おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

虫歯。

2005-03-31 16:09:33 | 我思う、故に書くなりよ。
前夜の七転八倒の悶絶騒ぎに恐れをなして、今朝速攻で歯科医院へ向かう。

歩いて30分ほど掛かるが、陽気も良かったので、痛みが再発しないうちにひたすら競歩状態で向かい、きれいな病院へ滑り込んだ。

まぁ、予約での診察が基本で、そこに割り込むワケだから、少々待たされはしたが、座薬がバッチリ効いているので痛みは無い。もともと、何かの事情で午前中だけの診療だったので、程なくして呼ばれ、事情を説明した後に、診察と治療が始まる。

「ちょっとチクッとしますよぉ~」

床屋でも同じだが、眼鏡は外す様に指示されるので、先生の顔や歯科助手の顔は全く見えない。親知らずである上に、その下に歯があるわけでも無いので、不要なので抜く事になったのだが、痛みらしい痛みが無いのである。座薬の効き目が素晴らしい上での、麻酔なワケだし、歯を抜くにあたっては「痛み」が全く無かった。

ただ、虫歯を掴んだのか何か、ミシミシという普段聞かない音が聞こえる。

「耳に近いですから、ちょっとイヤな音しますヨォ…」

そうこうしているうちに歯は抜けていたらしい。脇のテーブルにそれは転がり、黒ずんだ歯の真横に大穴が開いていた。

レントゲンを見ながら、歯の状態を1本づつ説明してくれて、他にも残る、痛くない虫歯のケアを勧められたワケだが、これは無条件にお願いしたい所だ。

以前、反対側の歯を治療した時は大きく口を開けるのに苦労した上に、なんやかやでえらい時間が掛かったのに、今回は同じ様な処置なのに、さして大口を開ける苦労もせずに、とてつもなく快適。技量の善し悪しもさる事ながら、無駄に口を開けたまま待たされたりする事も無い。

うむぅ。最近の歯医者は素晴らしい所もあるんだと、感慨ひとしおに浸りながら薬局で薬をもらい、てくてく歩いて帰ってきた。

抜いた歯を貰って帰ってきたが、かわいい「歯」のケースにいれてくれた。中身は結構生々しい歯が入っているのだけれど、残る親知らずも、抜かなければいけない程悪い歯も無いので、しばらくは記念品としてとって置かれるだろうと思う。

だいぶ昔に、やはり虫歯で痛い思いをしたので、歯ブラシを電動に替え、練り歯磨きと液状歯磨きのダブルで磨いてはいるんだけれど、今回の虫歯は「痛み」が来るまで気が付かなかった。しかも、思いっきりな痛みで、歯が痛いと言うよりは頭そのものが痛いと言うか、激痛三昧。生まれて初めての激痛で、何かどうかすれば痛みが収まるなんてレベルじゃなかった。

まぁ、ボルタレンというハイパーな座薬の登場で、30分ほどで苦しみが消えたのも新しく学んだ事だし、恐ろしいほどの激痛でも「歯痛」だと救急車は来ない事も判ったし、いろいろと発見は多かった。

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突然の歯痛で死ぬ。

2005-03-31 00:18:12 | 我思う、故に書くなりよ。
サッカーが始まった頃、猛烈な激痛でのたうち回る。

救急車呼ぼうかと思った位に激痛で、近くの総合病院で診て貰うことになったものの、歯科はやってないので鎮痛薬しか投与出来ず、おまけに先客がいたりして、病院の床を転げ回って悶絶…。

