噛みつき評論 ブログ版

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歴史を見る目

2018-02-26 00:14:49 | マスメディア
 塩野七生氏は代表作「ローマ人の物語」の終わりに次のような意味のことを書いている。「この巻を書くために必読とされている研究書歴史書を一応勉強したが、同時代か、百年ぐらいしか違わない時代に生きた研究者たちの著作に何となくしっくりこないものを感じていた私に、まるで素肌にまとう絹衣のように自然に入ってきたのが、これら三人のギリシャ人の史観なのであった」と。

 三人のギリシャ人とはポリビウス、プルタルコス、ディオニッソスのことで古代の人物である。「なぜ二千年も前に生きた人間のローマ観の方が、私にはしっくりくるのか。この問題は、私をずいぶん長い間考え込ませた」と述べ、その理由を四点に要約できるとしている。

 第一はローマの興隆の因を精神的なものに求めなかった。
 第二は、彼ら三人はキリスト教の普及以前に生きたのだから当り前にしても、私もまたキリスト教信者ではないということである。
 第三は、これまた知らないで死んでしまった彼ら三人には当然の話にしても、フランス革命によって打ち上げられた自由・平等・博愛の理念にこの人々は少しも縛られていないという点である。(第四は省略)

 引用が長くなったが、何が言いたいかというと、第二と第三は、歴史を理解する上でキリスト教などの宗教、自由・平等・博愛などの理念は障害になるということであろう。現代や中世の価値観や理念を持ち込めば歴史を見誤る可能性が高くなるというわけである。塩野氏の指摘は大変興味深いものであり、これは歴史認識のみならず、政治や社会の認識にまで一般化してよいと思う。まことに重要な指摘である。

 戦勝国が自国に都合がよいように歴史を意図的に改変することはよくあるが、これは意図的・自覚的な行為である。しかし宗教や自由・平等・博愛などの理念によって認識が変わるのは意図的でなく、自覚的でもない。本人はごく自然に考えているという無意識こそが厄介なのである。

 オウム真理教などの宗教がもつ世界観・歴史観には荒唐無稽なものが多い。キリスト教は大きな影響力を持つが、信者はいまだに世界は神が創ったという創造説を信じているそうだ。彼らの反対のため、アメリカのハイスクールの半分ほどは進化論を教えられないという。妄想のような思想、異様な価値観からは異様な歴史観や非現実的な現状認識が生まれるのは当然であろう。

 左派の人たちはなぜ現実の世界を見ようとしないのか、ということが以前から気になっていた。九条があれば平和が保たれるといった議論は、日本を攻撃する可能性のある国が全くないという条件でのみ有効である。しかし現在は中国と北朝鮮が存在する。けれどこの現状の変化を理解しようとしない。

 戦後、戦争を始めた悪い日本に対して、外国は「平和を愛する諸国民(憲法前文)」という考え方が定着した。また米国の比較的寛容な占領政策にもかかわらず、反米と共産主義に対する憧憬が知識階級を中心に広まり、共産国は侵略戦争をしないと信じられた。現在、脅威になっている中国と北朝鮮は共産国家であるがどちらも軍事力の増強に努力を惜しまない国々であり、中国やロシアは侵略の実績をもつ。

 戦後、広く浸透したこうした理念が現実を見えなくしていると考えればある程度は納得がいく。但し、ある程度である。たとえ理念によって目を曇らされたとしても、九条があれば平和が保たれるという非常識な認識に至るのは無理があるように思える。現実を理解するのは中学生でもできることだからである。とすれば歴史に関する驚くほどの無知が同時にあるのだろうか。しかし九条を金科玉条のごとく考えている朝日新聞が無知ぞろいというのもちょっと考えにくいことである。やはり朝日経といわれるように宗教的情熱で頭がやられた結果なのだろうか。どちらにせよ、現実を冷静に客観視するのは簡単なことではないらしい。

 ひとつの例を挙げる。2月23日、トランプ大統領は「制裁に効果がなければ第2段階に移行せざるを得ない」、「第2段階は手荒な内容になる」と警告、(実行されれば)「世界にとって非常に不幸な事態となる」と述べたことが報道された。これは戦争の予告とも考えられるものだが、ざっと調べた限り、朝日新聞は制裁の強化だけを載せ、この警告を載せなかった(他の主要紙は掲載)。米国の方針を示す重要なメッセージであるにもかかわらずである。朝日の特殊な歴史観、現状認識のためであろう。それ故、日本が始めなくても身近に戦争が起こるかもしれないという現実を隠したいのであろうが、困ったウソ新聞である。
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オリンピック過熱報道

2018-02-18 23:47:34 | マスメディア
 土曜日の夜7時のNHKニュース、フィギュアの羽生選手の演技を2回も放送した。1回目は少しカットがあったが2回目はカットなし、これだけで10分間ほど潰した。そしてフィギュア関係だけで20分間ほど費やした。30分間の内、大半がオリンピック関連である。この7時のニュースの前も、その後もオリンピック、いくら何でもやり過ぎではないか。多くのニュースが没にされたのだと思う。民放も同様で、同じ映像が各局で繰り返し放送された。

