噛みつき評論 ブログ版

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知名度の用途外使用

2015-07-27 09:16:18 | マスメディア
 安保法制反対を表明する有名文化人が続々と現れています。憲法学者、小説家、映画監督、音楽家、物理学者にまで及んでいます。知名度を利用して政治的な影響力を行使しようとする動きです。有名人の発言は信用されやすく、影響力があります。しかし専門外のことならば素人と同じです。つまり素人の意見をいかにも信用できるかのように思わせることが出来ます。それを左派メディアが大きく取り上げて利用する。アンフェアなやり方です。

 瀬戸内寂聴氏は「すぐ後ろに軍靴の音が聞こえている」とおっしゃっているそうです。これを受け、産経抄は「抄子には『軍靴の音』は東京からではなく、北京から聞こえるのですが」と揶揄しています。軍靴の音は北京だけでなく、モスクワやピョンヤンからも聞こえてきます。いや聞こえっぱなしです。

 外交や防衛は非常に重要かつ難しい分野です。失敗すれば国が滅びることもあります。このような分野に口を出すには相応の責任と覚悟が必要です。決して思いつきのレベルで意見を表明すべきことではなく、外交・防衛・国際政治に関する十分な知識をもってから表明すべきことです。有名であるほど責任も大きいといえましょう。

 上記の有名文化人の中で、そのような知識をもっている人はあまりいないと思われます。彼らの言動はステレオタイプで、どこかで聞いたようなセリフが中心であることがそれを物語ります。早く言えば単なる「受け売り」が多いということです。もし彼らの影響で抑止力が低下し、侵略を受けたらどう責任をとるつもりでしょうか。

 ある分野で成功して有名になるとすべてのことに自信がつくのかもしれません。それは全能感とも言われます。そして誰かに踊らされているだけかもしれないのに自分の判断がすべて正しいと思い込んでしまうのでしょう。専門外のことはわからないという謙虚さは消え失せてしまうようです。

 かつて進歩的文化人と呼ばれた人々がありました。西側の諸国とだけ講和を結ぶことに反対し、ソ連や中国とも講和を結ぶ全面講和を主張した南原繁東大総長は吉田茂から「曲学阿世の徒」呼ばれたことでも有名ですが、進歩的文化人の初期の代表でしょう。進歩的文化人の多くは政治の素人であるにもかかわらず、政治的な発言を続けてきました。

 旧ソ連は終戦間際に中立条約を破棄して攻め込み、降伏後も侵攻して数十万の日本人を強制労働につかせ、約6万人を死亡させた国ですが、進歩的文化人達はなぜかこの国を礼賛しました。文化大革命で数千万人の死者を出したといわれる中国や、地上の楽園と宣伝された北朝鮮をも賛美しました。

 これら三国の共通点は共産主義国だと言うことです。つまり共産国というだけですべてを肯定し、暗部には目を向けないという子供じみた思考に陥っていたと思われます。善玉と悪玉にと二分しないと理解できない子供と同じです。米国の核実験には激しく反対するけれど中ソの核実験には何も言わないといった調子です。

 これは当時のメディアが左に偏向した報道をしていたためでもあるでしょうが、それは簡単にメディアに乗せられるという軽率さを示します。この認識が誤りであったことは言うまでもありませんが、謝罪したという話は聞きません。どこかで聞いたことを吹聴していただけなのでもともと責任感などなかったのかもしれません。

 ともかく進歩的文化人達は安保条約改定を始め、多くのことに反対してきましたが、ほとんどが誤りでありました。朝日新聞と同じです。その理由のひとつは現実の認識に問題があったためだと思われます。現状認識・分析を軽視し、付和雷同するのは現代の有名人に通じるところがありましょう。

 知名度を利用するという意図をもって、素人同然の政治的発言をすることは不誠実であり、無責任でもあります。専門外の発言は知名度の用途外使用です。有名人が使っていると宣伝すれば商品が売れる、というのと同じで、根拠もなく情緒に訴えるものです。防衛や外交という複雑なものを情緒で決められてはたまりません。
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新聞が扇動者

2015-07-20 09:02:11 | マスメディア
 この数日、朝日新聞は全社を挙げて安保法案に反対しているようです。大きな組織なのにその結束力はたいしたもので、まるで全体主義国か、戦前の軍部のようです。全員が同一の方向を向いているとは考えにくいので、反主流派は自由に発言できない雰囲気があるのでしょう。見事ですが、権力をもつ集団だけに不気味です。