歯と言うより頭まで激痛で、何を言われても聞こえない状態。頭を床に叩き付けないと我慢出来ない猛烈な痛み。ゴキゴキいいながら転げ回る。

座薬を入れて、30分後に効き始め、翌日歯科を受診するまでの繋ぎとして薬を貰う。

病院から救急車を呼ぼうとしたけれど、歯科の深夜の救急は全くなく、お手上げ状態。脳みそを引きずり出して何とかしたい位に痛いので、本当に死ぬかと思った…。

未だに、恐怖で体が震えている。奥歯の横に穴があいていた。しかもかなり大きい。うわぁぁ…。

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癌という病気とどう向かい合う? 3。

2005-03-29 17:55:26 | 我思う、故に書くなりよ。
どうも本当に末期の肺ガンで、手術は出来ないらしい。

おまけに9ヶ月前に撮ったレントゲンにはそれらしい兆候が一切無いって言うから、僅かな間にあっさりと進行していたワケである。ただ、治療してみないと判らないので、4月の上旬には入院出来る事になりそうだとの話だ。

まぁ、ここから先は医者に任せる他にない。ただ、任せっきりは後々、後悔が残りそうなので、当人と良く話し合って先を進めたら良いとは思う。

とか何とか書いていたら、いきなり入院が明日に決まった。早く入院出来る事は良いのだけれど、いきなり明日と言われても、そりゃ慌てる。まぁ、持って行く荷物はたかが知れているし、入院という事を全くしていないワケでもないので、入院セットを久々に引っ張り出して点検するくらいの手間だと思うけど。

取り敢えず、少しは現状が判明するのが近づいた。なかなか入院出来ないでいる人も多いと聞くので、あーだこーだ心配するよりは心情的にも良いと思う。

何よりも、正しく現状を知る事。話はそれからだ。やたらと母は、癌で亡くなった人の話、生き残った人の話をしているが、父のそれと同一に考えるのはいかがなものか。肺ガンと言う枠でくぐればまだしも、胃ガンや乳ガンなどは全く別物だし、治療も薬も違ってくる。

やたらと親戚が来るのも考え物。父の希望でそうなったのか知らんが、すでに2~3家族来ている。末期の癌だからとの事だろうけれど、何も詳しい事が判ってもいないのにあーだこーだ言われるのもどうかと思う。

ちなみに、この親戚連中は親戚の誰かの「葬儀」以外に滅多に顔を合わせる事が無い。それゆえ、私は不吉だと思っているし、親戚だからどーのこーのと言う感情は一切無い。従兄弟、従姉妹もきっといるんだと思うが、全く縁がない。かなり小さい頃の記憶しか無いので、会った所で判るまい。遠くの親戚よりも近くの隣人って事だね。

そんなこんなも含めて、父の闘病がこれから始まる。はて、闘病なのかどうか? それすらもまだ決まっていないが、恐らくそうなんだろうと。息子としては無理に闘うのもどーかと思うのだが、何かしらの抵抗にチカラを注ぐワケだし…。

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地震もなぁ…。

2005-03-28 00:18:14 | 我思う、故に書くなりよ。
ここの所、テレビで地震の特集が続いていた。

あんまり深く考えもしないで見ていたけれど、震災が起きた後の「暴動」までちゃんと扱っている番組もあったので、なかなか興味深かった。建物が壊れるとか、火事が大変な事になるとか、インフラがダメになるとかって事はどこでも扱うんだけれど、人間の本性がむき出しになるってのはあんまり扱わない事が多く、ある種「弱肉強食」な世界が繰り広げられない物として、話が出来上がっていたフシがあるんだけれど、どこの震災だって本当に怖いのは「暴動」またはそれに類じた問題でもある。

食い物が無くなれば、人から奪うだろうし、合法的に奪うヤツもいないもんだしなぁ。

そう言うダーティーな話題が出て来ないのもおかしいワケで、ある意味「無法地帯」がそこに現れてしまう事を隠してもいかがなものなんだか。大震災だからおとなしくしているってばかりじゃなく、コレ幸いに暴れ回る輩も必ずいる事を考えないといけないし、世の中善人ばかりであるワケも無い。

通勤難民となり、1晩2晩かけて家に徒歩で帰るなんて事は、カモがネギ背負って歩いているか、カモを探して歩いているかどっちかにしかならないなんて事にもなり得るワケ。

災害復旧と共に、治安維持を考えておかないと、えらい事になるワケで、勝手に自衛手段として護身用の何某かを持っていたい所だけれど、勝手に持っているだけで「捕まる」というお国柄もあるわけで、襲った者勝ちなんだろうなぁ。

