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作曲家談義

2009-07-27 01:00:00 | 音楽の慰め

(1)三大作曲家に異変あり!

クラシック音楽の世界は、いわば、閉ざされて澱んだ世界です。18世紀-19世紀の作曲家の作品をその後の演奏家が手を変え品を変え演奏してみせることを繰り返しています。こういうと悪口に聞こえますが、必ずしもそうではなく、演奏の仕方で作品の表情がガラリと変わることは、例えば、グレン・グールドのバッハ演奏で経験したことです。作曲と演奏という二つの要素でクラシック音楽が成り立っていることに間違いありません。

クラシック音楽で大作曲家を三人挙げよ、といわれれば、誰しも、バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンを挙げるでしょう。この並びは生まれの順です。このうち、誰が特に好き、という意見は様々にありますが、この三人の一人として「大」作曲家ではない、と主張する人はあまり見かけせん。その訳を私なりに解釈すると、次のようなところにあります。

バッハが人間の宗教的・倫理的側面を代表し、モーツァルトが人間の遊戯的・愉悦的側面を代表し、そして、ベートーヴェンが人間の意志的・構築的側面を代表するというように、三者相俟って人間の総体を作り出すということにわれわれが気づいているからです。一人だけに絞るというわけにはなかなかいきません。このうちで最強の作曲家は誰ですか? と聞かれても答えようがない、というのが大方の意見でしょう。

朝日新聞の2006年3月11日号「be on Saturday」に、「好きな作曲家は誰?」というアンケート結果が載っています。それによると、モーツァルト・ベートーヴェンは上位三人に入っていますが、バッハははずれています。5位です。代わってショパンが2位に入っています。「好き」だけの基準で人気投票をすれば、このような結果もありうるのでしょう。これが、「クラシック音楽の歴史上、最も偉大な作曲家は誰ですか?」と誘導訊問風なもったいぶった設問であれば、違う結果になるのではないでしょうか? そう、バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンに。

いずれにしても、この「好き」のアンケートは、クラシック音楽の三大作曲家にも異変のきざしが生じていることを図らずも表しています。

さて、更にワクを拡げて、五大作曲家は? 七大作曲家は? 
興味ある設問ですが、この議論はまた次回にでも。    (2006年4月)

(2)大作曲家の条件

クラシック音楽で大作曲家を三人挙げよ、といわれれば、多くの人が、バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンを挙げます。では、五大作曲家は? はたして、共通の見解はあるのでしょうか?

ここで、「大」作曲家の定義は何か、を考えてみたいと思います。
私の考えは単純で、多くのジャンルで良い作品を生み出した人と定義します。
クラシック音楽の楽曲は大きく括ると、(a)管弦楽曲(交響曲・協奏曲など)、(b)室内楽曲(弦楽四重奏曲・ヴァイオリン・ソナタなど)、(c)器楽曲(ピアノ・ソナタなど)、(d)声楽曲(歌曲・オペラ・カンタータなど)に分けられます。これら4つのジャンルのすべてで名曲を生み出していれば、「大」作曲家です。

バッハには、(a)ブランデンブルグ協奏曲、(b)フーガの技法、(c)無伴奏チェロ組曲、(d)教会カンタータ、があります。
モーツァルトには、(a)交響曲、(b)弦楽四重奏曲、(c)ピアノ・ソナタ、(d)「フィガロの結婚」などのオペラ、があります。
ベートーヴェンには、(a)交響曲、(b)弦楽四重奏曲、(c)ピアノ・ソナタ、(d)オペラ「フィデリオ」、があります。
この三人は軽く「大」作曲家の条件をクリアしています。

この三人に続く二人を挙げるならば、シューベルトとブラームスになりましょうか。
シューベルトには、(a)交響曲、(b)弦楽四重奏曲、(c)ピアノ・ソナタ、(d)「美しき水車屋の乙女」などの歌曲、があります。
ブラームスには、(a)交響曲、(b)弦楽三重奏曲、(c)ピアノ・ソナタ、(d)歌曲「美しきマゲローネのロマンス」、があります。
いずれも「大」作曲家の条件をクリアしているといえます。

しかし、以上5人を五大作曲家と呼ぶことには、三大作曲家の場合とは比べものにならないほどの異論が予想されます。ドヴォルザークだって、チャイコフスキーだって、立派に「大」作曲家の条件をクリアしているではないか? というわけです。

興味ある問題ですが、この議論はまた次回にでも。    (2006年5月)

(3)大作曲家の条件・続

ドヴォルザークやチャイコフスキーが「大」作曲家に当てはまるかについての議論の続きです。
ドヴォルザークには、(a)交響曲、(b)弦楽四重奏曲、(c)スラヴ舞曲集、(d)レクイエムがあります。
チャイコフスキーには、(a)交響曲、(b)ピアノ三重奏曲、(c)ピアノ・ソナタ、(d)オペラ「エウゲニー・オネーギン」があります。
この二人も「大」作曲家の条件を十分クリアしているといえます。

しかし、少し引っかかることがあります。この二人は民族色が強く出ていないだろうか?
ドヴォルザークがアメリカに亡命した後に作曲した交響曲「新世界より」や弦楽四重奏曲「アメリカ」には、聴くものが恥ずかしくなるほど、祖国ボヘミアへの望郷の思いが溢れています。
また、チャイコフスキーの作曲法はすみずみまでスラヴ魂で満ちています。交響曲「悲愴」やピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出のために」は、聴くものが締めつけられるほどの郷土愛が感じられます。それはそれで素晴らしいのですが、「普遍性」という観点からは、ややローカル色が強すぎるのではないでしょうか?

