噛みつき評論 ブログ版

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朝日新聞の懺悔録『戦争と新聞』…内容は評価できるが

2007-08-19 22:05:11 | Weblog
 半藤一利氏は著書「昭和史」で「朝日も日日(現在の毎日新聞)も時事も報知も、軍の満蒙問題に関しては非常に厳しい論調だったのですが、1931年(昭和6年)9月20日の朝刊からあっという間にひっくり返った」と述べている。これは満州事変の2日後である。

 朝日新聞夕刊に連載中の『戦争と新聞』は現在「社論の転換」という章に入っている。9月18日の満州事変の直後に起きた新聞論調の転換のことある。軍の圧力によってやむなく戦争に協力した、と聞かされてきただけに、興味津々のところである。

 8月15日付の『戦争と新聞』では、事変以後、朝日が「自主的」に社論を急転換させ、軍の行動を積極的に支持していく過程が説明される(満州事変は日本軍が満鉄線路を自ら爆破して、支那の仕業に見せかけた謀略から始まった。国民は謀略とは知らず、軍の報復行動を支持する新聞報道によって沸き立つ)。一方で「文芸春秋」31年11月号に掲載された石丸藤太という人物の「満州事変の電報を読んで」と題するエッセーを紹介している。

 「軍部が政府を出し抜いて独断専行をやり、又は外務当局に無関係に勝手に行動することは、危険でもあり、列国の同情を失う」
 「日本軍の行動するところ、その背後に国民と政府があり、軍の行動はこの国民と政府の意思を代表するものでなければならぬ」

 また「改造」11月号に載った阿部慎吾「満州事変をめぐる新聞街」を紹介している。
「記事の上で大きな抜いた抜かれた話はなく…各紙とも軍部の純然たる宣伝機関と化したといっても大過なかろう」

 雑誌には軍部に批判的な記事が出ていることを紹介しているから、厳しい言論統制がこの時期にあったわけではないことを自ら認めている。また同時に冷静な意見があったことも注目すべきである。新聞だけが軍と共に自主的に暴走したことを『戦争と新聞』は正直に書いている。

 同じ「文芸春秋」31年11月号には市民アンケートが掲載されているので、一部を抜粋する。
「…正義に強い日本人や日本魂の大なるを、卑怯なる支那人を、2度日本に手向かいできぬようにひどくとっちめてやりたいと思って居ります」
「今回の我が日本軍の行動は当然であると思う。…国家には生存の権利がある。…暴虐の行為に向かってよう懲(懲らしめること)するのはたしかに神意に叶うに相違ない」

 これは中国人の暴虐と日本軍の正当性を煽った新聞に対する素朴な反応に過ぎない。こうして出来上がった「世論」の支持が軍部に一層の力を与え、力を得た軍部は世論を背景に言論統制までやって、いわば制御装置を自ら外し、引き返せない点を通過してしまう。

 むろん戦争に進んだ原因は他にも指摘されているようにいろいろあると思う。だがこのときの新聞の果たした役割、さらには新聞の認識能力など、もう少し問題にされ、研究されてもいいと思う。それは現在のメディアの理解にも役立つと思うからだ。

 朝日を非難する向きもあるが、ほとんどの組織は一枚岩ではない。大なり小なり、分裂がたいてい隠れている。朝日にもこの記事のように評価すべきものもある。ただ価値ある記事なのに掲載場所が目立たないのはとても残念だ。