おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

紅白を見てみようと思う。

2004-12-31 18:11:14 | 我思う、故に書くなりよ。
40年近く生きているが、紅白歌合戦ってものを一度たりとも、最初から最後まで、きちんと見た事が無い。

自分の好きな歌手、グループが出る事も無かったので、断片的にチャンネルが合った時に数分見る程度でしか無かったし、演歌に心を許せるほど年老いてもいなかったのだと思う。

と言うか、なぜそこまでして紅白でなければいけないのか疑問であった。特に、1家に1台しかテレビが無かった頃など、紅白とその後のゆく年くる年が終わるまでチャンネルの変更は家庭の不和をもたらし、越年と一緒に遺恨を残す結果をもたらしていた。他に幾らでも面白い番組はあったろうに、頑なに紅白歌合戦を見ている親が不憫でならなかった。何か、ひどい宗教にでも毒されているんじゃないだろうかとも、思った事さえある。

やがて、親と一緒にテレビを見なくて住む時代の訪れと共に、好きな番組を心ゆくまで堪能出来る事になり、紅白を見る事も忘れた。同時期、レンタルビデオが広く普及した事もあったんだと思う。

今年の紅白に誰が出るのか詳しく知らない。調べれば簡単に判るのだろうが、歌番組なので、あまり長い時間興味を維持できるものでは無いだろうと思い、調べてない。他は地上波だと格闘技とかなんだろうから、どっちもどっちって感じではあるんだけれど。

まぁ、何か特別な事でも無いのにさも特別な風を装うのを受け入れるってのが、この時期のテレビでもあるし、流しておくってのもアリだろうなぁ。

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夢の中の幽霊と夢の中の初夢。

2004-12-29 21:31:16 | 我思う、故に書くなりよ。
生きている人間の方が遥かに恐ろしいと知っているので、幽霊は怖いと思った事は無い。

以前は昼間だろうが夜だろうが、時間や場所を問わずに見たものだが、最近ではあまり見なくなってしまった。何かを訴えかけて来ると言う幽霊はあまり記憶に無く、勝手にいる。勝手に現れている。的なオブジェみたいな存在が多く、全然関係ない方向を向いて一生懸命に何かを話しているのとかは見た事はあるが、私に対して「何か」を問うタイプの幽霊は皆無に近いんだと思う。

出張で訪れた福岡のホテルで見たのは聖徳太子みたいな格好で、あらぬ方向を見て何かしゃべっていた。こっちはベッドで寝ており、天井を見上げている状態だから、明らかに不自然なヤツである。おまけに、声が聞こえない。ホテルの外を走る車の音や、酔っ払いの奇声は聞こえるが、ヤツの声は聞けずじまいであった。寝不足になるくらいに長い時間しゃべっているのを見ていたんだが…。

で、昨晩は夢の中で幽霊にものを尋ねるという事になった。

ショッピングセンターに深夜出向き、その途中で女性の幽霊に会う。時代劇そのものの格好なので、明治初期以前の人なんだと思うが、姿は判るが顔かたちがハッキリしない。何かを訴えに出ているらしい事は何となく判るのだが、何かこう、サッパリクッキリハッキリしないんである。距離にして5m程先の壁面の手前に現れているが、そこから動く事も無く、我々と対峙している。

そう。我々なのだ。私だけではない誰かがいて、あーだこーだ言っている。そいつが何かを問い掛けると、目の前の床に積もった雪の表面がへこみ、文字になる。

「一点」

ん? 名前? そばの誰かが相手の名前を言えと言ったのか、あんたの名前を言えと言ったのか、ハッキリしないが「一点」と漢字で雪面に書かれた文字を見て考え込む。こりゃ何じゃ?

ふいに寒さで目が覚め、途中で話は立ち消えてしまったが、出て来た幽霊と関係ある人物で、僧侶の名前が「一点」の様な感じだったかもしれない。でも、一点じゃなぁ…。

物悲しい風情を漂わせた女性の幽霊は、いったい何を伝えたかったのだろうか。尻切れトンボなワケなのでとても気になるが、続編として同じ夢を見る事も無いだろうし、見たためしも無い。

ちなみに、来年の初夢の夢をちょいと前に見た。2日の晩に見る夢が初夢らしいが「おー。初夢だぁ!」と自覚するような初夢を見た事は無い。気が付いたら2日なんかとっくに過ぎていて、その年に最初に見た夢なんか記憶に残ってもいない事がほとんどである。

で、来年の初夢の夢は何だったかと言うと「大地震」なんである。布団に包まったまま、畳の上を水平移動しまくり、ようやく起き上がるものの普段から滅茶苦茶な部屋が余計に滅茶苦茶になり、あーこれは大変だなぁ…っと実感するんである。倒れる家具も無いし、家も大して潰れなかったが、ガラスだけは全てが割れて散乱し、うかつに動くと血だらけになりそうだった。で、まぁ、寝床のそばに置いてある軍用ブーツに履き替えてミシミシバリンバリンしながらうろうろ始める。

インフラと言うインフラは全てダメになったが、田舎なんであまり風景に変化が無い。家が潰れはしているが、ビルなんか無いもんだから、あまり崩壊している実感が無いのだ。んで、非常用のリュックを背負い、近所の公園に避難に出掛けると、勝手に燃えそうな物を集めて火を起こし、お湯を作ってコーヒーをすする。「あー。親とか近所も呼んでこないとなぁ…。」快晴の空の下、寒さを楽しみながら、避難民として身近な世界を案ずるのである。

