噛みつき評論 ブログ版

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朝日新聞の所得隠し、他のメディアはなぜか冷静

2009-02-27 10:01:33 | Weblog
 『朝日新聞社は、08年3月期までの5年間(一部7年間)で、約5億1800万円の申告漏れを東京国税局から指摘され、23日に修正申告して法人税約1億700万円を納付した。これに伴う加算税は約3100万円で、うち重加算税は約2800万円。
 当局は、取材費の一部を交際費と認めたり、出張費の過大計上を指摘したりして、編集関連費のうち約3億9700万円を経費と認めず、重加算税の対象とした。このうち、京都総局が出張費などで計上した約1800万円については、カラ出張などによる架空経費と指摘した』

 以上は2月23日付asahi.comの要旨です。よくある脱税事件のようですが、重加算税が課せられたことに注意したいと思います。重加算税は悪質な所得隠し、つまり隠蔽や仮装がある場合に課せられます。そして、東京、大阪、西部、名古屋の各本社編集局長を減給処分とありますから、「脱税工作」はずっと以前から全社的に行われていたと考えられます。

 警察官や裁判官が罪を犯せばより強く非難され、ニュース価値は高くなります。ふだん正義面をしている者の悪行が露見したニュースは価値が高く、読者に喜ばれます。日頃、社会の木鐸を自称し、他人の悪行を指弾することを商売にしている新聞自らが違法行為を犯せば、これまた同様、トップ記事ほどの高いニュース価値がある筈です。

 ところが、主なメディアをざっと見た限りですが、この所得隠し事件の報道は扱いも小さく、客観的な記事になっています。他のメディアの記事の内容は朝日の記事とほぼ同一で、新しい情報は見あたりません。そして「街の声」や「識者の意見」も皆無ですから、むろん恒例の「あきれた」調の表現もありません。いったいどうしたことでしょう。

 考えられることは、他のメディアも叩けば埃(ほこり)の出る身であり、いつ我が身に降りかかるかわからないということです。新聞社は一般の企業と違って「言論」という攻撃力を持っています。もし朝日を槍玉にあげれば、その後、国税の調査を受けて逆の立場になったとき反撃を受ける心配があるというわけでしょう。攻撃力があれば攻められない、これは北朝鮮の核政策だけでなく一般に通用する話です。

 さて朝日新聞は、外側の正義面(づら)とは相容れない異形(いぎょう)の顔を内側に持っていたことが露見するという、まことに恥ずかしいことになりました。外に対する厳しい基準と内に対する甘い基準、二重基準を持っていたわけです。

 読者としてはこの二つの基準をひとつにまとめてもらいたいのですが、どちらの基準に合わせるべきでしょうか。常識的には外側の正義面の基準に合わせる方法ですが、税申告の「技術力」が向上するだけで終わってしまう可能性があります。

 いっそ、内側の基準に合わせるのはどうでしょうか。自らも犯す程度の行為を他の企業や個人が犯したとき、正義を振りかざす攻撃を少し自重するのです。

 振りかざす正義が高いほど非難のレベルは強くなります。例えば、医療側を強く非難する医療事故報道は医療への合理的とは言えない不信を生み出し、医療体制にも悪影響を与えました(参考拙文)。また食品の消費期限、産地偽装などの問題に対する過剰な報道は食品への必要以上の不信を生み、消費者には不安感を、生産者には管理コストの増加を強いることになりました。

 新聞が自分のレベルを基準にした報道をすれば、自ずと他に寛容になり、社会に不信感をバラまくようなことも少なくなろうかと思う次第です。

派遣切り報道の虚実

2009-02-23 11:01:13 | Weblog
 昨年末にNHKが放送した、派遣切りの実態を追った番組はかなりの衝撃を社会に与えたようです。突然契約を打ち切られ、仕事と住居を同時に失った派遣社員は貯金も持たず、路頭に迷うしかないという切実な様子が映し出されました。数千円の所持金と給与明細が示され、月数万円という手取り金額では貯金は不可能であったという悲惨な実態が報道されました。

 今後数万人に上ると見られる派遣切りは、その後社会問題となり、約500人が集まった年越し派遣村はマスコミが注視する行事となったのは周知のとおりです。非正規雇用が問題とされ、その是非に関する議論が広く行われるまでに至りました。

