おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

台風が去ったので。

2004-10-22 15:58:45 | 我思う、故に書くなりよ。
鶏キャベツネギ炒め丼。

なんかねぇ、野菜が高いのよ。白菜の1/4カットが200円もするしねぇ、台風の余波はこう言う所に出て来るのだねぇ。主婦は大変だねぇ…。

台風は天災でも、地震と違い、その発生から進路や大きさ、降雨も風速も予測できるし、監視できる。そんなワケで、天気予報では再三再四、警報だの注意報だのを伝えていた。単に台風と言う事ではなく、その前後からの降雨による地盤の軟弱化やら、河川の氾濫やら、高潮、暴風…いろいろと細かい注意を促していた。

なのに、台風が来るたびに尊い人命が失われている。これはどーゆー事なのか?

行政の避難勧告や避難指示を待っているだけではなく、得られる情報を聞き流す事無く、積極的に災害に備える事を忘れていないだろうか? 災害に備える事を、人任せにしていないだろうか? 

死者に鞭を撃つワケでは無いが、注意報や警報を、どう捉えるかは個人の問題でもある事を、生き残った者が考えなければ、天災は人災にもなりうるんである。

雨はいずれ降る。台風もいずれ来る。どうするか、決めるのは我々人間である。
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