噛みつき評論 ブログ版

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中国に仕える歴史学者

2010-09-30 22:57:00 | Weblog
 中国の姜瑜報道官というと、いつも怖い顔をして日本を非難する人というイメージなのですが、今回の尖閣諸島問題に関し、興味ある人は井上清・元京大教授の著作を読めと言ったそうです。

 井上清は真っ赤な歴史学者として有名な人物ですが、調べてみると1972年に『「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明』という本があり、列島は元は中国のものであり、日本が奪い取ったものであるという内容です。本書の第一部はこちらで読むことが出来ます。アメリカ帝国主義、日本帝国主義、反動的支配者などのなつかしい言葉が頻出する、まさに「歴史的な」遺物の感があります。

 1972年というと中国が領有を主張し始めた直後であり、この本はその主張を受けて書かれたようです。尖閣諸島は中国領だという主張が日本側から出たことは中国を大いに喜こばせたことでしょう。井上は後に中国社会科学院から名誉博士号を授与されたそうです(Wikipedia)。

 この井上という学者は学問に名を借りて、自分の国の利益、つまり自国民の利益に大きく反する行為を平然とやっていたようであります。約40年後の現在、中国が持ち出してくることはその影響の大きさを物語っています。

 ガリレオが「それでも地球は回っている」と言ったように、学問に忠実であろうとした結果、中国の領有権を認めるならまだしも、この人の場合は政治的な意図が透けて見えるようです。また自然科学の場合、一般に正しい解があり、正誤はいずれはっきりするものですが、領有権などの歴史解釈の問題は正解がないことが普通で、見る角度によってどうにでもなります。歴史解釈が政治的立場によって決まることは珍しくなく、政治色に彩られた歴史学はもはや学問とは呼べません。

 南京大虐殺は日本の左翼メディアがわざわざ掘り起こして騒いだ結果、中国の反日運動に大きな力を与えたものですが、この解釈も立場によって大きく分かれています。左翼は30万人などと大きく解釈して被害を強調するのに対し、右翼は数万人規模と小さく解釈します。左翼は中国の国益を優先する傾向があるようです。数えた人がいるわけでなく、恐らく真相は永遠にわからないことでしょう。

 左翼の基本的な動機のひとつは日本の軍国主義、帝国主義に対する嫌悪です。しかし皮肉なことに彼らが崇拝した中国がいまやっていることは、軍備を拡張し、なりふりかまわず領土の拡大を目指す姿はかつての帝国主義とそっくりです。おまけに言論の自由もないわけで、井上センセイが生きていたらなんと言われるか、ぜひ聞きたいものです。
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防衛力強化の議論はタブー?

2010-09-27 10:07:33 | Weblog
 吉村昭著「ポーツマスの旗」は日露戦争時、日本側全権として講和会議に臨んだ小村寿太郎を中心に描いた小説です。政府は会議を有利に運ぶため、和平斡旋を引き受けたルーズベルト大統領と米国民をもちろん、要員を主要国に派遣しその国の世論をも味方につけるための努力が詳細に描かれ、当時の外交の周到さに驚かされます。一方、尖閣諸島沖の事件に対する政府の対応は別の意味で驚かされました。

 尖閣諸島沖の事件で中国人船長が釈放された問題に関しては既に様々な立場からいろいろな見方が発表されていて、私のような素人がどうこう言っても所詮二番煎じだと思うのですが、ちょっと気になることがあります。

 この事件は将来に禍根を残す日本外交の敗北であり、民主党政権の外交能力の低さを露呈したというのが多数の見方のようです。そして同時に中国は予測不可能な動きをする国家であるということが示されました。民主党政権の外交能力も困った問題ですが、こちらの方がより不気味な問題です。相手の行動が予測困難であるということはあらゆる事態に備える必要があるということになります。

 石原知事の「暴力団の縄張りと同じやり方」という発言のように、フジタの4名は人質となりました。外務省幹部は売春や麻薬で捕まっている日本人への死刑も含めた刑の執行を予測し、防衛省関係者は中国軍艦の尖閣周辺への派遣もあり得ると見ていたそうです。中国の行動は帝国主義の時代、日本をも含めた列強を思わせます。

 中国はこの20年間に軍事予算を18倍にし、空母建造など海軍力の強化を図っているとされています。それは将来、軍事的威嚇や軍事行動の必要があると考えているからでしょう。しかし近年の日本の防衛予算は逆に減少傾向にあります。まともに話も出来ない隣国が強大な軍事力を持ち、しかも膨張政策をとっていることは日本にとって大きな不安要因です。

