噛みつき評論 ブログ版

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高野連の恥ずかしい失態

2007-06-07 20:02:34 | Weblog
 少し古いが、高野連の最近の動きには首を傾げざるを得ない。高野連は60年前に制定された「日本学生野球憲章」を理由に4月20日特待生制度についての措置を突然発表した。

 ◎特待生制度がある学校には、その具体的な内容や部員の学年、人数を申告することを求める。◎当該選手の対外試合出場を学校長の指導で5月31日まで差し止める◎特待生扱いを解除する同意書を保護者から5月中に集める▽部長を交代させる、という内容だ。

 しかし、高野連会長は伊吹文科相の話し合いを経て、5月10日、その緩和措置を発表することとなった。今回の措置に該当する生徒には代替の奨学金制度を認めるというわけだ。ややこしい手続きを踏むことになるが、実質は次の入学生から実施するのと同じだ。

 以上が主な経過で、結果的には改善された。しかし問題は高野連の体質だ。最初の措置を実施すれば、特待生制度を頼りに入学した生徒が経済的な理由で突然退学を迫られる事態となることが、高野連は予想できたはずだ。その生徒が野球憲章を知らされていなければ理不尽な結果になったことだろう。教育に携わるものがそれを強行しようとしたわけだ。ルール好きの高野連が、突然「試合中」にルールを変えたに等しい。

 またそれまで野球憲章を徹底する努力をせず、突然このような措置をとるのは理解に苦しむ。恐らく、強硬措置をとることによって連盟としての権威を知らしめ、高校野球界に君臨したいという動機もあったのではないか。実のない組織ほど権威を示したがるのは世の常である。

 この問題ではメディアが大きく報道し、それが伊吹文科相を動かすことにつながったと思われる。今回はメディアが騒いだ功績である。しかし、もし該当校が少数であれば、緩和措置はとられていなかったかもしれない。

 読売新聞(2007年5月3日2時27分)によると、脇村会長は「憲章を知らない子どもに責任はないというが、現実に(学費などを)もらっている。故意ではないにしても、責任はある」と発言した。脇村会長は、入学時15歳の子供に、野球憲章を知らされずに数十年続いた特待生制度を選んだ責任を問うつもりだったのだ。「高校野球は教育の一環」という言葉もあった。罪のないものを処分する教育とはなんだろう。

 今回の騒動で、高野連は多くの生徒やその父兄に心配をかけたことは否定できない。首を揃えて謝罪すべきである。最初の措置は正しく、温情で緩和措置をとったという恩着せがましい説明は通らない。緩和措置をとらざるを得ないような最初の措置が失敗なのだ。

 措置を実施することがどのような結果になるか予測できないような、あるいは予測しながらも強行するような幹部が教育の場に居座り続けては高校生が気の毒だ。

 今回の高野連の措置に朝日新聞だけが賛同した。その記事を書いた記者は高野連の理事であったそうだ。


朝日の雑誌、抗菌印刷に・・・知性を疑う

2007-06-06 14:29:45 | Weblog
 6/2の日経によると、コクヨの子会社が製造したデスクマットの抗菌剤が原因で、使用者にアレルギー性皮膚炎が多発し、4人が入院したそうだ。

 マットに抗菌剤は無用だと思うが、背景には抗菌加工ものを好む消費者、さらにはその風潮を作り出したマスメディアの知性の低さが浮かんでくる。自らもその風潮に染まってしまった朝日新聞の例がある。

 2/19の朝日新聞によると、アエラと週刊朝日の表紙と裏表紙は抗菌加工されるそうだ。雑誌では国内初だと自慢しているが、誰もそんなバカなことをしなかっただけだろう。

 店頭の雑誌に触れて、病気に感染することが現実に起こり得るだろうか。説明を求めたい。日本人の清潔志向は世界一だと言われているが、その傾向に拍車をかけることを憂慮する。極端な清潔志向は意味がないばかりか、弊害も大きい。

 朝日の狙いは販売増であろうが、その効果が出れば、やがて他社も採用せざるを得なくなるだろう。結局、意味のないコストを読者が払うことになる。抗菌剤は銀を使うものが多いが、資源の浪費にもなる。さらに天下の朝日新聞が抗菌加工を実施したとなれば、抗菌加工の必要性が認められたと誤解する読者が多数発生する。抗菌加工のないものに触れると病気が移ると理解する人も出てくるだろう。極端な人々は常にいるものだ。

