おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

結局、親父もシャブ中じゃねぇか。

2004-09-30 20:22:30 | 我思う、故に書くなりよ。
誰もがそうでないだろうかと思っていたが、まさか「そうだろ?」とは言えない状況ではあった。被害者の父親だったからだ。

栃木の子供が2人惨殺された事件。非は当然、容疑者に向けられる。が、ネットでは容疑者よりも、その父親に向けれらていた。顔なしの記者会見を見ていて、誰もが不自然に思い、怒りさえ覚えたと思う。単に「親失格」だけでなく「人間失格」だったわけだ。

警察や児童相談所、周囲にいた親近者、ガソリンスタンドの従業員。この事件で出て来る大人はことごとく「失格」な事に驚く。報道された事柄だけでも、相当「ダメな人々」とわかるが、何よりもダメなのが親だった。

珍走団でDQNでシャブ中じゃあ、もう何も言えないだろう。社会でやっちゃいけないフルコースの王道を歩んできた人間が、そのオマケで出来た子供の命をどれほど大事に考えていただろうか? 子供はSEXと言う快楽のオマケくらいな勢いでしかないんだろうと、思う。

その子供を守るのは誰なのか? 安易に責任を放棄され、行き場を失う子供を守るのは誰なのか? 警察や自治体が守るのか? だとしたら、あっという間に施設もシステムもパンクしてしまう。それほどDQNは多いのだ。

安易に、個性と引き換えに自由を与えすぎたツケがこの国に回っているのかもしれない。
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眠い。

2004-09-29 21:41:03 | 我思う、故に書くなりよ。
やたらと眠い。体は重い。うむむ…。
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殺人の多かった9月。

2004-09-28 22:27:31 | 我思う、故に書くなりよ。
まぁ、とんでもないヤツが多くなったって事なのかなぁ。

一家4人が惨殺されて放火とか、殺して川に自動車毎流しちゃうとか、1人暮らしの老人を殺害して回ったとか、物騒な事このうえない。どれもがアンビリーバボーな事件ばかりだと言う事も去ることながら、単に「殺人」と言うだけでは済まない問題が見え隠れするのだよ。

まずは放火殺人。これは謎だらけで、警察もわけわかんねーって状態。証拠たるもの、全て灰になっちゃったから、日本が世界に誇る科学捜査も限界なんだと思う。従来の定説から類推すれば「怨恨」って事なんだろう。明らかになっている報道内容からもこの線が一番動機に近い様だ。ところが、犯行から考えると複数犯と考えるのが妥当な様で、複数の者から恨まれていた事になる。これも、ちょっと変な気がする。内1人が強い恨みを持っていたと考えて、残りはこの1人に付き合ったワケだ。でも、大金を盗んだと言う事でもない。じゃあこんな割の合わない事に、何が目的で付き合ったのかと言う謎が出て来る。殺人を楽しんで行う意図だとすると、放火がわからない。逃げる時間が稼げなくなっちゃうからね。そのままだったら、外出している家人が帰宅するまで犯行がバレないのだから火を放つ必要が無い。そこまでのリスクを犯しながら、ここまでの犯行を行うのも、周到な計画が少なからず必要だと思う。侵入経路もハッキリしておらず、凶器も刃物については一般家庭には無さそうな頑丈なものらしいし、放火に必要とされた灯油も大量に持ち込まれていると聞く。何がそこまでさせたのか、謎だらけって所が余計に怖い。新しい犯人像って物への研究にも力を入れなくては追い付けないと思う。

殺して、川に流しちゃった方は、犯人が捕まっているので、いずれ詳しい事は判るだろうと思う。まぁ暴力団絡みなので、射殺だの、遺体にブロック付けるだのってのは判り易い。それはともかくとして、もっと重大なのは、この犯罪に近い所にいる人間が、銃を持って警察署に赴き、署内で自殺を図った事だ。一見、暴力団=銃器と言う非常に判り易い事なんだけれど、この人は「自首」しに赴いたワケではない。家族が事情を聴かれている事に対して「説明」しに赴いたと言う。それも「警察署」へ「銃器」持参で、である。普通では、こんな事は有り得ないワケで、事件もショッキングなら、この街も相当ショッキングな街って事になってしまった。暴力団対策という物がいかに大切なものか、改めて考えさせられるのである。だって、暴力団の幹部だって、分かってるんだから。

長野で続いた独居老人を狙った強盗殺人も、犯人が逮捕されているが、それ以上に大きな問題が露呈している。それは「冤罪」と言う犯人の捏造である。警察が被害者の家族を犯人にしようとしたワケだ。疑われた人へ、別の家族に自首を促すように説得を頼むとか、また、それ自体無かった事にするとか、これを公にすると「ただでは済まない」と脅している。ただでさえ、身内を殺されているのにだよ、ろくな調べもせずに家人を犯人扱いして、なおかつその子供を呼び出して恫喝しているなんて、警察はそういう所なんだと諦める他にないのだろうか? おまけにだ、長野県警は以前にも同じ事をしている。松本サリン事件で、被害者の家族を完全に犯人にしてしまい、とんでもない被害を生み出しているのだ。不幸中の幸いなのは、この被害を受けた方が、長野県公安委員をされている事。同じ不幸を繰り返さないためにも、徹底した調査を望むところだ。どちらも、真犯人が捕まっていなかったら、きっとそのままだったワケだ。にも関わらず署長は「捜査に問題は無かった」とまで言っている。こんなに恐ろしい事は無い。ちなみに、県警本部長は27日の会見で「長い時間をかけて説明したい」と言っているが、説明して納得すると考えている時点で「ダメ」。どう説明したって、子供を呼び出して自首を促すように頼むわ、呼び出した事自体無かった事にするわ、これを口外したらタダでは済まないだの、説明して誰が理解できる? 警察の捜査はこういうものです…って言うのか? それで納得しろとでも?