ちなみに、夢としてはどちらもいただけない。やはり大爆笑しながら目が覚める位の夢で無いと、記憶に残らないのである。放送禁止老夫婦「古山慕宮城」とか「茶髪店員のススメ」とか「股間にウニ」などの名作を抱えている身としては、かなりいただけない。まぁ、おいおいとこの名作には触れる事になると思うが…。

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津波でこっぱみじん。

2004-12-28 19:29:58 | 我思う、故に書くなりよ。
海抜数メートルだからね。下手したら何も残らないなんて事もあるんだろうな。

父の田舎から車で数時間走ると、三陸海岸に出る。強固な防波堤だらけの海沿いの町を車で走りながら父は津波の恐ろしさを語った。父の田舎は内陸にあり、津波の被害を直接は受けなかったのだが、小さい頃から津波の恐ろしさを語り継がれて育っていたのである。その父でさえも、遠い昔のお話でしかないんだろうが、津波に備える事を余儀なくされた街を走りながら、海に近い所を走っているにも関わらず、海は見えず、コンクリートの壁だけを延々と見なければならない所に、恐ろしさの裏づけを見て回った気がした。
地球の反対側で起きた地震が津波を起こし、24時間後に襲われたと言う、教科書にも載っている大津波に見舞われれば、こうした防災対策がしっかり取られるのも判る。かといって、そうそう起きる事も無いので、失うものも多かったに違いない。景観はだいなしだし、観光に良さそうな事はあまりない。

しかし、ただ頑丈な防波堤があるだけの街ではなく、災害に備える姿勢が住民に根付いている所が違う。誰に尋ねても、「あっち」と、逃げる方向を知っている。小さな漁港であれ、商店街であれ、誰もが自分の逃げる方向を知っているし、教えられる事が当たり前の街が出来ているのである。

独特の海岸線が形成された所でもあるので、小さな津波でも被害は甚大となってしまうワケで、事実何も無くなってしまったのを山から見ていた人も多かったそうだ。人も家も船も車もみんな一緒に流れてゴミになってしまったと聞いたが、そんな光景を想像するのは難しく、奥尻島が津波で壊滅した時に、やっとその言葉の意味が判った次第。

南国の観光地で、そんな備えがあるとも思えず、流されるままなんだろうなぁ。災害とは無縁だった楽園が一変してしまうとは想像すらしてなかっただろうし。津波が来るとも来ないとも判らんような所では為す術無いだろうし。

100年に1回の災害に備えるのは難しいのかもしれないが、1度罹災した後に備えないのは「人災」だと考えないといけないかもなぁ。

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前方後円墳。

2004-12-26 21:05:39 | 我思う、故に書くなりよ。
日本にはこういった史跡が数多くあり、得てしてデカイ。が、エジプトのピラミッドと比べると低く小さい。

そんな話を帰国子女(本人がそう呼称しており、差別等の大意は無い)としてクリスマス当日を迎えたワケだが、彼女は日本のソレを「鍵穴マーク」と呼んでいる。

確かに、空撮などで撮られる写真を教科書や百科事典等で見ると「鍵穴マーク」のソレである。最大の仁徳天皇稜等もキレイな鍵穴の形がクッキリハッキリである。これには異論が無い。

「これ、違うじゃんねぇ。前が丸いじゃんねぇ…」

帰国子女は写真を見ながらキャプションに異議を唱えていた。「前方後円墳」の5文字に。

そう。前が四角く、後ろが丸いから「前方後円墳」であり、鍵穴マークから想像すると「前円後方墳」となってしまう。

「これは前では無いらしいぞよ。だから後円墳で正しいらしいぞよ。」

油っぽい食事とケーキで満たされてしまったあちくしは、冷たいウーロン茶でさっぱりを味わいながらより一層のさっぱりを求めて冷蔵庫を漁りながら訂正する。

「するとこの写真は全部逆さまなんじゃありませんか? そこのおじーさんよぉ…」

ん? 逆さま? 何を言い出すのだ、この帰国子女は。確かに伸ばしたヒゲのほとんどが白髪となってしまい、えせサンタ風ではあるものの、おじーさんとは何事じゃ。そもそも「逆さま」とは何ぞや。

「だってさぁ、前がこっちなら上はこうじゃないの…」

うむ。確かに鍵穴マークとして認知出来やすい写真が殆どだが、前にあたる部分である「前方」は下にあり、「後円」は上である場合が多い。うむむ。前方を上にすると何となく違和感が生じ、逆さ鍵穴マークを認めたくない自分がそこにいるのである。

これは古代の天皇の陵墓、つまるところ「お墓」であり、入り口は四角い「前方」の部分、亡骸が納められているのが丸い「後円」の部分だと言われている。だから入り口の部分を手前に持って来た方が判り易いという意味の写真ではないかと思うのだが、「前方」を上方に合わせると逆さ鍵穴マークとなってしまう。

意味としては正しいとは思うが、視覚的に受けるデザインとしては「違和感」を感じてしまう物なのだと言う事なんだなぁ。

「ねぇ、何でこの形なの?」

何でと言われても、そんな事は古代の方々に聞いてみないと判らない。そもそも、限られた人のためのお墓であり、庶民に墓など無いに等しい時代の物だ。そのデザインの由来に何か意味があったとは思われるが「これだからこーした…」と言う書物があるとは聞いた事が無い。伝承にしても残っているとは思えず、場所によっては丸だったり四角だったりって物もある。だが、天皇陵と呼ばれる物にはこの鍵穴マークが多いのも事実である。