そういう事が起きない前提として話を進めると、大震災はよりいっそう厳しい物となる。地域で連携が保たれているコミュニティみたいな物に属していれば、そうならないとは思うけれど、数百万人が通勤難民となってしまうワケだし、そうしたコミュニティがプライバシーを建前に崩れていたりもするので難しいだろうしねぇ。

村でさえ、避難所の体育館の床の奪い合いが起きるワケだから、都会でそうなったら押して知るべし。震災と共に、ルールまで崩れては到底困る。ルールを崩さない様に努めるのは、人の良心に頼るしか無いワケで、なんだかとても期待出来そうには無いねぇ。

その辺まで踏み込んで「防災」って事なんだと思うし、もっと深く踏み込んで語られても良さそうな気がするんだが、火事やら、揺れやらの話ばかりだったのが、これまでだと思う。そろそろ、語られ始めないと遅きに失する何て事になりそうだと、思うなぁ。

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万博もなぁ…。

2005-03-25 14:41:01 | 我思う、故に書くなりよ。
今日から一般公開だっけ…。

世界から博物を集めて展覧会開くワケだが、出し物は時代によって大きく変わる。
70年の大阪万博じゃ「月の石」だったし、今回のは「冷凍マンモス」だそうだ。まぁ、その時代で最先端の展示物のオンパレードだから、ハイテクの集合体みたいなもんだろうし、マンモスはアナログであっても、その展示は見ても気付かない所でハイテクなんだと思う。

筑波万博の時は、短時間ながら見学した。NASAだかなんだかのブースでポラロイド写真を撮って貰ったんだけど、そのクオリティに「なんじゃこりゃあ…」だった覚えしか残っていない。他にもいろいろ見たと思うんだけどねぇ…。コスモ星丸ってのは覚えてる。あれは確か、写専で見に行かされたんだよなぁ…。前の日、大久保で泊まった様な気がする。

でまぁ、すげえ展覧会なのだが、見る方の「人間」はあまり変わっていない。1800年辺りのヨーロッパで始まった頃から、人間は会場を歩いて回り、雑踏にまみれちゃって、疲れちゃって、ヘラヘラになりながら長い列を作り、不平と不満をつぶやきながらも長い待ち時間を経て、僅かな時間の見学に情熱を注ぐのである。夏なんか何人倒れる事やら。

中途半端に遠いし、物価も高いので出掛ける予定も無いが、そんなへろへろの人類を見に出掛けるっていう見方も面白いと思う。でも、人が自由に行き来しづらかった時代だからこその博覧会から、現代における博覧会の意味や意義って事を考えると、何だかなぁ…って感じがするんだよなぁ。

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癌という病気とどう向かい合う? 2。

2005-03-24 18:09:44 | 我思う、故に書くなりよ。
今日は市民病院から癌センターへの紹介状を貰うついでに、もうちっと詳しい事を聞いて来た。

とは言え、私が聞いたわけではないが「末期」のお墨付きを貰ったという。本人はさぞかしショックだろうと思うが、広義の意味で「余命2年は難しい」との宣告でもある。

んー。すると余所に転移している可能性も大なワケだが、見た限りピンピンしているし、痛いとか苦しいとか言う事も無いので、不思議な感じだろうと思う。種類で言えば、化学療法はあまり効果が高くないものだし、他所に転移となれば、放射線治療もどうなんだか。あまり芳しくは無いなぁ。

まぁ、詳しい検査が始まって、結果が出ないと何とも…だなぁ。紹介状貰ったからといって、すぐに治療が始まるワケじゃない所がミソ。末期な上に、入院まで待たされるなら、他の選択肢を探さないと本人にも気の毒だ。なんせ、早く治療して欲しいと思うのは誰だって同じだしなぁ。

