噛みつき評論 ブログ版

マスメディア批評を中心にしたページです。  姉妹ページ 『噛みつき評論』 もどうぞ(左下のBOOKMARKから)。

人命より不祥事優先の朝日新聞 古扇風機にご注意

2007-08-28 18:01:45 | Weblog
 8月20日、37年前に製造された扇風機が原因で火災が起き、2名の死者が出た。朝日新聞は24日の朝刊30面にこの事故を小さく載せた。その記事は三洋電機製の該当機種について注意を促す内容が主であった。

 一方、日本経済新聞は同日朝刊にこの記事を載せたが、面積は約3倍あり、三洋電機製だけでなく古い扇風機一般について、火災の危険を知らせる内容であった。

 過去10年で扇風機火災による死者10人という消防庁の調査を、朝日も25日に載せたが、これも日経に比べると半分程度の大きさである。

 製品が原因で死亡事故が発生すると大々的に報じるのが朝日のやり方であった。いや死亡事故にならなくても、不二家事件のように食中毒の僅かな可能性だけでも、トップ記事にしていた。もっともこのような傾向は朝日だけではないが。

 扇風機による火災は10年間で454件、死亡10人、負傷76人という。決して無視できるリスクではない。朝日が連日トップに扱った松下のリチウム電池の発熱事故(全世界で火災はなし)に比べると確率、被害の大きさとも比べようがないほど重大である。

 事故原因に過失や不祥事があると、これでもかというばかりに大きく扱うが、今回の事故のように、原因が経年変化によるもので、製造者の責任が問えない場合はこんなに小さい扱いになるのは、如何なる基準によるものなのか。

 朝日新聞だけをざっと読む限り、古い扇風機一般の危険性を理解できない人が多いと思われる。危険を広く知らせ、人命や財産を守るという報道の役割をどう考えているのだろうか。

 購読紙は朝日と日経だけなので他紙の扱いはわからないが、参考までに各紙のWEB版での扇風機火災記事の件数を挙げると、朝日4件、読売8件、産経7件であり、朝日の冷淡さが目立つ。

 一方、記者の無知の例として、8月22日の毎日新聞の憂楽帳「扇風機」から抜粋する。
 『長年使っているこの扇風機とは37年間のお付き合い。機能は至ってシンプルだが、使い始めた中学時代から現在まで、一度の故障もなく涼を与えてくれた丈夫な扇風機だ』

 偶然にも同じ37年前の製品だ。物を大事にするのも結構だが、扇風機の場合は少し事情が違うことも、新聞記者ならば公表前に知ってほしい。

 この10年間の火災事故被害は、危険を周知できていれば減少させることができる性質のものである。メディアの職務怠慢と言えなくもない。

 怖いのは、いつも不祥事やスキャンダル報道に偏っていれば、いつの間にかそれがあたりまえになり、本来の役割を忘れることだ。

 ちなみに24日の朝日のトップは中華航空機事故の「ボルト脱落 タンク破る」であった。これを知ったところで、飛行機に乗るとき、ボルトを調べるわけにはいくまい。

国民の半数が集団的自衛権を知らないとは…マスコミの職務怠慢

2007-08-23 22:07:59 | Weblog
 8月15日、憲法9条についての討論番組がNHKで放映された。番組そのものは、どこかで聞いたような左右の極論の応酬が主で、交わるところ少なく、出演者の人選に問題あり、という印象である。

 注目したのは番組途中で紹介された「集団的自衛権」に関するNHKの事前調査の結果だ。それによると集団的自衛権の意味を知っている者は44%、知らないものは49%であるという。

 国民の半数以上が集団的自衛権を知らないまま、国政選挙で投票が行われ、選ばれたものが政権を担う。この事実を平然と見過ごせる人はかなりの楽天家である。集団的自衛権はいま問題になっているだけでなく、日本外交の基本方針にかかわる大問題だ。

 選挙制度が妥当なものと信じられているのは、大多数の見識・判断が信頼に足るものだという前提があるからだ。そのために有権者には必要な情報が与えられていなければならない。集団的自衛権を知らずしてまともな見識が得られるだろうか。

