噛みつき評論 ブログ版

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大分教員採用汚職・・・腐敗の背後にある事情

2008-07-28 09:11:44 | Weblog
 大分県の教員採用汚職事件は教員採用だけでなく、教頭や校長のポストも「売買」されていた疑いが持たれています。そしてこの「職の売買・口利きシステム」は数十年前からの慣行であり、多くの人が知っていたそうです。数千人の記者を擁するマスコミだけが知らなかったのか、あるいは知らんふりをしていただけなのでしょうか。

 警察が動き、事件が発覚した後も、他人の不祥事が何よりも好きという朝日はなぜか報道に消極的でした。朝日のこの異常な姿勢は朝日の友好勢力への暖かい配慮なのかもしれませんが、それは逆にこの事件の背後にある特別な構造の存在を疑わせます。

 公正さが強く要求される教育の場で、なぜこのような不正が長期間行われ、かつ表面化しなかったのか、ということに注意を向けるのも無駄ではないと思います。恐らく大分県だけのローカルな問題ではないでしょうから。

 各都道府県の教育委員会に対するNHKの調査によると、19都道府県で採用試験の問題の持ち帰りを禁止しており、9都道府県で解答を非公開、30都道府県で選考基準を非公開としています。受験者が自分の得点を確かめ、結果を納得することができないような秘密主義が公的な組織に存在していたことには驚きます。大分県はこのすべてを実施していた3冠王です(3冠王は他に4県)。

 「職の売買システム」は正当に採用されるべき人にとって許せない行為であるだけでなく、不適切な人が採用されることによって教育機能の低下を招きます。平成19年度の全国学力テストにおける大分県の成績は47都道府県中で小学校44位、中学校32位となっており、教育機能の低さを裏付けた形となってます(学力は様々な要素の影響を受けるので断定はできません)。

 大分県教育委員会は教育より教員仲間の利益を優先する体質だと見られても仕方ありません。点数改ざんの自由を保証した非公開中心の採用制度と「職の売買システム」は内部の利益を図るための車の両輪であったのでしょう。答案の早期廃棄もそのシステムを保証するための仕組みでした。事件の原因を教育の世界の閉鎖性に求める見方がありますが、逆に、教員仲間の利益のために閉鎖性を作り上げたというべきでしょう。

 選考基準の公開など、試験制度の改善を図る動きが全国で始まっており、今後は同様な不正行為の防止はある程度可能でしょう。しかし教員仲間の利益を優先する体質が変わらなければ、十分とは言えません。この体質を生んだ原因を突き止め、それをも取り除く必要があります。以下は報道からの抜粋です。

『同県内の元労組幹部も10年ほど前、県教組の当時の役員から「県教組には定員の1割の枠が与えられていると打ち明けられた」と話している』『大分県教組の組織率は公表されていないが、60%以上と言われ、九州では最も高い。大分県は、北海道や広島県、兵庫県などとともに、県教委に対する組合の影響力が強いことで知られている』(7月11日asahi.comより。因みに北海道の学力は小学校46位、中学校44位となっています)

 『大分県の教育界は、教委と教職員組合との癒着が指摘され、平成13年、教育長がそれまでの教委出身者から知事部局出身者に代わった。(中略)
 「それ以前は教育長も教委出身者でもっと閉鎖的、もっとおおっぴらに不正をやっていた。知事部局出身になって、こっそりやるようになったのだ」。大分県の教育界に詳しい関係者はこんな証言もする』(7月20日産経【公教育を問う】第6部 教員採用汚職[上])

『「PTAから教職員の人事まで、あらゆる分野を教職員組合が牛耳っている。教育委員会と組合の癒着構造にもメスを入れてほしい」。地元の保護者はため息をつく。』(7月10日産経)

 上の事実は教育委員会と教職員組合との関係の重要性を示唆しています。教育委員会が単独で腐敗したのか、あるいは教職員組合などが関わったのか、大変興味あるところです。合格者の半数といわれる不正合格者の「ルート」の解明などにより、内部利益優先の構造を解明し、構造そのものを変える努力を期待したいと思います。
    *   *   *   *   *