 視聴者は様々である。全身、頭の中まで筋肉で出来ているのかと思えるようなスポーツ人間もいれば、スポーツなどに全く関心を示さない人間もいる。多くは両者の中間にあって、テレビが騒いだ時だけオリンピックに興味を持つ浮動票のような存在であろう。誰もがオリンピック好きではない。スキーやスケートなどの競技はオリンピック以外にも多く行われているが、地上波テレビで放送されることはほとんどない。これらは野球や相撲に比べてはるかに人気が低いからである。

 オリンピック人気はテレビを主とするメディアの演出によって作られたものと言える。そのお祭りによってテレビは収益を得るのだろう。それはテレビが巨額のカネを払ってまで放映権を手に入れることで説明できる。それにしても欧州のテレビ中継の時間に合わせるためだろうが、屋外競技を酷寒の深夜にすることはやり過ぎであろう。こんな不自然なことがあまり批判されないことも不思議である。メディア自身が利害関係者であるためと推定できる。批判すれば自身に矛先が向いてくる可能性があるからである。

 今回のオリンピックは商業化に加えて政治化もなかなかハイレベルである。こちらの方の批判は少しあるが強いものではない。オンピックから利益を得ているものとしては現状を変えたくないのだろう。2020年の東京オリンピックは酷暑が予想されるが、これに対する批判もあまり聞かれない。利益を享受する当事者であるためだろうか。酷寒では死者はまず出ないが、酷暑でのマラソンなど長時間競技ではその可能性すらある。真夏の開催になったのは米国のテレビの都合によるとも聞く。何人かの死者がでなければオリンピックのメディア偏重は改まらないと思う。

 過熱しているのはNHKだけではない。民放も同じであると思う。メディアスクラムという言葉は大事件のときによく使われるが、オリンピックも同様であろう。一見、協調性があるように見えるが、実は単なる付和雷同である。日本のメディアの抜きがたい特性だと言ってよい。戦前、朝日をはじめとする新聞は国民を鼓舞し、大いに戦争を煽った。付和雷同と反対意見を許さない空気の醸成は日本人の特性かも知れない。本来、国民が何かに熱狂した時、それを冷静にさせるのがメディアの役割であろう。メディアは多少マシな知性と見識を持つ筈だからである。メディアが一緒になって、あるいは率先して熱狂しては話にならない。

 余談であるが大雪のニュースも少しあった。その中で、テレビは車を止めて待機する場合、排気ガスが室内に流入する危険があるから「マフラー」の周囲の雪を除く必要があるという話を繰り返し行った。実は「マフラー」は消音器のことで排気管の中間に設置された消音のための箱のようなものであって、その周りの雪を除いても意味がない。必要なのは排気管の出口付近の雪を取り除くことである。マフラーと排気管出口(エキゾーストパイプ)を取り違えているのだと思う。民放だけでなくNHKまでも間違っているようだ。私の知る限り、「排気管」と言ったテレビはない。大した問題ではないが、この程度の知識はあって欲しいと思う次第である。メディアにとって、言葉は商売道具なのだから。
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電気毛布の再認識

2018-02-11 23:49:30 | マスメディア
 LEDは発光効率が良く、照明の低電力化に大きく寄与した。技術革新の象徴とも言える。発光効率とは1Wあたり何ルーメン(光束の単位)の光を出せるかというlm/Wで表される数値である。エジソン以来長く使われてきた白熱電球はたったの約15 lm/W、電力の約98%は熱になる。蛍光灯は40~100 lm/Wである。これらに対し現在LEDは150 lm/Wを超えるものが商品化されている。白熱電灯の約10倍になる。因みに発光効率の理論的限界値は 683 lm/W、LEDでは260 ~300 lm/Wとされる。

 一方、電気毛布はほとんど変わっていないように見える。電熱線を毛布にめぐらしたローテクの基本構造は昔と全く同じである。昔、使って気に入らなかったのでずっと使っていなかったが、最近、冬の掛布団のかさ高さが気になりだし、日立製の電子コントロール毛布というものを購入した。それが思いのほか、快適であったのでご紹介したい(知らなぬは私だけで、多くの方はご存じかも知れない)。購入した毛布は室温によって電力を制御する機能がついている(安価のものを除きこの機能は一般的なようであるが、制御機能には違いがあるかもしれない)。

 電気毛布は敷用と掛け用がある。購入したものは両用だが、私は掛け用で使っている。それは掛布団を薄くするのが目的であるからだ。冬、掛布団を厚くするのは上からの放熱を防ぐためなので、厚さを少なくする代わりに電気毛布で放熱を防ごうと考えたわけだ。また毎日の気温の変化に応じて掛布団や毛布の調整が面倒であったが、それを止めたかった。

 しかし室温による制御のおかげであると思うが、コントローラーの設定は一定(私は最低)のままで毎日の気温の変化にほぼ対応できる。それで対応できないような大きな変化の時だけコントローラーを調整すれば足りる。また就寝時20℃くらいの室温は朝10℃前後になるが、これにも室温制御は有効のようあり、朝、寒くなることはほとんどない。制御が的確である。私は肌布団の上に電気毛布、その上に毛布か肌布団くらいの薄い布団を使っているが、軽く、実に快適である。また、かさ高い布団や毛布の多くが不要になりそうで、そのスペースも空く。