 必要な時事問題を知らせることはマスメディアに課せられた仕事である。マスメディア以外に役割を担えるものがない。解説書はあるだろうが、大多数が読むことを期待するのは現実的でない。

 もし、ある小学校の卒業生の識字率が半分であったり、四則演算ができなかったら、その学校の教育システムが問われるだろう。しかし有権者が知るべきことを知らなくてもメディアがとがめられることはない。

 新聞・放送業界は事実上、新規参入が不可能な、独占に近い寡占状態にある。とりわけ放送業界は電波という公共財を独占的な使用が認められている。業界別では放送業11社の生涯給与は平均額4億4287万円で突出している(2位は石油・石炭製品業13社の平均額は2億9104万円―週刊東洋経済06年10月7日号による)。それは独占とあくなき利益追求精神のたまものである。

 メディアは必要なことを広報する機関であり、その機能をほぼ独占している。視聴率が上がるからといって、娯楽だけでよいわけがない。必要なものを伝えるという役割を独占と引換えに国民から負託されていることを忘れてはならない。それが民主制度を支えるメディアの職務なのである。

 新聞が職務を忘れていることを自白している例がある。02年1月、18~69歳の日本人の科学の基礎知識への理解度は14カ国中12位であると発表された。その直後の「天声人語」は、設問「抗生物質はバクテリア同様ウィルスも殺す」の正答率が低いことに触れ、「そういう基礎知識を医師が日常の診療で患者に伝えていれば結果は違ったかもしれない」と述べている。医師が、患者一人ひとりにそのような「基礎知識」を伝えろという。どう考えても、それは新聞やテレビの職務であろう。

 一面のコラムは新聞社を代表する見識をもつものが担当するのがふつうである。その一流の執筆者が、職務放棄を平然とするようであれば、新聞社全体の職務の自覚も怪しいものだ。

 さして重要でもない、柏崎刈羽原発の変圧器火災は深く国民の脳裏に刻み込まれた。中華航空の火災も詳細に伝えられた。火災原因が判明すればその詳細は全国民の知るところとなるだろうが、いかに詳しく知ったところで何の役にも立たない。だが、集団的自衛権が半分も知られていないという事実は国の将来の選択に禍根を残す恐れがある。

 メディア業界には、必要なことを周知するという「国民から負託された職務」を自覚していただきたい。国民の関心が低いことであっても、重要なことは興味深く、わかりやすく伝える努力が必要だ。

朝日新聞の懺悔録『戦争と新聞』…内容は評価できるが

2007-08-19 22:05:11 | Weblog
 半藤一利氏は著書「昭和史」で「朝日も日日(現在の毎日新聞)も時事も報知も、軍の満蒙問題に関しては非常に厳しい論調だったのですが、1931年(昭和6年)9月20日の朝刊からあっという間にひっくり返った」と述べている。これは満州事変の2日後である。

 朝日新聞夕刊に連載中の『戦争と新聞』は現在「社論の転換」という章に入っている。9月18日の満州事変の直後に起きた新聞論調の転換のことある。軍の圧力によってやむなく戦争に協力した、と聞かされてきただけに、興味津々のところである。

 8月15日付の『戦争と新聞』では、事変以後、朝日が「自主的」に社論を急転換させ、軍の行動を積極的に支持していく過程が説明される(満州事変は日本軍が満鉄線路を自ら爆破して、支那の仕業に見せかけた謀略から始まった。国民は謀略とは知らず、軍の報復行動を支持する新聞報道によって沸き立つ)。一方で「文芸春秋」31年11月号に掲載された石丸藤太という人物の「満州事変の電報を読んで」と題するエッセーを紹介している。

 「軍部が政府を出し抜いて独断専行をやり、又は外務当局に無関係に勝手に行動することは、危険でもあり、列国の同情を失う」
 「日本軍の行動するところ、その背後に国民と政府があり、軍の行動はこの国民と政府の意思を代表するものでなければならぬ」

 また「改造」11月号に載った阿部慎吾「満州事変をめぐる新聞街」を紹介している。
「記事の上で大きな抜いた抜かれた話はなく…各紙とも軍部の純然たる宣伝機関と化したといっても大過なかろう」