上に都道府県別の学力順位を載せましたが、これは昨年、約40年ぶりに再開された全国学力テストに基づくものです。全国学力テストは1966年以来、日教組の反対によって実施されなかったとされています。教員の勤務実態調査も日教組の反対によって1966年以来40年間できませんでした。これらは教育の閉鎖性を高める役割を果たし、今回の事件の温床の一因となりました。またゆとり教育も日教組の努力で実現し、学力の低下を招きましたが、本当のねらいは教員のゆとりを目指したものではないかとも言われています。(参考 誰のための「ゆとり教育」であったのか)
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「卑怯」という感覚の衰退・・・通り魔からテレ朝まで

2008-07-24 09:29:35 | Weblog
 通り魔事件は身勝手な理由で、何の関係もない人を襲うという極めて理不尽な犯罪ですが、さらに許せないのは、凶器を用意した上で予告もせず、無防備な人を突然襲うという極めて卑怯な方法です。相手が体力に劣る女性や子供なら、これ以上の卑怯な行為はないと言えましょう。

 また、少年が集団でホームレスを襲い、殺害するという事件がいくつかありました。元気な少年が集団で老いたホームレスを襲うという、あまりの卑怯さと残忍さに、胸の悪くなる出来事でした。

 秋葉原事件の跡に設けられた献花台の供え物を取り上げたテレ朝の番組も共通の要素を含みます。ホームレスと思しき人物が供え物を持ち去るのを密かに撮影した上、スタッフは供え物の食物を返せと執拗に迫りました(前回の記事に詳細)。

 ホームレス側に僅かな不道徳行為があるとは言え、強者が多勢でひとりの弱者を責める行為は卑怯と映ります。食物に不自由しない連中が食事も十分できない人から食物を取り上げる行為も卑怯な行為と言うことができます。これを見て不快を感じた方はそのように感じられたのでしょう。

 無論これだけで断じることはできませんが、卑怯という感覚が徐々に薄れてきているような気がします。古い世代にとっては、卑怯というのは最大の恥、不名誉、格好悪さであって、卑怯者と言われることは最大の恥辱であり、人格の否定と受けとられます。このような感覚は、少なくとも大多数に共有されていました。

 もっとも、卑怯な犯罪は昔からありました。したがって犯罪者に代表される少数者だけがこの感覚を持たない、あるいは希薄なのだという見方も可能でした。しかし、前述した事件の頻発やテレ朝の報道を見ると、卑怯の感覚の衰退が若い世代に広がっているのではないかという強い懸念が生じます。テレ朝の番組は卑怯という感覚の喪失がもはや個人レベルだけではなく、組織レベルでも生じていることを示唆しています。

 犯罪者達が卑怯という感覚をもっと身につけたなら、胸が悪くなるような事件が少しは減るのではないでしょうか。少なくとも劇場型犯罪と呼ばれるものは自分を世に晒(さら)すわけですから格好悪さはブレーキになると思われます。

 卑怯という感覚の衰退は戦後の教育の結果であることに異論はないと思います。戦前の体制の復活をパラノイア(*1)のように恐れるあまり、関連の疑われるものすべてを捨て去った結果とも考えられます。武士道を持ち出すまでもなく、卑怯という感覚は洋の東西を問わず、社会にとって大変有用なものです。それを社会の成員が共有できるようにすることは、今後の教育の課題のひとつだと言えるのではないでしょうか。

(*1)パラノイア・・・体系立った妄想を抱く精神病

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テレ朝・スーパーモーニングの恥ずべき商法

2008-07-21 09:03:48 | Weblog
 ニュースを娯楽にしてしまうワイドショーはすっかり定着した観があります。14日のスーパーモーニングの2つの話題は、ここまで娯楽化してよいのか、という疑問を感じました(もっとも私の方がテレビ界の「常識」から取り残されているのかも知れませんが)。

 ひとつは「昼は主婦、夜は泥棒」「二つの顔を持つ女」と題して、深夜、鍵のかかっていない民家を専門に窃盗を働いていた主婦を取り上げたものでした。3人の子供の教育費と家のローン返済に追われていたそうです。

 普通なら報道されることがないと思われるコソ泥程度の容疑者を、テレ朝は実名と共に住居や付近の映像を全国に放送しました。彼女の住む地域で、この事件は知れわたり、彼女の家族は近所の人に特定されたことでしょう。気の毒なのは何も知らなかった彼女の家族、夫と学齢期の3人の子供です。

