おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

運動会。

2004-10-02 19:10:40 | 我思う、故に書くなりよ。
小学生の甥の運動会だったので、行って来た。

甥と私は先輩・後輩にあたり、同じ小学校である。校庭に足を踏み入れたのは、卒業以来に近く、実に28年振りと言う事になる。私が学んだ頃は木造校舎が残っていて、床板の節穴から下の教室が覗けたり、おばけがでるとか伝説が受け継がれていたりもした。

少子化の波は確実にこんな田舎の街にも訪れており、生徒数はぐっと少なく、余った教室を何に使うか? と言う問題は切実だそうだ。

寂れた想像をしながら、校庭に入ると、大盛況。意外と広い校庭いっぱいに「運動会」は行われていた。

自分に、運動会の思い出は無い。運動が苦手だったので、楽しい事はなく、かったるい…印象しかないからだと思う。まぁ、どこのクラスにも1人はヒーロー、ヒロインがいるので、運動会なんてそういう人のためにある行事って考えていた。一日中、日に照らされ、砂埃にまみれるだけの1日って事かな。

さて、運動会は淡々と進み、可も無く不可も無く終わりを迎えた。戻ってきた甥に感想を聞くと「こんなもんだよ…」だって。元気いっぱいに走っていたし、めでたしって事なんだろう。

さて、我が母校にはシンボルがある。とてつもなく大きなイチョウの木だ。私が学生だった頃も大きく、見上げれば空は枝で埋め尽くされる。秋も深まると、周囲にはうんち臭さが漂い、なんであんな臭い実をわざわざ拾いに来る「ジジババ」がいるのか不思議に思ったものだ。黄色く熟れ切った実をわざわざほぐし、木の棒の先にたっぷりと塗りつけて、相手の服になすりつけるとんでも無いゲームに熱中した日が懐かしい。
今日、見たイチョウも壮大だった。青々と茂る葉で、空が埋め尽くされる。あの頃は、なーんにも考えずに遊んでばかりいた。それで良かったし、今でも良かったと思っている。小学生なんて、そんなものだ。

塾やら、習い事で忙しい生活を送る同級生が、甥には多いという。まだ4年生なのに、そんな心配をしながら毎日を過ごしているのだと言う。そういう時代になってしまった。

おじたん。がとやかく言う事では無いが、甥にはいっぱい遊んで欲しいと思っている。塾や習い事は、本人が望めば与えればいいと思う。小学生や中学生は将来なんか心配せずに、遊んで欲しいと思う。その中から「ルール」をたくさん覚え、仲間を増やして欲しい。世の中のルールを触れる間口を狭めずに、広く、いろいろな物を見て、考える時間であって欲しいと思う。

写真を撮りながら、そんな事ばかり考えていた。

Comments (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする