噛みつき評論 ブログ版

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支持率報道の副作用・・・政治から長期の展望を奪う

2008-10-30 09:01:52 | Weblog
 メディアは内閣支持率、政党支持率をたびたび調査・報道します。その支持率は民意の動向を表すものとして重視され、それが政治の動向に大きな影響を与えます。民意が政治に反映すること自体は結構なことですが、支持率がはたして重視されるに値するものかという点に注目したいと思います。

 国会議員の任期である4年~6年に対し、支持率は数ヶ月という短期で激しく変動します。支持率はメディア報道の関数と言っていいほど、報道の影響を強く受け、それはメディアが第4権力と言われる理由でもあります。そして報道は政治の失点、つまり負の部分を好んで報道するので、材料があるたびに支持率は下降するという傾向が見られ、それは短期変化の主な原因と思われます。

 政党や内閣の中身がそれほど急に変化することはありませんから、支持率の変化の多くはメディア情報に対する国民の感情的な反応によるものと言えるでしょう。したがって短期間で大きく振れるという支持率のもつ特性は指標としての信頼性に疑問を生じます。

 もうひとつの問題は短期変化する支持率と、長期の方針や計画性を必要とする政治との時間的なミスマッチです。つまり長期的であるべき政治が短期的な支持率に振り回されることです。支持率に一喜一憂するような状況では、政治は減税やばらまきなど目先の人気を重視する傾向が強くなり、長期の計画性を持った政治は望み難くなります。

 さらに支持率は調査主体によって大きく変わります。8月初旬の内閣支持率は朝日の調査が24%であるのに対し読売は41.3%、自民党支持率でも23%に対して35.1%となっています(新聞世論調査の怪)。統計誤差より遥かに大きいと思われるこの大差の原因はわかりませんが、これらの数値があまり信頼できないことは確かです。

 以上のように支持率にはいろいろと問題点があります。長期の継続性を必要とする政治が、不安定で信頼性も低い支持率の影響を受けすぎるのは大きい問題です。支持率の影響によって、増税のように必要であっても現在の痛みを要求する政策を掲げることは難しくなり、目先の人気を狙うバラマキのような政策が優先される傾向を生みます。

 衆議院議員は4年、参議院議員は6年と任期が決められているように政治はその程度の期間を単位とすべきものなのでしょう。戦後の日本の首相の平均寿命は26ヶ月であり、イギリスの58ヶ月、フランスの74ヶ月、ドイツの88ヶ月などに比べて短いのが特徴です。その傾向は最近さらに加速している感がありますが、それはメディアの支持率報道や、負の部分を強調する姿勢と無関係ではないでしょう。

 頻繁な支持率調査を含むメディアの報道姿勢が、図らずも日本の政治から長期的な視点を奪っているように感じます。
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野生動物を殴り殺し、感謝して食う・・・京大卒猟師を朝日が紹介

2008-10-27 08:51:47 | Weblog
 崖に取り残された犬の救出作業の成功を見て安心する。川に迷い込んだアザラシの行方を心配する。或いは、動物の母親が子を育てる姿を見て、ほほえましく思う。これらは多数の人に共通する感情です。

 一方、矢の刺さった鳥、撲殺された多数の白鳥などを見れば、多くの人は加害者の行為に強い不快感をもつことでしょう。

 10月19日付朝日新聞の読書欄に「ぼくは猟師になった」という本の書評が載りました。評者は元朝日新聞編集委員の松本仁一氏です。松本氏の代表的な著書は「カラシニコフ」で、人を殺傷する銃器に関心がおありのようです。書評のタイトルは『渾身の力で「どつく」、命のやりとり』です。私はこの本を読む気がしないので、この書評に対して述べたいとおもいます。以下書評を要約します。

 『京大を出て猟師になった男の物語である。野生動物が好きで獣医を志望するが挫折し、柳田民俗学に出会い、自然に敬意を払う生き方を知る。バイト先でわな猟と出会い、これだと思い、今は猟歴8年のプロである。
銃は遠く離れて命を奪うが、わなでは、捕まえた動物を自分の手で殺さなければならない。棒で後頭部を「どつく」のである。大きなイノシシをどつきそこね、逆襲されてあわやということもあった。命のやりとりなのである。動物の体を感じながら殺す。それによって「命を奪うこと」の重大さを知る。肉を与えてくれた動物に感謝しながら食べる。それは、スーパーのパック肉とは根本的に違うのだと、著者はいう。
 本の後半は獲物をどう料理するかのレシピ集になっているが、それを削っても、猟の体験談をもっと書き込んで欲しかった』

