噛みつき評論 ブログ版

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日本経済は破綻しないと「アエラ」

2010-04-29 09:51:39 | Weblog
 「日本経済は破綻しない」という特集に惹かれて5月3日のアエラを買ってしまいました。表題の「破綻しない」というのは、23人のエコノミストに対する調査で「破綻しない」が13対8と多数を占めた結果だそうです。多数決で決めるというのはいささかいい加減な話です。残りの2人は判断を避けていますが、賢明なことだと思います。

 将来、日本経済がアルゼンチンのように破綻するかどうかは誰にもわからないことでしょう。それは政治の動向や海外要因など様々な予測不可能なものが関係するわけで、株価を予測することができないのと似ています。幸いなことにギリシャの信用不安にはさほどの影響を受けませんでしたが、株価には連想安とか、つれ安と呼ばれる現象があり、類似銘柄の動向によって注目を浴び、影響されることもあります。このようなことまで予測することはまず不可能でしょう。

 そのような状況で、破綻する、あるいは破綻しないと断定したエコノミスト達はたいへん勇気ある方々だと思います。しかし恐らくは確かな根拠があるわけではなく、株価予想や勝ち馬の予想に近いものでありましょう。また13対8と意見が分かれたことは今の経済学がこの問題に対してあてにならないことを示しているように思われます。

 リーマンショックを招き、世界を大混乱に陥れたバブルの破裂を事前に予想した経済学者を私は知りません。その一方で投資家のジョージ・ソロス氏が少なくとも半年前に著書でバブル崩壊を予想し、警告していたことはたいへん興味深いことです。

 アエラの記事は両論併記の形をとり、双方のエコノミスト達のコメントを載せていますが、それぞれの意見があまりにもバラバラなのに驚きます。経済学というのは実に「自由な」学問なのだとは思いますが、自由すぎて見解が収束しないようでは現実に役立たないことになります。

 とはいうものの、双方の意見の中では「破綻派」の方に説得力のあるものが多く、「破綻しない派」の中には著名な人物ながら首を傾げたくなるようなものがいくつか含まれているという印象を受けました。また、これだけ自由にものが言えることの背景には、主張が間違っていても責任をとらされたり失業することがないという恵まれた環境があるようです。羨ましいですが。

 近年の国債残高は増加の一方であり(つまり発散過程)、このままいくといつかは国債の消化が困難になり金利の上昇を招くことに異論はないと思います。その場合、ファンドなどが一斉にカラ売りを浴びせて暴落を招き、危機的な状況に陥る可能性を否定することはできないと思います。

 重要なことは国債残高が収束に向かうような政策を政府が取り得るかどうかでしょう。それには痛みを伴う増税と緊縮財政が定番ですが、これが受け入れられかどうかは国民の認識次第です。国民の認識はほぼマスコミの反映と考えられますから、その鍵はマスコミの手中にあると言えるでしょう。

 「日本経済は破綻しない」などという広告文は増税策を取りにくくし、政策の選択幅を狭めることになると思われます。

日本、医療の満足度は最低レベル

2010-04-26 10:08:22 | Weblog
4月24日のNHKニュースは、国立感染症研究所の推計によると新型インフルエンザによる死者は約200人で季節性インフルエンザの数十分の一であったと報じています。さらに

「各国と比べても10万人あたりの死者の数は大幅に少なく、専門家はタミフルなどを使った治療が迅速に行われたことや学級閉鎖などの措置で感染が広がるのを防いだ点を挙げています。また手洗いなどの徹底が死者を減らすことにつながったと見ています」と述べました。

 タミフルなどの治療が死亡率を下げたのはわかりますが、学級閉鎖や手洗いが、死亡率を下げたというのはちょっと理解しかねます。ここでの主語は死者数ではなく死亡率です。よく理解した上で報道されているのか疑問ですが、まあそれは措くことにします。

