噛みつき評論 ブログ版

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最高裁、裁判員裁判の判決を否定

2014-07-28 09:01:05 | マスメディア
 求刑の1.5倍にあたる15年の刑を決定した裁判員裁判の是非が争われた傷害致死事件で、最高裁は両親に対し懲役10年と懲役8年を言い渡しました。最高裁が初めて裁判員裁判の結論を否定したわけで、裁判員制度を支持してきた人たちから不満が続出しています。

 反論の中では、市民が参加した裁判の結果を否定すれば裁判員制度の意味がなくなる、という意見が多かったようです。これは一見もっともなものに見えますが、おかしいです。つまり判決の是非よりも裁判員制度や市民が使った労力を重視する考えです。民主的な裁判員制度であろうが、市民が労力を費やそうが、判決の妥当性を優先されなければなりません。

 『渡辺修・甲南大法科大学院教授は「最高裁は裁判員と裁判官が熟慮して決めた量刑を裁判官だけの判断で覆したが、市民の良識を刑の重さに反映させる裁判員制度の趣旨に反する。過去の量刑傾向を裁判員にのませることは、市民が良識を生かして柔軟に量刑の判断をするのを妨げかねない』(産経7/24)

 渡辺氏は抽選で選ばれた6名の判断を常に信じておられるようです。しかしどんな6名が選ばれるかは時の運、箸にも棒にもかからない6名が裁判員となることもあり得ます。この方の言うとおりなら一審の裁判員裁判を確定判決にすればよく、上級審は存在する理由がなくなります。

 仮に裁判員裁判が平均としては裁判官裁判より優れているとしても個々の裁判員裁判がすべて優れているとは言えません。渡辺氏は一様な市民参加の裁判員裁判という抽象的な概念をお持ちのようですが、抽象的な概念と現実は一致しないのが普通です。抽象化は便利ですが、複雑な現実を単純化するわけですから、両者間に乖離が生じるのは当然です。一般に抽象化された概念だけの思考はしばしば非現実的な結論を生むだけでなく、多くの不毛な論争の原因ともなります。

 どのような裁判員が選ばれるかによって裁判機能は大きく左右され、性格も機能も様々です。中には不適切な判決を出すものもあると考えるべきであり、それを是正するのが上級審の役割です。

 一方、1審である大阪地裁の裁判員裁判では「本件のような重大な児童虐待には今まで以上に厳しい罰を科すことが社会情勢に適合する」としています。この社会情勢というのはこの種の事件に対するマスコミ報道を指すものと思われます。

 この種の事件が起きるとマスコミは加害者の悪質性や残虐性を示す材料を好んで取り上げますが、良い面はほとんど取り上げません。その方が視聴者にはなるほどと納得されやすいのでしょうが、結果として事件の実像は歪曲されることになります。「社会情勢」と思われるものはマスコミの作る虚像であり、それを現実と短絡的に考えるのは単純に過ぎます。つまり他人を裁くような立場の人はその時々の虚像に流されるような「軽い人」では困るわけです。

 今回の騒ぎは、マスコミに煽られた裁判員らが生んだ「はみだし判決」を最高裁が是正したということでしょう。予め設けられていたチェック機能が働いただけのことです。

 余談になりますが、この判決を一面で報じた25日の朝日新聞には「求刑超え判決」が裁判官裁判の時代に比べて増える傾向にある、と書いています。実は裁判員制度開始からの5年間とその前の5年を比べると約10倍となります。10倍を「増える傾向にある」と書けば誤解を招くのは明白で、激増と書くべきです。誇張が大好きなマスコミが過小に報道する場合は下心があると考えるのが自然です。恐らく朝日は裁判員制度に賛成で、その不安定さを示す事実は隠しておきたいのでしょう。いつものご都合主義ですか。
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DNA型訴訟・・・最高裁の信頼度

2014-07-21 09:03:14 | マスメディア
 DNA型鑑定で血縁がないことが証明された場合でも法律上の父子関係を認めるかどうかが争われた裁判で、最高裁は17日、父子関係を認める判決を言い渡しました。父子関係について、DNA型鑑定による「事実」より民法の規定(嫡出推定)による「形式」を優先する判断を示したわけです。このような問題を心配しなければならない方はさほど多くないと思われますが、それはともかく、この判決には興味深いものがあります。。

 嫡出推定とは「妻が結婚中に妊娠した子は夫の子と推定する」という民法の規定のことですが、過去の判例には例外が認められていたようです。以下、産経の記事(7/17)からの抜粋です。

『最高裁は昭和44年5月、夫と事実上離婚して3年近く経過した後に母が産んだ子について「嫡出推定を受けない」と判断。(中略)
 また、最高裁は平成12年3月、法律上の父が子を相手取り親子関係不存在確認を求めた訴訟で、「その家庭が崩壊している」という事情だけでは嫡出推定が及ばないとはいえない、と判断。推定を覆すには、一方が遠隔地に居住していて夫婦関係がなかった、などの明白な事情が必要とした』