奇跡を信じるのも良いんだが、得てして起こらない。だから「奇跡」と言う。本人が現状を理解して、頑張るのであれば応援するし、その時間もある。そう。時間との戦いが既に始まっているのである。

息子は鬱病で悶々と毎日を過ごし、父は死の宣告を受けて悶々と過ごすんじゃ、不幸の塊みたいだが、こうした不幸は別に珍しい事ではない。なるようにしかならない中で、ささやかな抵抗を試みるのも悪くない。黙っていても、お迎えはやがて来るんだし、それに備えるのも人間ならではだと思う。病は気からとも言うが、この「気」だけは本人以外にどうなんだか判るもんじゃない。ここ数日は「しおしお…」だろうけどねぇ。話には聞くが、体験しないと判らない「大変な事」がこれから沢山起こるんだと思う。命を左右する病気なのだから、相当なものなんだろうけれど、体験しない限りどんなものか判らない。

もう、随分と父と釣りに出掛けていない。これからかなり急展開すると思うので、父が病院に潜り込む前に、一緒に出掛けてみようかと思う。そんな余裕が残っていれば良いけれどなぁ…。

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癌という病気とどう向かい合う?

2005-03-24 10:05:11 | 我思う、故に書くなりよ。
父親が肺ガンに罹っている事が判り、家族は右往左往。

毎年、年齢的な事から健康診断を優先して受けられ、受けてもいたのに関わらずに「何故?」という気持ちも全く無いではない。が、得てして「そんなもん」である事は知っていたし、早期に見付かれば良い方なので、宝くじと変わりない事も知っている。

まぁ、風邪をこじらせて掛かり付けの病院で診て貰った所、大きな病院での検査を薦められて、検査したら、肺ガンと判り、告知の希望をしたので本人に告知されたワケである。

CTやらレントゲン、血液検査の結果を説明して貰い、どうやらリンパ節に転移が認められる原発性の肺ガンである事は説明を受けた様だ。

ところが、本人もその配偶者も「そこまで」しか聞いておらず、取り敢えず「入院」を薦められた様で、命に関わる病気でもある事ながら、他の病院という手段も考えても悪くは無いワケで、より専門医の多く、治療実績の多い病院への転院を希望するみたい。

それはそれで構わないし、その方が良いと思う。が、肝心な事をちゃんと聞いていないのか、話されていないのか、どーなんだか判らないが、あまりにも漠然とした「結果」しか得られていないのである。
肺ガンならば、肺のどの部分にどれだけ広がり、進行の度合いをステージで分けるなら幾つで、外科手術で延命が図れるものなのか、それとも投薬や放射線治療が主体となるのか? 現時点で判る事を正しく知らないといけない。

そこまで詳しく知らない段階で「告知」があるのかどうか疑わしいが、患者としても知って置かなければいけないワケで、その家族も同様だと思う。伝える事と知る事が「最初からうまくいっていない」。
断片的な事から推し量れば、父の予後は悪い。そもそも「肺ガン」は日本でポピュラーな癌であり、なおかつ、ある意味「絶望的」な癌でもある。切り取って何とかなるのは極早期の癌で、部位も切除に恵まれていればの話。放射線療法や化学療法で持たせる齢は短い。余程、運が強くなければ現状維持も難しく、あれよあれよと言う間に限られた時間が残り少なくなるし、容貌も大きく変わってしまったりする。

正しく現状を知る事で、どう向かい合うか? 本人は決めなければならないし、家族もそれを理解しないといけない。「知る」という事が非常に重要な事であるって意識を強く持たなければ、戦うにしろ、降参するにしろ、手段の選択は出来ないんである。

良い方に向かう事を希望するのは誰でも同じだが、現実の問題として結果は「悪い方」に向かう。だが、これは致し方ないし、医者も患者もそうならない方向で話を進めるのが常。結果的に悪い方に向かうとしても、向かい方、取り組み方次第で「良い方向性をもった結果」を得られると思う。