 さらに電車のつり革、切符の検札、店頭販売商品など、他人の手が触れるものすべてを抗菌加工すべきだということになるだろう。握手はどうする? 手を抗菌加工するか。

 抗菌加工は菌の増殖を抑制するもので死滅させるものではない。抗菌加工されていても、汚染された後、短時間の内に触れれば生きた菌を手につけることになり、あまり意味がない。

 極端な清潔志向は非合理なもので、ほぼ迷信と言ってよい。清潔な環境で育てられると免疫機構の正常な発達が阻害されるという指摘もある(藤田紘一郎氏)。清潔とアレルギー性疾患との関係を疑う研究もある(日経サイエンス05/5月号 清潔社会の落とし穴 細菌の減少がアレルギーを招く 崩れる現代人の免疫バランス)。

 「知性のかたまり」である朝日新聞が、非合理な迷信を販売促進に利用し、さらにはその迷信を助長する行為を率先して実行することを、我々はどう理解すればよいのだろう。これでは「痴性のかたまり」ではないか。・・・朝日ファンには申し訳ないが。

発ガン食物の常識がひっくり返る

2007-06-05 17:40:43 | Weblog
 このほど、「便秘がちな人は大腸がんになりやすい」という説が否定された。93年から始まった厚生労働省研究班による10万人規模のコホート研究(疫学調査の一種、この大規模疫学研究の信頼性は比較的高い)などによってガン予防に関する従来の知識が次々と訂正されている。

 食物繊維を多くとると大腸ガンになりにくい。脂肪を多く採ると乳がんになりやすい。βカロチンで肺ガンリスクを減らすことが出来る。 野菜や果物を多くとると大腸ガンのリスクを減らせる。環境ホルモンは発ガンの原因になる。現在、これらはすべて根拠のないものとして否定されている。魚の焦げも心配ないということになった。なかでもβカロチンは欧州で実施された摂取群と非摂取群に分けての長期に及ぶ大規模実験によって肺ガンリスクを逆に増加させる結果になったことはよく知られている。

 ガンに関する迷信はどうして作られるのだろうか。迷信の元になった調査や研究は真面目なものが多い。例えば、魚の焦げに発がん性があると騒がれたのはかなり昔であるが、元になった実験は人間に焦げを食べさせ続けてガンを作ったのでなく(あたりまえだが)、魚にあるアミノ酸のひとつ、トリプトファンを加熱し、トリプP-1 トリプP-2の純粋な結晶を取り出し、これらをハムスターに注射したところ肉腫ができたというものらしい。さらにこれらを混ぜた餌をマウスに食べさせたところ、肝臓ガンができたといわれている。この実験から人間が焦げを食べればガンになるのと考えるのは大きな飛躍であり、可能性のひとつを示唆する程度のものと考えなければならない。

 マスコミ報道では、これを「焼き魚を食べるとガンになる可能性がある」と結論を大きく伝えたため「迷信」が生まれた。人間を対象とする疫学研究でも、サンプル数が少なかったり、他の隠れた要因が見逃されていたりで、そのまま報道するには不十分なものが多いが、メディアにはそれを評価する能力に乏しく、内容がセンセーショナルでさえあれば発表するという傾向がある。
複雑な事象を報道する場合、分かり易くするために省略や単純化が行われる。これが曲者で、事実を歪めてしまうことが多い。それも、よりセンセーショナルな方向に歪められる。また記事の作成者が問題を正確に理解していなければ歪曲はさらにひどいものになる。主要なメディアで大きく報道されると、それは「事実」として通ってしまう。「迷信」製造の主役はメディアなのだ。

 世界保健機構(WHO)が2003年に発表した、「食生活、栄養と慢性疾患の予防」という報告書の結論では、「食生活とがんのリスクとの関係について、これまでの研究ではっきり明らかにされているものは、ほとんどない」とされている。またサプリメントや健康食品には、がん予防の効果が「確実」「おそらく確実」と判定されているものはないそうだ(これらは大きく報道されなかったと思う)。

 作られた迷信によって大きく成長を遂げた業界もある。健康食品業界とそれらに関する出版業界だ。近年の高額所得者の上位に健康食品会社の経営者が並ぶ現象を見ても、その繁栄ぶりを想像できる。つまりメディアが迷信をばら撒くことによって、国民は健康不安に陥り、健康食品業界が繁栄するという図式が見えるのである。健康食品業界はサラ金業界(武富士が週間朝日に5000万円提供)同様、メディアに献金してもよい関係なのだ。もっとも結果がそうなっているというだけで、これを仕組まれたものと考えるほど私は陰謀説好みではない。

