更なる ときめきを求めて!

「七色唐辛子+一味唐辛子の会」は、卒業しました。

美味しく食べて、素敵な土産があって・・・・

2019年10月31日 | 日記

 釣瓶落としといへど 光芒しずかなり    水原秋櫻子

 5:30pm 外はすっかり日が落ちています。日が短くなりました。水害や台風被害の多かった10月でしたが、昨日今日と二日間は、爽やかな秋日和で10月が締めくくられました。

 

 愛媛県からの遠来の友を囲んで、短い午後のひと時を楽しみました。今日はハロウイン。ランチの後はデザ-トを堪能。10品目はありました。

カネボウの高級ブランド SENSAI からの贈り物。15名の高齢者たち、幼子のようなはしゃぎでした。サンプルの化粧水45mlは、 9000円の代物です。わたしは、皆さんより一足早く、数日前から使っています。一ケ月もしたら、きっと今より美しくなっている事でしょう。とても気に入っています。

 

 気楽なお喋りの時間を持つことが、私たち高齢者が元気でいられる条件の一つです。 

日暮れを気にしながら、三々五々家路を辿りました。無事に終わった今日に感謝!

   

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# 風邪 流行っているようです

2019年10月30日 | 日記

  予兆を見逃していたのかしら・・・?森家 日曜日の朝食に一切手を付けず。「喉が痛い!」  前夜は歌のレッスンを受けている。

 何も口にしない。風邪の置き薬も温かいお茶も喉を通らないとの事。「水分ぐらい取れるでしょ。明日病院へ行って!]

 夜、咳き込んで何度も起きている。私も寝不足。月曜日の事。「何、コレ」  どれを飲んだか分からなくとの事に、処方された7種類の薬が床に並べてある。「かなり悪いって・・・」吃驚りして、お粥、みそ汁等、消化の良さそなものを用意するも,手をつけず。 日曜日、月曜日も火曜日の三日間、何も口にしていない。「少しでも口に入れる努力をして!」

 

 私のイライラが募る。「何も食べないで薬を取っていると、胃がやられるのよ!」頑なに拒む亭主に、「入院して点滴してもらうのね!!」病人に対して、声を荒げる。風邪だからと云って侮れない。高齢者の場合、命取りになる事を度々耳にしている。

 昨夜、彼の大好物の栗最中を一つ食卓へ置いて床に就く。無くなっている。「未だ、喉に沁みるけど、食べられる・・・」 早朝から大好物の安納芋を蒸かす。ヤレヤレ

 6:00am少し前の景色。夜明が遅くなりました。何があっても、おかしくない年齢です。明日の集まりの食事会は、森家 パス。

  今日は、お願いして届けてもらったカネボウ化粧品の最高級品 SENSAI のサンプルと、理代子さんのクリスマスデイナ-ショウのチラシを人数分準備する。

 

 

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有朋遠方来不亦楽

2019年10月29日 | 日記

 私が8年間過ごした横須賀・鷹取時代の40年来の朋が、愛媛から顔を見せてくれました。体重が7㎏減ったと言う事。胸元辺りが寂しくなったような感はありましたが、顔色もよく一安心。お互いに 元気が一番 の年です。

 昨夕は、丁度月に一度のエビス会。今月のメニュ―、彼女の口に合うかしら・・・?心配しながら、「ご馳走するから・・・」強引に彼女を引っ張り出しました。良かった!完食してくれました。

 

 馴染みの顔ぶれとお喋りして、呑んで食べての気楽な集まり。こんな時間が大切な年齢になりました。遠来の朋を出汁にして、10月31日に15名ほどでランチを楽しむことになっています。

 13年間続いた”七色唐辛子プラス一味唐辛子の会”の同窓会が名目ですが、”何方でもどうぞ”と云う集まりにしました。

 晩秋。漠然と寂しい。 明日の時間が確信できない年齢になっています。顔が見られるうちに・・・。

 

 

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もう一つ受け継がれていたDNA

2019年10月26日 | 日記

「ご両親、離婚されていたの?」昨日のブログから、二人の友人から問い合わせ☏。

 説明不足でした。母親が家を出た数日は、かまどの前に座って火吹き竹をふきながら、子供たちのためにご飯を炊く父親の姿がありました。そのうち、母親も戻ってきました。

 

 飲酒を抑制された事がきっかけで、普段、思い出すこともないことが 次々記憶に蘇ってきました。

 年齢を重ねると人間 追憶の人になると言う事を、改めて感じ入っております。父親の写真と一緒に出てきたのがおじいちゃんの在りし日の姿。

 

 病院勤めをしていた祖父は義太夫を語っていたと、聞いていました。登聲 が舞台の名前でその一文字を取って次男の父に命名したそうです。明治生まれにしては 登 というモダンな一文字名前でした。

 その父は都都逸が得意で、事ある度に、謡わされていました。尺八も嗜んでいました。子供のころ尺八を戯れに吹いてみましたが、音がまったく出ず、癇癪を起して尺八を放り投げ、大目玉を貰ったことを唐突に想い出しました。

 私も60才から今なおオペラの練習を楽しんでいます。声を出す、これもDNAのなせる業・・・?今まで考えたこともなかったことです。今回の大酒のみの血筋から、祖父の生きざまの一端に迄思いを馳せることになりました。

 

 高校時代の仮装行列。おじいちゃんの裃袴を身に着けている看板を持っている私。

良かった!引き継いだのは、大酒 だけではなかった。

 

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酒樽になって酒に浸って居たい!

2019年10月25日 | 日記

 インフルエンザ、例年より2ケ月、早く流行するとの情報を得て、早速予防接種をしました。

 「今日は、過激な運動とアルコ-ルは避けてください」と、ドクタ―。日暮れての一杯が、無類の楽しみの最近の私。憮然。面白くない!

今日の夕食は寄せ鍋。主役のお酒がないなんて!エイツ!どうってことはない。呑むに決め。

「駄目だよ!呑むな って言われたでしょ」夫は必死に阻止しようとする。

 

 私が小学生高学年の頃の忘れられないエピソ-ドのひとつ。呑む 打つ 買うの三拍子揃っていた明治生まれの父親。母親が、しばしば、物陰に隠れて泣く姿に、怒り心頭。真夜にも拘らず、長女の私、家族をたたき起こして、ちゃぶ台に座らせて「こんな家に生まれたのが不幸。お母ちゃんは実家に帰って!お父ちゃん! お酒を減らせないの

父の言葉、「俺は、酒樽になって酒に浸って居たい・・・」母親は私に急かされて実家へ。本家の伯父から大目玉「子はかすがい。親を別れさせる子供がどこにいる!」大目玉。

 

 今は、亡き父親の想いが良くわかります。間違いなく私は、大酒のみだった父親の娘です。

人間 年を取ると、追憶の人になるのですかね?

 

 

 

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