静聴雨読

歴史文化を読み解く

至福の八年間[母を送る]・6

2010-09-05 06:37:22 | 介護は楽しい
(7)歌に寄せる

母は自分の趣味を、絵を描くこと、歌をうたうこと、ツルを折ること、の3つだと絶えず口にしていた。右手が不自由になってからは、絵を描くこととツルを折ることがままならなくなり、歌をうたうことが残った。
戦前の歌から戦後の歌謡曲までレパートリーは広く、こんな歌も知っているのかと人を驚かせるほどだった。

母の十八番に「お菓子の好きなパリ娘」がある。正しい題はわからないが、シャンソン風の歌だ。なぜこの歌をうたうのかは薄々わかる。糖尿病でお菓子にありつけない不自由をかこっているのだ。

「お菓子の好きなパリ娘
 二人そろえばいそいそと
 角の菓子屋へ『ボンジュール』」

最初の一連だ。最後の「ボンジュール」の後、しっかりと休止符を置くのがこだわりだ。

「選(よ)る間も遅しエクレール(エクレアのこと)
 腰もかけずにむしゃむしゃと
 食べて口拭くパリ娘」

第二連のメロディーは第一連の繰り返し。

「人が見ようと笑おうと
 小唄まじりで街を行く
 ラ・マルチーヌの銅像の
 肩でツバメの宙返り」

第三連で転調し、牧歌的な情景が閉じるのだが、最後の「宙返り」の節が難しいようだ。まず、速度を遅くしなくてはならない。次に、ツバメが本当に宙返りしているように音符を舞わせる必要がある。ここをうたい切ると母は満足を示す。

このところ、この歌を正確にうたうことが難しくなり、「私はまだ歌を覚えているの」と主張するように、第一連から第三連まで駆け足で節もつけずにうたうようになった。うたう歓びを味わう余裕のなくなりつつあるのがさびしいところだ。(2007年9月のこと)
(2010/9)