 雑誌には軍部に批判的な記事が出ていることを紹介しているから、厳しい言論統制がこの時期にあったわけではないことを自ら認めている。また同時に冷静な意見があったことも注目すべきである。新聞だけが軍と共に自主的に暴走したことを『戦争と新聞』は正直に書いている。

 同じ「文芸春秋」31年11月号には市民アンケートが掲載されているので、一部を抜粋する。
「…正義に強い日本人や日本魂の大なるを、卑怯なる支那人を、2度日本に手向かいできぬようにひどくとっちめてやりたいと思って居ります」
「今回の我が日本軍の行動は当然であると思う。…国家には生存の権利がある。…暴虐の行為に向かってよう懲(懲らしめること)するのはたしかに神意に叶うに相違ない」

 これは中国人の暴虐と日本軍の正当性を煽った新聞に対する素朴な反応に過ぎない。こうして出来上がった「世論」の支持が軍部に一層の力を与え、力を得た軍部は世論を背景に言論統制までやって、いわば制御装置を自ら外し、引き返せない点を通過してしまう。

 むろん戦争に進んだ原因は他にも指摘されているようにいろいろあると思う。だがこのときの新聞の果たした役割、さらには新聞の認識能力など、もう少し問題にされ、研究されてもいいと思う。それは現在のメディアの理解にも役立つと思うからだ。

 朝日を非難する向きもあるが、ほとんどの組織は一枚岩ではない。大なり小なり、分裂がたいてい隠れている。朝日にもこの記事のように評価すべきものもある。ただ価値ある記事なのに掲載場所が目立たないのはとても残念だ。

日本の信用を傷つける朝日の報道…不可解な松下バッシング

2007-08-16 13:33:28 | Weblog
 朝日新聞8月15日の朝刊トップは「松下製電池 4600万個交換」「ノキア携帯発熱の恐れ」「国内外不具合100件」の見出しで始まる。記事の内容は「攻撃的」だ。

「悪質な報告義務違反とまでは言えないかも知れないが、世界で事故が100件起きているのに、日本の夕方に公表するなど消費者をなめているのでは」という経済産業省内の見方を紹介し、「ノキア、松下の対応が妥当だったか今後、改めて問われる可能性がある」「相次ぐ大規模な不具合発生は、日本メーカーに対する信頼も大きく傷つきかねない」と書く。

 9面にも「補強記事」があり、「ミスに1年気づかず」「日本製 揺らぐ信頼」の見出しと、「コスト削減努力が結果的に安全確保のコストに及んでいる」とのいつもながらの解説で締めくくっている。

 記事にはいくつかの疑問がある。ノキアが、問題が起きるのはとてもまれなケースだとし、消費者の求めがあれば無償交換すると発表しているのに対し、4600万個交換という見出しは明らかにおかしい。全品交換ではない。さらに不具合は全体の1%未満(1/100)とみられると書き、 現在の不具合発生率1/460000との関係が不明だ。これだと不具合率が過大に理解されてしまうのではないか。

 この記事は、故意に松下や日本の製造業の評判を落とそうとしているようにさえ見える。リチウムイオン電池に関してはソニーや三洋もリコール問題を起こした。逆に言うとそれだけ小型化の要求など、技術的な難易度が高いものなのだろう。コストを削りすぎて「やっちゃった」というようなレベルの問題ではないと思う。

 技術の世界では不可抗力に近い落とし穴の存在がある。ミスを完全に防ぐことは困難だ。理由をコスト削減に求める推測は単純すぎる。メーカーは、不具合を出したときの損失を考えると極めて慎重にならざるを得ない。発見が遅れたのは不具合品の率が非常に僅かであったことが大きい理由だろう。

 事故が深刻なものとは云えず、不具合発生率がまれであるから、消費者の求めがあれば無償交換するというノキアの方針は妥当なものと思われるが、朝日の見解はそうではあるまい。朝日の記事は従来から確率の概念が希薄で、1億台に1個の事故でも同様の反応をするだろう。