 テレ朝は「二つの顔を持つ女」として面白おかしく視聴者に提供しつつ、罪のない容疑者の家族を地獄に突き落とす手伝いをしました。犯罪者が刑を受け罪を償う以外に、メディアが恣意的に、つまり話題として面白いなどの理由で取り上げ、犯罪者とその家族に社会的制裁を加えてよいのでしょうか。テレ朝が制裁を判断する審判者になるのです。賢明な審判者ならまだいいのですが・・・。

 容疑者の住居はその家族の住居でもあります。視聴者が僅かな娯楽を得るのと引替えに、容疑者の家族にまで不利益をもたらす行為は正当化できるのでしょうか。もしテレ朝に取り上げられなければ、容疑者は執行猶予付の判決を得て彼女の家庭はより平穏な生活を続けられたかも知れません。

 もうひとつの話題は秋葉原事件の後、設けられた献花台の上の供え物を持ち去る人々を取り上げたものです。カメラは、献花台に近づき食べ物やペットボトル、タバコなどの供え物を持ち去る人物を追います。カメラは気づかれないように隠してあるのでしょう。

 ディレクターと呼ばれた若い男がマイクを片手に初老の持ち去り男を追いかけて行きます。そしてなぜ持っていくのかなどと詰問します。なおも去ろうとする男を執拗に追いかけ、追求し、品物を戻すように迫ります。差し出した品物に満足せず、もっとある筈だとなおも追求します。

 持ち去るのはホームレスや派遣労働者と思しき人々であり、十分な食物に恵まれているようには見えません。持ち去る前に、何度も献花台の前を行ったり戻ったりする若者の姿もありました。きっと気が弱く、迷っているのでしょう。

 供え物は、いずれは捨てられるものと思われます。持ち去る人にはそういう気持ちがあるのでしょう。それに対してディレクターは供えた人の気持ちを踏みにじる行為だと詰め寄ります。若いディレクターは年長者に「指導」をしますが、閉口したのはその執拗さです。

 放送という公共の役割を担うものが、些細なことを取り上げ、子供じみた正義を振りかざして詰問までする姿勢に疑問を感じます。世の中には「寛容の範囲」というべきものがあり、些細なことまで他人が口出すのは大人げない行為です。警察ですらこんなことはしません。

 献花台を「罠」として隠れ待ち、やってきた「獲物」を無断でこっそりと撮影するという卑怯な手口。弱い立場の人間の恥を暴いて娯楽として提供する商売。まあよく嫌にならないものだと感心します。せっかくの娯楽ですが、私にとっては極めて不快な番組でした。

 この番組は、恵まれたスタッフが、些細な不道徳行為を理由に、食物にも事欠く人々から食物を取り上げようとするという非常に「不快な構図」という一面を持っています。

 深刻な問題はこれを「不快な構図」として理解しないテレ朝の見識・感覚です。私には供え物の持ち去りよりも、テレ朝の見識の方が余程重大な問題に思えます。子供のような正義感、面白ければよいといった、社会常識から遊離した感覚が心配です。そして彼らは社会に影響力を行使できる立場にあるのです。

 他人の恥部を暴くことにばかり熱中していると、自分の恥が見えなくなるのでしょうか。
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朝日記事の信頼度が最も低い理由

2008-07-17 09:12:47 | Weblog
 警察庁は10日、08上半期に認知した刑法犯件数が前年同期比5.0%減の87万9208件で、6年連続で減少したと発表しました。凶悪犯は4200件で8.8%の減少、殺人(未遂も含む)は10.8増の649件で昨年までの4年連続の減少から増加、というのが主な内容です。

 以下はこの発表を伝える主要メディア電子版の記事の見出しです。

アサヒコム   殺人事件、上半期649件 前年比1割増
MSN-産経    上半期の刑法犯6年連続減少 振り込め詐欺は蔓延
日本経済新聞   刑法犯、6年連続の減少 警察庁まとめ、1―6月
47NEWS      刑法犯が6年連続減少 08年前半、警察庁まとめ
TBS News    刑事犯6年連続減、振り込め詐欺増加
福島放送     上半期の刑法犯、6年連続で減少
時事通信     上半期の刑法犯、6年連続減=窃盗は20年間で最少-通り魔は5件…
毎日新聞    刑法犯:6年連続で減少、殺人は10%増 上半期・警察庁
FNN       2008年上半期の刑法犯、およそ88万件 6年連続減少も殺人・詐欺は増加

