(8)九十九折の坂道
1996年に左ひざを痛めてから、2010年に亡くなるまで、母の歩みは、例えてみれば、長く緩やかな九十九折の坂道を下るようであった。とくに、脳梗塞で自活できなくなった2002年からは、その様を目前にした。歩みは考えられる最も遅い歩みだったが、坂道だから、止まることも許されないものであった。
その間、身近で母を世話することができたことは幸せであった。まさに、「至福の八年間」であった。 (終わる。2010/9)
1996年に左ひざを痛めてから、2010年に亡くなるまで、母の歩みは、例えてみれば、長く緩やかな九十九折の坂道を下るようであった。とくに、脳梗塞で自活できなくなった2002年からは、その様を目前にした。歩みは考えられる最も遅い歩みだったが、坂道だから、止まることも許されないものであった。
その間、身近で母を世話することができたことは幸せであった。まさに、「至福の八年間」であった。 (終わる。2010/9)