 さらに日本は憲法9条によって手足を縛られていて、中国から見れば安心して軍事的な恫喝ができる国に見えることでしょう。日米関係の弱体化は中国に対し有利に働きます。鳩山元首相は日米関係に深い溝を掘るという大きな「業績」を残しました。中国から勲章を贈られてもおかしくありません。

 隣国による軍事的な脅威が顕著に増加しているとき、日本の防衛力だけ現状のままでよいとする根拠があるとは思えません。勢力の均衡が破れるとき、しばしば戦争が起こることは歴史が教えています。

 しかし、日本では軍事力の強化は戦争につながるという考えが強く、その議論さえできない状況が続きました。今回の事件でも抑止力の問題を取り上げたメディアは見あたりませんでした。

 鳩山元首相は首相になってから抑止力の重要性を理解されたようですが、抑止力は米国だけによるものではなく、自衛隊による抑止力も重要なものであり、外部環境の変化に対応する必要があります。中国が恫喝したとき、国内に防衛力強化の議論が出てくるだけでも中国に対する牽制となるでしょう。

 現在の防衛予算は子供手当て(満額の場合)より少ない額ですが、長期に抑止力を維持するためにはどの程度必要なのか、私にはわかりません。しかし抑止力について現実的な議論ができないような状況は好ましくありません。

 中国がどのような国になっていくか、予想は困難です。したがってメディアは相手も変わっていくという前提で、予想されるすべての状況に対応できるような体制実現の必要性を認識すべきでしょう。9条を死守するといった硬直した態度では自ら選択の幅を狭めてしまうことになり、情勢の変化にうまく対応できるとは思えません。中国にとっては願ってもないことですが。
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米核実験を蒸し返す朝日の意図

2010-09-20 10:04:58 | Weblog
 9月19日の朝日新聞は異彩を放っています。一面トップを飾るのは「ビキニ死の灰 地球規模」と題する米公文書を紹介する記事です。米気象局が中心になってまとめられたこの報告書は1984年に機密解除され、今年の3月には米エネルギー省のホームページに掲載されていたそうです。既に明らかになっていたものがなぜか突然一面を飾りました。

 記事は、1954年3~5月にビキニ環礁で行われた水爆実験による放射性降下物の分布を示した地図を転載し、ビキニ環礁から東西に長い楕円状に降灰が広がり、日本や米国、アフリカ大陸など世界中に降灰があったとしています。高濃度の部分は赤道付近を中心に東西に広がっていて、米国南西部の降灰量は日本の5倍という記述もあると書かれています。日本は低濃度の地域となります。

 当時に近海を航行して被爆した船舶は延べ千隻を超えるとも言われ、がんなどの健康被害を訴える元乗組員も多いが、日米両政府は55年に7億2千万円の補償金で政治決着し、第五福竜丸以外の被害実態の調査はその後調査されなかった、としています。

 記事の表面的な意図は56年前の核実験による降灰の範囲が予想外に広く、被爆実態を調査してその対策を促すことにあるように見えます。

 ところが降灰量は1平方フィートの粘着フィルム上で1分間に崩壊する原子の数(d/m/ft^2)で示され、生物への影響などに用いられるシーベルトなどの単位との関係は明らかにされていません。また航空機に搭乗したときの被爆線量、あるいは自然放射能に比べてどの程度のレベルなのかも、まったくわかりません。

 もしこのような地球規模の降灰が心配されるなら、旧ソ連と中国の核実験の降灰の影響はより深刻なものとなることが考えられます。とくに中国は近距離である上、偏西風に乗って黄砂のように降り注いだ可能性があります。中国とソ連の実験に全く触れないのは理解に苦しみます。

 1984年に機密解除された報告書を速報しても意味がありません。時間をかけてどの程度の影響があるものかを明らかにして、無視できないものであれば報道するのがまともなやり方です。このような記事を影響の程度もわからぬまま一面トップで報道すれば読者に無用の不安を与える可能性があります・・・反米感情の「促進」と共に。

 この記事が科学に弱い人たちによって作られたことは容易に想像できますが、それにしてもこんな意味の不確かなものを一面トップ載せることには何らかの意図が感じられます。朝日は同盟国である米国の核実験を強く非難する一方、中国、ソ連の核実験はほぼ黙認するというダブルスタンダードを実践してきたことは周知の事実ですが、いまだにその体質を引きずっているのでしょうか。