「きっと宝物よ。宝だから鍵穴なのよ。そうなんでしょ?」

連想としては悪く無いが、恐らく関係ないと思う。埋葬品の中には確かに「お宝」的な価値のある物もあったとは思われるが、歴史的な価値観から言えば「お宝」かもしれないが、現代に残る様な金銀財宝の類や、宝石ザクザクの類は少ないと思う。盗掘されて後世に残る様な宝物が無いに等しいから。

この辺はエジプトなんかと比べると寂しい物がある。黄金の国と呼ばれていた時代もあったが、もっと古くには黄金すらなく、大陸から伝わったガラスとかの装飾品位しか出て来ない。黄金のデスマスク位出て来ると派手で良いが、それほど高度な技術がまだ無かった時代なのかもしれない。

「で、この中何が入ってるの? 誰か入ってンでしょ? 大学の人とか…」

あんたもヒマなら入って来なさいよ…的な勢いで言われたが、宮内庁を敵に回すほど左翼ではない。

天皇陵であるからして、学術的な見地からも発掘調査位はしていそうだが、実はあまりされていない。明らかに「天皇陵」と判る物等は、その殆どが未調査に近いと言う。だから、内部がどうなっているとか、明らかになっている物は少なく、中世に盗掘した人の日記とかあれば、それが唯一の物だったりするし、住宅や道路整備の途中で偶然にも「陵墓」だった所を掘ったり、崩してしまった時に行われた調査位しか行われていないと聞く。そんなワケで、鍵穴マークのお墓の殆どは「謎」に満ちており、言われている人のお墓だとは限らない場合もありそうな勢いで、未調査なのだと言う。

「はにわが転がってるだけらしいよ、中は。あとは錆びた剣とか鏡、ガラスの管とかね。」

その大きさからすると実に乏しい中身に思えるが、埋葬された人が肝心なワケで、そもそも「お墓」である。お墓すら持てない人が多かった時代にあれだけのお墓を作る事が出来て、それを許された身分を考えると「さもありそう…」に思えるが、そう思うのは現代人の「価値観」だからであって、当時の人々にそれと同じ物を求めるのは難しいだろう。

「じゃあ、何も判って無いワケね? 何で? どーして?」

日本人はエジプトのピラミッドの事は詳しく知っているが、自分の国のお墓の事は詳しく知らないのが現実で、そこには最先端技術を伴った科学の世界すらも立ち入る事は出来ない。なぜなら、殆どが「天皇陵」であり、天皇の墓を暴く事に他ならないから。エジプトの王様はよくて、日本の天皇はだめなのか? って事もあるが、エジプトでもダメなものはダメらしい。最近では世界に散在したミイラを返せって事もやってるし。まぁ、そんなワケで、偉かった人だけれど天皇では無い…人のお墓であれば調査も進んでいるので、そこから類推する他に方法は無い。が、誰が被葬者だったかは定かでは無い場合も多々あるので、調べたら天皇だったなんて事も無きにしも非ず。だが、そんな事は無い様に配慮されてるのかもしれない。

「イエス様はどこに眠っているのかしら? おじーさん知らない?」

重ね重ね言うが、おじーさんじゃないんじゃ…。ほっほっほっ…。ん? イエス様? イエスさんはお墓無いだろ。生き返っちゃったんだから。それ以来、あちこちに現れて教えを説いた後は定かでは無いが、ここが「イエスさんのお墓です…」って所は無い。だから、誕生を祝うクリスマスはあっても、弔う日は見当たらない。もっと詳しく言えば、12月25日だって、怪しい。聖書にはきちんと記してなかったのだ。その後の宗教の「流れ」の中で12月25日に定まっていったと言うのが正しく、正確な日時は未だにわからないのが本当の所である。だいたい、その生まれからして「神」づいちゃっているワケで、こーなるとお手上げ。ただ、磔にしたした人もいたようだし、槍で刺した人もいたようなので、実際にいたらしい人ではあるのだが、何故かちょくちょく現れて人々に奇跡をもたらすのはお母さんの「マリア様」の方だし。科学の進歩と共に、その矛盾と戦わなければならなかったのは、後に彼を神と崇めた宗教者達であって、その苦労は未だに続く。神の与えたもう試練は、我々には過大過ぎる物が多かったのだ。

「じゃあ、これは鍵穴じゃないのね…。ふーん。」

つまるところ、鍵穴マークと天皇陵に象徴される前方後円墳のそれとは関係が無いと思う。関係ないのだが、何か通じる所を与えるのが記号的な物だけなのか、その他にあるのかどうか、誰も判らないままに時間は流れる。むしろ、そんな事はどうでもよい事であって、それがどーした? 的な記憶の片隅にも残らない物なのかもしれない。だが、そこを突き詰めて考える時間や人も必要な場合もあると思うが、我々が相応しいのかどうだか、甚だ疑問は残る。

「あたし、これ見に行きたいなぁ…」

難しい事では無いが、希望通りに見るにはセスナかヘリをチャーターしなければならない。

「えっ? じゃあ何でこんな形に?!」

これだから歴史のロマンは尽きない所がいいのかもしれない。とりあえず、冷蔵庫で見つけた抹茶アイスをナメながら、クリスマスの夜は更けて行くのである…。

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こんなに赤いのにか…。

2004-12-24 23:49:55 | 我思う、故に書くなりよ。
本日はお出かけです。ケーキ食い過ぎ。油まみれって感じでさっぱりした物が喰いたいなぁ。

キリストの誕生日とは無縁だが、世間一般ではクリスマスと称し、ケーキを喰う慣わしが慣習化している様だが、それもこれもケーキ屋の算段だとしたら上手くやったもんだなぁ。