 メディアが研究結果を正確に評価し、適切な報道をしていれば、国民が健康不安に駆られて、健康食品業界を大きく育成することはなかったと思われる。それも経済成長だと日経なんかに言われれば返す言葉がないが。
ともあれメディアの学力向上を望みたい。 

シンドラー社の献花拒否

2007-06-04 20:42:34 | Weblog
 東京都港区で起きたエレベーター事故から1年後の6月3日、マンション前に献花台が設けられた。シンドラーエレベーター日本法人社長も花を持って訪れたものの、事前に遺族が拒否しており、献花できなかった(以上6/4日経記事を要約)。また5月のエキスポランドのジェットコースター事故後の被害者の葬儀にもエキスポランド社の社長は焼香を拒否されたそうだ。

 家族を失ったご遺族の心痛は察するに余りある。また事故の責任を負うべき者に対する憤りも当然あるだろう。ここでご遺族の対応を問題視する気持ちは全くない。ただその背景にあるメディアの対応を考えてみたい。

 もしも私が社長(なれないとは思うが)の立場であったなら、事故を未然に防ぐことができただろうか、と考えるといささか自信がない。したがって、もし私がメディア関係者なら、加害責任者に対して高圧的な態度をとる自信がない。

 メディアは事故原因とその責任を激しく追及する。事故を起こした責任者や組織に対する糾弾は過酷である。不二家事件では1人の中毒者も出ていないにもかかわらず、メディアの攻撃によって、同社は経営危機にまで追い込まれた。気の毒にも不二家ネタはメディアの共通の食いものにされた。最も貪欲に食い散らかしたのはみのもんた氏だろう。ウソまで使って不二家を叩いたのはまことに見苦しいが、叩きたい気持ちはメディア各社に共通することを忘れてはならない。

 過失を犯したものに対し、メディアは極悪人に対するが如く、容赦なく襲いかかる。単に視聴率のために。その容赦ない態度が、今、社会全体に共有されたと見ることができる。

 正義の守護神づらをしたメディアの報道の積み重ねによって、我々の社会は徐々に寛容さを失ってきたように思う。かつて、過失でなく本物の罪に対してでさえ、罪を憎んで人を憎まず、という寛容さがあった。

 過失に対する追求が激しくなり過ぎると、事故は減るかもしれないが、リスクを避けようという動きが生じる。事故を心配して学校の遊具が取り払われたり、学童保育のプール遊びが廃止されたりする。訴訟率が2倍といわれる産婦人科医師を志すものが減少したり、医療そのものも訴訟リスクの少ない防衛的な医療が多くなる。患者と医師の信頼関係にも悪影響が出る。

 興味本位の「正義」報道を楽しむ代償に、われわれは寛容さ失ったと思う。そのような社会の住み心地は多分よくない。

有名人の納税倫理観

2007-06-02 22:35:23 | Weblog
 5月28日に武富士元会長の贈与税に関する文章を書いた。社会的な影響の大きい著名人の納税態度は社会に大きな影響を与える。彼らが税を逃れようとする行為は納税者の倫理観に悪影響をもたらし、税逃れを当然のことと思わせる。

 少し古いが「ハリー・ポッター」翻訳者松岡佑子氏の申告漏れ事件について述べる。

 報道によると、世界的ベストセラー「ハリー・ポッター」シリーズの日本語訳を手掛けた翻訳家、松岡祐子さん(62)が東京国税局の税務調査を受け、04年までの3年間に約35億円の申告漏れを指摘されていた。
 松岡さんはスイスに居住しているとして、日本での確定申告をしていなかったが、国税局から実質的に国内居住者と認定された。追徴税額は過少申告加算税を含め約7億円に上るという。

 わたしは松岡氏の見識を疑う。スイスでの納税を選択したのは恐らく節税のためであろう。日本の親たちから得た利益をわざわざスイスで納税するのに他に理由があるだろうか。この点に関して和田秀樹氏は売国奴と呼んでおられるのは納得がいく。

 静山社は「ハリー・ポッター」シリーズの人気に乗じ、書店に対して返品を認めない買取販売をやった。つまり在庫のリスクをすべて書店側に押付けた。なかなかの商売人である。会社も松岡氏個人も十分儲かったわけだ。そこに持ち上がったのがこの申告漏れである。

「ハリー・ポッター」は子供向きのベストセラーであり、作者と翻訳者は世間の注目を集めている。つまりその振る舞いは社会に影響がある公人に近いということだ。松岡氏の巨額の所得の多くは「ハリー・ポッター」シリーズがヒットしたこと、その翻訳権を幸運にも手に入れたことによるのであって、彼女自身が所得に見合うだけのすばらしい働きをした結果とは云えないだろう。その幸運なあり余るほどの所得から税の支払いを惜しむのは理解に苦しむ。
 数十億円を得ておきながら、なおも税という義務を少しでも免れようとする「志」はまるでシャイロックのようで、通帳残高の増加を人生最大の目的と心得ているかのようだ。