 ともかく、新型インフルエンザによる日本の死亡率が圧倒的に少なかったことは受診のしやすさや医療水準など医療制度が十分に機能したことの象徴と言えるでしょう。

 ところがこの日本の医療制度に対する国民の満足度は22カ国中で最低レベルという驚くような調査結果があります。以下に4/15の共同通信の、記事を引用します。

『[日本、医療の満足度15% 22カ国で最低レベル]
 【ワシントン共同】日米中など先進、新興22カ国を対象にした医療制度に関する満足度調査で、手ごろで良質な医療を受けられると答えた日本人は15%にとどまり、22カ国中最低レベルであることが15日分かった。ロイター通信が報じた。

 ロイターは、日本は国民皆保険制度があり、長寿社会を誇っているとしつつも「高齢者の医療保険の財源確保で苦労している」と指摘した。

 自国の医療制度に満足している人の割合が高いのはスウェーデン(75%)とカナダ(約70%)で、英国では55%が「満足」と回答。韓国、ロシアなどの満足の割合は30%以下だった。

 国民皆保険制度が未導入で、オバマ大統領による医療保険制度改革の議論で国論が二分した米国は、回答者の51%が手ごろな医療を受けられると回答した』

 日本の医療制度にはいろいろ問題はあるにしても、ロイターも指摘しているように、日本は国民皆保険制度があり、長寿社会を実現しています。にもかかわらず、満足している人が15%とは理解に苦しみます。この調査はネットで行われたようで、サンプルの偏りなどの問題はあると思いますが、それにしてもあまりの低さに驚かされます。

 侵入した男が児童を殺傷した池田小学校事件は大変稀なケースでしたが、事件後、小学校の門に警備員を配する学校が続出しました。現在、多くの学校は止めているそうですが、大々的な報道に接すると、稀に起きる事件であっても身近に感じてしまいます。ごく小さい確率であっても、もっと大きい確率だと思ってしまうわけです。

 医療事故の報道にも同様のことがあると思います。医療事故が大きく、繰り返し報道されることによって、事故の確率は実際よりも大きく受けとられている可能性があります。分母となる医療の総数は膨大な数ですが、それを意識されることはありません。また報道は患者側に立って、医療側を非難するというのが標準のパターンなので、これも医療、ひいては医療制度への信頼を低下させます。

 医療には完全性を求めることはできません。完全性を前提に、患者という弱者の側に立ち、医療を指弾する姿勢は「正義の味方」かもしれませんが、医療に対する不信感を高め、双方の信頼関係を損ないます。これは大変不幸なことで、報道の副作用というには大きすぎるものです。日本の15%という特異な数値と諸外国の51%~75%の差はマスメディアの差、あるいは国民のメディアリテラシーの差ではないでしょうか。

関連拙文 医療崩壊を推進するマスコミ報道

解散を煽動せよ

2010-04-22 10:00:36 | Weblog
 「私に任せてくれれば無駄を排してもっと良い生活をさせてやる」という話を信じて任せたところ実は借金に頼るだけのいい加減なものであった、といった重大な約束違反の場合でも4年間はクビにできないのが現在の仕組みであります。

 無能な政党や嘘つき政党が何かのはずみで政権を取ったものの、すぐに馬脚を現した場合、如何に不人気が続こうとも自ら解散して、不利な総選挙をすることは通常ありません。つまり与党の支持率が低いほど任期中の選挙が行われる可能性が低いことになります。一旦、衆議院で多数を制すれば如何に無能な政党であっても4年間は続けられるわけで、制度的な欠陥といってもよいでしょう。

 したがって、普天間基地問題など、数多くの不手際を重ねて支持率が25%(朝日)にまで低下した鳩山政権が自ら解散する可能性はほとんどないと思われます。

 一方、支持率の急落は期待が裏切られたためであり、先の衆院選で選び間違いをしたと思っている人が多いことを示していますから、ここで改めて国民の信を問うことは理に適っています。

 仙谷由人国家戦略担当相が衆参同日選挙の可能性に言及したことは誠実さの表れとも受けとれます。これに対し、小沢幹事長の腰ぎんちゃくとの評判が高い山岡賢次国対委員長は衆参同日選挙の可能性について「荒唐無稽な自己宣伝をしている人がいるが、そういうこと200%ない」と批判していますが、党と我が身の保身のための当然の発言でしょう。