 上記のうち殺人事件の増加だけを見出しにしているのは朝日だけです。他社はすべて刑法犯の減少を主にしています。毎日とFNNは殺人の増加を載せてますが、重点は刑法犯の減少にあります。やはり朝日だけが「特別」という印象が拭えません。これは単なる偶然ではなく、朝日の特異な体質を反映したものと理解してよいと思います。

 見出しには新聞社が強調したいこと、つまり新聞社の意向が反映されます。刑法犯の減少よりも殺人の増加という事実を伝えたかったと解釈できます。見出しから意味を汲み取ろうとする人は、社会の治安が悪くなったと理解する恐れが多分にありますから、それをも狙ったものと考えられます。

 朝日は記事の初めにも殺人事件の増加を説明し、「凶悪事件の頻発で、治安の回復を実感できない状況が浮き彫りとなった」と、不安を「誘導」しています。刑法犯減少は印象に残らないよう「親切な配慮」がなされています。なんとしても、犯罪が減って良かったとは思わせたくないようです。他のメディアを読んだ人に比べ、治安に関して逆の認識を持つ可能性があります。

 もうひとつの問題はこの数値の扱いです。刑法犯減少率は5.0%で殺人増加率は10.8%ですが、双方の率の信頼度には差があります。刑法犯の5.0%減の元になった数値は925239(件)であり、殺人増加の10.8%の元になった数値は586(件)です。元の数の大きさに大きな違いがあります。

 元の数が小さいほど増少率の信頼度が小さくなります。例えば前年の件数が10件で、今年12件に増えた場合は20%の増加ですが、この20%は増加傾向を表すものとしてはあまり意味がありません。偶然の要素に左右されるからです。それに対して刑法犯のように元の数が数十万の場合は高い信頼度があります。

 朝日が殺人10%増とするのは、傾向を表すデータの内のわざわざ信頼の低い方を強調しているわけで数値の理解力を疑うに十分です。正確に伝えるというメディアに要求される基本要件が欠如していると考えざるを得ません。

 このような見出しをつけた理由は、社会不安を煽るセンセーショナルな記事を優先する体質と、学力の低さに求められます。もし学力が高く「増加率」の意味を知りながらあえて報道したのなら、一層誠実度が疑われまます。それとも社会不安を煽る目的が他にもあるのでしょうか。いずれにしても、不安を煽るという揺るぎない「熱意」には脱帽します。

 調査によって朝日の読者信頼度が低下しているという事実(詳細記事)が明白になりましたが、この記事を見ると納得がいきます。

 60代や70代以上の層では朝日の信頼度が残っているものの、若い層の信頼を失いつつあります。とは言うものの依然として大きな影響力を持っています。センセーショナリズムに強く傾斜した報道、低い見識によって選択・歪曲されたは報道は社会に誤った認識を広め(参考 メディアが作るイメージと現実の乖離)、有害であります。
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教委汚職より食品偽装の方が重大事?・・・教委汚職の報道はなぜか遠慮気味

2008-07-12 16:31:48 | Weblog
 大分県教委汚職は教育界に広がる独自の慣習の存在を疑わせる展開となりました。教員採用試験だけでなく、教員の昇進にも袖の下が常態化していたようです。事件が社会に与える影響の深刻さは食品偽装事件の比ではないと思うのですが、メディアの認識はちょっと違うようです。

 今年の小学校教員の採用試験合格者41人の内、口利きのあった受験生が半数を占めていたことには驚かされます。1人や2人なら、まあ少しくらいはまあしょうがないかとあきらめもつきますが、これだけ大量では採用システム全体の問題として扱う必要があります。

 朝日、読売、毎日、産経は一斉にこの問題を社説に取り上げ事件の重大さをそろって訴えています。しかし、少なくとも朝日新聞においては、一般の紙面での扱いは意外なほど小さく、連日一面トップを飾った吉兆事件などに比べると雲泥の差です(吉兆事件の報道)。県教組の採用枠10%の存在が取り沙汰されていますが、まさか日教組に遠慮があるのではないでしょうね。