 ところがその後いろいろな事実が明らかになってきました。
○派遣村に集まった約500人のうち、派遣切りの人は120人程度(厚労省推計)
○集まったうち1月9日までに生活保護を申請したのは223人
○集まったうち1月9日までに求職の登録をしたのは125人
○東京都北区が募集した200人分の区臨時職員の募集に応じたのは4人

 求職の登録をしたのは生活保護を申請した人の約半分に過ぎません。他の自治体が募集する臨時職員への応募も軒並み低調のようであり、雇用機会を提供しようとした自治体は拍子抜けの様子です。また国が昨年末から貸し出しを始めた国家公務員宿舎は募集枠1千戸以上に対し、発表から2カ月近くたっているのに入居は2戸だけだそうです(2009年2月21日asahi.com)。朝日の記事は「自治体に国が丸投げしたことが理由だ」としていますが、それが理由のすべてかどうか不明ですが、この宿舎は月3000~4000円程度からと、公務員と同額の格安家賃で借りられるそうです。

 1月12日付読売新聞によると、都内の昨年11月の求人倍率は介護関連などは3倍以上、接客・給仕職で5.93倍、警備職は5.74倍あるそうです。失業した人がこれらの仕事に応募しないのはミスマッチのためだと述べていますが、これは多くの人は職を選択する余裕があることを示唆しています。

 年末のNHK報道や年末年始の各メディアの報道から得られた、派遣切りの悲惨な印象とその後に判明した事実との間にはずいぶん差があるように思います。報道は実情を正確に反映したものではなかったという疑いが残ります。

 NHKの悲惨報道は派遣切りにあった切実な状態にある何人かを取材していましたが、彼らは典型的なケースではなく、一部の特殊なケースだったのではないかと思われます。臨時職員を募集した自治体も、彼らに就職の斡旋をした当局も期待外れであったのは、メディアが作り出した虚像を元にして対応を準備した結果であろうと推定できます。

 当初の派遣切りに関する報道が非正規雇用の問題に光を当てる役割を果たしたことは確かです。そして行政などから派遣切りに対する当座の対策を引き出しました。しかし派遣問題に集中した結果、派遣村に集まった他の多くの人々(恐らく困窮度のより高い人々が含まれます)や、不況で仕事を失った中小企業の正社員、廃業や倒産した自営業者には関心が向けられことはありませんでした。

 報道の誇張や偏向は、問題を顕在化させるという意味はあるものの、同時にそれは認識を誤らせ、社会に歪をもたらす危険があることを改めて感じた次第です。また個々の報道にウソがなくても、特定の方向に流され、冷静な分析を欠いた報道が全体として虚像を作りあげた例として記憶されるべきでしょう。

GDPマイナス12.7%という見出しの妥当性

2009-02-20 09:28:55 | Weblog
 内閣府が16日発表した08年10~12月期のGDP速報値の原文は以下の通りです。

 『GDP成長率(季節調整済前期比)
2008 年10~12 月期の実質GDP(国内総生産・2000 暦年連鎖価格)の成長率は、
▲3.3%(年率▲12.7%)となった。また、名目GDPの成長率は、▲1.7%(年率▲6.6%)となった。』

 朝日、日経は16日夕刊の一面トップに取り上げ、どちらも見出しに年率の-12.7%という数字だけをデカデカと使用しています(他紙は未確認)。この発表記事をGoogleで検索すると、ほとんどのマスメディアの見出しも同様で、見出しに-3.3%という数字を使っているのはロイター通信ただ一社でした。

 発表の趣旨をどちらがストレートに伝えているかというと、やはり-3.3%の方であり、-12.7%は発表でカッコ内に表示されているように参考値です。年率-12.7%というのは同じ減少率が1年間継続した場合という条件付の数値であるからです。

 -3.3%より-12.7%の方がインパクトが大きいので、各社とも-12.7%を使うのでしょうが、その記事が読者により正確な認識を与えるのか、大変疑問です。これでは消費者はいっそう財布のひもを締め、経営者は投資を控えて雇用の削減に積極的になることでしょう。

 現在の深刻な経済情勢下に悲観的な認識を広げることは、さらに不況を加速する恐れがあります。売上高などを直接反映する名目成長率は生活実感とも近いものですが、これは前期比マイナス1.7%と小幅です。しかしこれを大きく扱っているところはありません。

