く社会より、法の出番が少ない社会の方が私には好ましく思えます。モラルの低い社会は嫌ですが。

 司法試験合格者の急拡大という無謀な企ては失敗に終わりそうですが、それは合格者の質の低下や弁護士の需給という現実の問題を軽視したためでしょう。その背景には観念論的な、法に対する過剰な期待があるように感じます。たとえ善意であるとしても観念論に凝り固まった人間による押し付けは確信犯と同様、有難迷惑であることがしばしばです。

 この審議会から生まれた裁判員制度も被告人が適正な裁判を受けられるということより民主主義という理念の方が重視された観があります。拙文「算数のできない人が作った裁判員制度」に述べましたが、ここでも現実を軽視する観念論的な傾向が強く見られます。

 司法試験合格者を司法制度改革審議会の答申時から一挙に3倍、それ以前は500人程度が長く続いていたのでそれからすれば6倍にするような乱暴な案に納得できるような根拠があるように思えません。失敗が容易に予想できるにもかかわらず、国会を通ってしまったのは国会にもチェック機能がないことを示します。

 昨年の受験者は8765人で、合格者は2063人、不合格者は76.46%の6702人に上ります。法科大学院への国費の投入が無駄になるだけでなく、法曹を目指す若者の進路を誤らせ、司法試験崩れを大量に生み出すことになりました。得をしたのは法科大学院とその教職員ということになりますか。

 このような大きな失敗に対して誰も責任を取らないことも腑に落ちません。審議会の委員や委員を任命した政府に責任があるのは明らかだと思いますが、マスコミは知らん顔です。問題を起こした会社の幹部などがよくやるように、テレビカメラの前で首をそろえて謝罪する程度のことはやった方がよいではないでしょうか。そうすれば今後の審議会はもっと責任ある議論が期待できるでしょう。

参考資料司法制度改革審議会意見書
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日経新聞の品格

2012-04-23 10:13:38 | マスメディア
 朝日の悪口ばかり言っていると好き嫌いでやっているのかと思われかねませんので、今回は日本経済新聞とします。同紙の夕刊には「FXウォッチ」「投信ウォッチ」「商品ウォッチ」という連載記事が交互に掲載されています。これらの記事は日経新聞の体質を観察する材料としてなかなか興味あるものです。

 FXとは外国為替証拠金取引と呼ばれる、為替の変動を利用した投機的取引です。高倍率の賭けができることが特徴で、例えば100倍の場合、10万円の証拠金で1000万円の売買ができます。これは例えばドルが1%の上がれば元金が2倍になり、1%下がりば元金が0になるという極めてハイリスク・ハイリターンのものです。当初は400倍の売買ができるケースもありました。

 さすがにこれでは危険すぎるということで倍率は100倍から50倍、現在は25倍まで下げられました。それでも株式の信用取引の3倍に比べるとずいぶん高倍率のバクチです。株と為替の価格変動率を考慮したとしても。

 一方、世界のFX取引会社の売買高上位15社のうち日本の会社は5社を占め、売買高のシェアは約52%であったのですが、倍率が規制されたために昨年の7-9月期は約39%に下がったとされています。それでも世界の4割を日本が占めています。ミセス・ワタナベとは日本では普通の主婦がFX取引に熱中する姿を象徴する言葉ですが、日本の特異な状況を表してます。

 投資と投機の境界はあいまいですが、FXを投資と言う人はまずいないでしょう。投機、すなわちバクチであるFXが日本でここまで成長したのは関係業界はもとより、日経新聞の並々ならぬ努力があったものと思われます。しかし主要紙が国民にバクチを薦める姿は子供には見せたくありません。朝日や毎日がパチンコ必勝法なんてものを連載すれば品性を疑われるでしょう。またFXはパチンコ同様、人によってはギャンブル依存症に陥る危険性があります。

 また「投信ウォッチ」では投資信託を株式型や公社債型、外国株式型、バランス型などの種別ごとに過去の成績の優良なものを1位から10位まで並べて解説するというスタイルです。投信は全部で数千本あるといわれているので、各種類の数十~数百本中の上位10本を載せているわけです。計算期間は過去3年間、あるいは1年間です。3年前に、1年前に買えばこうなったということです。3年前といえばリーマンショック後の落ち込みで日経平均株価が7000円台をつけた時期であり、それを基点にすれば成績がよく見えるのはあたりまえで、ここにも恣意性が感じられます。

