静聴雨読

歴史文化を読み解く

至福の八年間[母を送る]・5

2010-09-03 06:36:53 | Weblog
(6)画家として

母は、子育てが一段落した40歳代から、絵を描き始めた。
初めは、デッサンに励み、地域の絵のクラブなどに参加していた。
やがて、ある団体の会友になり、以後、会員・委員というようにキャリアを積んでいった。

2002年に脳梗塞を発症してから、自宅アトリエで個展を2回開いた。そして、2005年8月に、東京・京橋の画廊で個展を開くことになった。

母は大層張り切って、会場にずうっと詰めるといって聞かない。暑い中なので、一日2時間に限って会場で接客するよう母を説得した。
個展が無事に終わり、母に代わって次のようなお礼状を客に送った。

***
 
お 礼

このたびは、炎暑の中、「第40回個展 -花・はな・華-」に足をお運びいただき、まことにありがとうございました。

1960年代から90年代にかけて描いた「花」を中心に29点を展示いたしましたが、多くの皆様から、「クレパスによるデッサンが大胆だ」、「色彩が華やかでみずみずしい」、「花の生気が伝わってくる」などのお言葉をいただき、絵を描いてきてよかったとつくづく思いました。

機会がありましたら、次回は「風景」をテーマに個展を開催できれば、と考えております。

今後も、皆様の励ましを糧に、絵一筋に邁進する所存です。

***

母にこの文案を見せると、「私の考えていた通りのことを書いてくれて、ありがとう。」と言われた。初めて、親孝行をした気持になった。

2008年、母の参加している会の展覧会が開かれることになり、2点出品することにした。そして、思いついて、母を会場に連れ出すことにした。久しぶりの外出だ。ホームのヘルパーに入念に準備していただいて、タクシーで会場に向かった。

会場に着き、会の仲間から挨拶を受けるのだが、誰が誰だか識別はつかないようだ。それでも、会場を一周するうちに、会の展覧会に来ていることを理解した。水彩の「がくあじさい」の絵の前で、「これ、誰が描いた?」と聞くと、「あ・た・し。」と答え、回りがわっと沸いた。

やがて、会の仲間の女性の手を握り、離さなくなった。次の女性の手も握り、同じく手を離さない。完全に会の雰囲気になじんだようだ。

15分経過したころ、母が「疲れた。帰る。」という。それで、タクシーでホームに帰った。
一時間の遠足だった。

会の仲間とともに撮った記念写真をプリントしてみると、母は、大きく口を開けて、収まっていた。興奮していたのだと思う。

翌2009年にも、母を展覧会場に連れ出して、母の絵の前で、「これ、誰が描いた?」と聞いた。すると、母は、左手で自分の鼻を指す。「あたしが描いたの。」ということだろう。
(2010/9)