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嫉妬、この厄介なもの

2019-10-20 22:33:03 | マスメディア
 ヴェネツィアの指揮官、オセロは尊敬を集める立派な人物である。ところがイアーゴの奸計に陥り、新妻デズデモーナの貞節を疑い、嫉妬に狂って妻を絞め殺す。やがてイアーゴの企みが明らかになり、オセロは自決する。直前まで幸せの頂点にあった二人は悲しくも死んでしまう。嫉妬という怪物のために。

 これはシェイクスピアの悲劇「オセロ」の簡単なあらすじである。オセロの嫉妬心がイアーゴの策略によってどんどん膨らんでいく様は見事で、たいていの男はこの罠にかかるだろうと思う。この悲劇の主要テーマはオセロの嫉妬であるが、さらにイアーゴのオセロに対する嫉妬も含まれる。イアーゴがオセロに嫉妬を、そして憎しみを抱いたのはオセロが有能であり、地位を、そして美しい妻を手に入れたからであろう。この劇は嫉妬を軸に破滅へと向かう。シェイクスピアは嫉妬を緑色の目をした怪物で、人の心を餌食にし、もてあそぶもの、と表現する。

 コラムニストの山本夏彦に、「ひそかに愉しむ友の不運」という言葉がある。一見、仲のよさそうな友にあっても嫉妬心がしばしば入り込んでいることを指しているわけで、「ひそかに」はこの感情は決して外に出してはいけないもの、恥ずべきものであることを表している。とても短い言葉であるが、中身は濃い。

 オセロの嫉妬は最愛の妻とその愛人による裏切りに対する怒り、そして妻を失うかもしれない恐怖に由来する。このような嫉妬は強烈だが数は少ない。一方、イアーゴの嫉妬や「ひそかに愉しむ友の不運」における嫉妬は強烈ではないが数は多い。両者とも嫉妬と呼んでいるが、少し違うように思う。取り上げたいのは後者の方である。

 イアーゴの嫉妬がなぜ恥ずべきものであるか、外に出したくないものか。それは恐らく、ある人物に嫉妬を感じることはその人物の優越を認める、つまり自分の劣等をみとめることになるからであろう。また了見の狭さを知られてしまうからでもあろう。平たく言えばとても格好悪いのである。従って誰もが嫉妬をひた隠しにする。したがって嫉妬は見かけ以上に大きな影響を与えている。人の行動の隠れた動機として大きな影響があると考えられる。

 隠れた嫉妬であってもその人間の行動には影響を与える。その場合、嫉妬される側が相手の嫉妬に気づかなければ、その行動は不可解に見えるだろう。嫉妬が小さいうちは表面化させずに済むことができるが、大きくなると憎しみも大きくなり、友好的な態度を維持することが難しくなる。そして、不可解な嫌がらせなどが起きたりする。その場合でも嫉妬を表面に出すことは少ないので、不可解な行為と映る。

 イアーゴはオセロに嫉妬し、奸計を企むのだが、オセロはイアーゴの嫉妬に気づかない。一般に嫉妬される方、優越する方はそのことに気づきにくい。嫉妬は人と人の間にだけ生じるものではない。国と国の間で生じることもある。様々な点で優越する国が近くにあれば嫉妬が起きても不思議でない。国民に嫉妬心が潜在すれば僅かな刺激で強い反日感情が生まれる。嫉妬を受ける側は気づきにくいが、その心情を理解することも必要だろう。

 ついでながら、ヴェルディのオペラ「オテロ」はこのオセロを原作として、ほぼ忠実に作られている。現在、このオペラはユーチューブで観ることができる。やや古い動画しかないが、タダだから仕方がない。

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