 仙谷氏のせっかくのまともな発言(失言?)を支援する目立った動きはありませんでした。解散の気運をつくり、解散という制度を有効に機能させることができるのはマスコミだけです。昨年の衆院選の結果は、マスコミが民主党を過大評価し、誤ったイメージを広めたことの反映とも考えられますから、解散風を煽り総選挙を実現することはその責任を取り方のひとつです。そして煽るのはお得意の筈です。

 煽るといえば雪印、不二家、吉兆、浅田農産などの事件が思い出されます。いずれもマスコミが1~2週間トップ記事を続けて袋叩きにした事件です。大騒ぎの末、多くの失業者や自殺者と引き換えに私たちは何か大きなものを得たのでしょうか。

 重要度から言えば取るに足りない事件にあれ程の報道を結集するのであれば解散・総選挙を煽ることくらい造作ないことでしょう。ここで信を問うことになれば大きい意味があると思われます。それともバッシング対象は反撃の心配のない弱い者だけに限定しているのでしょうか。

民主党政権の功績

2010-04-19 08:06:38 | Weblog
 たいていの物事には両面があります。悪政の代表のように言われるダムや道路などの公共事業でも地方経済には役に立っています。ひとつの政策が万民の利益となることは稀であり、光と影、両方あるのが普通です。

 さて、首相の資質まで疑われ、支持率が急落中の民主党政権ですが、立派な功績もあります。なんといっても最大の功績は国民に政治への関心を呼び起こしたことではないでしょうか。とりわけ国の重要課題、財政と外交・安全保障問題ではこのままいくと大変なことになるかもしれないという危機感が広がったことは意味があることだと思います。

 自民党の長期政権のためもあって、誰が政権を担ってもたいして変わらないという、政治に対する関心の低い状態が続いていました。それが昨年の政権交代で一変し、政治への関心と期待が一挙に高まりました。しかし僅か半年で、期待は儚くも消え、代わりに危機感が生まれました。危機感とセットながら政治への関心が残ったことは良いことでしょう。

 「たちあがれ日本」結党の動機は民主党政権がもたらすであろう日本没落への危機感だそうです。現政権の財政や外交・安全保障政策だけを見ても危機感の根拠は十分であり、与謝野氏らの見識は真っ当だと思いますが、マスコミのやや冷淡な姿勢が気になります。

 ワシントン・ポスト紙が鳩山首相を核安全保障サミットでの「最大の敗者」「不運で愚か」と酷評していますが、これはまんざら的外れではないように思われます。またオバマ大統領の鳩山政権に対する不信感も十分納得できるものです。反米傾向のあるメディアですらオバマ大統領の冷たい態度を非難する様子はありません。

 ともあれ出来の悪い政党に政権を与えれば国難を招きかねないということを有権者が学習する機会を民主党政権は提供してくれました。マスコミが映し出す時の勢いに流され、安易な投票をすることは重大な結果を招きかねないと、多くの人が理解したことでしょう。これこそ民主党政権の国民に対する最大の贈り物です。但し、代償はとても高いものにつきそうですが。

 この贈り物は民主党の政権運営能力を見抜けなかったマスコミに対するものでもあります。判官びいきではなく、政党に対する冷静な評価能力をもたなければ国に危機をもたらしますよ、という教訓となってほしいものです。投票はマスコミ報道の反映なのですから。

「野生動物を食べよう」と天声人語

2010-04-15 10:08:40 | Weblog
 『森や田畑を荒らす「害獣」も、捕らえた多くは燃やすか、埋めるかしているそうだ。これを食肉として利用する動きが、国や自治体の音頭で広まっているという記事を読んだ。野の命を生かす試みである』

 4月11日の天声人語はこのように述べ、次のような言葉を引いて野生の鳥獣を食べることを推奨しています。

『ジビエほどフランス人の食欲を刺激するものはない・・・数多くのクラシックな食材の中でも本命中の本命である』
『狩猟の民の末孫たちは、ジビエ(野生の鳥獣)が出回る秋を待ちこがれ、野趣あふれる煮込みに舌鼓を打つ』
『獣肉が長らくタブー視された日本でも、養生になることはよく知られ、薬食いと称して食べていた。江戸川柳に〈雪の日の七輪に咲く冬牡丹(ぼたん)〉がある。イノシシは牡丹、シカは紅葉。先人の粋な言い換えは、和製ジビエの旨(うま)さの証しかもしれない』