 内閣府の発表をわかりやすく、かつ正確に伝えるのが各メディアの仕事ですが、誇張や脚色が多いようでは内閣府の発表を直接見た方が正確な理解が得られます。ネットに接続さえできれば誰でも見られるわけで、重要事項の発表時にはポータルサイトから直接リンクを張っては如何でしょう。

 わが国のメディアは報道のもたらす結果にはあまり関心がなく、センセーショナルな報道を心掛けるという強い志向をもっているようです。上記は発表数字の扱いの問題に過ぎませんが、ロイター通信とわが国のマスメディアの体質の違いを象徴しているよう思います。

支持率14%の麻生内閣の生みの親は9%の森元首相

2009-02-16 09:46:25 | Weblog
『内閣支持、最低の14% 朝日新聞2月世論調査』
これは2月10日の朝日新聞朝刊の一面トップの見出しです。政権のネガティブな情報をセンセーショナルに報道するのは恒例のことです。ほぼ同時期の他の調査結果はNHK18%、共同通信18.1%、読売19.7%ですから、朝日の14%は統計誤差からはちょっと考えられない低さです。どの調査がおかしいのか、わかりませんが信頼度の低さも恒例です。

 朝日と読売はそろって最低を記録した森内閣の支持率(朝日9%、読売8.6%)を引き合いに出して、低支持率のランキングを競っているような印象があります。興味深いのは01年以降、低支持率1位の森元首相と同2位の麻生首相の関係です。

 森元首相は自民党の最大派閥である町村派の最高顧問で、キングメーカーとも呼ばれています。その人が自民党総裁選の折、「自分は麻生さんをやる。麻生さんには大変お世話になったことは忘れてはいけない」と表明し、総裁選で麻生太郎幹事長を支持するよう呼びかけて、麻生氏の首相就任に大きい影響力を行使しました。

 お世話になったからという個人的な理由を堂々と公言して首相を推薦する奇妙さと、それを批判しないマスコミの鈍感さは前に触れました(参考)。麻生首相の誕生の経緯を考えると、首相にふさわしい人物という基準で選ばれたのか、疑問です。

 マスコミで断片的に報道される、首相以前の麻生氏の言動を見て、はたして首相にふさわしい人物だろうかと懸念を抱いた人は少なくなかったと思います。一方、麻生氏を選んだ人たちは彼を長期間、間近に観察することができたわけで、より正確に評価できた筈です。したがって、今の事態は予想できなかったことではないと思います。

 麻生氏を推薦した人たちの眼力が足りなかったためか、あるいは派閥の力関係などの結果によるものか知りませんが、現在の事態の原因は首相の選出システムにあるという見方ができます。次々と選出された人物が首相にふさわしくなかったことも選出システムに問題があることを示唆しています。

 首相選出に大きい役割を果たした森元首相をむろんのこと、選出に影響力のあった有力者も現在の事態に責任があるわけで、選出システムと彼らが変わらなければ、事態の好転は望めないという見方ができます。首相にふさわしい有能な人物が選ばれるような仕組みを検討すべき時期ではないでしょうか。

 最新の民放調査では10%を割ったという報道がありますが、そうなると大逆転もあるかもしれません。森元首相にとって、生んだ子が最下位になるのは本意ではないでしょうが、反面、ご自身は最下位脱出という栄誉を手にすることになります。・・・まさにジレンマですね。

スポーツセクハラ

2009-02-13 09:58:53 | Weblog
「スポーツの世界は、女性に対する人権意識が薄い」

 1月26日の朝日新聞社説「女性の指導者をもっと」はこの文章で始まり、続いていくつかの事例が紹介されます。

「大阪府の中学校で男性教諭が、顧問を務める部活動の女子生徒19人にわいせつな行為を繰り返し、今月、懲戒免職処分を受けた。(中略)マッサージなどを口実に下着の中に手を入れるなどの行為を重ねていたという」
「熊本でも、部活動の女子中学生十数人にマッサージと称して服を脱がせ、胸にさわるなどの行為を繰り返していた男性教師が免職になっている」

 世の中には熱心な先生方が多いようです。スポーツ指導にマッサージが必要とは知りませんでした。きめ細かい「個別指導」まで必要とあらば、先生方のご多忙も、ごもっともです。また、外国の例も紹介されています。

「ノルウェーでは同国トップクラスの選手550人のうち、3割がスポーツでのセクハラを体験していた」
「カナダでは五輪経験者230人のうち2割が競技団体の幹部らと肉体関係を持ち、1割近くはそれが強制されたものだったと打ち明けた」