 今更いうまでもありませんが、理不尽にも不合格とされた若者にとっては一生の問題であり、また教員の資質を確保するための選抜制度を歪めたことは教育に対する重大な罪です。美味くて気づかなかったが、産地を騙されていたという程度の問題とは深刻度が全く違います。

 大分の教育界ではこの慣習が「伝統的」なもので、賄賂に手を染めた人々はさほどの罪悪感を感じていなかったのかもしれません。そして、いくつかの社説やコラムで指摘されているように、このような慣習がもっと広範に行われている可能性を否定できないでしょう。

 ならば、この教職を売買するという教育界の慣習が許されない大罪であると、連日一面トップに載せて思いっきり派手に叩くべきでしょう。
 食品の偽装表示をここ1、2年でひどい悪事と変えたように、意識を変えることができるのはメディアです。今回、なぜ朝日新聞が珍しくも上品で冷静なのか不思議です、本当に必要なときに。

(毎日JPのアンケート調査によると、国産ウナギの産地まで偽装と聞くと、買うのを控えるは67%、気にならないは32%となってます。私はこの32%に健全さを感じます。教委汚職に対して気にならないと答える人は何%いるでしょうか)
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朝日新聞主筆様、ご高説に少し疑問があるのですが・・・

2008-07-10 09:11:55 | Weblog
 世界の主要国の首脳が集う洞爺湖サミットを前に、朝日新聞社主筆の船橋洋一氏が7月7日の朝刊一面に提言を載せておられます。日本国民と世界に向けた、朝日新聞を代表する提言なのだと思います。断定的な調子が目立つのは、船橋氏の強い自信の表れなのでしょう。編集の頂点に位置する方はさすがです。

 「エコ連鎖危機 地球覆う」と題する小論は前半を危機の現状分析に充て、後半をどうすべきかという提言に充てています。その中で、私には僅かながら理解困難な部分があります。恐らく私の理解力が乏しいためと思いますが、以下に疑問点を示します。

 まず船橋主筆は、「経済・金融と環境・エネルギーが複雑に絡み合って危機の連鎖を生むエコ連鎖危機が地球を覆っているとした上、日本の低金利と米国の急激な利下げによるマネーの過剰流動性がドル安と石油、食糧の価格暴騰をもたらし、(中略)景気後退の中、インフレを噴出させている」との認識を示されます。

 ここでは石油、食糧の価格暴騰の原因を専ら金融(過剰流動性)に求め、需給関係の変化には触れません。しかし過剰流動性は短期的な理由にしかなり得ず、地球規模の問題にはより長期的な視野が必要ではないかとの疑問が生じます。

 次の段落では「G8は、産油国に石油増産を、中国に石油需要抑制を(中略)訴えるが、温暖化対策では、炭素コスト、つまり化石燃料価格を高め、脱石油を進める以外ない」とされます。前段で石油価格の暴騰を危機の原因としながら、ここでは石油価格高騰を支持していますが、これは長期の意味でしょう。つまり断りなく短期、長期の見方が混在しているわけで、凡人は混乱してしまいます。

 驚異的なのは「G8首脳がそろって価格引下げを強いれば、大暴落、ひいては世界不況を引き起こしかねない」と述べておられることです。G8首脳といえども市場経済下で価格引下げが可能でしょうか。中国を標準にお考えなのかも知れませんが、たとえ中国でも市場経済化が進んでいて困難でしょう。これは経済の常識的理解を超えたもので、私にはお手上げです。

 さらに石油価格引下げが大暴落、ひいては世界不況を引き起こすというご懸念ですが、人為的な価格操作が可能なら、なぜ暴落ではなく適正なところまで下げられないのでしょうか。また暴落して世界不況になるというのも理解しかねます。最初の説明は石油価格の暴騰が景気後退を招いた、のではなかったのでしょうか。ならば元に戻ると景気もよくなると凡人は考えます。

 つづいて、「二度の大戦は、成長、そして、市場と自由貿易が世界の安定と平和にとって不可欠であることを教えた。それはなお真実である」「温暖化が進めば貧富の格差はさらに拡大するだろう」「格差を是正するためにも成長と安定を同時に追求する」と述べられます。