 朝日が必要以上に騒ぎ立てると、海外にも影響は及び、日本の製品の不要なイメージダウンを招く。「日本メーカーに対する信頼も大きく傷つきかねない」と書いているが、それを朝日が強力に後押ししているのだ。朝日はいったいどこの国の利益を考えいるのだろう。

 翌16日の朝刊トップにも「松下、3ヶ月公表せず」との見出しを掲げ、攻撃姿勢がはっきりする。一方、同日の2面では欧州の新聞の状況を「主要紙はビジネスニュースで短く報じただけ、大衆紙もベタ記事扱い」と冷静な対応を伝えている。欧州ジャーナリズムのレベルはなかなか高いのだと知った。

 国内の報道との差は大きいが、とりわけ朝日の突出が目立つ。数ヶ月前、偽装請負問題で朝日に叩かれた松下は朝日への広告を停止したと言われているが、 今回の朝日の異常なバッシングはその件との関連を疑わせる。広告停止なんかすれば、後悔することになるぞ、というメッセージが隠れているのだろうか。

「泣く子も黙る朝日新聞」を目指しているのでなければよいが・・・。

新聞の戦争責任が感じられない8月15日…例年のことながら

2007-08-15 11:31:08 | Weblog
 読売新聞8月11日付の編集手帳には歌手の淡谷のり子が上海の部隊を慰問したときのの回想が紹介されている。
「兵士たちは禁じられた2曲を歌ってくれとせがんで聞かない。罰を受けてもいい。淡谷さんは腹をくくって歌う◆兵士たちはぽろぽろ涙を流して聴いた。監視役の将校は気を利かせて席をはずした。…」

 一方、08月12日付の朝日新聞の天声人語には次のような一文がある。
「きょうが誕生から100年と聞き、戦時中も軍歌を拒み続けた硬骨の生涯を思った。レコードだけではない。兵を死地に追いやる歌だと、戦地の慰問でも歌わなかった人である」

 読売が11日、朝日が12日であるから、はじめ朝日のパクリかと思ったが、生誕100年とあるから、双方の記者とも同じネタの探し方をした結果だと了解した。日替わりで記事を書く場合の定石なのだろうが、横並びで個性のなさを表している。

 それにしても国民を戦争へと煽り、戦争に積極的に協力した新聞が、よくもこんな話を他人事のように紹介できるものだと思う。改めて面の皮の厚さに感心した。

 一人の歌手が時流に流されず、規則を破ってまで姿勢を崩さなかったのに対して、新聞は集団で時流に乗るだけでなく、さらに積極的に押し進めた。この記事からは反省の気持ちは感じられない。

 60余年の遅蒔きながら、反省の動きも少しはある。昨年、読売は「検証 戦争責任Ⅰ」「検証 戦争責任Ⅱ」を出版した。また朝日も「戦争責任と追悼」を出した。読売の2部作は比較的中立的な立場から書かれており、戦争を概観するのに適している。朝日の「戦争責任と追悼」は右翼論壇に対する反論が目立ち、あまり評価できない。アマゾンのカスタマーレビューの評価も低いものばかりだ。

 そのなかで、前にも触れたが、朝日夕刊に連載中の「新聞と戦争」は新聞の戦争責任について、納得できる内容のものがようやく出たという印象がある。戦争に積極的に協力した新聞の姿勢が正直に書かれているように思う。しかし残念なことにこの連載記事は目立たない。記事の重要性を考えると一面の左上がふさわしいと思うのだが。

 8月15日が近づくと、各メディアは横並びで、戦争の悲惨さや軍部の罪を訴える特集で埋められる。年中行事である。だが自ら新聞の責任を言及する特集はあまり見られない。

 特攻や白兵戦による玉砕など、日本の戦争のやり方は特異なものであった。そのため犠牲はより大きくなり、より悲惨な結果を招いた。まるで国民全体が宗教のように洗脳されている観があった。その状況に大きく手を貸したのが煽動した新聞であるのは疑いのない事実だ。

 戦争の悲惨さを訴えるだけでは十分ではない。戦争を始め、勝算なしに継続するという理不尽な行動を支えた構造のなかで、新聞が如何に大きい役割を果たしたかを理解することが大切だ。理解することでメディアを見る目も育つだろう。