そんなこんなも本人がどう考えるか次第でもあるから、いろんな選択肢を提供出来る立場でいてあげたいとは思うんだが、人の価値観はそれぞれ違うから、うちの場合は結構難儀かもしれないなぁ。

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10年前。

2005-03-21 06:31:13 | 我思う、故に書くなりよ。
麻布台に住んでいた。

ぼろい家屋を社宅として使っていて、空き家のままだとやたらと会社に税金が掛かったりする。んでまぁ、住む勇気のある社員は住んでも良い事になっていたので、借りた。

ここ神谷町から銀座まで地下鉄で通勤していたワケだが、その日は駅のホームに誰もおらず、反対側のホームに電車は止まっていたが、誰も乗っていない。一瞬、休日かと思い違いする程の静けさだったんだが、ホームの端から大声で「戻れ~っ!」と、駅員らしい渋い黄色のジャケットを着たおじさんがこちらに向かって叫んでいた。

単に「戻れ~っ!」っていきなり言われてもどうして良いものだかサッパリ判らない。

「上に上がって下さーい! 早く、上に!」

あー。なんか事故らしいから来ちゃいけないのか…。と、来た方向へ戻る。改札にも誰もいないし、確かに人がいない。地上へ出て、困る。会社に間に合わない。道を挟んだ反対側に、救急車がちょうどやってきて、なにやら始めていた。地下鉄に降りようとする人とすれ違い、電車が動いていない事と中に入れない事を話したが、その人を含め、4人位は地下へ降りて行った。

んで、まぁ、タクシーを拾って会社に向かう事になったのだが、運転手さんから他の地下鉄も故障だか事故だかで停まっている事を聞いた。

あまり若い社員のいない会社であったために、遅刻する人はあまりいなかった。朝礼が始まり、向かいの社宅の女子社員が来ていない事が判明。

「タクシー乗ればいいのに…」

そう思って仕事が始まり、事故ってなんだろうねぇ? と、話はしていたんだが、急に秘書室からお呼びがかかる。得てして、秘書室から電話が来ると、あまり良い話は無い。

階段を駆け上がって、秘書室に顔を出すと、室長のおばさんから朝の様子を尋ねられた。昨晩のカレーの残りを食パンに塗って食べたとか、先日貰ったコーヒーの豆はなかなか良かったとか、そんな話をしたと思うが、おばさんの聞きたい事はそうでなくて、電車がどうだったか? と言う事だった。

動いてなかったのでタクシーで来た旨を話し、レシートみたいな領収書を見せると、後で払い戻してくれると言う。遅刻で払い戻してくれるのも珍しいが、せっかくだからそうしてもらった。

で、話している内に、どうやら単なる事故や故障じゃ無い事が判り、秘書室のテレビには築地駅の路上が大騒ぎになっていた。どうも、向かいの社宅の女子も巻き込まれて病院に向かったらしい。

毒ガス…って判ったのはお昼前辺りじゃなかったかなぁ。死者も出て大変な事になったと判ったのは。向かいの女子社員は聖路加病院から電話があって「なんとか生きてる…」って事だったので、全然心配は無かったらしいけれど、午後のニュースで神谷町の駅も重傷の人がいたらしい事を知り、ちょっと怖くなった。時間的に言えば毒ガスを吸っていてもおかしく無かったから。

無味無臭のサリンが巻かれたらしいっては夕方知ったと思う。会社では何とも無いのか? とちょくちょく聞かれたが、何とも無いし、無味無臭じゃ吸ったかどうだか判らない。誰もいなかったホームに10分はいたので、どうなんだか判らないけれど、そこにいたから気分が悪いとかは全くなく、普通にしていた。

帰りの足が心配でもあったのだけれど、何かのパーティーに顔を出す予定が虎ノ門であったので、歩いて帰る事にした。向かいの女子に話を聞こうとか考えたけど、1泊を余儀なくされたみたいで、聞けなかったが、後日、病院もそうだけれど、警察の人が定期的にやってきたと言っていた。それも数年経ち、そんな事あったんだっけ? って位に「後日」なんだけど、一応、被害者だからねぇ。