 今のところこのニュースを報道したのは朝日とVoice of Russia(日本版)だけのようです。ロシアのメディアが取り上げる理由はおわかりでしょう。こんなニュースを報道するメディアは他にはないだろうと思われます。朝日の亜流として定評ある毎日ですら恐らく取り上げないでしょう。

 この記事は朝日新聞の政治的中立性と科学的理解力、そしてメディアとしての誠実さを強く疑わせます。朝日はいまだに旧態依然とした体質を大切に保存しているようです。

(ft^2は平方フィート)
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「仮定の質問には答えられません」

2010-09-16 10:07:29 | Weblog
 民主党の代表選を前にした公開討論会で小沢氏は、首相になれば連立を組み替えるのか、また検察審査会で起訴すべきと議決されれば自身の起訴に同意するのかという記者の質問に対し、仮定の質問には答えられない(勝つかどうかわからない)という意味の発言をしました(起訴に関しては後日同意すると表明)。

「仮定の質問には答えられません」は質問から逃げるときしばしば使われる文句です。「たら、ればの質問」も同じ意味で使われ、質問拒否の常套句と言ってもよいでしょう。そして質問者は拒否を認め、それ以上の追求をしないというのがほぼ慣習のようになっています。はたしてこれは一般に質問を拒否する正当な理由になり得るでしょうか。

 予想される仮定がいくつもあったり、質問者が可能性の低い仮定を持ち出した場合は時間的な制約などの理由で質問を拒否することは仕方ないと思います。しかし小沢氏のケースは代表に選ばれるか、そうでないかの2つの可能性があるだけで、どちらの可能性も十分あると考えられていた状態ですから、拒否する理由にはなりません。

 とりわけ選挙の場合、投票者が知りたいことは、候補者が当選したときどのような政策をとり、どのような行動をするかということですから、立候補者は当選後の政策なり行動を予め投票者に伝える必要があります。当選後のことは言えないけど、とにかく投票してくれというでは、見積書なしに購入契約をしろというのと同様です。

 質問をする記者は一般の有権者(代表選の場合は議員や党員、サポーター)を代表して立候補者から当選後のことを聞きだして明らかにするのが仕事です。そして多くの場合、質問は記者クラブに加入しているメディアの記者に限定されています。それだけに記者らに期待される役割は大きく「仮定の質問には答えられません」という返答に「ごもっとも」とばかり簡単に引き下がるのはいささか情けないと思います。

 これでは緊張感を欠く馴れ合いと思われても仕方ありません。「仮定の質問には答えられません」という返答には納得できないという「常識」を身につけるべきでしょう。
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思想の毒

2010-09-13 10:04:45 | Weblog
 政治の世界で左翼と右翼の対立が長く続いたように、さまざまな分野で思想の違いを原因とした対立が見られます。むろん論争から望ましい解決が得られることもあり、また思想の対立によって繰り広げられる果てしない論争が出版業界を潤わせ、人々を退屈から救うという利点もあります。しかしその一方で、思想の違いは対立を激化させ、極端な場合は戦争の一因にもなるという負の面もあります。

 8月25日の朝日新聞「ザ・コラム」に載った小林慶一郎一橋大教授の寄稿文「市場システムを『価値』として守る覚悟持て」は、思想や主義を考える上で大変よい機会を提供してくれます。要旨は以下のようなものです。

『世界的な経済危機によって市場経済システムの不完全さが示され、市場経済を擁護する経済学者などは「市場経済は欠陥だらけだが、歴史上、人類が試みた他の全ての経済システムよりましだ」という。これはチャーチルの「民主主義は最悪の政治体制だ。これまで試された全ての形態を別にすれば」との言葉から来ている。
 この議論には隠された主張がある。それは民主主義と同じく市場経済システムも私たち一人一人がそのために献身するべき「価値」つまり目的なのだ、ということである。
 市場経済システムは豊かさを得るための手段ではなく、自由主義という理念の現実社会における表現形態であり、これは議会政治が民主主義の表現形態であるのと同じだ。議会政治の否定は民主主義の否定になるように、市場システムは自由主義の理念と不可分である』

 簡単に言うと、市場経済システムより優れたシステムはなく、また自由主義の表現形態であるから、市場経済システムを価値(目的)として、それに献身すべきである、ということなのでしょう。市場経済システムを価値とまで持ち上げた意見ですが、それについて考えたいと思います。