 このように野生の鳥獣の旨さを強調したあと「動物だって、ゴミではなくごちそうとして昇天したかろう。クジラにマグロと、海では押され気味の食文化である。自然への礼を尽くすためにも、山の恵みを無駄なく味わいたい」と結ばれます。

 単に野生動物を殺して食う行為も「野の命を生かす」「自然への礼を尽くす」などの美辞麗句を使って説明されると、まるで素晴らしいことにように聞こえます。しかし「動物だって、ゴミではなくごちそうとして昇天したかろう」となると、これはずいぶん身勝手な理屈です。

 たしかに捨てるものを食材に利用することは合理性があります。但しそれは経済の視点からだけ言えることです。鯨やイルカを食べることが国際問題になっているように、現代ではどんな動物を食べるかはすぐれて文化の問題です。

 欧米では鯨やイルカを殺して食べることに強い抵抗感があります。これに対し、中国は「空飛ぶものは飛行機以外何でも食べる、四つ足のものは机以外何でも食べる」といわれています。数年前、新型肺炎SARSの感染源として疑われたハクビシンが檻に入れられて大量に運ばれていく映像をご記憶のことと思います。また朝鮮半島では現在でも犬や猫を食べる食文化があります。

 日本より中国に親近感を持つと定評のある朝日新聞ですが、食文化まで見習うことはないでしょう。「獣肉が長らくタブー視された日本」とあるように、これは日本の文化や感性を表すものです。この文化や感性は殺生を戒める仏教の影響によるものかもしれませんが、現代にあっても好ましいものと思います。「舌鼓を打つ」ために廃止しようという考えには同意しかねます。

 先日、奈良でシカがボーガンで撃たれて死んだ事件がありました。逮捕された男はシカの肉を売って儲けるためであったそうです。この筆者の期待通り、野生鳥獣の肉が人気を得て流通するようになると、このようなことは増えるでしょう。

 殺処分される犬や猫は年間数十万頭に及びますが、この天声人語の筆者は「動物だって、ゴミではなくごちそうとして昇天したかろう」と主張するのでしょうか。時代の流れを逆転させるような主張が「日本を代表する新聞」によって800万部もばらまかれる事態を憂慮します。

テレビ民主主義

2010-04-12 10:08:37 | Weblog
 世の中の多くのものは時間が経つとまあ良い方向に進みます。技術進歩によるものはむろんですが、組織の統治などでも過去の失敗を教訓としてより巧みなものになる方が多いと思われます。

 むろん時間が経つと悪化する例外もあります。政治はその代表例と言ってもよいでしょう。最近の政治の迷走ぶりを見ていると「政治の劣化」という言葉は本当であったのだと改めて思い知らされます。民主主義という不効率ではあるけれども最もマシだとされている制度に支えられる政治がなぜ劣化していくのかという問題が注目されてもよいと思います。

 有能で見識にも優れた政治家が政権を運営する場にいないことは国民にとって不幸なことです。その理由を単に政党のだらしなさといった個別の問題に帰するのではなく、選挙などの政治システムの問題として扱う必要があるのではないかと思います。

 選挙の機能には利益代表を選ぶということもありますが、優れた政治家を選ぶということはより重要な機能です。現状はこれが十分に機能しているとは思えません。その理由を考える上で参考となる、05年の郵政選挙における興味深いデータがあります。以下は「投票行動から見た日本人の主体性」から抜粋です。

 「05年10月26日の朝日新聞朝刊に、『メディア、牙にも蜜にも 露出は「商品」次第』と題して、05年9月11日の総選挙ではテレビを見た人間程、自民党候補に投票している傾向があると結論づけた世論調査記事を載せている」とし、