裁判が始まり、首謀者に死刑が言い渡されたのは、ちょいと前の話。その裁判だって、結審したワケではなく続いている。首謀者の最近の様子が、つい先日接見した精神科医によって明らかにされた。

私が大学病院勤務時代にお世話になった先生だから、間違いないと思う。だいぶ、頭がイカレ始めて来ているそうだ。そんな首謀者は未だに「神」でもあり、あがめ奉る信者も多い。日本でかつて無い「テロ」をしでかした連中は、捕まったヤツも捕まらないヤツも、そしてその宗教団体も未だに存在しているのである。

10年前。あれから…。もう。まだ。いろんな意味のある10年なんだなぁ。

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もう1つの日記と、ネットの向こう。

2005-03-18 08:44:23 | 我思う、故に書くなりよ。
日記を一つ増やす事にした。ブログとして公開する事は、恐らく無いと思う。必要に迫られての事なので、自分でも判然としない部分が多いが、何か記録として残す形としては「日記」とか「日誌」の方が良いかと思ったので。

さて、やっとの事で激しく咳き込んだり、多量の痰に悩まされる事は無くなってきたが、のど元がかゆい。かゆいと言っても表面ではなく、喉とか気管支あたりなんだけど、かゆい。で、まだ、咳は出る。症状に合わせて薬を変えて来たので現在は「ルル」が主役だ。

昨日は丸1日調べ物。ネットで検索…って言っても、そのものズバリ、目的の物が出て来るワケでも無いので、不定期に挫折しながら繰り返しの1日。

検索していて、気になった事があった。ちょっと気になっていた人物やら企業があって、これはもうかれこれ7~8年検索し続けて来たのだけれど、別に有名でも何でも無いので、ヒットする事が無く、今まで三振続きだったのである。これが、数日前から連続安打に代わり、比較的新しい情報を手に入れる事が出来る様になったのである。

何か、オープンに出来ない事情があるワケでもなく、多少プライバシーには掛かる部分もあるだろうけれど、公に報道された内容だったり、官報あたりに載っていても悪くない程度の情報である。これが急にネット上に現れ始めたと言う事になる。それが新しい情報ならば、何となく判る気もするが、2年前辺りの記事だったりするし、2年前に「ヒット」していても悪くない感じの廃れ具合を持ち合わせて現れ始めた。これは何となく不思議。新聞記事なんて「速報性」が命だし、その為のネットなんだろうから、あえて寝かせて解き放ったりする必要も無い。実際、記事としてのデビューはやはり2年前の物だし、検索エンジンだって大手の物を複数使っているワケだから、この現れ方がちょいと気になる。

ほぼ同じキーワードで検索し続けて来たワケなので、このモニターの向こうに何かカラクリがあるのかもしれない。うむぅ…。

ネットは広大だわ…。

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今ぁこそぉ~別れめぇ~いざぁ~さらぁ~ばー♪

2005-03-17 00:21:27 | 我思う、故に書くなりよ。
の別れ「め」は「目」では無いらしい。

卒業式で歌われる「仰げば尊し」だが、「今こそ別れ目」では無く、「こそ…」に掛かる「む」が転じて「め」になったので、意味としては「今こそ別れよう…」となり、その後の「いざさらば~」に続くんだと、国語の教師辺りは知っていて当然だったらしい。

まぁ、国語でも「古典」に分類されるんじゃなかろうかと思うんだが、私は極つい最近知った。

自分の卒業式とか、全く記憶に無い。それなりに楽しい時期を過ごした上での式だから、記憶に残っていても悪くないのだろうけれど、キレイさっぱりと無い。そんなモンだろう。

他人の卒業式はよく覚えていたりする。中学時代の恩師を母校に訪ね、その担当クラスを卒業まで1年間写真に撮った。毎日とは行かないが、毎週顔を出し、イベントがあればもちろん、普段の授業中でも写真を撮った。よくもまぁ反対されずに許してくれたと今でも思う。撮った写真の中から、それぞれに思い出深い写真を選んで、卒業式にあげた。