 カナダの2割という割合には驚きますが、この記述では2割が幹部らと関係を持ったのはわかりますが、強制された1割は全体の1割なのか、関係を持ったうちの1割なのかはっきりしません。どこかの文章の引用だと思いますが、丸写しでなく、もう少し注意力がほしいと思います。社説は社を代表するものですからなおさらです。

 社説は「そもそもコーチに女性が少なく、組織や団体の幹部にはさらにまれだ。女性を積極的に登用する仕組みづくりが必要だろう」と結論しています。言うは易しですが、百年河清を俟(ま)つようなもので、あまり実現性のある提言とは思えません。

 数年前、一部の種目で、オリンピック出場選手の選抜方法の不透明性が問題になりました。選抜が直近のレース成績などの明確な客観的方法ではなく、団体幹部の意向が影響力をもつ方法で行われていたことが不透明と映ったのでしょう。誰もが納得する客観的な方法をとらず、あえて主観の入る方法を採用しているのはいろいろと明かせない事情がおありなのかもしれません。

 スポーツ界は上部の権限が強く、上部に対する批判が許されない特殊な世界です(参考記事)。この環境はセクハラの土壌を提供します。選手にとってオリンピックに出場できるどうかは、一生を左右する問題であり、幹部から「関係をもつこと」を条件にされれば、簡単に拒否はできないでしょう。競技団体の幹部が選手に対して強い権限をもっていることが問題の根にあると思われます。

 社説のように「スポーツの世界は、女性に対する人権意識が薄い」と簡単に言ってよいものか、たいへん疑問ですが、そうだとしても人権意識を変えることは簡単ではありません。セクハラを減らすには、まず組織の透明性を高め、幹部の権力の源泉である決定権をできるだけ客観的な基準に基づいた、恣意性の入らないものにすることも必要ではないでしょうか。

(参考)
三菱電機のHPに「日本語の曖昧な表現で起こる事件、事故に関して」という特集があり、スポーツの世界における選手選考基準について詳細な検討がなされています。曖昧表現の代表として選考基準が選ばれるのも妙な話ですが、曖昧さが幹部の権限と密接な関係にあることを考えると納得できます。

政府紙幣発行、議論するだけで国の信用を失う

2009-02-10 10:24:39 | Weblog
 自民党に政府紙幣の発行案が浮上し、自民党の菅義偉選対副委員長や田村耕太郎参院議員ら約十人が参加して「政府紙幣・無利子国債の発行を検討する議員連盟の設立準備会」が開かれたそうです。

 政府紙幣とは現行の日銀券と交換可能な政府紙幣を発行することで、政府は利子も返済もいらない金を手にすることができ、50兆円、100兆円規模の景気対策ができる、という夢のような話です。しかし紙幣の増発は貨幣価値を薄めるだけことであり、かつての軍票や藩札の仲間です。

 実質は政府が貨幣価値の減少分だけ国民の資産と所得の一部を横取りするだけのことです。横取りですから利子も返済も当然必要ありません。自民党内にも「円天を政府がやるような話になる」「マリフアナと同じだ」「取るに足らない話だ」という当然の批判が噴出しています。

 ところが産経の「主張」は、米国のノーベル賞受賞学者数人が以前から学者生命を懸けて提唱してきた、極めてまじめな論議であると、肯定的な意見を述べています。しかし「主張」は政府紙幣の発行を日銀の量的緩和と同列に扱っており、政府紙幣の意味をちゃんと理解しているのか、極めて怪しいものです(両者は全くの別物です)。ノーベル賞という権威にはたいへん弱い体質のようですが、数百万部をばら撒く以上、きちんと理解してから書いてほしいものです。

 戦前、政府は戦費を調達するために日銀に国債を大量に引受させた結果、数百倍という超インフレを起こしました。国債の日銀引受(原則禁止されています)は政府債務が残るので多少とも制約がありますが、政府紙幣の発行は制約がない分、財政規律が失われやすく、悪性インフレを招く恐れがあると考えられています。現在このような手段を用いる先進国は恐らくない筈です。実施すればその国の通貨の信用だけでなく、国そのものの信用も失われかねません。

 仮に政府紙幣の発行がよくコントロールされ、有効な政策になる可能性があったとしても、将来のインフレ懸念から円の下落、資金の海外逃避、金利上昇などの影響が生じる可能性があります。もし私が外国の投資家なら、そんなものを真面目に検討する国の通貨は売ってしまうでしょう。