サンタが赤いのもコカコーラの算段だから、これも上手いもんだ。寒くなっても冷たいコーラには堪らないモノがあるワケで、そんな事とは関係なく飲んでいるけれど、イメージとしては夏の飲み物に近いとは思うねぇ。

七面鳥だけは定着しないなぁ…。っとボヤいたら、一緒にいる帰国子女は「日本にはいないじゃん」と。

まぁ、動物園でしか見ないと思うが、あの顔は少しグロい。とても食べようとは思えない顔している。ならば「にわとり」で充分なワケで、チキンはこの時期ケーキと同じ位に食べられる。

北米に育った帰国子女いわく、七面鳥は美味しいとの事だ。私も食べた事は記憶にあるが、味の記憶は無い。チキンと比べてどう違うのか覚えてさえもいないので、七面鳥ですって出されても違いが判らないと思う。

とか考えているうちに、帰国子女はメールチェックをし、げらげら笑っている。クリスマス・カードの欠かせられない生活が染み込んでいる人だが、クリスマス・メールも同じ様に欠かせないモノだという。日本で言えば「年賀状」に近い感覚なのかもしれない。元旦の早朝にはアクセス規制される年賀メールも同じだろう。

どちらも、昭和天皇が危篤になり、日本中が「自粛」ムードに包まれた頃から私は止めてしまった。虚礼廃止って事もあったわけだが、それで礼を欠くとか考えた事も無く止めた。年末も正月も無い仕事だった事も幸いしていたと思う。とは言え、一般的なものでは無く、変わりモンだと自分でも思う。

英語が判らないわけでも無いが、メールを見せられてもネイティブに笑えるワケが無く、面白さが帰国子女に比べて100分の1も無い。同じ人間でありながらも、こう言った「差」に温度差を感じるのではあるが、だからと言ってどうしようも無いのも事実。

同じ物を見ても彼女とは意見が違う。全く違う世界にいるかの如く、見解の相違は尽きない。帰国子女だからと言うわけでも無いのだろうけれど、一般的に言われる「自己主張」は日本人には見られないほど強いものがある。好意的に受け取れば何でも無いことなんだと思うが、一歩間違えると「ケンカ売ってんのか?」って事も多大にある。そういう家庭に育ち、そういう社会に生きていたワケで、それが当たり前の世界。

こうも世界が違うと、一緒に同じ時間を共有する事すら難しいと思うのだが、苦では無いし、苦でも無いと言う。世界は広く、深いのである…。

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PEZ!

2004-12-22 13:47:41 | 我思う、故に書くなりよ。
ペッツ。それはお菓子でありながらお菓子本来の味や形態はさておかれ、それを携帯するために誂えられた外装容器とその頭部に模されたデザインに多種多様な発展性を見る類稀な玩具でもあるかもしれない。

すーーーっとする白いブロック状の小さなお菓子だが、私が幼少の頃には既にあった。お菓子単体で販売されていた記憶は薄く、どちらかと言えばディズニーのキャラクターを模した携帯容器(ディスペンサーと言う)とセットで売られていた記憶が濃い。付属のお菓子の方を、ディスペンサーにセットしてその頭部を後方にそらすとその喉元から「ぬぅ~」っとお菓子が出てくるアレである。

そのお菓子の充填はモデルガンのマガジンにカートリッジを詰め込むが如く、ディスペンサー本体(ステムとかボディと言うらしい)を下に引っ張ると現れる「溝」にはめ込むワケで、常にフル装弾でなければ気が済まなかったものだが、お菓子単体を見かけた事は無く、新たな装弾にはディスペンサーごと再度購入しなければならなかった事から、私の幼少の頃にはあまり流行らなかった気がする。

ところが、スーパーのお菓子売り場では見かける事が多々あり、買いはしないが「あー懐かしいなぁ」的な存在として続いていた事は知っていた。幼少の頃と何ら変わらないデザインを踏襲し、細々となのか大々的なのかは知らなかったが、続いていたワケである。

小さな姪を連れて、ブックストアに出掛けると、彼女はガチャガチャの前にすたすたと向かい、おじさんの顔を見上げ「ぺっつかう。」と宣言する。最初は何の意味だか判らなかったが、彼女の指差す先には小さいが紛れも無くあの形を維持したディスペンサーの写真が貼られていた。

大き目の緑色のタマゴをガチャガチャ(がしゃぽん…とも言う)から取り出し、中身を開ける様に要求され、その希望を叶えると「かえるしゃん。」と教えてくれた。丸々としたミドリのカエルの乗った小さなペッツは私が見て来たそれとは違い、小さいけれどまとまったデザインとバランスに新しい物を見た気がしたのである。

姪の母親である妹に聞くと、家中にゴロゴロしているらしい。色違いはあるものの、かえるさんがお気に入りの様で、行く度に買うのだが、執着心は薄く、ゴロゴロしている状態が続いていると言う。まぁ、小さな子供ならどこにでもある風景だと思う。でも、姪は他のキャラクターのペッツにはあまり興味が無いらしく、欲しがるのは決まってこのカエルだと言う。同じミニペッツで「どこでもいっしょ」のキャラクターもあるが、あっちのカエルには興味ないらしい。