 それにしても紙面はよく出来ていて、世間知らずの人や歴史を知らない人、中学生などが読むと、安倍政権は皆の反対を押し切って戦争をしかけようとしている極悪政権であると信じてしまうでしょう。外国からの脅威や抑止力には全く触れず、戦争になる、徴兵制になる、などと脅かされれば反対したくなるのは自然です。安保法案に賛成の意見もある筈ですがほとんど見あたりません。少数意見の尊重は朝日がよく言うことですが、都合よく無視されているようです。

 一方で、中国が東シナ海の日中中間線の中国側海域で建設しているガス田開発のための海洋プラットホームが12ヶ所に急増し、軍事利用が懸念されていることは沈黙しています。中国の膨張を印象づけると安保法案反対の機運が殺がれるとの思いがあるのでしょう(読売と産経が報道)。

 一方、日本の安保法案に対する太平洋諸国の反応を産経(7/16)が載せています。それによると米、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドはもちろん、モンゴル、インドネシア、シンガポール、フィリピン、ベトナム、ブラジル、コロンビア、メキシコまで歓迎や支持あるいは理解を示しています。中国に対する抑止力として平和と安定に寄与するものと思っているのでしょう。否定的なのは中国と韓国だけです。

 中国と韓国以外は肯定的であることを朝日は黙殺していますが、興味深いことは安保法案に関しても朝日は中韓に同調しているという事実です。韓国の反対は日本のやることはとにかく気に入らないためでしょうが、中国は仮想敵国であり、朝日が仮想敵国と同じ立場というのは奇妙です。

 中国は膨張政策を邪魔するものに反対するのでしょう。逆に言えばこれは安保法案が中国の膨張を抑止する力として有効である可能性を示します。したがって朝日が安保法案に反対すれば中国の国益にかなうことになります。

「日米安保条約改定、PKO協力法、周辺事態法…と、政府はいつも朝日の主張と逆の選択をして正解だった」
これはある外務省幹部のセリフとして18日の産経抄に載ったものです。

 戦後、朝日は間違った煽動を繰り返し、失敗を繰り返してきました。ブレないといえば聞こえがいいですが、環境の変化に適応しなかっただけのことです。方向性は変わったものの煽動体質は戦前も同じです。積極的に戦争を煽る姿勢で販売を大きく伸ばし、販売首位を達成したのは朝日でした。

 前回と重なりますが、マスメディアが自社の主張に合わせて報道を曲げることには有権者の自主的判断を奪う行為であり、国民主権を否定することです。本来のマスメディアの仕事は朝日の綱領にあるように「不偏不党」の立場から情報を提供することであって、メディアの考えに従わせることではありません。これを報道機関の基本的なモラルとして強く意識する必要がありましょう。我々はちょっと寛大すぎたようです。
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スローガンの力

2015-07-13 09:11:34 | マスメディア
 マスメディアは先日、自民党議員や百田氏の言動に対し、表現の自由を抑圧するものだとして激しい批判を浴びせました。表現の自由といえば泣く子も黙るほどの効果があるようです。果たしてその通りなのでしょうか。

 言論の自由、表現の自由といってもそれを最大限享受しているのはマスメディアであって、一般人にとってはあまり意味がありません。言論・表現という空間の大部分はマスメディアにほぼ独占されていると言ってよいでしょう。マスメディアは第4権力ともいわれるように優越的な地位を占めています。業種別平均所得額でもメディアは第1位です。メディアが優秀な人ばかりであれば別ですが、失礼ながらそうは思えません。そこには社会的な優越性が関係していると考えるのが自然です。

 言論の自由、表現の自由はとても大切なのは当然です。しかしそれは抽象的な意味においてであります。現実には様々な制限が不可避であり、すべてに優先するものではありません。

 言論の自由、表現の自由は民主主義に必要な条件だとされます。政府による干渉があれば正しい情報が伝わらず、有権者の判断が狂う恐れがあるからです。しかし表現の自由があれば正しい情報が伝えられるとは限りません。メディァの見識がおかしくなった場合、歪んだ情報が広く撒き散らされます。表現の自由が、逆に有害となる場合です。

 影響力の大きい特定のマスメディアが世論を左右するのを防ぐため、マスメディア集中排除原則があり、新聞と放送との資本関係(クロスオーナーシップ)に制限を設けたりしています。しかし沖縄をほぼ独占する沖縄タイムスと琉球新報、朝日新聞とテレビ朝日、読売と日本テレビの関係などを見ると、集中排除原則は十分に機能しているとは思えません。