 そして現在、いつもながらの各社一斉の集中報道(メディアスクラム)を見ていると、いまのメディアに大局的、理性的な見識を期待して大丈夫かなと不安になる。

商魂たくましい朝日新聞・・市場主義か、利益至上主義か

2007-08-09 11:23:08 | Weblog
 朝日エンディショップという通販業者から記念メダルの購入を勧誘するパンフレットが送られてきた。第11回IAAF世界陸上競技選手権大阪大会記念メダルで、300gの純金製2,835,000円のものから140gの銅製15,750円まで6種類ある。ホームページには美術品などと共に掲載されている。

 朝日エンディショップとは朝日新聞東京本社新館2階にある朝日新聞販売サービス㈱の通販部門のようだ。版画や復刻画など主として数十万円~数百万円のものを販売している。高額品の通販では販売者の信用がものをいうので、朝日ブランドは有効なのだろう。

 気になったのはメダルの販売価格だ。美術品などは原価がわからないが、純金メダルは加工度が低いため、材料費の占める割合が大きく、原価がわかりやすい。

 朝日エンディショップの記念メダルは300gのものから20gものまでの4種類、販売価格は2,835,000円から189,000円となっている。4種類とも金のグラム単価は9450円である。07年7月の金の税込み小売価格は2700円程度であるから地金価格の3.5倍の価格での販売である。

 比較のために例を挙げると、独立行政法人 造幣局が06年3月20日発売の「平成18年桜の通り抜け記念メダル」は95gで350,000円であり、金のグラム単価は3684円である。06年3月当時の税込み平均価格は2234円であるから約1.65倍である。

 これらとは種類が異なるが地金型金貨というものがある。メープルリーフ金貨やクルーガー金貨などがあるが、これらは地金の価格とほぼ同じ価格で販売されており、財産価値は高い。

 朝日の販売単価はいかにも高く、造幣局の2倍以上だ。もちろん自由な市場経済のもとでは10倍で売ろうが、100倍で売ろうが違法ではない。かつての霊感商法では原価10万円の宝塔を5000万円で売った例があった。販売方法が問題になったが、取引金額そのものは問題にならなかった。

 だが「良心的」な朝日新聞がやる商売としてはいささか違和感がある。このメダルを買って、すぐ売却すれば地金の価値しかなく、購入価格の3割にもならないだろう。販売限定数が表示されているが、希少ということでプレミアムがつく可能性は少ないと思われる。

 現在の金相場を知っていて、このメダルを買う人がいるとは考えにくい。数十万円~数百万円の金メダルを財産価値抜きで買うという人はあまりいないと思うからだ。だとすると、購入者の中には朝日を信用し、メダルを財産価値のあるものとして、つまり造幣局のメダルのように6割程度で売却可能と考えて購入する人がいるかもしれない。売る時になって「こんなに安いのか」と驚くことになるだろう。

 かつてはコストの何倍もの値段で売る行為は暴利として非難を受けた。しかしいつの間にか、仮に高い価格をつけても、それが市場でよく売れる限り、価値に見合った価格とみなされ、妥当な行為と考えられるようになった。

 この考えは市場における売り手と買い手が完全に自由であり、その商品についての情報を共有しているという条件下では妥当である。このメダルの場合であれば、買い手の自由は満足しているから、情報の共有が問題となる。買い手が現在の金相場や売却時の価格などの情報を知っていれば問題はない。

 金相場は調べればすぐわかるが、誰もが知っているとはいえない。販売のパンフレットに直近の金相場を載せれば公正なものになるだろうが、恐らくそれでは売れなくなるだろう。つまりこの商売は情報の非対称性に依存したところがあり、それは公正とは言いにくい。つまり相手の無知につけ込むところがないとは言えない。

 ㈱読売情報開発大阪でも同じメダルと思われるものが売られている。ただこちらは読売新聞オンラインに発売開始の事実と連絡先が載っただけで、やや消極的な印象を受ける。
また朝日に記載された限定販売数は読売販売分を含めないということなのか、大いに気になる。