 私は殴り殺すという行為に強い不快感を持ちました。また、動物好きで獣医を志望するのはわかります。しかし挫折したから猟師になるというのはわかりません。猟師は動物の命を奪う立場です。好きだから殺して食べるという行為は まったく理解不能です(私はこの方には好かれたくありません)。スーパーのパック肉とは違うのだと都会の人間の無自覚さを批判しているようですが、自覚したからといって殺すことに胸を張ることにはならないでしょう。

 書評の表題になった「命のやりとり」という表現にも違和感があります。イノシシに逆襲されたことを指しているのだと思いますが、わなで拘束されたイノシシと武器を持った人間が対等であるわけがありません。イノシシが殺されるのはほぼ確実で、命を「とる」ばかりです。「命のやりとり」という勇ましい表現は対等か、対等に近い状況で使うべきで、正当化や美化のために使うのは誤りです。圧倒的に優勢な者が、逃げる自由を奪った上、戦意のない劣勢なものに戦いを強制することは単に卑怯な行為というべきです。

 『動物の体を感じながら殺す。それによって「命を奪うこと」の重大さを知り、肉を与えてくれた動物に感謝しながら食べる』とあります。そう考えることで、動物を殴り殺すという行為を正当化しているようですが、これも全く理解できません。「命を奪うこと 」の重大さとは、著者の食欲を満たすことと釣り合う程度のものなのでしょうか。他に食べる物がないというなら別ですが、現在の日本は飽食状態なのです。

 どう考えようが、殺される動物が納得するわけはなく、ただ撲殺のような残酷な殺され方はされたくないと思うだけでしょう。

 かつては火あぶりや切り刻みなどの残酷刑が広く行われました。また現在でも犬や猫を食べる地域があります。何を残酷と感じるかは時代により、また地域によって異なり、はっきりした基準はありません。しかし、英国では狐狩りが残酷だという理由で禁止されたように現代の先進国では残酷の基準が厳しくなっています。そのような感性が定着していると理解できます。

 わなの規制についてもさまざまな議論があります。わなは目的の動物だけでなく、他の動物をも捕らえます。猟師が到着するまでに、わなによる傷のために死ぬことがしばしばあると聞きます。従って動物の家族から母親や子供を殺害して奪うと いう悲惨な事態を避けることは困難です。高等な哺乳動物を飼うと、彼らにも親子の感情や喜怒哀楽があることを感じます。

 法に触れない限り狩猟は自由です。しかし如何なる理由をつけて正当化しても、多くの人が残酷で不快だと思う気持を消し去ることは難しいでしょう。理屈ではなく、感性の問題だからです。しかし一方で、動物の殺害を不快と感じない人たち、楽しみのために動物を殺す人達も存在します。そのような人は、この書評にある正当化(理解不能ですが)によって元気づけられることでしょう。

 「自然に敬意を払う生き方」、「命のやりとり」、「動物に感謝しながら食べる」、このような言葉を弄して目を背けたくなるような行為を美化・正当化し、一般紙に掲載することは理解できません。松本氏が肯定的に紹介される行為、とりわけ撲殺の映像は正視に堪えないものでしょう。多くの本の中からこれを選び、不愉快な文章を掲載した朝日の見識は理解できません。動物愛護を推進するような記事はやはり偽善なのかと疑われます。

 下は自民党動物愛護管理推進議員連盟に寄せられた一文ですが、このような感覚が特別なものとは思えません。

『現在、島根県知夫村でのタヌキのくくり罠による捕獲がテレビで放映されもがき苦しむ姿を見た多くの国民が胸を痛めております。また、その後は撲殺という残虐な行いは見るも聞くも耐えがたいものです。(中略)
どうか、命ある物に対しくくり罠のような危険で残酷な方法での捕獲が一刻も早く中止になりますようお力添えをお願い申し上げます』
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日本は急速に安全な社会へ・・・犯罪急減を知らせないメディアの事情

2008-10-23 00:48:05 | Weblog
 グラフは警察庁の犯罪統計資料の中から刑法犯総数と凶悪犯のグラフを抜き出したものです。統計資料には03~07年の犯罪の種類ごとの16のグラフが掲載されていますが、他のすべての犯罪の認知件数が減少していることが読み取れます。

 減少率はほぼ3割と読み取れますが、その大きさに驚かれる方も少なくないと思います。通常の注意力でもってメディアの報道を見ている限り、犯罪、とくに凶悪犯罪は増加しているという印象を持っているのが普通だからです。短期間に3割とは大変大きな、喜ばしい変化です。犯罪の増加に悩む国々から見れば羨ましい限りでしょう。