 つまり過去の判例では夫婦が交接を行えないことが物理的に明らかな場合は嫡出推定の例外としたわけです。推定による形式的な父子関係より、生物学的な父子関係がないという「事実」を優先したものと理解できます。考えてみれば、推定という不確かなものより事実を優先するのはあたりまえで、推定として扱うのは他に確認の方法がないときにやむを得ず行う場合だけというのが常識です。

 ところが今回の判断は逆に事実より推定を優先させるというもので、論理的な整合性が疑われ、また常識的にも理解し難いものです。しかし、論理的整合性(法的安定性)も大切ですが、もっと大切なことがあります。

「血縁関係のある父と生活しているのに、法律上の父が別にいる状態が継続するのは自然といえるだろうか」
「事案の解決の具体的妥当性は裁判の生命であり、本件のようなケースで一般的、抽象的な法的安定性の維持を優先させることがよいとは思えない」

 これは嫡出推定による父子関係を取り消すべきだとした金築誠志裁判官の反対意見ですが、私には十分納得のいくものです。また白木勇裁判長も鑑定技術の進歩は民法制定時に想定できなかった事態で「民法の仕組みと、真実の父子の血縁関係を戸籍にも反映させたいと願う人情を調和させることが必要」との意見であったとされます。

 また父子関係の認定に統一した基準を決める必要性があったのか、ケースバイケースの方がより適切な対応が可能であったのではないか、という疑問が残ります。

 5名中、裁判官出身の2名が反対したわけですが、まっとうな意見だと思います。それに対して賛成した弁護士出身の山浦善樹裁判官は「DNAは人間の尊厳に係る重要な情報であり、決して乱用してはならない」、「DNA型鑑定によって法律上の父子関係が突然否定されるような判断を示せば、親子関係の安定を破壊することになる」とおっしゃったそうです。

 DNAは人間の尊厳に係る情報だから裁判の証拠資料などという俗なものに使ってはならない、というように私には聞こえます。なぜ尊厳に係るのか、そして尊厳に係る情報はどうして裁判に使ってはならないのか、凡人には理解できません。後半の発言、DNA型鑑定を認めれば親子関係の安定が破壊される、というのも変です。DNA型鑑定の結果だけでも親子関係の安定を破壊するのに十分です。それより裁判所がDNA型鑑定による事実から目を背けるという非科学的な態度の方が問題です。

 北海道の訴訟は離婚が成立、関西の訴訟の夫婦は別居中で、いずれも子は生物学上の父と住んでいるということなので、判決は生物学上の、そして現在の父子関係を否定するものです。両親には様々な事情があるでしょうが、子供に罪はなく、子供の利益に最大の配慮をするのが筋だ思いますが、判決はそうではありません。

 論理的整合性に問題があるだけでなく、解決の具体的妥当性をも欠いた出来の悪い判決と、傾聴に値する反対意見という、まことに奇妙な裁判でありました。民主的な多数決とは言っても、多数を占める人間の見識次第ということでしょうか。

 長くなったついでに余談ですが、賛成は弁護士出身の山浦善樹裁判官と行政官出身の桜井龍子裁判官(あと1名は不明)、反対は前述の裁判官出身のお二人です。この裁判で見る限り、より市民感覚に優れているのは裁判官出身者の方であり、他業種出身の方がより形式的な判断に傾いている印象を受けます。市民感覚の導入を目指した裁判員制度は大丈夫でしょうか。
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大山鳴動して鼠一匹

2014-07-14 08:55:07 | マスメディア
 過去最強クラスだと大きく騒がれた台風8号は気象庁やメディアの期待に反して、衰弱の一途をたどり、拍子抜けとなりました。沖縄など、台風に近い場所には多くの取材関係者が派遣されていたようですが、前評判にふさわしい凄い映像を撮ることに苦労されたことでしょう。

 台風の中心気圧は台風の強さを示す重要な指標で、低くなるほど周囲との気圧差が大きく、強い台風となります。8号の中心気圧は7日には930ヘクトパスカルであったのですが、この程度はめずらしいことではなく、最強クラスと騒がれたのは気象庁が翌8日には910ヘクトパスカルの猛烈な台風に発達する見込みであると自信たっぷりに発表したからです。影響は大きく、海外でもモンスター台風の来襲と報道されました。

 ところが8日には逆に945ヘクトパスカル、9日には960ヘクトパスカルと、衰えてしまいました。気象庁の予想は大きく外れたわけですが、「昨日の発表は間違っており、実は逆に弱くなりました」という明確な発表がなかったため「最強クラス」という言葉がそのまま生き続け、大騒ぎとなったわけです。中心気圧を見れば衰えたことがわかる筈ですが、メディアは理解する能力が足りなかったようです

 災害が予想される場合、気象庁の発表はもともと誇張の傾向があります。災害に備える気持ちが緩んではいけないという配慮なのでしょう。しかし今回のように、予想が外れて台風が弱くなったことを隠せば、もともとの誇張があるだけに実際との乖離がさらに大きくなります。要するに信用を失うということです。