 民主主義と同様、他より優れたシステムだから手段ではなく価値(目的)であるという理屈がまず理解できません。民主主義も統治形態のひとつで、それは目的ではなく手段であって、最終目的は国民の幸福です。民主主義が実現されても国民が不幸になっては意味がありません。「手術は成功したが、患者は死んだ」と同様、あり得ないことではありません。

 小林氏はチャーチルの言葉を民主主義を反語的に礼賛したものと解釈されているようですが、私は民主主義が不効率で最悪の政治体制であるが他よりましだから仕方がない、と素直に理解すべきだと思っています。

 したがって市場経済システムは国民の生活を豊かにするための手段と考えるのが自然であり、それを価値とか目的とする考えはちょっと理解できません。また手段と考えられる市場経済システムをあえて価値(目的)とすれば、国民の豊かさという最終の価値(目的)との関係が問題になります。両者がイコール、あるいは正比例の関係であるとはとても言い切れません。

 また、市場システムは自由主義の理念と不可分であるから献身すべき価値となる、と述べています。これからは市場システムを制限する行為は自由主義の否定になるという大そうな理屈が導かれます。これは市場システムに関する現実的な議論を遠ざける可能性があると思います。

 手段である市場経済システムに献身すべきほどの大きな価値(目的)を与えることは、それに思想としての意味を与えることに他ならないと思います。しかしこのことにどんな意味があるでしょうか。

 現在、世界で市場経済システム以外の体制を採用しているのは北朝鮮などごく少数で、多くの国は市場経済システムの中で最適な形態、最適なルールを模索している状況です。そして欠点があるにしても市場経済システムがもっとも効率のよい仕組みであることはほぼ周知されたことです。したがって必要なことは市場経済システムそのものの是非ではなく、そのシステムの安定性や公平性をどうやって実現するか、また教育など市場システムになじまない分野との調整をどうするかなどの、細部の議論です。ここに市場経済システムを献身すべき価値・目的とした議論を持ち込めば無用の混乱が生じることでしょう。

 思想や主義は何かに対し常識で考えられる以上の価値があるように思わせ、それを献身的に守らせる、という面があり、それは宗教によく似ています。それは人や社会をある方向に向かわせるときに有効な方法です。しかし市場経済システムが計画経済に対するアンチテーゼとして存在しているときは思想としての役割があったかも知れませんが、計画経済がほぼ消滅した現在、その意味はありません。逆にそれ自体を価値と思わせることから生じる極端な思考が、細部にわたる現実的な議論を妨げることの方が問題です。

 思想や主義は新たな角度から光を当てることによって、物事の理解を助けるという利点がある一方、偏った視点が他の部分を覆い隠して見えなくするという負の側面をもっています。アタマが思想に侵されてしまうと世界が別の色に見えるようで、現状認識にも偏りや歪みが生じ、議論の前提すら成り立たなくなることがしばしば起こります。それは空疎な、際限のない議論を生みます。

 思想には冷静な目を奪い、物事の正確な理解を妨げるという副作用があります。またそれは「感染力」を持ち、人から人へと伝染するという厄介な性質を備えています。これは宗教と同じです。というわけで、思想の持つ負の側面はもっと注目されてもよいと思う次第です。

(主義とは特定の思想に拠った立場というほどの意味ですが、ここでは思想と同じ意味で使っています)
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コーランを燃やすキリスト教会

2010-09-09 13:01:11 | Weblog
 9.11同時多発テロから9周年になる9月11日に、フロリダ州のキリスト教会がコーランを燃やす行事を計画していることが発覚し、騒ぎになっているそうです。クリントン米国務長官は「罰当たりで恥ずべき行為」と最大級の言葉で非難していますが、まったくそのとおりだと思います。

 キリスト教がイスラム教に喧嘩を吹っかけようとしているわけで、宗教色の薄い第三者から見ると大人げない行為は滑稽ですらあります。むろん当事者にとっては深刻な問題なのでしょうが、先進国アメリカにおいて宗教対立に火をつけるような行為が計画されることに驚く共に、やれやれという気もします。

 宗教を敵視することでも有名な生物学者リチャード・ドーキンスは、欧州では宗教の影響力が減少しているのに対し、米国では増していると述べています。イスラム過激派による9.11同時多発テロのあと、イラク攻撃に踏み切ったのもブッシュ政権を支えたといわれるキリスト教右派の影響があるとする見方があり、イラクの戦乱には宗教の影がちらつきます。

