おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

急須大活躍!

2004-10-08 19:32:49 | 我思う、故に書くなりよ。
コーヒーが日常に無いと困る私にとって、これは「大革命」だった。

沸騰して間もないお湯をいったんヤカンから急須に移し、ちょろちょろと轢いたコーヒーに注ぐ。このちょろちょろ…が肝で、深い香りが広がり、雑味の消えたコクのあるコーヒーが出来上がるワケ。

最初からちょろちょろ…出来るヤカンがあれば、問題は無い。が、専用のヤカンを揃えるほど裕福では無い場合に、日本だか中国だか知らんが、「急須」と言う「茶」の文化がこれを救う所に、意義があると勝手に思い込んでいるワケだが、ほっておいて欲しい。

あれ。でも「茶」と言うと「茶会」にしろ「結構なお手前で…」にしろ、その場に「急須」の姿は見ない気がする。だいたい、茶碗にそのまま粉末となった「抹茶」を入れてお湯を注ぎ、しゃかしゃか…と言う感じだったと思うが、急須の出番は無い様に思える。

中国で「茶」となると、妙に小さいが「急須」は登場している。急須ごとお湯まみれにされ、味わうと言うよりは「香り」を楽しむための物として現在に至っていると思うが。

その辺の事情が判れば、お茶もまた楽しい。いつぞやか、ちゃんとしたイギリス人から紅茶の入れ方を教わった事がある。F-1関係者だったので「ちゃんとしている」と思っただけで、名前は「ジョーダン」だから怪しいと言う気もしなくは無いが、何気にお茶を「入れこなしている」。高そうな陶器製のポットからはいい香りが漂い、ティーバッグをカップに浸して飲んでいるのとはワケが違う。

そもそも、教えてもらうきっかけが「ティーバッグ」だった。私がマクラーレンから貰ったマグカップに緑茶のティーバッグを入れっ放しで飲んでいたのが目に止まったらしい。その場から引きずり出されて自分のチームのモーターホームへ連れて行き「紅茶教室」が始まった。

ぺらぺら…っとスタッフに何か言いつけると、お湯やらポットやらが直ぐに出て来て驚いた。しかも、そのポットに触れと言う。触ってみると「あちい」。すでにポットは温められており、これにお湯をナミナミ入れると、ティーバッグが2つ現れた。彼はすかさずポットにそれを入れると、ポットのふたを閉め、「3分位待て…」と言う。正確には測ってないし、Few Minutes…だからそんなもんだろうと。

「これでおしまい。」

そう、にこやかに言うと、ポットからバッグを取り出して、さっきまで緑茶を飲んでいたマグカップに紅茶を入れてくれた。手際が良いと言うか、慣れていると言うか、正しいらしい作法が身に備わっていると言うのか。ポットはステンレスでなく、陶器製でなければいけないとも言っていた。

「ここの紅茶はマクラーレンよりも美味しいからね!」

そう言うと、彼はスタスタどこかに消えてしまった。マクラーレンもイギリスがホームだった事を思い出したが、コーヒー飲んでたなぁ。俺。ティーって訊かれないし。

と言う昔話はともかく、茶を楽しむ「文化」がそこにある。それを「大事」にしている事が素晴らしいと思う。ここいらで、「日本茶」にも凝ってみようかと、思う秋の台風上陸前であった。

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