 しかし偏向報道は定義が難しく、それに対する明確なスローガンもありません。自民党議員らの発言の背景にはこのような状況に対する苛立ちがあるのでしょう。偏向したメディアに対する問題意識は広く存在するにもかかわらず、これを表立って問題にできないのは「表現の自由」という錦の御旗を恐れるためだと思われます。単純なスローガンのもつ怖さといってもよいでしょう。それは相手に考えさせないという威力を持ちます。立派な肩書きのある人の言葉をわけもなく信じるのにも似ています。かつて、環境や人権を振りかざせば反論できない雰囲気の時代がありました。

 表現の自由は大切な概念ですが、だからといって公共性の強いマスメディアにウソの自由までありません。影響力のあるマスメディアには、正確で中立的な報道という厳しい条件が付きます。しかし中立の判断が難しいのをいいことに野放しにされてきたようです。

 最近の朝日は安保法制反対の記事(社説ではない)で埋め尽くされている感があります。主張を色濃く反映した記事は広義の嘘だといえます。有権者に自分の判断を押し付けようとする行為は有権者の判断を曲げるという点で、表現の自由の抑圧と同罪です。民主主義の敵と言えます。客観性のない恣意的な報道に対して、我々はもっと厳しい目を持つ必要がありましょう。

「不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す」
 これは朝日新聞の綱領の最初の部分ですが、言っていることとやっていることがずいぶん違うようです。言論の自由が不偏不党と切り離せないことは既におわかりのようですけど。
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国破れて憲法あり

2015-07-06 09:14:31 | マスメディア
 ソクラテスは「悪法もまた法なり」と毒杯をあおいで死んだと学校で教えられました。その意味は悪法であっても法である限りは従わなければならないということでした。広く行われている解釈であり、広辞苑にも同様の記述があります。これは統治者にとって実に都合のいいものです。

 これに対して興味深い解釈があります。「これこそ為政者が、自分の都合のよいように翻訳して国民の心に刷り込んだ仕掛けとも言うものではないでしょうか」と述べ、出典と思われるプラトンのPhaedo(英語版)の obey and do not do otherwise.は「自分の哲学に殉じて死を選ぼう」というほどの意味ではないかと指摘します。さらに『欧米では、法実証主義の一般的見解である「悪法もまた法である。しかし、法だからといって従う義務はない/従うべきではない」を教えるほうが一般的です(と思う)』とも述べています。

 欧米では、悪法に従う義務はない、と教えるほうが一般的とは驚きます。真偽のほどはわかりませんが、そうだとするとここからは憲法を神のごとく崇める態度は生まれないでしょう。

 安全保障関連法案は憲法違反であるとの議論が盛んです。衆院憲法審査会に呼ばれた3人の憲法学者がそろって違憲だと言ったので騒ぎに火が着いたようです。9条第2項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」を素直に読めば自衛隊や自衛のための交戦権すら違憲ではないかと思ってしまいます。

 憲法学者としては商売上、安全保障関連法案を合憲とは言えないのでしょう。ひとつでも条文の曲解を認めれば収拾がつかなくなる恐れがあるからです。彼らは国防や国の存立を考慮する立場ではないので、仕方のないことです。しかし政治家が違憲論議を延々とやってもあまり意味がありません。

 安全保障関連法案は憲法改正してから通すのが筋だが、時間がかかる上、できる保証もないので、無理やりの解釈という窮余の策によって通そうというのが政府の意向なのでしょう。この方針が妥当かどうかは今後、他国から軍事的脅威を受ける可能性があるかどうかによります。まずこれを議論すべきでしょう。また政府が敢えて不人気な法案を通そうとする裏には国民が知らない切迫した事情があるのかもしれません。

 しかし残念なことに他国による軍事的脅威の有無を判断する情報が報道機関から十分提供されたとは思えません。左派のメディアは近隣国の軍事予算、武器、兵力など軍事力に関する報道を抑えてきた観があります。それは日本の防衛強化論につながるからでしょう。その結果、我々は近隣国の軍事力の全体像をあまり知りません。しかし政府はもっと知っている筈であり、その情報格差が対立の一因かもしれません。

 軍事的脅威の有無を判断するには仮想敵国の攻撃能力、領土的野心、対日観、政権の安定性などの検討が必要ですが、日本を超える軍事力をもつ非友好的な国が隣にあるだけでも抑止の準備が必要でしょう。千年に一度と予想される津波に対しても準備はしています。戦争抑止には核保有がもっとも有効ですが、議論さえタブーになっています。戦争したくないのなら議論くらいすべきでしょう。議論だけでも少しは抑止力になり得ます。

 軍事的脅威を受ける可能性があれば憲法など適当に解釈して法整備をするのが大人の態度でしょう。国の存立に関わる問題は憲法より優先すべきであり「国破れて憲法あり」では困るわけです。
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