噛みつき評論 ブログ版

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コップの中の正義と推定有罪

2018-12-02 22:15:37 | マスメディア
 カルロス・ゴーン元日産自動車会長と日産などの他の幹部を並べて眺めると、ゴーン氏の迫力、魅力は他を圧倒しているように見える。過去の輝かしい実績でも同様だ。そのゴーン氏が金融商品取引法違反の容疑で逮捕された。容疑は有価証券報告書に虚偽の記載をしたということである。当初、報酬額を誤魔化して「裏」の所得を得ていたと報道されたが、実はまだ受け取っておらず、退任後に報酬を受け取る合意があったということに過ぎない。従って脱税もなく、投資家の判断を歪めたとも言えない。

 朝日新聞はプライベートジェットが到着するときからゴーン氏を追っていた。検察が朝日に情報を「お漏らし」をしていた可能性がある。また朝日を始めとするメディアは連日、ゴーン氏の疑惑を裏付けるようなことを中心に報道し、「実は悪人」という印象を与えようとしている。報道姿勢はまさに推定有罪である。悪人という印象は検察にとっても都合がいい。逮捕した以上、それが納得されるためには悪人である方が好都合である。したがって検察の「お漏らし」には悪の方向へのバイアスがかかりやすい。それにメディアが加勢するという構造である。それにメディアには、元々、偉大な成功者が転落する話には飛びつくという習性がある。

 今問題になっているのは退任後に受け取ることになる報酬を有価証券報告書に記載する義務があったかということだが、些細な問題と思われる。議論は分かれているようだが、逮捕してから議論が始まるようではゴーン氏が気の毒になる。まず疑問に思ったのはこれが逮捕に値する罪なのだろうか、ということである。逮捕によって社会が不利益を免れるといったことがあるのだろうか。他にも、会社提供の住宅に家賃を払わず住んだとか、損失の出た投資を会社に付け替えたとかあるが、どれもよくある話であり、重大な犯罪とは思えない。それにどれも会社との合意があったことである。

 犯罪があったとすれば会社も共犯になる。そこで会社側は司法取引をして罪を免れるということらしいが、実にダーティーなやり方である。わかりやすく言えば卑怯な裏切りなのである。日本社会に根付いてきた倫理とは相容れない。国際的な大企業が使う手段としては強い違和感があるし、司法と共に日本の信用を落としかねない。一方、会社の内紛に利用された検察、その狭い正義も批判されそうである。不起訴になった場合のリスクはとても大きいのに、敢えてやる利益はあるのだろうか。検察は裏切りの片棒を担いだのである。司法取引は裏切りの合法化だが、それが社会の大きな利益になる時だけの手段であるべきだろう。乱発すれば裏切り文化を醸成することになる。

 検察が逮捕に踏み切ったこと自体、かなり問題ではないかと思う。ゴーン氏は大きな功績があっただけでなく、現在も大きな影響力を持つ人物である。日産と三菱の会長を解任されたが、仮に不起訴であっても元には戻らないと思う。不起訴ならむろんのこと、起訴ができたとしてもこんな微罪で逮捕・長期拘留は日本の司法が国際的な信用を失うことになりかねない。ウォールストリート・ジャーナルは「日本は中国か…」という記事を載せたが、そのように映ってもおかしくない。

 推定無罪という言葉がある。判決で有罪が決まるまでは無罪として扱うということだが、暖房もない拘置所の狭い部屋に閉じ込められるのは有罪としてでなければ納得がいかない。有罪が決まっていない段階での会長解任も同様である。厳しい環境に慣れた者ならともかく、64歳のゴーン氏にとって、この厳しい待遇は過酷であろう。

 ゴーン氏の追放が会社側の目的ならば、検察を巻き込んだ裏切りによってそれは達成されたことになる。しかしそれによって検察や日本全体のイメージ・信頼度が低下することにより、将来、不利益が生じることは否めない。信義を重んじる国民性という評価を低下させかねないのに、それを指摘する意見が見当たらないのが残念である。