 しかしその上位10本にしてもその成績はごく一部の例外を除けば、たいしたことはありません。平均の成績や下位10本の成績はどうなのだろうと思うのですが、それは決して明らかにされません。読者に投信の正確な現況を知らせるには平均や下位10本の成績も必要です。たとえそれを表示すれば投信を買う人がいなくなるとしても。

 上位10本には現在の基準価格が載っていますが、3~6千円程度のものが多く、それは設定時にそれらを買うと1万円がそれだけの価格になっているという意味です。大半が惨憺たる成績だといっても過言ではないでしょう。

 この「投信ウォッチ」は投資信託の実態を反映しているとはとても言えません。投信の販売会社の資料と見紛うほど、実に濃い色づけがされており、意図的に読者を誤解させるように作られているように思います。

 連載記事でFXを煽ることは競馬新聞や競輪新聞と同じようなものであり、投信の実態を「粉飾」して伝えることは業界の片棒を担ぐ行為です。まあ、見かけは一流紙だとしても中身はこんな程度だと思っておく方がよいでしょう。
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地震・原発・戦争とヒューリスティックス

2012-04-16 10:03:08 | マスメディア
 米国では9.11同時多発テロ後の3ヶ月間に、自動車事故の死者が前年より1000人ほど増えたといわれています。航空機を利用する人が減り、車の利用が多くなったためとされ、死者の増加数は皮肉にもテロで墜落した旅客機の犠牲者の4倍ほどにもなります。

 テロの直後は航空機事故の印象が強く残り、航空機より死亡事故の確率が高い自動車を選択する人が増加した結果と考えられます。大きな事故や災害の直後は強い印象が刻まれるため、将来起きる確率を過大に見る傾向があります。このように印象などに基づいて簡便に判断する方法はヒューリスティックスと呼ばれます。つまり必要な情報の収集・分析を通じて最適な判断をするのではなく、手間ひまをかけない簡易な方法であり、当然のことながら誤りが多くなります。

 例えば、池田小学校の児童殺傷事件の後、全国の小学校で警備員が配置されました。しかし、そのような危険が減少したわけでもないのに現在は多くがやめています。衝撃的な事件であり、マスコミの大報道によって強い印象を与えられ、確率を過大評価して必要以上の対策をとらせることになったと考えられます。

 先日発表された南海トラフ地震の予想は1000年に1回程度のものだそうですが、東日本大震災の後だけに、切迫感があります。震災の後でなければ1000年に1回などといわれればあまり気になりません。1000年は世代数にすれば約30世代です。

 凍結されていた高速道路が次々と建設されることになった理由は災害時の輸送確保となっていますが、災害直後に見られる認識の偏りを利用したずるいやり方です。いま、たいていの人の頭の中は災害の光景がいっぱい詰まっていて、災害の備えのためだ、と言えば誰も反対しにくいわけです。

 原発事故も同様で、長期にわたる大報道によって強い印象を与えられた結果、大事故が起きる可能性は実際よりもずっと大きく思われていると推測できます。原発の是非は技術を含め多岐にわたる複雑な問題であり、私のような凡人にはとても判断できませんが、事故の印象が強く残っている時の判断は誤りとなる可能性が高く、もう少し頭が冷えてから判断した方がよいように思われます。

 これとは逆に、戦争のように遠い過去にしか経験のないものは現実感が乏しく、印象も薄いので起きる確率を過小評価している可能性があります。「自称素人」の一川氏や、「実質素人」の田中氏を防衛相に任命したことは、政府が軍事問題を軽視していることの表れであり、民主党政権は他国の攻撃などまるで想定外としているように見えます。

 北朝鮮は自称人工衛星の打ち上げに失敗して恥をかきましたが、日本政府もまた情報の処理・伝達で無能ぶりを世界に示し、赤恥をかきました。軍事的中枢の無能ぶりを見せれば侵略の意思のある他国は攻撃の誘惑に駆られます。戦争を防ぐ抑止力とは逆の効果であり、いままでの防衛努力を台無しにすることになります。

 ついでながら、憲法第9条は主として日本が他国に攻めこむことを防ぐために作られました。しかし現在は攻めるより攻められるリスクの方が大きいと思われます。9条のおかげで敵国は致命的な反撃を受けるリスクが少なくなるわけで、攻撃する国にとって9条の存在は実に喜ばしいものでしょう。9条は抑止力ではなく、むしろ戦争の促進力として機能することが考えられます。