 その中で、1日のテレビ視聴時間と自民党候補に投票した割合を示してあります。左側の数値は有権者中の構成比、右側はそのグループの中で自民候補に投票した割合です。

      2時間以内――41%  自民候補票 40%
     2~4時館 ――41%       〃  44%
      4時間以上――15%       〃  47%

 テレビを長く見る人ほど自民党候補を支持していることが読み取れます。また女性はより強くテレビに影響されることも示されています(これは被暗示性の強さとも受けとれます)。これらは郵政選挙における自民党の圧勝がメディアの報道によってもたらされたことを示唆しています(交絡因子を無視したものであり、厳密なものではありませんが)。朝日記事の見出しはこの因果関係を認めたものであり、同時にメディアの影響力の大きさを誇っているかのようです。

 これに関連して注意すべきことが二つあります。ひとつはテレビ視聴時間が年代によって異なるということです。30代と40代は平日の平均が約3時間であるのに対し、60代は約4時間20分と大きな差があります(2005年の資料)。

 もうひとつは60歳以上の世代が選挙に強い影響力を持つことです。有権者を20~39歳、40~59歳、60歳~、3つの階級に分け、それぞれの有権者数と投票率を掛け合わせれば、有効な投票者数になります。60歳以上の階級は有権者数が多いことと投票率が高いことにより、最大の影響力をもつことになるとされています(大竹文雄著「競争と不公平感」p153)。

 つまり、テレビの影響を強く受ける60歳以上の階層は、最大の有効な投票者数をもって、選挙に強い影響力を行使する階層であるということになります。後期高齢者問題など、この階層から批判を浴びやすい政策は、それが正しいものであっても選挙では大きい失点となることが考えられます。このような事情によってテレビが選挙に与える影響は想像以上のものがあるというわけであります。

 さて元に戻りますが、政治の劣化はテレビのあり方と切り離しては考えられない問題であると言うことができます。以前述べたように、投票はメディアが作り出すイメージの反映です。有権者が選ぶ前にメディアが政党や政治家を選んでいるわけで、無能な政党や政治家を選ぶことで政治劣化の片棒を担いでいるといってよいでしょう。

消費者は王様、売る人は奴隷

2010-04-08 09:51:12 | Weblog
 どの店で買うか、どの商品を買うかはすべて消費者の選択に委ねられます。販売者はひたすら選ばれる立場です。商品やサービスの供給が需要を上回る社会では選択権は消費者側にあり、販売側は選ばれるために絶えまない努力を強いられます。努力をやめれば脱落することを意味します。

 日本の消費者は商品の品質やサービスの質にうるさく、商品やサービスの質は高いレベルにあるといわれています。そのためもあって、自動車や家電など日本の工業製品の品質の高さは定評があります。

 サービスに於いても同様です。私はよく通販を利用しますが、早ければ翌日に届きます。宅配便による配達が夜遅くになることもしばしばですが、彼らは笑顔で応対してくれます。私はあまり利用しませんが配達の時間指定まで可能で、便利になったものです。消費者にとってずいぶん居心地のよい社会になりました。

 少し昔、知人がアメリカ製の大型バイク、ハーレーダビットソンを買い、オイルが漏れるので販売店に相談したところ、「漏れるのが普通だ」と取り合ってもらえなかったそうです。ハーレーのオイル漏れは最近でも有名なようで、これがアメリカンクォリティだと皮肉られたりします。過剰品質といわれる日本とは対極の、おおらかなお国柄なのでしょう。

 商品の質を高め、価格を低下させる競争は消費者にとっては利益であることが多く、ほぼ無条件によいこととされてきました。その背景には独占や寡占体制、あるいは不公正な規制による競争制限の弊害があったのでまあ仕方ないですが、競争は善、競争制限は悪、という考え方は単純すぎるように思います。

 過度の競争状態は生産者・販売者側に強い負担となります。数百円の買い物でも丁寧に頭を下げてくれますが、紳士的な客ばかりではありません。販売員に怒鳴るような客は見ていても不快ですが、そのような客に頭を下げるのはストレスがたまることでしょう。宅配便の時間指定は便利な反面、同じ地域を何度も回るという不効率と仕事量の増加を生みます。食品の安全性に対するマスコミの厳しすぎる要求は生産者・販売者側に強いストレスをもたらすでしょう。