 調査の時期にずれがありますが、04年7月の治安に関する内閣府の調査(図4)によると、ここ10年間で日本の治安は「よくなったと思う」は7.1%,「悪くなったと思う」は86.6%となっています。圧倒的多数が悪くなったと考えていますが、これは事実に反します。

 10/17の朝日には「なぜ素人が法定に?」という裁判員制度を解説する記事があり、その中に同制度の対象となる重大事件の05~07年の実績が載っています。重大事件の総数は3633件から2643へと3年間で約27%の減少です。18種に分類された犯罪の中で、強盗致傷は約37%、殺人は約19%、強盗殺人に至っては約46%の減少となっています。

 朝日はこれを単に裁判員制度の説明資料として載せているのですが、犯罪減少として一面トップに載せてもおかしくない内容です。食品偽装や殺人事件よりもよほど価値があります。治安が良いという安心感が増すことは、人によっては給料が10%上るのに匹敵するかもしれません。不安をもたらすネタばかり追いかけていると不安と仲良くなるのかも知れませんが、不安を深刻に受け止める人もいるという事実に配慮すべきです。ひょっとしたらうつ病増加の一端を担っているかもしれません。

 石油価格が高騰したときは大きく扱いながら、それが低下したときは沈黙するか、小さくしか載せず、また環境ホルモンで大騒ぎしておきながら、指定物質の哺乳類への影響が確認できないとして指定がすべて解除されたときはほぼ黙殺しました。このような報道の非対称性を解く鍵は不安ということにあるのかもしれません。メディアは読者・視聴者を安心させることが何よりも嫌いのようです。

 不安は新聞販売やテレビ視聴率を伸ばし、利益を生むことは間違いないでしょう。反面、不安は我々のwelfare(幸福度)を引き下げます。例えば、医療への不信から不安な気持で受診するのと、安心して受診するのとでは大きな違いがあります。むろん不安が根拠のある合理的なものであれば別です。朝日記事の信頼度が最も低い理由で朝日の突出を指摘したように、故意に歪曲して不安を煽る報道は厳しく批判されるべきです。

 3割もの犯罪の減少を知らせない、あるいは結果的に十分周知されていないという事実はメディアの役割の重大な放棄であり、不作為の罪を犯していると思わざるを得ません。
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学力テスト結果開示問題に見る朝日の偏向報道

2008-10-20 07:29:15 | Weblog
 大阪府で騒動になっていた学力テスト結果の市町村別成績の公表問題は、16日、府内43市町村のうち教育委員会が自主的に公表を決めた35市町村について開示されました。しかし、この開示内容の掲載について、新聞の扱いは分かれました。

 毎日・朝日・日経は科目別平均正答率の市町村別数値の一覧を載せず、読売、産経は、開示された市町村名を明らかにした上で科目別平均正答率などのデータを一覧表の形で掲載しました(毎日新聞10/18日大阪朝刊による)。

 新聞は宅配制度による販売が主であり、1紙だけの購読者が大部分です。したがって購読紙によって大きい情報格差が生じます。公表に反対だからといって、「強権的」に実力に訴え、情報伝達を遮断するのは新聞の公共的役割を無視するものであり、そこには我々が情報を管理するのだ、という驕りが感じられます。

 一般論として、公的な情報は公開が原則です。一部の者が情報を独占することは弊害が多いためであり、多数が納得するに十分な理由がない限り、秘匿されるべきではありません。学力テスト結果を掲載しないのであれば、新聞は公表による弊害が利益を上回ることを根拠をもって説明すべきです(多分、明確な根拠を示せないから説明しないのでしょうが)。

 結果の公表は学校間の競争を加速する、学校間格差を強める、テスト偏重になる、などの弊害が言われていますが、むろんその懸念はあるでしょう。しかしその不利益がどの程度のものになるかについて説得力のある説明を見たことがありません。要は程度の問題です。程度について、明確な予測ができなければ実験するしかありません。

 一方、公表によって閉鎖的と言われる教育の世界が外部の風を受けやすくなり、何らかの努力を迫られることは十分予想されます。これは教育界の表向きの反対理由になっていませんが、こちらは容易にお気持を察することができます。また知事のやり方が強権的だと批判されていますが、これは今まで閉鎖的な無風状態に置かれ、ちょっとやそっとで動かない教育委員会の手強さの反映とも受けとれるでしょう。