 周辺諸国が軍事力を増強しているため、均衡は変化しつつあり、戦争のリスクは無視できる程度であるとは考えられません。約60年の平和を享受してきたことのためでしょうか、戦争のリスクは過小評価されているように思います。しかしそのリスクは地震の場合の1000年に1回より小さいとは決して言えないでしょう。そして戦争の被害は自然災害よりはるかに大きいのが普通です。
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卑屈と傲慢・・・朝日新聞の姿勢

2012-04-12 10:43:25 | マスメディア
 また朝日の記事を取り上げますが、それは記事の誤りを云々するためではありません。そこに朝日の姿勢が見えるように思うからです。以下は朝日新聞に連載されている「経済気象台」(4/11)の冒頭部分です。

「2年連続で340万台以上を記録した中国の乗用車販売台数の伸び率が、昨年は5.2%増にとどまった」

 前半で340万台という伸びの絶対数を示し、後半では伸び率を挙げて、通常は比較できないものを比較しています。また伸びの絶対数を伸び率と呼んでいます。もうひとつご紹介します。

「中国でも、価格と性能のバランスや燃費と安全性への信頼感が車を選ぶ基準になりつつある。(中略)これを受けて、中国ブランドはエンジンや変速機の刷新や部品・材料の性能改善に取り組むなど、コスト削減を強化」

 これは中国ブランドの乗用車が外国ブランドに比べ伸びなかったことを受けての文章です。中国の消費者は安さだけでは買わなくなってという意味だと思われますが、それに対してこの筆者は「エンジンや変速機の刷新や部品・材料の性能改善に取り組むなど、コスト削減を強化」と述べ、コスト削減を挙げています。

 「エンジンや変速機の刷新や部品・材料の性能改善」がコスト削減になるということも理解困難であり、また安さだけでは買わなくなってきたことに対してコスト削減で応じるというのもおかしい話です。

 600字程度の短文に問題点が4箇所、ずいぶん「高密度」の文章です。私が気になるのは朝日新聞がなぜこんな読むに耐えないような文章を載せたのかという点です。もし校正があれば、こんな明白な誤りは訂正されていたでしょうから、おそらくこの文章は無校正で掲載されたのではないかと思われます。

 「経済気象台」は第一線で活躍している経済人、学者など社外筆者の執筆によるものです、との注釈がありますが、おそらく彼らに配慮した結果なのでしょう。記事を依頼するという立場もあるでしょうが、誤りも指摘できないとはずいぶん卑屈な態度と言えましょう。

 これと対照的なのが一般読者の投書欄「声」です。こちらは編集者によって自在に変えられます。投稿文を材料にして朝日の主張を盛り込むことや、半分ほどを編集者が「創作」したりすることは珍しいことではありません。こちらは依頼しなくてもあり余る投稿があるためか、投稿者の文を尊重する気持ちが乏しく、傲慢な扱いが目につきます。もし編集者に逆らえば「変更をご承知いただけないなら掲載はできません」となります。

 卑屈と傲慢、これは正反対の態度に見えますが、同一の人格に共存します。これは力関係や立場の強弱を敏感に感じとり、強い相手には卑屈に、弱い相手には傲慢に接する態度です。こういった人間は少なくないですが、これは「強きを助け、弱きをくじく」にも通じる、処世術のひとつです。伝統的なものですが、決して格好よくありません。

 この対極に位置するものは公平・公正さを重視する態度でしょう。相手の肩書き・地位や力関係に左右されず、この場合で言えば寄稿・投稿された文章の内容だけを見るものです。

 善かれ悪しかれ、新聞は社会をリードする立場です。そういう新聞であるだけに、権威や力関係を重視する姿はことさら見苦しく感じるわけであります。
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後講釈で二番煎じ、かつ無責任

2012-04-09 10:16:48 | マスメディア
 2月29日付の朝日新聞の「記者有論」に載った「デジタル時代の新戦略」と題する記事は経済部の記者によるもので、断定的な書き方は自信にあふれ、とっても偉い方に見えますが、ご高説にはどこかで読んだ内容が詰まっています。

 記事では、パナソニックやソニーなど、日本の家電メーカー数社が多額の赤字を出したのは主にテレビ事業の不振によるものとし、その最大の理由は円高などの外部要因ではなく、デジタルテレビは部品を組み立てれば簡単に作れるもの(コモディティ化と呼ばれる)になったのに、日本のメーカーは部品まで自社生産する自前主義(垂直モデルとも呼ばれる)にこだわり、安い部品を世界中から集めて組み立てる外国の企業に敗れたためであると、解説されます。それは戦略ミスの結果であり「まずは自前主義をやめることだ」と厳しくご指導をされています。

 「自前主義をやめる」ことは多方面に影響が及ぶ、重大な路線変更です。そのように断定されるからにはご自身で業界の構造や環境を徹底的に調べ上げ、家電業界より優れた見識を得た上でのことと推察します。そうでないと無責任極まることになるからです。

 しかし経済に関心のある方なら似たような話を既に何度か読まれたことと思います。おそらく誰かが最初にこの理由を言い出し、それに感心した人たちが自分の意見であるようにあちこちに書いているのでしょう。多くは「二番煎じ」というわけです。ついでに言うと、我々の目に触れるものの大半は「二番煎じ」であり、独創的なものはかなり少ないと言えるでしょう。

 それらは学者や評論家など、概ね家電業界外部の意見であり、朝日記事のように業界の無能を批判するような論調も見られます。外部の者から簡単に批判されるほど、家電メーカーはそろって無能なのでしょうか。外部から指摘されてようやく気づき、これからは悔い改めます、ということになるのでしょうか。

 家電業界が苦境に陥る前に言うのならともかく、これらは結果が明らかになってからもっともらしい理由をつけるという後講釈に過ぎません。そして同じような解説を繰り返し聞かされるとそれがあたかも定説であるのような錯覚に陥ります。

 橋本内閣のときの消費税率引き上げはその後の不況の主な原因になったという説が広まりました。それは定説のように思われ、増税反対派の大きな論拠となりました。しかしそれが不況の原因のひとつであるとは言うことができても支配的な原因かどうかはわかりません。

 多くの要因が重なってひとつの結果をもたらしたとき、各要因の寄与度を判断するのは難しいことです。再現実験が可能な自然科学と異なり、多くの場合確定できません。対立する諸説がいつまでも生き残るのはそうした事情のためでしょう。社会科学の分野では「いい加減さ」は宿命です。

 テレビ不振の原因に、デジタル化による特需からの反動と円高・ウォン安があることは素人でもわかります。とりわけ円高・ウォン安は重要だと思われるのですが、この点が具体的に言及されることはあまりありません。

 英エコノミスト誌は2012年3月3日号で「2008年半ば以降、ウォンは円に対してざっと50%安くなり、韓国企業が価格面で日本企業の足をすくうのを後押しし、韓国経済を成長局面に戻す動力を供給した」と述べていますが、この為替の変化は実に大きい要因です。

 ウォンが円に対して50%安くなれば、輸出相手国に対し今まで100ドルで売っていたものが、韓国は50ドルで売れるようになるわけで、相手国が日本だけに100%の関税を課したのと同じことになります。TPPで問題となっている5%や10%の関税と比較になりません(記事にある為替のグラフによれば、50%安は少し大げさで平均40%強くらいでしょうか。それでも影響は絶大です)。

 朝日の記者らは為替の問題や特需の反動減、自前主義のもたらすコスト増加を数量的に理解した上で、自前主義が最大の要因であると断定したのでしょうか。私は疑問に思います。為替の変化は破壊的であり、それを不問に付すのなら、少なくともその根拠くらいは示すべきです。

 私のような素人が家電メーカーの例を挙げて、何が言いたいのかというと、このように多くの学者・評論家、マスコミによって主張され、定説のように思われているものも簡単に信用してはならないものが少なくないということです。まず疑ってみる態度が必要であると思います。

 誰かの言説を十分に吟味することなく、多少の加工や装飾を施して発表することは誤った言説をばら撒くことにもなります。「流言は知者に止まる(とどまる)」と言いますが、マスコミが愚者であるならば、流言は止まるどころか一挙に拡散してしまいます。

 社会科学は正否を確定することが困難な分野であり、後に間違っていたらしいとなっても批判されたり、責任を取らされたりすることなどまずありません。いい加減な世界は気楽な世界でありますが、いい加減な言説が罷り通る世界でもあります。

 もっともこの朝日の記者様が自身の高説を認められ、三顧の礼をもって家電メーカーに迎えられるようなことになれば私の考えも変えなければなりませんが、その可能性は・・・言えば失礼になるのでやめておきましょう。
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南海トラフ地震の巨大想定・・・地震学者の責任回避策?