 競争が激しくなるほど消費者のわがままを満たすことが必要になり、生産・販売側の仕事はきつくなって、従事している人の負担が増えます。消費者としてはわがままが通る天国であっても、消費者の多くは生産・販売者でもあるので、片足は地獄に置いているわけです。

 仕事のストレスなどが原因で労災認定された鬱病などの精神疾患を患った人は連続して増加しているそうです。またOECDのFactbook2009によると、日本人の主観的幸福度は34カ国中、下から9番目という低さで、日本はロシア、韓国、ブラジルにも及びません。社会心理学者のホワイトによると日本人の幸福度は178カ国中90位となっています。これには生産・販売者としての居心地の悪さが関係しているのではないかと思います。

 オイル漏れが普通というのもちょっと困りますが、消費者を過度に持ち上げる風潮は一方でモンスターペアレントなど理不尽な要求をする連中に栄養を与えているとも言えるでしょう。

 市場の競争が効率性を生むのは承知していますが、「過ぎたるは及ばざるが如し」であります。世の中には競争が好きな人もいれば、嫌いな人もいます。競争が嫌いな人や、物質的豊かさにあまり価値を認めない人にとって、競争を強いられる社会はたぶん居心地が良いものではないでしょう。過度の競争がもたらす負の側面にもう少し注意が向けられてもよいと思います。

首相の資質、マスコミの資質

2010-04-05 07:34:16 | Weblog
 悪戯を咎められたとき、「そんなことをしてはいけないとは法律に書いてないよ」といって開き直るのは、私が小学生の頃よく使われた方法です。

 鳩山首相は普天間基地移設問題は3月末までに政府案をひとつにまとめると発言していましたが、29日の会見で「3月中と法的に決まっているわけではない」とこれまでの発言を覆しました。一国の首相が前言を簡単に翻し、子供のような開き直りのお言葉を述べられたわけであります。

 4月4日の毎日新聞社説は『論調観測 軽い首相の言動 「資質」問い始めた各紙』というテーマで首相の資質に焦点を当てています。

 「年度が改まったこの週、鳩山内閣への各紙論調にも節目が訪れた。『政治とカネ』など政権の迷走を指摘しつつも、各紙はこれまで基本的に鳩山由紀夫首相の指導力発揮に期待を示してきた。それが『郵政騒動』を境に首相の統治能力、さらに資質への疑念に踏み込み始めた」

 毎日は3月31日社説で(亀井・菅)両閣僚の口論を「子どものけんかのような醜態」と評し、首相の迷走ぶりに「統治能力に疑問符がつく」とし、朝日は1日社説で「擦り切れる『首相の資質』」との見出しで郵政問題の決着を「後ろ向きの『裁定』」と断じ、「もはや『首相としての資質』が疑われるところまで来ている」と紹介しています。ところが「政権が半年を迎えた先月中旬、各紙はそろって社説で取り上げたが、朝日は実績への批判より改革への期待にかなり力点を置いた内容だった」としています。

 読売や産経の社説はもう何ヶ月も前から首相の資質を問題にしていたと記憶していますので、毎日の言う「各紙」とは朝日と毎日のことなのでしょう。それにしても朝日と毎日は首相の資質に注目するのがずいぶん遅かったと思います。普通に首相の言動を観察しているだけで資質を評価するのは可能であり、さほど難しいこととは思えないからです。

 朝日と毎日は民主党に対する大きな期待をもち、そのために彼らは目が曇ったのではないでしょうか。俗に欲目というものです。内閣が支離滅裂状態になってもまだ30%程度の支持率を保っていられるのは朝日・毎日の欲目報道のおかげなのでしょう。

 去年の衆院選挙では、有権者はメディアが映し出す民主党のイメージを信じて投票しました。それから僅か半年後、期待された内閣はこの体たらくです。結果的には、選挙のとき朝日・毎日は民主党に騙され、誤ったイメージを国民に示したことになります。情けないことですが。