 このような申告漏れが、例えばシンガポールへの移住を図っていた村上世彰氏であったとすれば驚かない。しかしインテリで、さらに子供向けの本の翻訳者の行為であったことに驚いている。決してお若くはないし、世の中のことは概ねわかっている筈の年齢だけに深刻 だ。

 税金を日本に払うという「愛国心」を少しもお持ちでないようだ。ご自身を世界市民と思っておられるのかも知れないが、こんな事例をいくつも見せられると愛国教育なるものが必要だと主張する連中は勢いづくことになるだろう。しかし、そんなことをしなくとも、日本の社会から得た金に基づく税を外国に払うことが適切な行為かどうかは普通のモラルを持っているれば判断がつくことだ。税は国から受けるサービスの対価だ。5年間の 半端なスイス滞在で日本以上のサービスを受けていることはないだろう。

 童話の翻訳者として子供に見られて恥ずかしくない振舞いをしていただきたいものだ。

紛争のメカニズムとマスコミ

2007-06-01 15:02:24 | Weblog
 古い話であるが、前方を2台の車が抜きつ抜かれつ走っていた。双方の運転手は頭に血がのぼったのであろう、1台が追い越しざま、急に左によせて側面を相手にぶつけた。その後数回の側面衝突を繰り返し、やがて2台は道路わきに停車した。2台とも片側はベコベコで見るも無残な形となった。お次は下車して、殴り合い だ。あとで損害額がわかったとき、二人とも青くなったことだろう。一部始終を目撃した私はしばらく笑いがとまらなかった。

 双方が共に損をするような争いは全く愚かな行為に見える。民族間、あるいは宗教、宗派間の紛争でも似たようなことがあるようだ。僅かなきっかけによる報復合戦である。しかし外見は似ていても個人の争いとは異なり、多くの場合、合理的な動機が隠れている。しかし合理的な動機だけでは説明できないのも紛争の属性である。非合理性が含まれるからこそ双方とも大損害といった理不尽な結果が起きる。

 かつて日本は豊かさを求めて、戦争に打って出た。政府は、負けだすと、特攻や、敵の機関銃に対して竹槍で戦うという本土決戦まで計画した。兵士はもちろん、民間人の命まで粗末にした。国民のために起こした行動なら、多数の国民の命を粗末にしたのでは筋が通らない。本末転倒である。

 こんな不合理なことが起こった理由のひとつは挙国一致、戦意高揚のために導入された精神主義が制御不能なまで極端化したためではないか。この役割を担ったのは当時の新聞である。初期段階では政府に抵抗した新聞もあったそうだが、結局のところ、多くは抵抗をやめたばかりか、積極的に加担したという。 政府から頼まれる以上に、「自主的」に国民を煽った。ここにマスコミの性格の一端を見ることができる。

 聞いてきた情報を売るのがマスコミの商売である。冷静で、分析的な記事を書く新聞より、勇ましく煽るような記事を書く新聞のほうがよく売れることを彼らはよく知っている。 当然、興味本位の、売れる記事を作ることが優先される。当時の政府の方針と新聞社の利害が一致したわけで、開戦と共に新聞は飛躍的に部数を伸ばした と云われている。とりわけ煽ることに熱心であったと云われている朝日新聞は1931年から41年にかけて発行部数を144万部から350万部に伸ばし、毎日を抜いて第一位になった。

 昨今は事故があるたび、常套句のように「利益優先の体質が安全を軽視した」と非難するマスコミだが、戦時中は「利益優先のために情報の品質を徹底的におろそかにした」わけだ。 本来の使命を放棄したのである。おかげで数年間低品質の情報を食らった日本国民はまともな思考や判断ができなくなった。

 世界の各地で起こっている紛争に於いてもマスメディアが重要な役割を担っていると、一般化してもよいのではなかろうか。個々人の感情はすぐに冷める。集団の感情を長期にわたって高揚させるにはメディアの積極的な協力が不可欠であろう。紛争におけるメディアの役割 はもっと研究されてもよい。わが国の戦時下のメディア研究も十分とは云えず、とくに新聞社は自己弁護のため政府の弾圧を誇張しがちである。付和雷同傾向(メディアスクラム)、センセーショナリズム優先、読者迎合など、その本性は戦前と変わらないと思う。