2012-04-01 23:47:59 | マスメディア
 将来発生が予想される南海トラフ地震による津波や震度の想定が格段に大きくなったと、4月1日の朝日や日経は一面トップで伝えています。内閣府の南海トラフの巨大地震モデル検討会の発表ということですが、実に衝撃的な内容です。最大の津波高は高知県黒潮町の34.4m、宮崎市は14.8mなどと各地の津波高が具体的に記され、これらは従来想定の1.5~3倍になるそうです。たったの1年で地震学はすっかり変わったようで、その変幻自在、変わり身の早さに驚きます。この調子だと来年、再来年はどう変わるのでしょうか。

 また震度7が想定される地域は10県に及び、色分けされた震度分布図が載っています。10cm単位まで記した予想津波高や詳細な震度分布図は予想が精度の高いものであるとの印象を与えます。34.4mでは有効数字が3桁であり、3桁の精度を与えるに十分な根拠がある筈だと推定できるからです。

 しかし朝日の記事の最後には『今回の想定は「科学的に、あらゆる可能性を考慮した」上で、様々な仮定に基づく複数の試算から、最悪の結果をつなぎ合わせて出した数字だ』と解説しています。このような結果になる確率はきわめて低いものになると思われますが、その根拠が示されないので、判断のしようがありません。

 毎日新聞も『ただし、今回の発表内容は震源の想定を変えた16パターンの最大値を重ね合わせたもので、これらの被害が一度に起きることは「実際にはあり得ない」(事務局)という』と解説しています。事務局が「実際にはあり得ない」などと「但し書き」をつけたことは、この発表が誤解を招く可能性を予想していることを示しています。

 一方、東北大震災は地震学の予想をはるかに超えたもので、地震学は大きく信用を失いました。一部の研究者が過去の文献や地層調査から今回に匹敵する巨大津波が過去に何回かあったと主張していたにもかかわらず、学会の主流はそれを無視してきたことも明らかになりました。わからんと言っていたならともかく、これ以上の津波は来ないと言ってきたわけですから、その罪は決して軽くありません。

 将来、予想以上の南海トラフ地震が起きて、同じ失敗を繰り返せば世間の笑いものになるという恐怖が地震学会にはあったと想像できます。役に立たない学問となれば予算の配分にも影響があることでしょう。今回、最大限の想定を掲げておけば将来の責任を免れることになります。それより低い津波が来ても想定は最大値であったと言えば責任を問われることはありません。今回の発表にはそうした責任回避のための動機があるのではないかと勘ぐりたくなります。

 「最悪の結果をつなぎ合わせて出した数字」(一度に起きることは)「実際にはあり得ない」などと、信用を失ったばかりの地震学者に言われると、この予想がどの程度信頼できるのか、現実的にどんな意味があるのか、という疑問が生じます。津波は地層に痕跡を残すので、より多くの地層調査をすることよって裏づけを得ることができます。それまでは正直に「わからん」と言っておくのがよいと思いますが。

 最悪の仮定を積み上げた想定結果であれば正確さを期待できる筈がなく、10cm単位の詳細な数値に意味があるとはとても思えません。逆に詳細な数値の発表は信頼できるものとの誤解を生みます。地震予想は頼りにならないと正しく理解している人ばかりではないわけですから。

 朝日は「過度におびえる必要はない」という委員の言葉を紹介していますが、こんなに高い津波の予想を示されれば、海岸地方の人はおびえずにはいられません。この言葉は、現実にはまず起こらないからあまり心配しなくてもよい、とも聞こえます。

「過度におびえる必要はない」とはずいぶん無責任な言い方で、過度だと自覚しつつおびえる人はあまりいないでしょう。どこまでが適切で、どこからが過度だということを示さなければ意味がありません。

 朝日、日経、NHK、どれも人を驚かせるには十分な報道内容ですが、同時にこの数値の背景、算定の根拠や条件をよくわかるように報道したかという点では不十分と思われます。NHKは「但し書き」すら伝えていなかったように記憶します。すでにこの発表は波紋を広げているようであり、過剰な反応が起きることが懸念されます。
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