 17日の朝日大阪版は社会面トップにこの問題を取り上げ、「識者」の意見を2つ載せています。高村薫氏は、公表は「全く意味がない」、「大阪の学力低迷は、経済苦から厳しい教育環境に置かれている子が多いという特有の理由がある」、「まず日本一の教育予算を投入すべきだ」と述べられています。

 公表は全く意味がない、と単純に断定されるとはたいした自信ですが、どのご主張にも根拠が示されていません。著名な作家だから、その権威を無条件で信じろというのが新聞の意図なのでしょうか。彼女が教育にどのくらい造詣が深いか知りませんが、経済苦による教育環境が理由ならば、その根拠を示すべきでしょう。また予算を増やせば学力が上るというご主張はあまりにも単純です。予算と学力の関係を示した上で、具体的な予算配分を示していただかないと私のような凡人には理解不能です。私の受けた義務教育は55人学級で、とても貧しい環境でした。当時の生徒の学力はとても低かったということになりそうです。

 藤田英典氏は「公表(略)が学力向上につながるとは思えない」「授業がテスト対策重視になる危険性がある。テスト偏重への反省から、生きる力などを身につけさせる教育が始まったのに、全く逆行している」と述べます。

 この方も根拠を示さない点は同じです。また「生きる力などを身につけさせる教育」とはゆとり教育を指していると思いますが、現在はゆとり教育の誤りが明らかになり、それと反対方向に向かいつつある状況で、「全く逆行」とは理解できません。

 二つの「識者」の意見以上に問題だと思うのは、朝日が賛成反対の両論を載せるのでなく反対論だけを掲載していることです。偏らない立場で報じ、評価は読者の判断に委ねるというのが新聞の基本的な役割である筈です。反対意見だけを並べ、公表結果を隠蔽してその理由すら述べず、新聞社特製の評価を押しつけるという姿勢は、社会の公器という名に恥じるものでありましょう。

 かつて民を統治する為政者の心得は「依らしむべし、知らしむべからず(*1)」とされましたが、新聞がこの調子では困ります。民に対して情報を恣意的に選択して、民意、民意と騒いでも、まともな民意は出てこないのが道理です。どうやら朝日は本音では民を見下しているようです。

(*1)孔子の言葉。通常、知らせずに頼らせろ、という意味で使われますが、これは誤解で、知らせることはできないが依らせることはできる、というのが本来の意味だとする説があります。
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朝食を食べると成績がよくなる?・・・日経に載った珍説

2008-10-16 00:02:26 | Weblog
 全国学力テスト結果の報道によって、新聞社の学力が試されるという皮肉な結果となりました。10月13日付の日本経済新聞に『正しい生活 成績向上の道』と題して全国学力テストの結果の一部とその解説が掲載されています。

 『朝食を毎日食べ、就寝の時刻も一定した層ほど小6、中3とも平均正答率が高いという結果が出た。規則正しい生活習慣が成績の向上につながっている』

 朝食を毎日食べている層はまったく食べない層に比べ中3国語(基礎問題)の正答率で12.6ポイント、数学(同)では20.8ポイントの差があったと解説しています。就寝についても毎日同じくらいの時刻に就寝している層の正答率はまったくしていない層より全科目で7.5~16.5ポイント上回ったとしています。

 朝食を毎日食べ、規則正しい生活をすれば成績が上ると、この記事は教えていまが、そんなことで成績が良くなるって、信じられるでしょうか? 実は次のように解釈することも可能です。

 朝食をきちんと食べ、規則正しい生活をさせる家庭は教育環境に配慮する可能性が高く、それが成績の高さに影響したと見ることができます。つまり「良好な教育環境への配慮」が「朝食と規則正しい就寝」と「成績向上」の双方に影響したと考えるのが自然です。「成績向上」は「朝食と規則正しい就寝」のためであるという解釈は理解できません。

 「朝食と規則正しい就寝」と「成績向上」は、一見、関係があるように見えますが、実際の因果関係はないか、あっても僅かです。このような関係は擬似相関と呼ばれます。

 擬似相関の例を挙げます。灯油の販売量が増えると脳卒中の発生が増加するという関係が発見されたとします。灯油が脳卒中の原因と考えるのは早計です。寒さという要素が両者の増加の原因になっているだけのことで、灯油と脳卒中との間に関係はありません。この場合、寒さは交絡因子と呼ばれます。上の例では「良好な教育環境への配慮」が交絡因子となります。二つの事柄の関係を見るときは交絡因子の影響を排除しなければなりません。