私も気に入ったので、姪の了解を得て1つわけてもらった。単に可愛いだけではないデザインの「妙」がそこにあり、なんだか長く求めていた物がようやく手に出来た様な嬉しさがある。装填すべきお菓子が3つしか入らない所がミソだが、立派なペッツとして完成している。レギュラーサイズのボディにこのカエルさんが乗っかっていても、私はあまり気に入らなかったと思う。

気になってちょっと調べたら、コレクターの世界に触れる事が出来た。色々と種類があるが、やはり「あー懐かしいなぁ…」と言うだけで、このカエルさんのミニペッツ以上にそそられる物が私には無い。無いのだが、その奥の深さは尋常では無かった。舶来のお菓子とは知っていたが、これ程までに広がっていたとは…。まぁ、頭に乗せれば何でもアリみたいな感じは拭えないが、細かい所を見ていけば色々と違って見えるのかもしれない。

あっ。カエルさんの場合、頭部だけで完成されてる所がミソかも…。でも足が余分に付いてるなぁ。

何にせよ、ペッツは脈々と受け継がれるだろうと思う。頭の数だけ、世界は広がる。

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NHKに言いたい

2004-12-20 20:24:38 | 我思う、故に書くなりよ。
NHKが言いたい…にしとけば良かったものを…。

まぁ、何かを期待出来る組織では無かった事が改めて判っただけで、だからどーした? って部分が無かったワケだし、これからどーする? って物も無かったなぁ。

判り易い形としては「会長辞任」なんだろうけれど、それでは何も変わらなくて、頭のすげ替えで終わってしまう。NHKを実際に動かしているのがどこの誰なのか? ここを何とかしないと何も変わった事にはならないとだけ判った気がする。

その、どこの誰ってのが「経営委員会」って所。ここがしっかりしていれば、不祥事が起きたとしてもだからどーした、これからどーする、結局こーしました…って事が概ね納得出来る形で対処出来るハズなのだが、大きな役割があるにも関わらず、大した事してなかった事がばれちゃったワケ。それなりの人選を経て、経営委員は決められていると思うし、社会に無関心なアバンギャルドを集めてやらせているワケでは無いと思うが、存在自体が全く意味無いに等しい存在だったワケで、仕組み自体が意味を成していなかったワケだ。恐らく、何かを考えて動く組織ではなく、出来合いの物を承認するか否かだけの「動かない組織」だったんだと思う。いわゆる「形だけ…」って存在なのに、そこに科せられる役割は重大かつ重要なもので、内情がバレてしまうとそのギャップの激しさに驚くんだと思う。

経営委員を一人づつ責任の所在について問い詰めたら、みんな逃げ出すと思うな。イスと資料を用意されて月に何回か顔合わせてお仕舞なんだから、責任うんぬん言われたら驚いて辞めるんだろう。そういう形骸化した組織でしかないんだろうね。

そんな事もあって、「総退陣」を意見するゲストもいたワケで、あの雪印の社外取締役をされているだけにその言葉には重みがある。でたらめな経営が消費者に多大な迷惑をかけたのはNHKも同じであるだけに、見ている方はもう少し意見を聞きたかった。

そんなワケで、何も考えずに番組を作ると「やぶ蛇になる」「火に油を注ぐ」と言う事であり、ボロボロなNHKを全国に放送してしまったワケだ。それもこれも、皆様の受信料でね。視聴者の不満がストレートに放送されていた事は評価に値すると思うが、不満の回答を会長に求めても答えなどついに出る事も無く、趣旨のわからない会長吊るし上げ番組で終わってしまった。

会長に責任を求めるのも判る。ただ、それではどこにでもある「不祥事の結末」と同じで、本質は何も変わらない。辞める事で責任を取るだけなら誰にでも出来るし、それで問題がきちんと解決した例は少ないと思う。ほとんどが「うやむや…」な形。それで良しとする日本的な慣習で良いならば、この問題はこのまま続くだろうと思う。形だけの「締め」で満足するのも日本的な慣習の1つだと思う。

単なる不届き者のしでかした不祥事だけなら「うやむや…」でも良かったかも知れないが、不祥事をさらなる「不祥事」にしてしまった組織のボロさまで露呈してしまったのだから、うやむやでは済まされなくなってしまった。

公共放送を謳い、報道機関でもあるNHKが、この後どーして、どーするのか見物である。

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Zippoハンディウォーマー その12。

2004-12-20 15:02:33 | お主もハクキンよのぉ…。
コンビニで面白いものを見つけたのでゲット。使い捨てパッケージのZippoオイルである。
1本で4ccなので、レギュラーサイズのライターなら2本使えって事で、2本がパックになっていて、160円もするのだが、これなら緊急用に燃料カイロにでも宜しいかと思って買ってみた。

Zippo版カイロなら1日持つかなぁ。そんな感じの量ではあるがあくまでも緊急用だからなぁ。ライター用なんだし。

あー。でもライターの適量って8ccなのかなぁ。普段はたらたらと染み込むに任せて入れているので量なんか気にした事無い。改めて考えさせられる「量」でもあるねぇ。

まぁ、こういう形で販売してくれるとZippoライターを使っている身としてもお手軽でありがたいワケだが、なんとなく「廃れそう…」な感じもしなくは無いな、これ。

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本日も…

2004-12-19 22:58:12 | 我思う、故に書くなりよ。
おでかけです。出先で「NHKに言いたい」を見ております。

受信料を支払う事が「当たり前」とする根拠があやふやなのに、多くの人が「当たり前」と信じている日本ってのも凄い国だよなぁ。前にも書いたけど、罰則も無いし、払わなくても見られるし、非常にあやふやな契約を強いられているだけなんだよねぇ。そこに生まれる「不公平感」については何も議論が進まないでここまで来ちゃったワケだけれど、根本の部分が非常にもろく、ぼやけてしまっている事を何故議論しないのだろう?