 ふだん神や愛、平和などを叫んでいる連中がどんな理由があるにせよ、戦争を招くのはたいへん皮肉なことで、また馬鹿げた話であります。宗教がテロなどの過激な行動をすることは、日本ではオウムを除いてあまり関係のないことと思っていましたが、決して無縁ではないことを最近知りました。

 1932年に起きた血盟団事件は前大蔵大臣の井上準之助、三井財閥の中心人物であった團琢磨が暗殺されたテロ事件ですが、血盟団の首謀者、井上日召は日蓮宗の僧侶であり、日蓮宗の信仰が重要な役割を果たしたそうです。この事件は同じ年に起きた5.15事件とともに以後の歴史に大きな影響を与えました。葬式仏教と呼ばれる現在の仏教からは想像し難いことですが、78年前には威勢のいいこともあったわけです(はなはだ迷惑ですが)。

 宗教にはよい面があることはもちろんで、一部の人は宗教によって精神の安定を得ていると思われます。しかし宗教にもよりますが、その有害さもまた膨大です。戦争まで持ち出さなくても、洗脳して家族を破壊したり、財産を吸い上げたりと、他に比較するものがないほどの大きな影響を人に与えます。しかも合法的に。

 一部の宗教は数百億円の金を集め、まるでビジネスのように見えます。しかし宗教活動による収益には課税されないなど、どう見ても実態に合わない優遇措置が存続しています。

 所詮、宗教は人を騙(だま)して成立するものです。善かれ悪しかれ、騙すことを基本とする集団を社会が優遇するのは奇妙なことです。
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民主党の歪んだ構造

2010-09-06 09:59:17 | Weblog
 8月28、29日に実施された毎日新聞世論調査によれば、首相にふさわしいと答えたのは菅氏が78%と、小沢氏の17%を大きく上回り、民主支持層でも78%が菅氏と回答したそうです。他社の調査でもほぼ同様の結果が出ています。ところが党所属国会議員411人のうち菅氏支持約175人、小沢氏支持186人超(9/7日の毎日新聞調査)と小沢氏支持が多数です。

 世論は移ろいやすく、現時点の調査数値を重視しすぎるのはよくないことですが、首相を選ぶ際に国民の意向と議員のそれがここまで大きく乖離しているのは異常です。現在の代議制では国民が議員を選び、議員が首相を選ぶという仕組みであり、議員は国民の代表として、国民の意向を反映することが大前提となる筈です。国民に代わって議するから「代議士」なのです。「当選すればこっちのもの、あとは好き勝手にやらせてもらう」とばかり、議員が国民の意思を無視するようではそもそも代議制は成り立ちません。

 むろん100%の反映は無理でしょうが、国民の支持が2割にも達しない小沢氏を議員の半数あるいはそれ以上が支持するという現状はやはり異常です。少なくとも首相を選ぶという極めて重要な問題に関して、国民から選ばれた議員が国民の意思を無視するなら、これは多くの国民に対する重大な背信行為だと考えられます。

 しかしこの点に関し、なぜかメディアはあまり批判しません。代議制の意味が問われるほどの問題であるのに不思議なほどの寛容さを見せています。メディアが些細な問題を追及するときに見せる鬼のような非寛容さを見慣れている者にとって、この現象はいささか不可解であります。このようなメディアの寛容さ(実は鈍感さ)が、議員らが悪びれもせず正々堂々と国民の意向を無視するという土壌を作り上げたと言えるでしょう。

 一方、小沢氏支持の中核である小沢グループの議員が8割ほどの国民の期待を無視し小沢氏を支持するのは、小沢氏への忠誠を優先せざるを得ない「事情」があるのだと思われます。本来の国民の代表たる立場より小沢氏への忠誠を優先する議員が民主党最大グループを形づくり、小沢氏の意向によって一糸乱れず行動するさまは不気味です。国民の代表としてその利益を優先できるのか、たいへん怪しいことです。

 小沢グループは民主党に深く食い込んだ別の異質な政党のようです。それは党執行部の統制を受けない、半ば独立した集団のようにも見えます。国民の意向に反する首相を生み出そうとしている背景にはこの歪んだ構造があると言えるでしょう。レバレッジ(てこ)を使うように、強い結束力をもつ小沢グループが民主党を支配し、そして国を支配するという姿はやはり異常なものと思わざるをえません。

 理由はどうあれ、この代表選によって民主党政権は国民の意向に背いた決定をする可能性のあることが明確に示されました。このことはもう少し注目されてもよいと思います。

(*1)参考拙文 民主党の非民主的性格
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