ここで、「大」作曲家になるのを妨げる減点要素として、民族性が強いことを挙げておきたいと思います。減点法は気が引けるので、作曲法の「普遍性」を「大」作曲家の条件として付け加えます。

ところで、私の選んだ五大作曲家(バッハ・モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルト・ブラームス)は奇しくもみなドイツ・オーストリア系です。ところが、この5人からは、ゲルマンの民族色が強く伝わってこないのは不思議なことです。ワーグナーと比べると、その差がよくわかります。どのようにして彼らは普遍性を獲得したのか? いまだに解けない疑問です。

新潮文庫で、「カラー版作曲家の生涯」(*)という10巻のシリーズが出ていました。参考までに、そこで取り上げられた作曲家を列挙すると、バッハ・モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルト・ブラームスに加えて、ショパン・ワーグナー・ブルックナー・チャイコフスキー・マーラーという顔ぶれです。チャイコフスキーを除くと、ショパン・ワーグナー・ブルックナー・マーラーの四人には共通の特徴があるように思います。それは・・・。  (2006年6月)

(4)専門店の魅力

ショパン・ワーグナー・ブルックナー・マーラーの四人に共通の特徴は・・・。それは、彼らそれぞれが、特定のジャンルで圧倒的な存在感を示していることです。ショパン:ピアノ曲、ワーグナー:オペラ、ブルックナー:交響曲、マーラー:交響曲、という具合です。そう、彼らは専門店なのでした。

バッハ・モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルト・ブラームスなどの「大」作曲家がいわば百貨店に例えられるのに対して、特定のジャンルで余人を寄せ付けぬ傑作を残したのが、ショパン・ワーグナー・ブルックナー・マーラーなどの専門店的作曲家です。ほかにも、パガニーニ:ヴァイオリン曲、ヴェルディ:オペラ、プッチーニ:オペラ、ヴォルフ:歌曲、などが挙げられます。

専門店的作曲家の特徴は、熱狂的ファンの付いていることです。例えが適当かどうかわかりませんが、ヴェルディのオペラのファンはワーグナーのオペラを歯牙にもかけない、ということがしばしば言われます。ヴェルディのオペラがあればそれで十分で、ほかの作曲家・ほかの作品は目に入らないというわけです。

専門店的作曲家と百貨店的作曲家との優劣は論じられません。どちらも、それぞれの存在価値を持っています。  (2006年9月)

(5)私の好きな作曲家

ここで、私の好きな作曲家を披露しましょう。

バッハ・モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルト・ブラームスの五大作曲家はもちろん大好きで、敬意を表しています。それぞれについて、曲目を挙げると:

バッハ:無伴奏チェロ組曲(ピエール・フルニエの典雅な演奏)や教会カンタータ群など。
モーツァルト:部屋で聴くなら弦楽四重奏や弦楽五重奏、劇場で聴くなら「ドン・ジョバンニ」や「フィガロの結婚」などのオペラ群。
ベートーヴェン:交響曲第4番・第3番。この組み合わせのコンサートなら、いつでもどこでも聴きたいと思います。
シューベルト:「美しき水車屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」の3大歌曲。
ブラームス:交響曲第3番・第1番。これも、この組み合わせのコンサートなら、いつでもどこでも聴きたいと思います。

いわゆる専門店的作曲家の中では、ワーグナーのオペラとマーラーの交響曲に強く共感する自分を発見します。

ワーグナーについては、時の帝室を政治的に利用しただとか、逆にナチスに政治的に利用されただとかで、毀誉褒貶の評価があります。それでも、例えば、オペラ「タンホイザー」序曲を聴けば、ゲルマン民族の深奥を見つめた感じになります。ワーグナーの音楽の真髄です。政治学者で音楽好きの丸山真男が、ワーグナーの政治的野心と音楽の深みとの間にさまよった経験を吐露していますが(「音楽の対話」、文春新書(*))、私も似た感情にとらわれます。ほかに、「ローエングリン」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」など。
今は、一度、バイロイト祝祭歌劇場に足を運ぶのが、念願となっています。まだ、実現していませんが。

マーラーの交響曲からは俗なものと高尚なものとの交感が響くのを感じます。民謡の旋律を取り入れているのと、交響曲にヴォーカルを取り込んでいるためだと思われます。「交響曲第1番」「子供の不思議な角笛」など。
マーラーの音楽にはユダヤ人の特徴がいやが上にも刻印されていますが、どこがどうと問われると答えるのが難しいところがあります。とりあえず、「亡命者の悲哀」と表現しておきましょうか。

ほかには、スメタナ・ドヴォルザーク・ヤナーチェックなどのチェコの作曲家、バルトーク・オルフなどの東欧の作曲家。いずれも、民族と民俗、の2面が際立つ人たちです。それぞれ曲目を挙げると:

スメタナ:交響詩「モルダウ」など。
ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲「アメリカ」やチェロ協奏曲など。
ヤナーチェック:「イェヌーファ」「死の家の記録」などのオペラ。
バルトーク:弦楽四重奏曲。
オルフ:「カルミナ・ブラーナ」。

人それぞれに、何らかの基準で好きな作曲家を選びます。その基準が何かを探求するのもまた楽しい営みです。  (2006年10月)



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