てなワケで、やらないよりは良かったが、やってもあまり意味は無かろう…って番組で終わると思うな。

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本日は…

2004-12-18 20:39:56 | 我思う、故に書くなりよ。
お出かけしております。むふふ。

そんなワケでブログはお休みです。でも、IDとパスがあればどこからでも書き込めるのは便利だな。
むふふ。むははは…。

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Zippoハンディウォーマー その11。

2004-12-17 12:04:07 | お主もハクキンよのぉ…。
ハクキニストがいいのか、ハクキナーがいいのかどっちかにしたまへ。

それはさて置かれ、燃料の考察もどうでも良くなった按配で、普通に愛用しているワケだが、普段はどの様に使っているかと言うと、ポケットの中にその存在を確認できるワケである。

まぁ、スポーツは「にぎにぎ…」してナンボの物なのでこれはポケットの中でも良いが、Zippo版カイロの方はポケットには向かない。どちらかと言えば、お腹のあたりに留まり、体全体にその熱を広めてくれる方が都合が良い。午前中に見た「はなまるマーケット」では首の後ろ辺りに「使い捨てカイロ」を貼ると体全体が温まると紹介していたが、貼れる使い捨てならではの使い方なので、燃料カイロだと苦しいものがある。

そんなワケで、ネックストラップにぶら下げて、お腹の辺りに安定させて使っているが、場合によっては「背中側」を攻める必要も出て来る。この場合、ネックストラップだと、なお苦しい状態が予想されるワケで、何とか考えないといけない。ズボンのベルトの腰の辺りに挟んでおくのが気持ちいいのだが、挟んでいるだけってのも不安だしねぇ。

ま、普通に考えれば「腹巻」である。バカボンのパパのマストアイテムでもあり、今は亡き寅さんも愛用してやまなかった腹巻。普通に着用しているだけで、かなり暖かいそうだが、これに燃料カイロを挟んでおけば、無敵と言えよう。

だが、私の場合、お腹のもぞもぞ感が耐えがたく、幼少の頃にお腹を壊すと強制着用させられたものだが、ついに慣れる事は無かったのだ。

ちなみに、我が父は腹巻愛好の士である。腹巻の上からジーンズを穿き、何食わぬ顔で仕事に出掛けるが、どう考えても怪しい。ワークシャツで隠れるものの、胴回りは腹巻で膨らんでおり、これをジーンズでまとめた上に、ベルトで締めるワケだから、その感触を想像するだけで私には無理だ。

実は、本家、株式会社ハクキンではカイロを身にまとうためのベルトを販売している。「ハクキンベルト」と言う物だが、カイロの入れられるポケットが付いたベルトと考えて良いと思うが、こっちの方が腹巻よりもスマートだし、大袈裟にならないで済むので、例によってWEBから注文。ついでにフリースの袋も頼んでみた。こっちは別珍の巾着の代わりにスポーツを入れたい衝動に駆られただけの話。

年末には届くとウレシイのだが、どうなる事やら。ただでさえ「ぬくぬく…」なのであるが、より効果的に「ぬくぬく…」を楽しむための努力も怠らない所がハクキニストであり、ゆくゆくはさも当たり前の様に「ぬくぬく…」している状態が望ましいワケであり、そこへ至るまでの道は険しいと勝手に考えておくのも初心者としては正しい姿勢でカイロと向き合っていると言っても過言ではない。

カイロが届いて、1ヶ月ちょい経つが、ほぼ毎日使っている。この間に出たゴミは、ベンヂンのプラボトルが2本だけ。さすがに燃料を入れるだけで再使用出来るワケだから、捨てる物が少ない。これはなかなか良いと思った。分別する以前に捨てる物が出ないって事が、実は大事な事なんだと思う。

まぁ、ビニールで包まれて売られていない商品を探す方が難しい世の中だから、そう感じるのかもしれないけれど、包んで無いのもまた変に感じたりもするが人間なので、出るゴミは少ない方が良い…って事だな。大袈裟にエコロジーを叫ぶと墓穴を掘りかねない私みたいな人間には、普通に使っているだけでゴミが出にくいって物は助かるワケです。はい。

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そう言えばドン・キホーテ…。

2004-12-16 14:26:24 | 我思う、故に書くなりよ。
近くでも無いけれど、ネズミのエサとか、スパムとか買いに行く事はちょくちょくある。

よそのスーパーやショッピングセンターでは置いてない商品が多々あり、まぁ、見ているだけで楽しいとは思うが、夜遅く行くと独特のファッションで決めた独特の客層に占領されるので、狭い通路で目でも合おうものなら刺されかねないスリルが味わえる。「DQNの聖域」とさえ呼ばれるのは納得が行くワケだ。

普段行く所は、天井が高かった気がするのだが、天井に近い所まで商品が積み重ねられているのは他の店舗と同じらしい。だが、それが圧迫感を感じるって事は無く、崩れたら大変だろうな…位にしか考えた事はなかった。

んで、思い出しながら考えると、入口も出口も狭かったな。ちょっと嵩張る物を買った場合に、どうやって外へ出ようか? 考える事は多々あった。そんな最中に火事でも起きたら、無事じゃ済まないと思う。スプリンクラーが設置してあったかどうかは覚えていない。2階建てで2階も店舗だから、恐らく設置はしてあると思うけどねぇ。