 朝食を毎日食べ、規則正しい生活をすれば成績が上るという、記事のメッセージは恐らく誤りでしょう。400万部の影響力は決して小さいものではありません。学力テスト記事で、図らずも記者やデスクの学力が露呈してしまいました。記者は国民を教えるという教師のような大切な役割を担っていますから、記者の能力に対する期待値もまた大きいと思うわけです。
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死刑廃止論の衰退と殺人事件報道の関係

2008-10-13 20:02:21 | Weblog
 04年12月の内閣府の基本的法制度に関する調査(図2)によりますと10年前の調査に比べ、「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」は13.6%から6.0%と大きく減少し,「場合によっては死刑もやむを得ない」は73.8%から81.4%と増加しています。死刑廃止論が支持を失ってきたことが伺えます。

 諸外国は次々と死刑制度を廃止し、死刑制度を維持している先進国は珍しい存在となりました。その中で、日本の世論が世界の潮流に逆行している主要な原因は、凶悪犯罪が増加しているという認識が広まっているためであると思われます(私は廃止論者ではありませんけれど)。

 04年7月の治安に関する内閣府の調査(図4)によりますと、ここ10年間で日本の治安は「よくなったと思う」は7.1%,「悪くなったと思う」は86.6%となっています。また同調査(図6)によると自分や身近な人が犯罪に遭うかもしれないと不安になることは多くなったと思うかに対し、「多くなったと思う」とする者の割合が80.2%となっています。ところが実際にはこの期間に凶悪・犯罪事件は横ばいであり、治安が悪くなったという印象は事実に反します。

 注目したいのはメディアの報道のあり方で、朝日新聞では85年から03年にかけ殺人事件報道は3~5倍になったという事実があります(参考)。「殺人重視」は朝日新聞だけではなく、NHKのニュース報道でも感じます。民放を含め、メディアの「殺人重視」報道が治安悪化という誤った認識をふりまいたと考えてよいと思います。近年の刑の厳罰化傾向はこのような背景と無縁ではないと考えられます。

 個々の報道内容がウソでなくても、報道量と誇張など報道の仕方によっては結果的に誤った認識を国民に与えてしまうことをこの例は示しています。国民の誤った認識が国の法制度にまで影響を与えることはとても理不尽なことです。メディアは間違い報道さえしなければ、報道の結果には責任を持たなくてもいい、と思っているかのようです。

 朝日新聞は、警察庁発表の08上半期に認知した刑法犯件数の、悪い部分だけを強調し、「殺人事件、上半期649件 前年比1割増」と報じました。これは朝日の姿勢を示す例として「朝日記事の信頼度が最も低い理由」で述べたとおりですが、これには不安を煽るという朝日の強い意欲を感じます。この刑法犯の減少を主旨とする警察庁発表は、殺人重視報道から生じる誤解を解く絶好の機会であるにもかかわらず、記事は逆に誤解を深めることを意図しているように見えます。これは朝日が報道の結果に責任を持つつもりがまったくないことを示しているようです。

 メディアリテラシーとはメディア報道を読み解く能力を指しますが、メディアリテラシーに関する特別な教育を受けないと正しく理解できない現状はおかしいと言わざるを得ません。特別な教育がなくとも正しく理解できるような報道にする努力が必要です。それが出来ないのであれば、機器などに付属している取扱い説明書のように、せめてメディア自身の手で「報道は事実の一面しか伝えていません」、「報道はある程度の誇張を含んでいます」とかの注意書きをつけるべきでしょう。

 読者・視聴者の関心を引くことを最優先した報道が社会に誤解を与え、その誤解の上に世論が形成されるという危険性に注目すべきです。事件報道と死刑廃止論を例にしましたが、この問題はより一般化できるのではないかと思います(すでにダイオキシンやBSEなどの問題では過剰報道が法制化を促し、多額の税金が費やされました)。
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超ハイリスクのFXに寛容なメディア

2008-10-09 09:47:20 | Weblog
 FX(外国為替証拠金取引)とは証拠金をFX業者に託し、その数倍から最大200倍程度もの外国通貨を売買して利益を目指すものです。倍率をレバレッジ(てこ)と言い、高くなるほどハイリスクになります。例えば100万円を預託した場合、レバレッジ100倍では外貨1億円分の売買が可能です。1ドルを100円で買ったとすると、101円になれば100万円の利益、99円になれば100万円の損失ですからかなりのハイリスクハイリターンの取引です。

 株式の信用取引では証拠金は30%程度ですから、倍率は約3.3倍に相当します。商品取引でも20倍程度のものが多いので、それらに比べ、FXの倍率はとても高く感じられます。倍率は価格の変動率(ボラティリティ)によって決められるにしても、FXの最大倍率は異常に高いものです。最低証拠金も低く設定され、一般多数の参加を狙っているようで、実際主婦なども多いようです。