 騙した方も悪いでしょうが、騙された方はさらに罪が深いと思います。社説で他人事のように述べるのではなく、「鳩山内閣の評価をすっかり間違っていました」と国民に謝罪してもよいと思うのですが。

壮大なまわり道

2010-04-01 10:17:04 | Weblog
 来春から使用される小学校の教科書のページ数が大幅に増えるそうです。「ゆとり教育」全盛時の2001に検定で合格した教科書に比べると算数・理科はともに67%の増加、国社算理4教科(*注 その平均ということでしょう)では50%の増加となっています(3/31朝日新聞)。

 2001年のページ数の少なさには今更ながら驚きますが、数十年にわたって日本中を覆い尽くした「ゆとり教育」は漸く終息することになりました。簡単に言えば、元に戻ったというわけです。つまり失敗の確定です。

 「ゆとり教育」は社会に混乱を与えただけでなく、「ゆとり教育」を受けた年代層の学力低下という取り返しのつかない弊害をもたらしました。各国が競って学力向上に努力している時期に日本だけが低下しては将来の競争力にも影響を与えることでしょう。

 「ゆとり教育」は日教組が提唱し、文部省が同調して実現したとされています。詰め込み教育や受験地獄、落ちこぼれといった問題を解消するために始められたわけで、より良い教育を目指すものでした。マスコミもフィンランドの例を紹介するなど、積極的に肯定する姿勢を示しました。

 失敗が明らかになった端緒は「分数のできない大学生」という本やOECDによる学習到達度調査(PISA)など、教育界の外部からの指摘にありました。黒船の来襲によってようやく「ゆとり教育」の成果が明るみに出たわけで、これは教育界に自らそれを検証する機能がなかったことを示します(驚くべきことですが)。

 また寺脇研氏はじめ「ゆとり教育」を推進してきた人達がその失敗について説明したという話は聞きません。失敗であったことが明らかになった今、その理由を調査し、総括することは是非とも必要だと思います。

 「ゆとり教育」の評価に関しては刈谷剛彦氏らの著書を参考にされるとよいのですが、私の興味は教育界の専門家が大勢集まり、結果を見ながら修正するだけの十分な時間があったにもかかわらず、失敗したという事実にあります。失敗が明確になるまで、「ゆとり教育」はマスコミに支持され、その結果、国民にも広く支持されました。

 失敗の理由に実証を重視する態度の欠如などを挙げることもできますが、「ゆとり教育」という不確かな理念、聞こえの良いスローガンに国全体が幻惑されたのではないか、ということが考えられます。「ゆとり」「個性を伸ばす」「生きる力」などの美辞麗句が反対しにくい空気を作り出し、「ゆとり教育」が持つ負の面を見えにくくしていたのではないでしょうか。

 例えば様々な生徒に対応しなくてはならないように、教育は単純に割り切れるものではありません。複雑なものを単純な言葉で表される理念に抽象化したことが大きい問題であったと思います。社会を動かすものは具体的・複雑なものというより、一行で書ける程度の抽象的・単純なスローガンなのでしょう。

 単純化できない複雑な事象を無理やり単純化し、抽象的な理念で社会を動かそうとする試みはしばしば見られることで、理念が妥当かどうかを十分吟味する必要があるでしょう。単純な理念で括れるようなものはそれほど多くはないと思います。

 一方、このような大規模な失敗に対して誰も責任をとらない体制、ということもちょっと腑に落ちません。マスコミからも「ゆとり教育」の片棒を担いだことに対しての説明が聞こえてきません。無責任体制は緊張感を失わせ、失敗の確率を高めます。

 ところで朝鮮労働党の朴南基前計画財政部長が、先週、デノミ失敗の責任を問われ、処刑(銃殺)されたと報じられました(3月18日 読売新聞)。

 一方は責任なし、他方は銃殺という、まさに天国と地獄ほどの差に驚きました。むろん銃殺がいいとは夢にも思いませんが、恐ろしい国もあるものです。もっともこの記事が額面どおりとは限りませんが。

関連拙文 ゆとり教育の前になぜ実験をしなかったのか