この時の彼らの卒業アルバムの集合写真は、私が撮った写真が使われており、他のクラスとは全然違う物になった。学校に写真屋さんが来て、校庭で撮る様な写真ではなかった。なんせ、校長が写っていないワケで、教師は担任だけだったと思う。よく、学校が許したモンだと思っていたが、後年、恩師に聞くと「おれもそう思う…」と言っていた。でも、かしこまって写っている写真を見るより、それぞれが直ぐに思い出せる「顔」が写っているとの事だった。

この卒業式の日、私は2枚目の母校の卒業証書を頂いている。恩師の計らいだが、正式な物ではもちろん無いが、正式な証書よりも思い出の深い物である。正式な証書をもらった頃は、早く高校に行きたくて仕方がなかった。クラスは荒れて、卒業どころでは無かったのだ。学校で勉強が出来る事は無く、家に帰るか、部活の時間に勉強するか、そんな感じだったなぁ。部活へ顔を出せば、違うクラスの頭の良いのがいたわけで、そいつに教わった方が頭に入ったんである。

そんなワケで、自分に関わる「式」の記憶はほとんど無く、他人のでも数えるくらいにしかない。今後もそうだと思う。そもそも、非常に不謹慎な考えで脳が埋まっているので、式に出ても全く関係ない事考えてたりする。友人の結婚式の最中にずっと別の人の「葬式」を思い出していたり、努めてその場の雰囲気から逃避したいという願望の元で妄想に浸ったりする。お経を読んでいるお坊さんのハゲ頭から緑の双葉がにょきにょき生えたらどーなるか? とか。

従って、呼びも呼ばれもしなくなり、私としては非常に気が楽だ。妹が本当に結婚するのを知ったのも式の当日だったし、親族紹介で紹介された記憶もない。苦手な物は苦手なんだなぁ、これ。

従って…かどうか知らぬが、今こそ別れよう。いざ、さらばじゃ! って事だから、次に期待しましょう…と言う解釈なんだと思うよ…。

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洗ったキーボードは…

2005-03-16 23:04:11 | 我思う、故に書くなりよ。
無事に使えている。分解して徹底的に洗ったので。

洗ってほったらかすと必ず錆びて具合が悪くなる。んで、洗ったらすかさずタオルやらキッチンペーパーやらティッシュやらで水分を徹底的にぬぐい、ドライヤーの冷風で乾かす。

ドライヤーの温風で乾かすのもアリなのだが、この時期なら冷風で充分乾く。温風だと下手すると熱で溶けたりするので。

基盤部分が付いていたりするんだが、ここは直接水をかけない方が無難。ちなみに、愛用のキーボードは高度なパンタグラフじゃないみたい。高級な物だとうまく洗えない場合もあるんだと思う。

まぁ、分解しやすくしておくと、細かいホコリなんかも掃除出来るし、エアブラシで吹き飛ばしても飛んでいかないゴミが取れたりする。プラスチックOKな潤滑スプレーなんか吹いておくと、キーの動きもよりスムーズに。

でもまぁ、普通は洗わない物だよなぁ。パソコン買うと大体付いてくるけれど、やたら大きかったり、自分のタッチに合わなかったりする。で、あれやこれや探して買って、辿り着いたのが今のキーボードなので、おいそれと廃棄処分には出来ないのである。タッチだけで選ぶなら他にも良い物があったのだけれど、OSをインストールする際にすんなりと認識されなかったりするので、現在の物がスタンダードになっている。

これがまたノンブランドっぽい。中華製ではあるものの、どこのメーカーだか何も書いてない。エレコム辺りで似たデザインの物があったりするが、微妙に違っていたりするので、何とも。カナは要らないし、目障りなのでUSキー。一般には「ミニ・キーボード」ってヤツなんだと思う。