 10/6のNHKクローズアップ現代では、FX業者の相次ぐ倒産によって資金を失った例が取り上げられていましたが、その主婦は子供の教育費をFXの利益で賄うということでした。競馬やパチンコで教育費を賄うことと本質的には同じです。

 ハイリスクの取引は余裕資金を十分に持っている人が楽しむにはよいのですが、その利益を教育費などの必要経費に充てるのは健全とは思えません。FXは所詮ハイリスクの投機、つまり賭博です。スワップ金利の差益(後述)を除けば、本質はゼロサムゲームすなわち総量が同じで、誰かが得をすると別の誰かが損をするゲーム、食うか食われるかのゲームです。借金をローンと呼んでも中身は変わらないのと同じで、FXと呼んでも本質は博打です。

 FXには一定の損失が出た場合、自動的に取引が解消され、それ以上の損失を避けるストップロスと呼ばれる仕組みがあります。しかし相場の急変場面では解消の取引が成立せず、証拠金以上の損失を被る場合があります。高倍率のレバレッジを使っているとその可能性が高くなります。

 かつては株や賭博で稼ぐ者はまともな人間と見られず、仲介する株屋などは山本夏彦流に言えば賤業とされていました。ついでながら山本氏は新聞記者もその中に入れていたようです。ところが最近はどうしたものか、メディアはFXや株のデイトレーダーに対して中立~好意的とも思える報道をしています。旧い価値観を持った者にとってはこれには違和感があります。

 本来、所得は社会に財やサービスを提供することの対価として得るものであり、投機による所得が同列に扱われれば、モラルの基幹部分が壊れる恐れがあります。つまりまともに働くことの価値が相対的に低くなりかねません。

 ここ数年、金融工学の発展につれ、金融資産は激しく膨張し、「金を働かせて金を得る」やり方が市民権が得たように感じられました。一部のメディアもそれを後押しし、安全志向であるべき年金積立金まで株などのリスク資産で運用を始めたのもこの風潮に乗ったからでしょう(いま大損を出しているそうですが)。そして今、投資銀行モデルの崩壊によって、資産だと思っていたものの多くが、壮大なバブルによる幻であったことが判明したわけです。はたして旧来の価値観が戻るでしょうか。

 FXの口座数は急増して150万に迫り、証拠金残高は約7000億円と言われています。10/7の朝日は「FX逆風」という記事を載せ、FX業者の業務停止の例とスワップ金利が逆転した例を書いています。FXの問題点を指摘していますが、それは部分的なものです。FXについては取引の概要を説明した上で「取引には外為に関する知識や経験が必要とされる」と述べるにとどまっています。知識や経験があれば成功する世界ではありません。

 記事の中でスワップ金利の説明があり「円より金利の高い海外通貨を買うと、1日数十~数百円の金利差益を受け取れる・・・」とありますが、1日数十円~がいくらの投資額に対する差益なのか、どこにも説明が見あたりません。これは1万ドル、1万ユーロなど外貨1万単位に対する差益だと思われますが、これを書かないとまったく意味が通じません。記者とデスク、校正がそろって意味を理解していないのか、そろって不注意なだけなのかわかりませんが、新聞の基本的な能力が疑われます(他の参考例)。

 話を戻します。勧誘方法の問題もあるでしょうが、FXのもつ危険性によって多数の損失を被る人々が生み出され、深刻な社会問題となることを懸念します。FXは何かと問題の多い商品先物取引に比べ、参加のハードルが低く、しかも高倍率です。倍率を低くするなどにより、ハードルを高くし、ハイリスクをとるにふさわしい人間にだけ参加させるようにしなければ業界の健全性は保てないと思います。メディアは問題の本質を理解して、ふさわしくない人が参加しないよう、FXの危険性を広く理解させる役割を果たすべきでしょう。
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環境問題を食いものにする人々・・・恐怖を煽る本が出版される背景

2008-10-06 09:34:48 | Weblog
 以下はわが国の出版界の一面を示すとても興味深い文章です。

『Amazonのページを使い、過去およそ二十年間に発行されて「ダイオキシン」を主題か副題に含む日・英・独・仏語の本を数えてみた(2002年9月)。ひところ「ダイオキシン本」が書店に山と積まれた情景が目にちらつき、海外でもずいぶん出ているのかと思いきや意外に少なくて、品切れ(絶版)を除けば和書を合わせて130冊しかない。
 内訳を見たところ、130冊のうちなんと105冊、率で8割以上を和書が占めている。しかもその大半は「こわさ」を語り、「身を守る方法」を教える一般向けの本だった。そのほか、題名に「ダイオキシン」を使っていないがダイオキシンを準主役にした和書も10冊どころではない。また、105冊の六割にあたる62冊は1998・1999の2年間に出ていた。なお、わずか25冊の洋書のうち、題名や解説から一般向けとおもえるものはほとんどなく、英語2冊、フランス語3冊の計五冊だけだった』