 社会の公器、社会の木鐸を自負する新聞が市場主義に染まった結果なのか、あるいは利益追求の精神が旺盛なのか、それとも私の頭が古すぎるのが、さてどう理解したものだろうか。

絆創膏に国政が左右されてはかなわん・・政策でなくイメージで投票する選挙

2007-08-05 10:52:44 | Weblog
 評論家の内橋克人氏はこのたびの参議院選挙における自民大敗の原因を自公政権の政策に求め、概略、次のように述べている(NHK第一、ビジネス展望)。

 1.成長優先の政策をとってきた結果、格差拡大が生じた。
 2.企業の売り上げは伸びずとも、利益は2~3倍になった。だが勤労者に恩恵が及んでいない。
 3.12年間に及ぶ超低金利政策によって本来家計が受けとるべき利子所得が企業に移転した。

 その結果、有権者が自民・公明の政策を否定したという解釈である。もし内橋氏の指摘通りならば、なかなか的確な判断のできる有権者だと思う。理想家の内橋氏はそのような希望を有権者に託されたものと思うが、一部の有権者を除くと、事実はかなり違うと思う。

 選挙結果を大きく左右したものは、閣僚の失言、二人の農水相の事務所経費の不透明さ(絆創膏も含まれるらしい)、社会保険庁の年金の不始末だと言われているが、私もその通りだと思う。

 しかしながら、どれもこれも国政レベルの選挙にしてはあまりにも卑小な問題である。卑小な問題が取り上げられ、連日大きく報道されたことで、有権者に「自民党はあかん」というイメージが作られ、それが投票行動に影響したという解釈が妥当だ。

 新聞やテレビが、各党の政策をきちんと報じ、それについての十分な議論をするという努力をしてきただろうか。国政選挙レベルの選挙であるから、各党のマニフェストをもとに、外交、財政、教育などの主要問題について国民にわかり易く知らせるのがメディアの役割だ。不祥事ばかり集中報道するのが能ではない。

 普通に新聞・テレビを見ていて、主要政党がどんな主張をしていたのか、理解している方がどれほどおられるだろうか。大勝した民主党の財政、教育、外交などの基本方針は十分理解されていたのだろうか。

 安部・小沢の党首討論を見たが、民主党の提案する、消費税を上げないという財政政策は具体性に乏しかった。申し訳ないが、私はその程度の理解しかない。

 そしてメディアで、それが具体的に検証されたり、議論された記憶もない。国政選挙では各党が実現可能で具体的な政策目標を示し、それについて広く議論がなされて、その結果が投票行動に反映されるというのが基本の筈である。

 選挙結果がそのときどきの政党のイメージやムードによって大きく左右されるという事実は大きな危険を孕んでいる。それは合理的な選択が妨げられるだけでなく、イメージやムードを作りあげるメディアによって国政が左右されやすいという傾向を生む。

 公平な立場から、各政党の政策をわかりやすく伝え、合理的な選択を助けるというメディア本来の役割を認識して欲しい。事前予想や当選速報でお祭り騒ぎをするよりずっと大事なことである。

風評被害は誰のせい?  マスメディアは関係ないと知らんぷりでよいのか

2007-08-01 20:38:39 | Weblog
 サッカーチーム、カターニアは放射能漏れを懸念して、予定されていた来日を中止した。刈羽原発の事故がイタリアでも繰返し、大きく報道されたらしい。元ネタは日本のメディアだろうが、イタリアでは放射能のために1万数千人が非難していると報じたようだ。

 原発に批判的な日本とイタリアのメディアが伝言ゲームをやると、とんでもない報道になったというわけだ。結果としてイタリア国民は日本は放射能で危険な状態であると、ひどい誤解をした。因みにイタリアには原発がない。ほとんどの電力を化石燃料による発電と輸入に頼っていて、電力料金はEU平均の1.6倍だそうだ。

 日本でも、新潟県の観光業界が風評被害を受けている。
「キャンセルの動きは柏崎市から北に約115キロも離れた瀬波温泉にも及ぶ」
「県観光協会には『魚も放射能汚染されて食べられないんでしょ』という誤解した問い合わせすらあるという」(7/21日の東京新聞夕刊web)