以前、不動産会社に勤務していた時に、防火責任者うんぬん…ってのをやってた。管財関係の部署にいたので、財産管理のついでって事なのだが、貸し事務所、貸ビルがメインだと、テナントもそうだが、防火管理者みたいなのを決めなければいけないし、防火訓練とやらもやらないといけない。テナントが入ってる場合はまだいいのだが、借り手の無いビルなんかでも一応は対策を考えて消防署に提出しないといけないのでえらく面倒であった。

まぁ、税金も滞納する様な会社だったので、その辺の所はほったらかしだったワケで、迂闊にも真面目に仕事すると大変な目に遭うのが常である。案の定、消防署から呼び出され、私の知らない世界の話で怒られるのだ。

と、言うのも、私がその会社に入社するン年も前から消防署のご招待はあったわけで、のらりくらりとかわしていたのだが、消防署の堪忍袋の緒が切れたとなると、生半可な事ではない。不意打ちで査察に来られても空きビルなんだから誰もいないわけで、すっとんで行かなければならないし、指摘事項の改善計画やらそれに伴う工事も必要となれば稟議書も書いて決済貰わないといけないし、バブル弾けてそんな金は無いワケだし、踏んだり蹴ったりなんである。

実際、空きビルに放火されたりもした。浮浪者が冬の寒さに耐え切れず、侵入して焚き火しやがったのだが、正月に家でニュース見てたら「あれ、何か見た事あるなぁ…」ってビルの火事のニュースだったワケで、会社の偉い人が呼び出されてたみたいだったが。

ともかく、消防署は結構厳しい。書類の提出だけでなく、ちゃんと見に来るし、改善した後も見に来るんである。それもこれも、火事の恐ろしさは平時では想像付かない物だからだと思う。不特定多数の人が出入りする店舗なら、もっと厳しい扱いだと思うし、おいそれと燃えない、燃え広がらない工夫を求められる。自治体によって若干の違いはあるが、ドン・キホーテの店内のそれが、適法なのかどうか、普通に利用していてやはり疑問が残る。

あれだけの商品が崩れれば、あっという間に避難路は無くなるだろうし、部分的には人がすれ違う事も難しい所が多々あるのも事実だ。ジャングルとも迷路とも言われる商品陳列の方法が、万一の事を考えていたのかどうか、問われるのは当たり前だと思う。

すでに3人の命が灰になってしまったワケで、社長が泣いた所で誰も同情はしない。放火ではあるものの、万が一に備える必要に欠けていたのは明らかであるし、陳列方法と無縁だとは誰も思わないワケで、事実、消防署からの指摘事項は山ほどあった事が明らかにもなっている。

利益を追求するのに伴い、その裏で、当然やらなければいけない事、守らなければいけない事は必ずあるのだと思う。それを疎かにして、命を失ったとするならば、ホテルニュージャパンの悲劇と何ら変わらないと言う事だと思うね…。

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さぁ戦争だ。

2004-12-15 06:36:07 | 我思う、故に書くなりよ。
と、北朝鮮は意気込んでいるらしい。相変わらず楽しい国だ。

まぁ、何を言っても「捏造」だの「国家的謀略」だって言うんだから、「対話と圧力」の対話が無駄なワケで、別に今に始まった事ではなく、日本だって知らなかったワケでは無いだろうと思う。

知らなかったワケでは無いが、北朝鮮からボロボロと漏れてくる情報には拉致被害者の生存情報が多く含まれているので、これを無視するワケにも行かないからあーだこーだやってるんだな。まぁ、理詰めで攻めて切り崩そうと頑張ってたワケだが、あっちとしては「出せない物は出せない」事に変わりないと言う事。

で、圧力としての経済制裁を行うと、武力で対抗してくると公式に発表しているワケで、日本としては「困る」のだが、自滅覚悟でやるなら本当にやるんだろうと思う。

ところが、現実的には「出来ない」線が濃厚でまったりなのだ。それは「石油」が無いと言う事。

戦争するのに戦車や戦闘機動かすための油が無い。攻撃は出来ても継続出来ないので、大した事にならないで、ぐちゃぐちゃになって終わるだろうと、どこのアナリストも考えている。北朝鮮が中国やロシアに参戦を呼び掛けたとしても、今の趨勢では加担するだけで「世界のテロ国家」に仲間入りするだけで、何らメリットも無い。アメリカが黙っているわけは無く、中国の核ミサイルの標的にされているわけだから撃たれる前に撃つ。そこまでのリスクを背負って付き合うメリットは北朝鮮には何も無いの。
ただ、攻撃は出来るので、これは単独でやるかもしれない。一番現実的なのは日本にうじゃうじゃいる工作員を使ってのテロだろうと思う。当たるのかどうか判らないミサイル撃つより効果が高いからね。これはちょっと恐れないといけない。なんせ、うじゃうじゃいるのは判っているが、普段は一般市民として生活しているワケで、その全てを公安が把握しているとは思えないからなぁ。

手口だって、バックに北朝鮮が付いていると明らかに判る様な方法じゃないかも知れない。軍事テロだけが方法ではないのだよ。どこぞのスーパーに放火しまくってもいいわけだし、初詣で自爆テロでも、通り魔三昧だって構わない。もうちょと派手ならハイジャックでもいいし、空港や駅を一定期間使用出来ない様にしてしまうのもアリ。さも、どこにでも有りそうな「事件」を装う事がミソであって、どこにでもある恐怖を作り出し、不安と恐怖の連鎖に巻き込む。それこそが「工作」の本質なのだ。