 これは「ダイオキシン-神話の終焉」からの引用です。世界で発行されるダイオキシン本の8割以上を日本が占め、これはわが国の出版やマスメディアの事情を知る上で実に示唆に富んでいます。

 日本の出版社が世界に先駆けてダイオキシンの危険性に気づき、競って発行したと考える人は余程おめでたい人でしょう。「売れる」と判断したから発行したまでです。そして「売れる」という状況を作り上げたのはいつもながらの集中報道の付和雷同メディアなのです。

 科学的な評価能力の低い日本のメディアはダイオキシンを史上最強の毒物と、センセーショナルに恐怖を煽りました。英語圏、仏語圏のメディアに比べわが国のマスメディアは次のような特異性を備えていると推論してもよいのではないでしょうか。

 ①科学分野の評価能力が大変低い→危険性を正しく評価できず過大視する
 ②メディアに個性が少なく、一斉に同じ方を向く→異なる見解の情報が伝わらない
 ③過剰な報道によって重大なものと過大に理解される

 ダイオキシンが「国民的な恐怖」となるためにはこの3つの条件が必要だったでしょう。そしてこれはダイオキシンだけに限りません。程度の差はあるものの、理不尽な恐怖は環境ホルモン、電磁波、食品添加物、遺伝子組み換え食品、残留農薬などに及びます。ここにそれぞれの分野での出版のチャンスが訪れるるわけです。

 私は電磁波の恐怖を説いた一般書を数冊読んでみましたが、一冊を除き、すべて著者は科学者ではなく文系の教育を受けた人物でした。そしてその著者らは他に食品の危険性、合成洗剤の危険性、遺伝子組み換え食品の危険性、新型肺炎の怖さ、狂牛病の汚染、果ては特定の健康食品の推奨本まで書いています。つまり売れるとなれば、どの分野でも出かけていく、専門知識がなくとも「勇敢」に書ける方々なのです。ただひとりの例外として理学博士の著者がいますが、その著書を読むと、基礎をちゃんと勉強したのかと首を傾げたくなる箇所がいっぱいありました。(詳しくは電磁波恐怖商法を参照ください)

 これらの著者、出版社は環境問題の恐怖を売り物にして商売しているわけです。厄介なことに、恐怖を喧伝する本は一見科学的で、センセーショナルで、かつわかりやすいのに対し、誠実に書かれた本はその面白くない上に理解するのに努力が必要です。教科書が面白くないのと似ています。大量に売れるのは前者であり、これらはまた電磁波防止グッズや健康食品の売り上げにも貢献しています。

 彼らのつけ込む分野には共通点があります。完全に白とは証明されず、僅かに未知のリスクが残る分野です。これを針小棒大に煽るわけです。そして水俣の有機水銀汚染などの例に出し、我々だけが危険性に気づいているという立場をとります。安全だとする政府側の見解を否定することも多いため、反体制側の運動体と協調することもある。いや利用されていると言うべきでしょうか。

 本来、環境問題を正しく評価するには十分な科学知識が必要です。にもかかわらず、大半の本はその知識が備わっていない人によって書かれている。マスメディアの記事や報道も同じです。知識のない人が百万人かかっても正しい評価はできません。

 現在、ダイオキシンや環境ホルモンの文字が新聞に出ることはほとんどありません。ダイオキシンも騒がれていたほどの影響はなく、結局、メディアに押された環境庁が規制を強め、環境機器メーカーに数千億円の特需が舞い込んだ結果となりました。

 2004年6月、環境省は環境ホルモンとして指定していた67種の物質の指定をすべて廃止しました。98年の指定以来調べてきたが、哺乳類にはその影響が認められなかったという理由によります。かつて大騒ぎした新聞はこの事実を無視するか、目立たない小さな記事にしただけでした。だからほとんどの人は廃止の事実を知りません。数年前、環境ホルモンで大騒ぎした後始末の態度として、無責任の感を否めません。

 逆に、アスベスト被害については、長期にわたる被曝が重大な危険を招くことはずっと以前から指摘されていたのですから、政府の責任は重大です。しかし同時にメディアの無関心も指摘する必要があります。一人の死者も出ていないダイオキシンや環境ホルモンで大騒ぎしながら、アスベストを無視したメディアの無能ぶりに注目すべきです。

 そして問題は恐怖本の出版が社会にもたらす影響です。この手の本を信じた人は無用な恐怖を味わいながら生きていかなくてはなりません。世の中には何事も気にしない人もいるが、反対に神経質な「気にする人」もいます。このような本の購入者の多くは「気にする人」でしょうから、余計に被害は甚大です。購入者は本の代金と時間を失い、不安を抱えて生きていかねばなりません。恐怖本の出版は人々の不安を食いものにする悪徳商法なのであります。
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米証券の破綻・・・世紀の巨額借金踏み倒し

2008-10-02 08:00:41 | Weblog
 金貨だと思っていたものが、実は葉っぱであったことに皆がようやく気づきました。贅沢三昧の生活を楽しんでいた、ずる賢い狐たちの手の内がバレてしまいました。寓話風にいうとこんなところでしょう。まあ以下も寓話とお読み下さい(経済の素人にまともな議論は無理なので)。次は狐たちの生態を示すエピソードです。

 「リーマンのニューヨーク本社が倒産手続きに入る直前、ロンドンの欧州拠点から8000億円超を本社勘定に事実上、移転していたというのだ。すっからかんになった欧州拠点は従業員に給料も払えない。そんな折、ニューヨークの社員用には、ボーナス資金までしっかり確保されていたと分かり、ロンドンの怒りが爆発した。正直な人、誠実な人はウォール街流に向かない」(9/26毎日「発信箱」より)

 ここ数年、金融業の高所得は驚くほどでした。先ほど潰れかけたメリルリンチの前CEOの昨年の退職金は170億円、ゴールドマン・サックスのCEOのボーナスは70億円といわれています。昨年のマンハッタンの証券業界の平均週給は約180万円といわれ、年収では1億円近くになります。リーマンが救済されなかったのは散々儲けた強欲な連中の後始末に税金を使うわけにはいかない、というのが理由に挙げられています。

 ニューヨーク・ポスト紙は一面トップに高さ5センチ大の活字でデカデカと「フロード(詐欺)・ストリート」という見出しを掲げ、ペロシ下院議長は「自分の会社をつぶしておきながら、高額の退職金という金色のパラシュートで脱出しようとするCEOたちに言いたい。もうパーティーは終わりだ」と厳しく批判したそうです(9/24 FT)。

 米国はここ数年過剰消費の状態にあったとされています。過剰消費とは米国民が生産する以上のものを消費している状態、つまり借金に頼る生活です。家計はマイナスの貯蓄率が示すように赤字、政府も巨額の財政赤字で、それが巨額の貿易赤字に反映されています。リーマンなどの証券会社(投資銀行)が世界中から集めてきた借金で貿易赤字を埋めてきました。破綻は借金の踏み倒しです。

 集めた巨額の金の一部は狐たちが食いつぶし、一部は住宅などに化けましたが、多くは雲のように消えました。10月1日の日経は世界の株式時価総額が2000兆円目減りしたと伝えていますが、サブプライムローンから作られた証券は住宅価格の値上がりを前提にしていたので価格が下がれば消えるのは株と同じでしょう。信用創造というと聞こえがよいですが、ないものをあるように見せることです。

 米証券5社の資産は90年代の米国GDPの1割前後から昨年には3割を超えていたそうです(9/30日経)。信用膨張が進みすぎ、バブルがはじけたとされています。信用が膨張するということは株が値上がりするのと同様、見かけの資産は増加します。膨張した資産は石油や穀物などの商品投機にも向かい、商品の高騰によって世界中がひどい迷惑を受けました。実体経済の規模に見合わないマネーは市場を混乱させ、有害であることが示された形です。

 04年の米企業利益に占める金融業の比率は3割強で、日本は1割だそうです(9/25日経)。金融の役割とはつまるところ資源配分です。簡単に言うと社会から資金を集め、社会が必要としている産業などにそれを配分する仕事です。配分の仕事をする役割の者が3割もの利益をとるというのは健全な社会とは思えません。

 投資銀行というモデル自体が消滅し、拝金主義の狐たちの宴は終わりました。世界規模の経済の大混乱という置きみやげを残して。

 狐たちは投資の幻想をも生み出しました。「貯蓄から投資へ」(参照)という日本政府の方針が、その幻想につられたものであったなら、再考の余地があるのではないかと思う次第です。
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