で、コレに慣れちゃうと、よその家でPC触るとすんげぇ違和感あるんだよねぇ。付属のキーボードが悪いワケじゃないけれど、何だか妙な感じがしてしっくりこない。

まぁ、ある種「消耗品」的な感じもするので、予備のキーボードもあるんだけれど、一度に同じ物を2つも買う余裕は無かったりするのがほとんどなので、種類は違ってる。そろそろ別なのを物色してもいいかなぁ。

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代役はなかなかツワモノ。

2005-03-15 23:37:16 | 我思う、故に書くなりよ。
普段、ブログの更新はデスクトップPCから行っているし、記事も書いている。

これは数年前にベースが組み立てられて、必要に応じて増強してきたマシンで、OSは2000。
これがまぁ非常に安定したOSで、ちょっとやそっとじゃおかしくならない。

とはいえ、あれやこれやβ版のソフトを入れて使っていると、おかしくなるし、おかしくさせてしまう。

OSがおかしくなるのとは別な理由でおかしくなる事もある。先日も、メッセンジャーの最中に咳こみ、キーボードに「げろ…」ぶちまけてしまったからさぁ大変。洗うしかないし、替えのキーボードって言ってもそうそう簡単に出て来ない場合も日常茶飯事。

んで、洗って完全に乾くまでは代用マシンの登場となる。これが今、この記事を打ち込んでいるJornada720。

2000を入れたノートPCがあるんだから、そっちの方が使い易いんだけれど、記事を同期させていないので、面倒なの。それと、定期的に充電してやらないとおかしくなる事もあるので、ちまちまと。

本来ならば、こうした小さなマシンが世の中を席巻しておかしくなかったのだが、廃れてしまった。ケータイに取って代わられたワケでもあるが、このブログもケータイから記事の投稿が出来る。写真もOKだし、動画もOKだ。

ちょっとした文章ならば、ケータイでも問題ないが、こうやってつらつらと長たらしく文章を書くとなると、やっぱり不便である。

で、ちょっとでも便利な方があれば使ったりするが、以前はJornadaでアクセスして、ブログを見る事は出来ても記事の投稿は出来なかった。今回は編集画面までアクセスできたので、可能なんじゃないかと思う。まぁ、デスクトップだってマウスで動かせるだけ動くんだから、出来なきゃそれでもいいんだが。

そんなワケで、一旦、ここまでをアップしてみようと思う。

記事の投稿は出来るねぇ。でも画像を選んで貼り付けるのは出来なかった。大抵、文末にその時のお天気を貼っているんだけれど、これがだめ。おまけに、以前はちゃんと見えていたブログのデザインが見えない。まぁ、これは枯れた仕様で、改良出来ないマシンの問題だと思うので仕方ない。写真はマシンに取り入れて無いので試せなかった。

何が変わるとこうなるのか詳しくは知らないが、セキュリティの問題とも関わってくるに違いない所なので、お勉強しないといけない気もする。まぁ、記事の投稿が出来る様になったのはウレシイ所だけどね。

おっ、取り込んだ写真もアップできるぞ。しめしめ。だが、選択できないな…。残念。

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09047488299

2005-03-15 19:01:03 | 我思う、故に書くなりよ。
本日2発目の迷惑SMS。
携帯変えてムービー撮ったから見てねぇ♪ と、マイと言う人から来た。

マイに心当たりが全くないわけでも無いが、HP開いてそこへ誘導する様なハイテクでも無い。

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08011013133

2005-03-15 03:28:45 | 我思う、故に書くなりよ。
本日の迷惑SMS。内容は数日前と同じみたい。

似た様な番号ってのが結構出て来る。下4ケタ違いとか、真ん中違いとか。
もっと早く気が付いてコレクションすれば今頃結構充実しているんだと思うなぁ。

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ホワイトデーなのに。

2005-03-14 19:22:38 | 我思う、故に書くなりよ。
咳と痰にまみれてダウン…。PCまでダウン…。

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