日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

パナソニックの業績回復に透けるソニー起死回生のカギ

2015-01-30 | 経営
パナソニックの業績回復の話について調べていて、気が付いたことがありましたので、そのあたりを少し。

パナソニックの今回の業績回復は輸出型産業である我が国家電業界共通としての円安傾向の恩恵はあるにせよ、その中にあってのソニーの散々な業績低迷を見るに、やはりこれは各所で言われているとおりパナソニック経営陣による「選択と集中」の勝利であったと言っていいと思っています。

中でも特筆べきは事業部制への回帰。事業部制とはそもそも、パナソニックの前身松下電器産業の創業者である“経営の神様”松下幸之助氏が、昭和8年(1933年)に日本で初めて本格導入した新しい組織編制の形だったのです。

事業部制とは従来の「開発」「営業」「管理」といった職能別のピラミッド組織を、製品ごとに開発から営業、総務までユニットごとに一元管理しするもの。松下電器は事業部制をとることで、各事業部が利益を競う形に変えるもので、業績を飛躍的に向上させたのでした。

言ってみれば事業部制は、パナソニックが松下電器時代創業の時代から脈々と組織風土を作り上げてきた礎でもあったわけなのです。しかし02年パナソニックは、一時期この自社創業の教えでもあり「企業の魂」とも言える事業部制を捨てました。大幅赤字を受けて着手された中村改革といわれた当時の大改革で、大ナタがふるわれたのでした。

確かに無駄削減による効果はありました。中村改革により業績のV字回復はなされ、松下電器の復活は各方面で大きく取り上げられもしたのです。しかしその回復も一過性のものであり、急速なIT化の進展による業界激変とアジア勢の台頭による価格競争の激化は、再び同社を連続大赤字という奈落の底に突き落としたのでした。

原因の一端は02年の事業部制の廃止にありました。事業部制廃止の悪弊、巨額を開発投資しながらビジネスとしての見通しが立たずとん挫したプラズマディスプレイ事業は、その最たるものです。営業が開発部門と分離されたことにより、マーケット無視の開発唯我独尊の最たるものと各方面で叩かれ、事業部制復活とともに速やかに終局を迎えたのでした。

事業部制の復活は何よりも創業以来同社の発展を支えてきた企業文化の回帰をもたらしたと、個人的には思っています。形の上では、プラズマ撤退、ヘルスケア事業の売却、住宅関連、自動車関連事業への注力などが次々と着手され、「選択と集中」が見事になされ、2度目のV字回復が見事になされたと言っていいのではないでしょうか。

今思えば、02年スタートの中村改革におけるV字回復は単なるコスト削減における業績の底上げであり、事業部制廃止は企業文化の喪失と引き替えに単なる削減の道具として利用されたに過ぎなかったのではなかったのかと思えるのです。毎度申し上げますが、リストラとは再構築のことであり削減はその往路に過ぎないのです。往路で出血を抑えながら復路でいかに新たな収益源を確保していくか、それがそろって初めてリストラ策であると言えるのです。

こうして見てくると、同じ家電業界でいまだに創業来最悪の苦境の喘ぐ、もうひとつの巨人企業復活のヒントが見えてはきませんでしょうか。と言うわけで、ここからソニーのお話です。ソニーは今松下電器で言うなら、中村改革後のリストラを往路で終わらせてしまった状況で立ち往生しているように思えます。工場閉鎖、人減らし、部門売却、コスト削減策は出尽くし感に満ちており、問題はどこで稼ぐのかです。

ソニーもそれなりに「選択と集中」に着手してきているようには見受けられるのですが、どうも不十分なのか中途半端なのか。一言で申し上げるなら、要はリストラの復路に関して「魂が入っていない」状況であると思えてならないのです。問題はどこのあるのか。

パナソニックから学ぶものがあるとするなら、同社に見る事業部制復活という形で体現された「創業への回帰」ではないのでしょうか。「創業への回帰」が組織内に浸透することで組織本来の戦略策定における不可欠な2要素コアコンピタンスとドメインが明確化され、「選択と集中」が組織として正しい方向で実現されるのではないかと思うのです。

ソニーの創業への回帰はいかにしてなされるべきなのか、ひとつは現場、特に技術者軽視を急激に加速させた委員設置会社方式による社外取締役中心の組織運営の旧来管理への回帰でしょう。そして、その流れの中で開発の組織内における復権をはかることこそが、ソニー創業の祖である井深大、森田昭夫の「企業の魂」を呼び起こすことにつながるのではないかと思うのです。

パナソニックの復権は、過去における組織が「企業の魂」を忘れリストラに走ることの危うさを教えてくれるように私には思えます。リストラには往路と復路があること。往路は「組織の魂」がなくとも進めることが可能でしが、復路はそれなくして組織として正しい「選択と集中」ができない、ということをパナソニックの事例は如実に物語っているのです。

パナソニック業績回復関連を調べる中で、同業ソニーが今何をなすべきであるのかが一層明確に見てきたように思えました。