 と、いきなり根拠なしに言われても、浅学な私にはすんなりと納得できません。また「成長と安定を同時に追求する」って、実際にどうすればよいか全くわかりません。

 そしていよいよ「日本は何をすべきか」と、具体的な提案になります。
「潜在成長力を引き出し、地方、女性、若者の所得を高めるため、『改革、解放』を一層進める。環境・省エネ・新エネで世界最高水準に立つ。その成果を新興国、途上国にリサイクルさせる」、と述べられます。

 『改革、解放』は小平時代の中国でのスローガンでしたが、いまの日本で所得を高める『改革、解放』とは具体的に何を意味するのでしょうか。私には皆目見当がつきません。これも中国が基準のお話しなのでしょうか。解放を規制の緩和と捉えれば、それは格差拡大の要因として働くことが多いのは周知の通りです。

 「環境・省エネ・新エネで世界最高水準に立つ」は理想論としてはうなづけますが、具体性に乏しい印象があります。ついでに「最高水準の原子力発電」を含めれば現実論としても少しは有効になると考えます(余計なことですが)。

 「エコ連鎖危機の挑戦を、森と海と太陽と技術の日本文明の低炭素フロンティアを拓く機会と受け止めるべきである」という最後の文章はいささか感傷的ながら、主旨はごく妥当なものです。しかし目新しさは感じられません。

 船橋洋一主筆は世にも珍しい「英語公用語論」を唱えておられる、とっても非凡な方と聞いています。しかしサミットを意識し、国民に広く呼びかける提言ならば、ご高説の根拠も含め、私のような凡人にもわかるようなレベルで書いていただきたいと願う次第です。

 これは編集部門のトップに位置する方の言説であり、朝日の見識レベルを象徴するものと受け止められることでしょう。
(参考:記者の資質を疑う朝日記事)
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韓国BSE騒動、政治対立へ変質・・・政治の力学とメディア

2008-07-08 09:02:44 | Weblog
 米国産牛肉の輸入再開問題に端を発した韓国の混乱が収まりません。NHKの「ラジオあさいちばん」(7/2頃)は興味深い視点からこの騒動を捉えています。青木記者のソウルからの報告を要約します。

 『当初の集会は家族連れや中高生の参加が多い穏やかなものであったが、最近は労組が中心のより過激なものに変わってきた。宗教団体も加わり、政治色が強くなった。韓国最大の労組組織、全国民主労働組合総連盟も今後数万人の動員を計画している。
 市民の対応は集会に賛成と反対の二つに分かれるが、それには進歩系と保守系に分かれたメディアの影響が大きい。進歩系メディアは警官が集会参加者を殴る場面を繰り返し報じ、保守系メディアは参加者が警官を取り囲んで殴る場面を報じている。保守系メディアの建物はガラスを割られるなどの被害が出ている』

 騒ぎの発端は牛肉の輸入再開に伴う人型BSE感染の不安でしたが、これはほとんど根拠のないものでした(参考)。始めは不安を煽(あお)る過大な報道と、それを増幅したネットが集会への参加を促しましたが、次第に政治色の強い団体が集会を主導するようになってきたようです。運動目的は政権批判へと変わり、当初の牛肉問題は騒ぎの火付け役という程度になりました。

 殴る場面を繰り返し報じるマスメディアの姿勢は国民の感情に訴えることを目的とするもので、問題を冷静に考えるための材料を提供するというメディア本来の役割から遠いものです。むろんこれは私の考えですが、日本のメディアの日頃の特性から容易に推定できます。

 わが国の60年安保騒動では朝日・毎日を主とする政府批判報道に力を得たデモ隊が大規模なものとなり、最後には岸首相を辞任に追いこみました。政治を大混乱させたこの運動は個々人の冷静な判断に基づくというよりメディアの煽動の影響が大きかったものと思われます。いま思うと、複雑な外交問題を学生達が正しく判断できるものか、大変疑問ですし、安保条約を理解していない学生が多数いたともいわれています。

 メディアの方はというと、6月15日、デモ隊が国会に乱入し、東大生1名が死亡した直後、騒乱の予想外の激化に危機感をもった主要新聞社の幹部は話し合いをし、騒ぎを鎮める方向で合意したと言われています。