 沖縄では8日午後4時、特別警報に基づいて19市町村の593000人に対して避難勧告が出されましたが、それに応じて避難したのはたったの947人であったそうです。率にすると0.16%。神経過敏な人、役所の言うことを盲目的に信じる人も少数はあるので、この数値は避難勧告の効果がほとんどないことを実証しています。

 気象庁は甘い予想を出して大きな被害が出ると叩かれるので誇張気味の予想を出そうという力が働きます。これを受けて、マスメディアが発表するわけですが、メディアは注目を集めたいために、これまた誇張された報道になりがちです。今回の拍子抜けの騒ぎは予想失敗に加え、気象庁の誇張にメディアの誇張が重なった結果と言えましょう。このようなことの営々たる積み重ねが信用を失わせることになったと思われます。だから警報の効果が弱くなり、昨年から特別警報を導入したと思われます。これもやがて信用されなくなり、次はスーパー特別警報が必要になるかもしれません。

 3.11の震災では津波を当初3mと過小に発表したことが被害を大きくしました。せめて黙っているか、わかりませんと発表しておけば死者はもっと少なかった筈です。吉村昭著「三陸海岸大津波」は105名の死者を出した1960年5月24日のチリ地震津波のことに触れています。前日の23日にはハワイに襲来して60名の死者が出たのを気象庁は承知していながら、日本に来るとは考えず、津波警報を発令しなかったと書かれています。

「チリ津波が三陸沿岸に達するまで22時間30分という時間的余裕があった。しかもその間、ハワイでは死者も出るような津波が襲っていたし、当然日本にも津波の来襲があると予測するのが常識だったに違いない」と記し、気象庁を批判しています。吉村昭氏は綿密な調査に定評があり、これは信頼できると思います。

 まあ気象庁が信用できないのは今に始まったことではなく、それなりの長い歴史と伝統があるのだというお話でした。
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実態はカルト集団?

2014-07-07 08:57:44 | マスメディア
 政府が条件付ながら集団的自衛権の行使容認を閣議決定した翌日、朝日新聞の紙面は驚異的なものでした。集団的自衛権反対の記事は京都版も含め11ページに及び、経済、国際、スポーツ欄以外は集団的自衛権で埋め尽くされた観があります。こんな滅茶苦茶な新聞があっていいのでしょうか。理性を失ったようで不気味ですらあります。

 他に報道すべきニュースもあったでしょうが、ほとんどは葬られたのでしょう。報道機関というより政治団体の宣伝機関のようです。いや、政治団体というよりカルト集団に近いと思います。この新聞が綱領に「不偏不党の地に立って・・・」と宣言しているのですから、その厚顔さにはもう呆れるばかりです。

 報道機関とは情報を配信することが仕事です。報道に関し、その主義主張のために多少の色がつくことは仕方がありませんが、あくまで報道が主である筈です。反対に、主義主張が主となり報道が従となれば、これは報道機関とは呼べません。我々は宣伝に対してではなく、色のつかない情報に対して対価を払っているわけです。

 主張が主体となり、報道が副次的なものになるということは実に異常なこと、非常識なことですが、今回の朝日の紙面に対するそのような批判はあまり見られません。このような手口に我々が慣らされてきたためでしょうが、あからさまに政治の方向を変えようとする姿勢は報道機関から逸脱するもので、これはおかしいという意識を持つ必要があると思います。

 集団的自衛権には戦争を抑止する面だけでなく、戦争に巻き込まれやすくなる面もあります。しかし抑止力が弱まれば軍事的に優勢な国から攻められる可能性が増し、全面戦争になる危険、さらには敗戦を喫する可能性もあります。戦争はできる限り避けるべきものですが、全面戦争や負け戦はさらに避けなければならないものです。これに対して他国の戦争に巻き込まれる場合は近年の英・仏・独・豪のように限定的なものになる可能性が高いと思われます。戦争は様々であり、ひと括りにする単純思考は危険です。

 安全保障は将来の様々な環境変化の可能性を考えて推論するものなのでこれが絶対正しいといった解は存在しません。しかし朝日は断定的で絶対の確信があるように見えます。実はここが興味深いところです。解がないか、あるいは予測不可能の場合に、はっきりと解を示すのはよほどの無知な人か、カルト集団です。

 報道機関が政治的な宣伝機関と化すことは、それこそ朝日の大好きな民主主義を危うくするものです。政治的な意図をもって外国資本が有力な報道機関を支配するような事態を想像していただければよいでしょう。中国資本がニューヨークタイムスの買収を狙っているように。

 6月6日の記事で朝日・毎日は社会にとって有害と思う人が63%を占めたというアンケート結果を載せました。おそらく報道機関として過度の政治的偏りと志向が有害とされたのでしょう。有害なものは駆除されなければなりません。
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