 電気毛布に対しては体によくないという意見が多くある。体温を不自然に高めてしまう、あるいは電磁波が有害などという。この程度の電磁波はほぼ根拠のないことなので無視してよいと思うが体温の方は使い方次第だと思う。敷用に使う場合は体は下から直接加熱を受けるので睡眠時に必要な体温低下が難しくなる、というのは理解できる。しかし掛け用の場合は体を加熱するというより、体の上部への放熱を緩和するという意味が強く、断熱効果の大きい寝具で覆うのとあまり差がないように思う。ただ若い人は温度変化に対応する能力が高いので、恐らくこんなものは必要ないかもしれない。いやあまりに快適な環境は対応能力を損なう可能性もある。だが幸いなことに高齢者にその心配は無用だ。

 電気毛布はなぜか敷用が多いようだ。これだと下から加熱するので熱の効率としてはよい。しかし熱が体に移動しやすい分、温度設定などの使用方法が難しいように思う。まあどちらの使用でも電気の消費量はごく僅かである。私はかつて下からの加熱が不快であった記憶があり、また現在の掛け使用が快適なので敷用としては試していないが、現在の製品は制御が上手くなっているのかも知れない。
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野党とメディアの堕落

2018-02-04 22:37:35 | マスメディア
 週刊現代2月10日号の表紙を飾るのは「新・階級社会」「日本の不都合な真実」「もはや『格差』ではなく『階級』」の見出しである。この雑誌にしては意外に硬い記事であるが、同じ表紙には「天木じゅん『ナマ尻』丸出し!」「青学大待生美女が顔出しヘアーヌード!」といった見出しがあり、雑誌の格が急に上がったわけではないようだ(私は月432円で200誌ほどの雑誌が読めるdマガジンというサービスを使っている)。

 文春砲などと言われ、格上の雑誌が不倫報道などに熱中するなかで、週刊現代の「新・階級社会」はまともな記事である。ここでは上層階級と下層階級の様々な比較をしている。興味深いのは両階級間で健康状態にまでかなりの差があるという調査を載せていることだ。身長・体重、健康状態、病気の罹患率、絶望感の多少など、明確な差があることが示される。もはや格差でなく、階級だという見出しは誇張ではないと思う。そして階級間の移動は困難である。

 トマ・ピケティの著作「21世紀の資本論」は世界的なベストセラーになった。600ページもある本だが、東大生協でも売り上げ1位になったそうである。格差問題には強い関心のあることがわかる。ピケティは過去の納税記録を調査し、所得格差は戦争の期間などを例外として、資本主義社会における格差は常に増大してきたという事実を示した。彼が実証した意味は大きいが、たいていの社会では格差は自然に拡大していくということを我々は曖昧ながらも感じていたと思う。

 格差の拡大があるレベルを超えると社会は不安定化するされる。過去のように革命まで進まなくても、格差は好ましくないだけでなく、将来の社会のあり方を考える上で極めて重要な問題である。

 一方、発表ものが多くを占める新聞と違い、一般に週刊誌は調査報道が得意である。しかし不倫やスキャンダルの調査報道では情けない。またそれを後追いする新聞やテレビも情けない。不倫を楽しんだ者を指弾する気持ちは羨望や嫉妬の裏返しである。 ゲス不倫というが、ゲスなのは記者や読者の方であろう。それでも不倫報道が販売を伸ばす誘惑には勝てないのかもしれない。

 また朝日系のアエラなどはいまだに森友問題をやっている。不倫報道も森友報道も政治に影響を与える。文春は経済的利益の追求、朝日系は政治的都合を優先した結果と思うが、どちらも出版社としての矜持がないのだろうか。私には出版社の堕落としか見えない。

 森友問題は野党が今国会で好んで取り上げる問題のひとつである。それほどの重大問題でもないと思われるのに、いつまで取り上げるつもりなのだろうか、と思う。仮に野党の目論見が成功して安倍内閣が倒れてしまったら大きな損失である。しかし政権が野党に回ってくる可能性はまずない。それにもし枝野首相や大塚首相、玉木首相が誕生したらもう目も当てられない。北朝鮮の脅威が現実のものになっているのに森友はないだろうと思う。

 野党の見識は情けないばかりだが、これは野党の体質のせいばかりではない。野党の方々が見たり読んだりしているメディアの見識が低いことにも原因があると思う。バーニー・サンダース上院議員は前回の大統領選挙で民主党の候補になった人物で、民主社会主義を自認するほどの左派であるが、当時の若者の圧倒的な支持を得た。上位1%への富の集中が話題になった時期でもある。格差は今後も重大な問題でありつづけるだろうし、安全保障と防衛問題は喫緊の問題である。どちらも森友問題の比ではない。野党が情けないことの背景にはメディアのレベルの低さがあるように思う。野党とメディア、とりわけ左派メディアはつながっているのである。
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