実際、大韓航空機が「日本人」旅行者によって運び込まれた爆弾で墜落している。犯人が一緒に爆死していたら、恐らく「日本人」の犯罪として歴史に残ったのだろうが、犯人は逮捕され、北朝鮮の工作員が「日本人」に成りすまし、犯罪を行った事が明らかになっている。いわゆる「キム・ヒョンヒ」の起こした犯罪がそれで、小説でも劇画でもドラマでも無い、現実に起きた事なのだ。

そんな事を実際にやっている国である事を忘れちゃいけない。拉致問題でどこかの家族が困ってるって他人事の事件だけではなく、どこの誰にも降り掛かる様な「テロ」を実際にやってる国なんだと、考えておかなければいけない国なのだ。

ちょいと前に、北朝鮮のジャンパー野郎の壮大な敬称が外れた形で国営放送が流れた事があり、何らかの異変では無いかと騒がれた事は記憶に新しいと思う。あれが実は、潜在的な対日工作員への指令だとは考えてもおかしくは無いと思う。昔みたいに、数字の棒読み放送を流すだけではあからさまに判ってしまい、それとなく伝える工夫にしては大胆だが、考えられなくは無いと思うなぁ。

そんなワケで「戦車」や「戦闘機」「ミサイル」だけが「戦争」ではない事を知らなければいけない。そういった戦争を受けて立つには、日本は無防備に近い事も考えなければいけないねぇ。

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流れ星。

2004-12-14 03:08:29 | 我思う、故に書くなりよ。
いつもと違う「ぬくぬく」装備のおかげで寒くは無かったが、雲がなぁ…。

そんなワケで「ふたご座流星群」を撮ってみた。月も無いのに街の明かりが簡単に映りこんでしまうし、雲も出ていたので写真を撮るのには向いていないのだけれど、なんとか写ったからいいかな。

10分に1個位は流れていくのだが、カメラの向いている方向で流れてくれるワケではないので、偶然に期待するほか無いってのもミソ。

ちょっと歩いて、人気も灯りも全く無い公園まで出向いたんだが、流れ星は見るんだけれど、写ってくれてはいないのがほとんど。寒いと電池はへたり易い上に、長時間露光なのでなおさら。

カメラの写していない所では結構きれいに流れていたので、なかなか楽しめた。

宇宙のゴミのなれの果て…ってのが「流れ星」の正体ではあるが、最後は「輝く」のである。

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京都買います。

2004-12-13 12:33:00 | 我思う、故に書くなりよ。
京都で京都通(ツウ)の認定試験(京都・観光文化認定試験)の第1回目が行われたそうな。

んで、おじたん。の記憶の扉の奥の引き出しから引っ張り出したのが「京都買います」。

先日、唐招提寺展に憧れを燃やす「オヤジ化」の危機を憂いた話は書いたと思うが、ちょっとこれにも掛かってくるお話なので読んでおいてくれたまへ。

さて、京都買います…ってのは円谷プロの特撮番組の中でも1、2を争う傑作中の傑作「怪奇大作戦」のサブタイトルである。私よりも1世代古い方なら、そのテーマソングと共に記憶に残っているのでは無いかと思う。また、妙ちくりんなスポーツカーが思い出せれば完璧だ。

世の中に起る奇怪な難事件を科学捜査研究所(注:民間組織である)の熱血捜査員達と警察官が解明して、犯人を追い詰めると言う、チョーカッコイイ番組だったのだ。TBSは子供向け番組として放映していたらしいが、1969年の子供はどうだったのか? 考えさせられる程に中身は濃く、ハイレベルな内容だと思う。当時、おじたん。は3歳~4歳だったので、リアルタイムな記憶はとても薄い。薄いのだがテーマソングだけはとても濃く記憶しており、成人してからビデオを探しまくって、夢中で視まくったワケだ。

この「怪奇大作戦」の中でも、私は1位か2位にはエントリーしたいのが第25話「京都買います」なのだ。

あらすじを書いてしまうと、身も蓋も無いので書かないが、仏像に理解を示せる「オヤジ化」しつつある今だからこそ、改めて見直したい1本だし、認定試験に出てないとすれば、ツウとは言えないと思うのである。(ま、受けて無いから知らんが…)今は亡き、岸田森の名演技無くして語れない回でもあると思う。

昨今の日本の犯罪事情を考えると、第24話「狂鬼人間」が永久欠番とされてしまったのは非常に惜しい。惜し過ぎてジタバタする。それ位にタイムリーな物語なのだが、その後の社会の変遷の中で、放送禁止用語の新設とか、内容その物が現代では放送出来ない事情があって、ビデオでも見る事は難しいとされている。かつてDVDが発売されたとかされないとかの話があって、購入を酷く迷ったのだが、欠番となっていると話を聞いて、諦めた事があった。

だが、その内容は30年経った今でも、少しも褪せぬ。断言してよい。「今こそ見せるべき番組」だと。特に番組後半の事件を回顧して捜査員が語る「憂い」。30年経った今も、何ら変わっていない。

こうした質の高い番組こそリメイクされるべきで、現代の特撮をこうした趣向の物へ反映させたら凄い物が出来ると思うのだが、変身ヒーロー物や戦隊ヒーロー物でしか見られないのは残念である。

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