 翌16日の主要各紙は一転して「全学連学生諸君の理性に訴えて、強くその反省を求める」(朝日)、「民主社会を破壊する惨事」(毎日)、「悲しむべき野蛮な行為」(読売)などと冷静な対応を呼びかけました(【社説検証】安全保障/日中関係(5-1)より)。幸いなことにメディアの冷静な行動が混乱の激化を防ぎました。戦前、新聞は軍国主義を煽り、それが効きすぎてコントロール不能の状態を作り出しましたが、その反省があったのかもしれません。

 韓国の事件で注意したいのは、政治がメディアに大きく影響され、しかもその影響力は感情的な要素に強く依存しているという事実です。一部のメディアが根拠のない人型BSE感染の不安を煽ったことを「好機」とし、感情的な対立が意図的に拡大されるという、不合理な事態です。民主政治を動かすのは理屈よりも感情なのかもしれません。

 韓国の例はメディアの重要性を改めて思い知らされる例として注目に値します。国をひとつの生き物とみなせばマスメディアは全身に張りめぐらされた神経に相当します。中枢神経がおかしくなって間違った情報を伝えたり、二つの系統に分かれて別々の情報を伝えていては余計な混乱を招きます。民主主義がうまく機能するかどうかは中枢神経の出来によって決まると言えそうです。
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軽油混入事件で分ったガソリンブランドの中身・・・食品偽装との"格差"

2008-07-03 19:47:08 | Weblog
 6月28日島根県隠岐の島町でガソリンに軽油が混入していたことが明らかになりました。混入ガソリンは出光、エネオス、昭和シェル、エッソ、JAの町内各ガソリンスタンドから販売されエンジントラブルを引き起こしたとされています。

 隠岐の島町では元売四社とJAが共同で利用する、山陰タンク隠岐油槽所があり、ここから各ガソリンスタンドへ運ばれ、エッソやシェルなどのブランドで販売されます。ブランドは異なってもレギュラーガソリンは全く同じものだったわけです。

 離れ島でなくても、融通などのために、A社のスタンドのガソリンは自社製とは限らないそうです(昔は他社の製油所に出入りするときはローリーにシートを被せてブランドを隠したと聞きました)。背景にはガソリンの品質差が問題になるほどではないという業界の認識があるのでしょう。

 かつてガソリンのブランドが重視された時代がありました。現在はガソリンの品質にあまり差がないことがわかったせいか、ブランドを重視する人は少数だと思います。このブランドと販売物の不一致は既に世の常識なのか、マスコミも全く無関心です。

 一方、○○産の牛肉などと、販売戦略に産地ブランドが重用され、商品の差別化の手段として使われる商品が多くなりました。

 しかしもともと差の少ない商品にブランドイメージによる差別化を図ったとしても、実質的な差の少なさが消えるわけではありません。産地の偽装表示が表面化するのはたいてい消費者からの品質に対する苦情ではなく、生産者側の告発であることがこの辺の事情を物語っています。

 7月3日のNHKニュースウォッチで「食品アドバイザー」と称する人が「プロが食べても中国産ウナギと国産ウナギの違いはわからない」と発言していました。小売価格では2倍程度の差があるそうですが、その根拠は味でないとするといったい何なのでしょうか。 もしそれが安全性だとすると、安い食品は危険性が高いというあってはならないことになり、これは別の重要な問題を提起します。

 食品の偽装事件はマスコミの扱いも最大級が通例になり、国家的な重大事件という趣がすっかり定着した観があります。 健康被害があれば別ですが、少し騒ぎ過ぎのようです。

 ガソリンも牛肉もウナギも、消費する側には「違い」がわからない点は同じです。ブランドと販売物の不一致という問題に対する騒ぎ方に天と地ほどの違いがあるのは不思議です。あるいは表示に関して、ガソリンと食品とでこれほど異なった扱いをしなければならない理由でもあるのでしょうか。

 (ガソリンのブランド表示を改めろという主張ではありません。厳密に表示することで輸送・貯蔵コストが上がり価格が上昇するより現状のままがよいと思います。偽装に対するダブルスタンダードを指摘しただけのことです)
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