噛みつき評論 ブログ版

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安心とは妄想なり

2017-03-20 09:21:23 | マスメディア
 築地市場の土壌汚染が明らかになったことに対し、小池都知事は「コンクリートやアスファルトで覆われており、土壌汚染対策法などの法令上の問題もない」「人の健康に影響を与えることはない」とおっしゃったそうです。ではコンクリートやアスファルトで覆われた豊洲市場はなぜ安全でないのか、という疑問は当然です。

 高木啓幹事長は報道陣に対し、「豊洲では(有害物質が検出された)地下水の使用は全く想定されていない。豊洲についても科学的知見をベースに判断するべきだ」と述べたそうです。全くその通りで、都の専門家会議や他の科学的な評価もほぼ一致しています。さらに築地の方はクリーニング工場跡地とされ、有機塩素系溶剤の汚染が考えられますが、多分、これはベンゼンなんかよりずっと恐ろしい。

 ところが小池都知事は豊洲市場では「安心」が得られていないとの理由で移転を認めようとしていません。科学的な評価では安全であっても「安心」でないから移転はしないということらしいです。科学的・合理的な安全ではなく、不安という妄想によって政策が決定されていいのでしょうか。

 メディアは大袈裟に報道するのが常です。読者・視聴者を不安にさせる報道についてはとりわけ顕著です。不安は読者・視聴者を関心を引き、視聴率を上げます。所沢のダイオキシン騒動はテレ朝がちょっと不安を煽り過ぎただけです。その結果、神経過敏な人や見識のない人の一部は過剰な不安に陥ります。彼らの多くは科学的な説明が通じません。これが都知事のいう「不安」と呼ばれるものでしょう。

 不安は報道の副作用ともいうべきものですが、それを作り上げた主犯はメディアです。したがってメディアはその妄想を解消する責任がある筈です。しかし不安が自らの産物であるという意識は感じられず、悪いのはいつも事業者などです。不安は不合理である点で妄想や迷信と同じであり、それを解消する努力もせず、当然の事実として政策に反映させることは問題の解決を誤ります。

 豊洲移転が遅れることはだれの利益にもならず、それによって生じる費用を都民が払わせられるだけのことでしょう。都議会は豊洲移転の過去の経緯を掘り起こすの熱心ですが、あまり意味があるとは思えません。

 メディアと政治は科学的なわかりやすい説明をして、不安という妄想を取り除く努力をすべきです。コンクリートに覆われた豊洲市場に実害がないにも拘わらず、誤解に基づく妄想があるからと、移転を延期するのはバカげています。次は祈祷やお祓いでもやるしかないでしょう。

 豊洲への移転を問題化させ、その騒動を利用して人気を得、支持を集めた小池都知事ですが、その根拠が誤解に基づく不安だけということなら都知事は批判を免れないと思います。都議会は昔の罪を掘り起こす裁判所のようになり、移転遅れによる経済的損失だけでなく、議会本来の機能を麻痺させました。それは他の有用な政策の実現を妨げたことを意味します。この方、都知事として大丈夫なの、と思ってしまいます。
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2017-03-06 09:12:24 | マスメディア
 明るい顔・暗い顔、賢そうな顔・アホそうな顔、暖かい顔・冷たい顔、腹黒い顔・善良な顔、優しい顔・残酷な顔、気品のある顔・ない顔、意志の強い顔・弱い顔、攻撃的な顔・すぐに逃げそうな顔。厚かましい顔・謙虚な顔と、顔を形容する言葉は数多くあります。一方、見るだけで不愉快になる顔やその逆もあります。それらは私たちが他人の顔から様々な情報を得てきたことを示しています。

 つまり顔の形や表情の変化から我々は他人の精神的な特性を読み取っているわけです。それは恐らく、今まで経験した他人の顔と性格との関係を学習してきた結果なのだと思われます。しかし京都大学の正高信男教授らが学習経験のないチンパンジーや人間の3歳児を対象にした研究によると蛇を見て怖がるのはどうやら本能によるものであるそうです。これは特定の形に何らかの感情を呼び起こすようにプログラムされていることを意味します。ヘビを恐れることは本能によるものなのか学習によるものなのかの論争は19世紀から続いてきたそうですが、ひとつの結論が出たわけです。

 ホラー映画に出てくるような顔を怖いと認識するのは多くの人に共通することです。それは後天的な学習というより本能によるところが大きいのかもしれません。まあそれでも賢そうな顔や残酷そうな顔などという複雑な意味を認識するのは後天的な学習によるものだと思います。リンカーンの「男は40歳になれば自分の顔に責任を持たねばならない」、大宅荘一氏の「男の顔は履歴書」という言葉は顔と性格の関係性を前提にしたものと理解できます。

 人を評価するとき、我々は様々な要素を参考にします。身なり、言葉、経歴、顔、表情などですが、この中で顔だけは誤魔化しが困難です。立派なことを言う人だと感心したところ、あとでそれが本や新聞からののコピーであることがわかり、がっかりした経験があります。言葉による短時間の評価は危険です。また経歴は事実であってもその人の社会的な側面(外面)を評価するのに有効ですが、内面の評価にはあまり役立たないようです。ノーベル平和賞を受賞したマザーテレサは社会的には立派な人物ですが、サイコパスであり実は冷たい人間であったとする見方があります。

 トランプ大統領の顔はどうみても知性や気品があるようには見えません。最近、金王朝とも呼ばれる北朝鮮のロイヤルファミリーの面々がよく登場しますが、このロイヤルファミリーという言葉から想像される気品にはほど遠いように感じます。まあ政治家のの顔から謙虚さを感じることはめったにありません。私はいろんな顔を見てあれこれと想像を楽しんでいるのですが、鳩山元首相の顔だけはいくら観察してもわかりません。宇宙人と呼ばれる所以でしょう。

 顔による評価には精度という点ではちょっと頼りないところがあるものの、誤魔化しがききにくいだけに顔からの情報は貴重です。ただ気をつけたいことは観察がとくに有効なのは初期段階で、顔を見慣れるにしたがって得られる印象が他の要因のために変化することです。第一印象が重要視されるのはこんなところに理由があるのかもしれません。

 顔と性格の関係性に関心を持ち観察を続けていれば、ある程度は評価の精度も上がることと思います。顔のパターンと性格の関係を定式化した研究でもあればいいのですが、今のところ経験的な印象に頼るしかありません。将来、顔の画像分析が進んで、様々な性格が点数化されると面白いでしょうね。余談ですが、サイコパスというSF映画で、計測器が付いた銃を怪しい人物に向けるとその人物の「犯罪係数」が表示されるというのがありました。その数値によって即「処分」が決まるというわけです。ジョージ・オーウェルの管理社会のアニメ版にというところです。
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