更なる ときめきを求めて!

「七色唐辛子+一味唐辛子の会」は、卒業しました。

変貌する わが家

2020年04月30日 | 日記

  自宅のリフォームの打ち合わせ。8:00amに神谷町を出る。メトロ日比谷線恵比寿駅はこの有様。ホ-ムには、人っ子一人いない。頬をつねってみる。現実の姿です。時間が止まってしまったような恐怖。

 工事は順調に進捗している。こんな時期に、 有難いこと。

 今日4月30日はまるで初夏の陽気。見慣れた緑道もすかっり装いを変えています。住んでいた頃は、気にも留めなかった 名も知らぬ草花が 健気に咲いているのが目に留まります。

 コロナで気持ちが弱っている所為か?長年の住まいを後にしている所為か?時間ができた所為か、道端の小さな花にも、気持ちが動きます。

       

  

 陋屋は、どのように 生まれ変わるのでしょうか。 コロナを潜り抜けて、無事リニュ-アルした我が家を見ることが出来るのでしょうか?

 

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コロナ太り

2020年04月29日 | 日記

”体重計 上がる勇気 見る勇気” 

 

 有り余る時間。楽しみは食ベル事。有り余るほどの食材を買い求めて、せっせと台所に立っています。三大欲求って何でしたっけ?学生時代、母性本能、食欲、性欲、渇き、名誉欲・出世欲の中・・・学んだような?

今の私は食欲一筋です。(アルコ-ルは別格)

 今日の献立は きんぴらごぼうとジャガイモを洋風に煮つけたもの。好評でした。その他 筍の煮つけ、春キャベツの漬物、厚揚げ焼き、金目鯛と鮭の焼き物等々。お酒のつまみに適した食材はかり。孫には、チョット気の毒な献立。

完全にコロナ太り。どうしよう・・・。

 

 

 

 

 

 

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オ・サ・ン・ポ

2020年04月27日 | 日記

  午後から雨になるとの予報に、ストレス気味の孫を外へ連れ出す。徒歩圏内にイズミガ-デン、虎ノ門ヒルズや東京タワ-等があるが、2週間ぶりに、私 お気に入りの愛宕神社から青松寺のコースを散策。今回は、敢えて階段を上る。正面階段ほどではないが、結構キツイ。牛若丸のように 軽々と駆けあがる孫。ついて行くのがやっとの老夫婦は、森家とわたし。

 階段を上がって、直ぐ目につく 間垣平九郎が家光に献上した梅の古木の姿に、わが身を重ねつつ・・・。フ~う

   

持参したパンくずに、水飛沫をあげて群がる生命力。

 神社の境内は、先回と違って4~5名の姿が見られました。自縮疲れかしら。そのまま青松寺へ回る。こちらは 全く人の気配は無し。 見る人もない 名も知らぬ草花が、ひっそりと咲いていました。

二時間ほどブラブラして帰宅。スッキリ!

   

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生き延びて

2020年04月26日 | 日記

 時間を持て余しています。昨日はテレビ浸け。

 NHKBSで、14世紀にヨーロッパを中心にパンデミックとなったペストを取り上げていました。

 背景は水の都・イタリアベネチア、何度も訪れた事があります。

  

 エジプトのミイラに、結核やペストの痕跡がみられるそうです。人類は多くの感染症との闘いの歴史です。

 近代医学も未だ無かった時代で、ヨーロッパ人口の三分の一の人がペストで亡くなったとありました。

 コレラ・ぺスト・ポリオ・結核等々の幾多の試練を受けながらも、人は今に至るまで命を繋いでいます

 とは言え、最近騒がれた、鳥インフルエンザやサ―ズの新型インフルエンザに較べて、コロナは相当手ごわい。しかし、人類は免疫力という武器で、必ずコロナ、を収束させることが出来ると思っています。

 ただその日は何時・・・。

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懐かしいかな

2020年04月24日 | 日記

 整理していたら、昭和50年頃の古いスケッチブックが出てきました。横須賀時代は、豊かな人の出会いに恵まれていた7年間でした。その一人が四条派の日本画家・武部本一郎画伯。当時は、挿絵画家としてご活躍でした。

 先生は園芸が趣味で、ご自宅のみならず、我が家の庭も土を掘り起こし、鶏糞を一袋、土に混ぜて、本格的に季節の草花を植えてくださっていました。60代で肺がんで、他界されました。

 私の初めてのスケッチの対象は、家族。亭主と長女・次女の顔。

  

 先生のスケッチもありました。プロとアマの歴然たる違いがよく分かります。

    

 

 江戸文学研究者であり、現・法政大学学長の田中優子氏とも夜更ける迄、語り合いました。 と、言うのは、森家が老両親の生活の場・今の神谷町に泊らざるを得ず、私に自由な時間があったと言う事です。若き日の先生のヘアスタイルはカ-リ-ヘア。今尚 印象に残っています。

 東北大学出身の三上ドクタ-も 殆ど毎晩のようにある訪問者の一人でした。話題が豊富で、文学・音楽・絵画・哲学まで・・・深夜を迎えることも度々。マリ-ロランサンがお好きで、最初の子供は、「ロラン」と名付けられました。女の子です。

 津軽弁で語られる、毎回の話の切り口は、”プラテロが・・・”。フラメンコにも夢中でいらっしゃいました。先生の描かれた作品も残っています。

 たくさんの本を収集されて、地元の子供達のために「鷹取文庫」を診療所の一角に設置。請われてお手伝いした、私が30代時分の懐かしい一コマです。

 

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