 政府紙幣の発行などというトンデモ案が政府の中枢から飛び出し、検討のための議員連盟の設立準備会まで開かれて、政府内で大真面目に議論がされていると外部から認識されれば、政府自体の信用が低下するのではないでしょうか。

 政府紙幣の発行問題は今のところ幸いにも大きく報道されていません。それがメディアの賢明さのためか、危険なものという認識が足りないためか、よくわかりませんが、もし世界中に知れ渡れば円安の要因になるかもしれません。円安は輸出にとってはプラスですが、国の信用低下と引換ではちょっと困ります。

チョコを買うと児童労働を助長する、毎日新聞の珍説

2009-02-06 11:09:45 | Weblog
 毎日新聞が続きますが、2月2日のコラム「発信箱」にはバレンタインデーを意識してか、「賢者の贈り物」という記事が載っています。贈り物の効用を説いた前半は良いのですが、贈り物の選択について述べた部分は読者に重大な誤解を与えるもので、カカオ産地を逆に苦境に追いやる可能性があります。その一部を引用します。

 『ただ、グローバル化時代の現代、世界の市場には地域紛争や児童労働を助長する恐れのある商品も流通している。
 例えばチョコレートやダイヤモンド。チョコの原料カカオの農園ではかつて児童労働が多かった。高値で取引されるダイヤの原石は紛争地の武装勢力の武器購入資金になってきた。
 最近では業界が透明性の確保に努め、商取引を通じて貧困のない公正な社会を作る「フェアトレード」の運動が広まっている。チョコの本場、ベルギーでは児童労働によらないフェアトレード商品もスーパーに並ぶ。
 想像力の翼を広げて、原産地の様子を目に浮かべよう。吟味して選んだ贈り物はきっと、「より良い世界」を目指すメッセージも運んでくれるはずだ。』

 記者のご主張は、フェアトレードによらないチョコレートを贈り物に使うことは児童労働を助長するので買うのはやめよう、と理解できます。しかし、フェアトレードによる流通はごく限られており、日本でその選択は現実的ではありません(*1)。そして一般のチョコレートの購買をやめればカカオの産地価格は下がります。

 価格が下がれば児童労働が改善されるでしょうか。カカオ価格の下落によって賃金は下がり、仕事はなくなるかもしれません。仕事がなくなれば確かに児童労働もなくなるでしょうが、それが一層厳しい状況を招くことを記者は想像できないのでしょうか。

 低賃金の労働による商品だからといって、それを買うのをやめれば生産側の事態はさらに悪くなることは明らかです。またダイヤを買うことが地域紛争を助長するというご主張もあまりに一面的です。武器購入資金に使われるかどうかは産出国の内部事情の問題であり、もしダイヤ価格が下がることになればダイヤで生計を立てている多くの人と共に、その国の経済全体が悪影響を受けます。記事の見解はあまりに単純、一面的です。

 フェアトレードが児童労働を救うという記者の主張は後述の「フェアトレード情報室」の説明と重なりますが、これは納得のできるものではありません。この記事によってカカオの価格が下落するほど毎日新聞の影響力はないでしょうが、読者に与えた誤解の影響は長期に及びます。児童労働の改善を望むなら、チョコレートを多く買うことが現在では適切な選択です。

 少しばかりの思慮深さがあれば、この記事のおかしさは明らかだと思います。コラムとはいえ、このようなを記事がチェックをきちんと受けて、オピニオンリーダーたる一流紙の紙面に堂々と掲載されることって、ちょっと怖いですね。

(*1)フェアトレードによるチョコレートは日本でも通販などで通常の数倍の価格で販売されています。しかし「フェアトレード情報室」によれば、そのカカオはボリビアなどの特定の生産者によるものであり、児童労働が問題になったコートジボワールではありません。フェアトレードのシェアが増えればコートジボワールの状況はさらに悪くなるということも考えられるわけで、フェアトレードが児童労働の改善に役立つという仕組みは理解できません。フェアトレードの理念は恩恵を受ける生産者にとっては素晴らしいものですが、シェアが大きくなれば通常の生産者はより貧しくなるという問題が既に指摘されています。ことはそれほど単純なものではなさそうです。