 「柏崎市から30キロほど離れた長岡市寺泊。関東や長野からも海水浴客が訪れる日本海側有数の海水浴場だが、7月の予約の7~9割がキャンセル」
「寺泊にある4つの臨海学校用施設のうち、群馬県の吾妻広域町村圏、伊勢崎市、前橋市が臨海学校の中止を決めた」
「この中止で約7000人の宿泊が消える」(22日の産経web)

 「予約客のキャンセルが相次いでいる。その理由の多くが、東京電力柏崎刈羽原子力発電所のトラブルによるものだ」「放射能が海に流れて心配」
「柏崎市から約140キロ離れた村上市瀬波温泉。旅館、汐美荘では7、8月で1000人がキャンセルした。その際、複数の予約客が原発のトラブルを理由にあげた。(19日asahi.com)

 この風評被害はメディアにとって、果たして「想定外」であったがどうか、主に朝日新聞の報道を例にとって検討してみたい。

 地震の翌日の17日、朝日の朝刊、第1面に「放射能含む水、海へ」の見出しが載った。3面には「水漏れ『理由不明』」と理由不明を強調した見出しがある。18日の1面にも「放射性物質 大気中へも」という見出しがある。見出しだけ読むと、不安になること間違いなしだ。

いずれも記事を詳細に読まないと漏れた量は微量というのは分からない仕組みになっている。その後もトップ記事で「放射能含む水、電線伝わり漏出か」(23日)と続くからよほど重大な放射能漏れだと思わせる。海水浴に行く気など失せてしまう。

 NHKも原発被災を連日トップで報じ、黒煙を上げる変圧器火災の映像を繰返し流して、重大事故のイメージを強調している姿勢を感じた。民放は見ていないので想像だが、旅館のキャンセル率の高さなどから考えると同様な報道がなされたのではないだろうか。

 風評被害とは実際は危険がないのにもかかわらず、みんなが危険があると思うから生じる。そこにはたいていセンセーショナルな報道がある。宿の予約の7~9割がキャンセルされたのであるなら、旅行予定者の7~9割が旅行は危険だと考えたということだ。彼らはメディアが伝える情報によって決断したと思われる。現地に問い合わせていれば、問題ありませんと言われるに違いないからだ。

 旅行予定者は特別な人々ではないから、一般の人々も7~9割が危険だと判断したと考えてもよい。その誤解を与えたのはメディア情報以外にはない。にもかかわらず、朝日の風評被害の記事では、キャンセルの理由の多くが原発トラブルによるものだ、と臆面もなく書いている。風評の原因を報道ではなく原発の存在そのものにしているわけだ。報道にも責任があるという気持ちは全く感じられない。

 「放射能含む水、海へ」という見出しを出すのなら、小見出しで「環境には影響なし」とでも書いて、不要な恐怖心を与えないように配慮すべきであった。読者の受け取り方に差があるのは仕方がないかもしれない。しかし7~9割の人に誤解を与えたのであれば弁解の余地はないだろう。さらに7~9割のなかには過敏な人もいて、不要な恐怖を感じているかもしれない。

 メディアはこれだけやれば、風評被害が起こると予想できただろう。過去に学習の機会は何度もあったのだ。観光業界などが現実に経済的な損害を受けた場合、メディア、あるいはとくに恐怖を煽るような発言をした人物に対して損害賠償を請求すればよいと思う。そうすれば今後の報道に注意するようになるだろう。

 商品の欠陥に対して徹底して追及される世の中で、風評被害にだけは誰も責任をとらないのはおかしい。

 いま、風評被害が目立つのは観光業界だが、農業や漁業に及ぶかもしれない。新潟県では風評被害額を1000―2000億円と試算している。そして最もひどい被害を受けるのはいつも業界内の弱者である。失業も出るかもしれない。

 被害の拡大を防ぐことができるのもまたメディアである。それが被害を作り出した者の義務であろう。天災は仕方がないと、あきらめもつく。しかし風評被害は人災であり、わざわざ作り出すものであるだけにやりきれない。