裁判員制度はスリリングで感動的という毎日の詭弁

2009-02-03 14:18:44 | Weblog
 「Aさんは長年頭痛に悩まされてきたのですが、科学が生んだ○○を試してみたところ、驚くばかりの効果がありました」 - 体験談を紹介するこのような宣伝方法は効果のはっきりしない怪しい商品などに好んで使われます。「効いた」体験談をいくつも並べられると信じてしまう人がいるわけで、まあ古典的な騙し方といってよいでしょう。体験談は事実だとしても、同時に効果のなかった数を示して、有効率を表示しなければ意味がありません。効果は1万人に1人かもしれないわけです。

 このような手法は感情に訴える効果を狙ったものですが、非論理的であり、まともな世界で使われるものではありません。しかし驚いたことに新聞にも同様の手法が使われています。1月27日の毎日新聞の「記者の目」には「充実感あふれていた80年前の陪審員」と題して、裁判員制度について述べています。

 記者は裁判員制度への根本的な批判も少なくないと現状を指摘した上で、不人気を解消する妙案はないかと思いながら、1928年12月の東京日日新聞(現毎日新聞)を繰ったところ、帝都・東京で最初に開かれた陪審裁判を見つけたとあります。次にその部分を引用しますが、当時の新聞の様子もなかなか興味深いものがあります。

 『被告は21歳の主婦で、保険金目当てで自宅に放火した罪に問われた。12人の陪審員と2人の補充員は実名報道で職業も公開されている。こんにゃく屋、酒屋2人、歯科医、絵具商、機械商、無職2人、八王子在のお百姓2人、会社員とある。名前も職業も伏せられる裁判員制度とは大違いだ。
 初日の審理で、被告は全面否認する。以降、夕・朝刊で連日の展開。主な見出しを拾ってみよう。「子を思う(被告の)親心に法廷皆すすり泣く 初陪審の劇的シーン」「陪審員証人の警官にお叱言(こごと) 専門的な質問お見事」「『彼女の涙は何を語る』と病める弁護士の熱弁」「『美人放火』を断定 検事陪審員に迫る」。そして12月22日の朝刊「帝都最初の陪審公判 遂(つい)に無罪の判決下る 感激の美人 光景劇的に大団円」に至る。当時は、陪審団の答申を受けて裁判長が判決を言い渡す仕組み。無罪の答申が受け入れられたのだ。
 陪審員は5日間の缶詰め生活だったものの「幾分疲労の色が漂っているが、全力を注いだ熱と誠意の答申を容(い)れられた喜びはさすがに包みきれない」との記事がすべてを物語る。「初めは何が何やら分からなかったが、そのうちに事件の核心が分かってきた」「審理が面白くてノート3冊を請求して皆使った」などその声は充実感にあふれる。
 おくせず全力で法廷に臨んだ80年前の日本人の姿に、私は感動を覚えた。裁判員裁判も、法廷での証拠調べが原則だ。陪審裁判に負けないスリリングな審議はできると思う。きっと得がたい経験になるはずだ』

 まず、裁判というものをこれほど扇情的に書く当時の新聞の姿勢に驚きます。新聞には、検察=悪、陪審=正義とのシナリオが先にできているようです。被告が美人でなかったなら、また皆をすすり泣かせる表現力がなかったら、違った結果になっていたかもしれません。

 死刑を決定しなければならないかも知れないという重い仕事にスリリングな審議を楽しむというのはいささか不謹慎です。陪審員制度の有罪率は82.1%であり、有罪の場合に感動するのは常人にはちょっと難しいでしょう。

 毎日の記事は、484件あった戦前の陪審員裁判の中から、これが例外的なものかどうかを調べないまま紹介して、読者の感情に訴えようとするものであり、怪しい商品を売る手法と同じです。「記者の目」は諧謔風のものではなく、社説に近いものであり、それだけにこの手法には問題を感じます。

 記者自ら過去の陪審員記事に感動し、それを無批判に記事にした記者、及び編集者の見識に強い疑問を感じます。裁判は感動する場でなく、冷静な論理が求められる場です。「裁判員制度の導入を決めた審議会などを私は4年近く取材した」という記者は裁判を何と心得ているのでしょうか。

 「制度への根本的な批判も少なくない」といいながら、それに対する論理的な反論をせず、論点をずらせて感動ものにする、とても一流紙のレベルとは思えません。毎日は良いコラムも少なくないだけに残念です。