重大事案が続いている中で、未だに警察って所がこういうレベルでしかない事を反省すべきだと思う。地方自治体の問題で済まされる事ではなく、国家公安って言う問題だと思うのだよ。そろそろ警察以外に警察権を持たせたFBIみたいな組織があってもいいんじゃないかと思う。正直なところ、我々は警察を頼る以外に道は無い。しかし、信頼の置けない警察はいらないでしょ。この辺も本格的に「サプライズ」してもらわないとダメなんじゃないだろうか。
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お詫びをさせて下さいだとぉ?

2004-09-27 20:55:45 | 我思う、故に書くなりよ。
本日の新聞に出ていたアレ。三菱自動車の謝罪広告である。読んで驚いた。

確かに謝罪はしている。ところが、この会社はこうした「一連の不祥事」に関わる裁判では「無罪」を主張しているのだよ。

人の命を奪う様な欠陥車を製造・販売し、その欠陥を知りながら届け出ず、うやむやにしていたのは「一連の不祥事」として知っている人も多いと思う。現実に亡くなった方がいるし、世間では「リコール隠し」と呼んだりもするが、隠していた事を認め、謝罪は以前からもしている。テレビでも観た。

ところが、こうした「一連の不祥事」に関わる裁判では「無罪」を主張している。罪を認めて謝罪をしているから、お詫びの広告を出していると思うのだが、その裏では全く逆の主張をしているワケ。

これがどういう事なのか、広告を見てさっぱりわからなかった。この会社は、本当に謝罪すると言う意味が判っているのだろうか? もちろん、裁判での論点によっては「無罪」と言う主張もあるだろうが、世間一般では「一連の不祥事」として全体を捉えている。

全体を捉えた上で、この企業の対応に怒りや不満を表しているのであり、その中で「無罪」を主張すると言う事がどういう事であるか判っていない会社なのか。この様な矛盾を生み出している状態で誰がこの企業の何を信頼するのか皆目わからんと思う。得られるのは信頼ではなく「不信」だ。

そんなワケで、謝罪と裁判は別らしい。安全運転をしていても人を殺してしまう車を作って売りながら、なおかつ、それが欠陥だとわかっていながらリコールもせず、放置しておいて、いざ裁判となったら無罪を主張し、マスメディアを通しては「謝罪」する、まったくわけわかんねー会社だと言う事だけが充分判った広告とでも言えばいいのか。それで「信頼」の回復が得られると思ってんだから、消費者もナメられたものだ。

そして、そんな会社の胡散臭い「お詫び広告」を、マスコミが許してしまった事が情けない。広告代理店とか、掲載する新聞社の担当者は、何も感じなかったのだろうか? 幾らでも、お金さえ出せば広告は出せると思うが、現状で「おかしい」とは誰も思わなかったのだろうか? 

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十徳ナイフ。

2004-09-26 07:40:54 | 我思う、故に書くなりよ。
と、呼ぶのはおっさんだろうか。マルチ・ツールとかアーミー・ナイフって言うのだけれど、日本では「十徳ナイフ」と呼ばれる事が多い。

私も、高校生の頃に最初の1本を買った。スイスのウェンガー社のアーミーってモデルで、機能としては10も無かった気がする。欲しいナイフでは無かったが、高校生の所持金で買える範囲では仕方が無かった。構造的に妙な所があって、キーリングをちゃんとした位置でナイフをたたまないと、刃が欠けるオマケ付きだったと思う。後輩が買ったスイスのビクトリノックス社の似た様なモデルは、そうしたオマケは無いし、ノコギリも付いていたので、ほどなくして買い換えた覚えがある。

カメラを仕事の道具として使う様になってからは、この手のナイフは結構便利なアシスタントとなり、ちょっとした小細工には欠かせない物となった。だが、機能的に不満な事もあって、文字通り「十徳」以上の物を買った。高校生の時にはとんでもない高嶺の花だったのだが、どうしたことか、価格が暴落しており、それほどの出費でもなく手に出来た。

ちゃんと数えた事は無いのだが、40徳くらいの機能を持たせたそれは、本来の「ナイフ」として使うにはなんだか不便になっている。握ると幅が広すぎて、細かい細工が苦手になってしまった。それでも、小さな工具箱として重宝している。

最近ではPCを弄り回す事が多いので、ドライバーの充実したモデルを良く使うが、出来れば常日頃持って歩いていたい位に便利であり、専用のケースに入れてはいるが、持ち歩く事はない。

なぜなら、警察に逮捕される恐れがあるからだ。厳密に銃刀法違反となるのか見解が分かれているらしいが、理由無く所持していると間違いなく捕まるだろう。

ナイフなんだから、間違いなく人を殺傷出来る。折りたためるのでポケットに隠し持つことが出来るし、工夫すればピッキングにも使えると思う。だが、そう使う事は「違法」である事は判っているし、道具そのものは人を殺傷する目的に作られたデザインでも無い。

にも関わらず、犯罪に使われる事を想定して「捕まる」ワケである。広義で言えば、ナイフでなくても、はさみだって捕まりかねないと言う。所持している人間にその意思が無くても、だ。

確かに、鉛筆をボンナイフで削って使う小学生など、今ではいないだろうし、その必要も無くなった。近所の雑木林へ探検に出かけるのに、肥後の守を持って行く子供もいなくなった。

でも、包丁やナイフで自分の指や手を切り、痛みを覚えて「道具」としての刃物を「知る」と言う事をしていたのではないだろうか。野山で、虫や蛇にその刃を向けて「生き物」や「命」を知っていたのではないだろうか。何か、道具に責任を押し付けて、それを「狩る」事で事なきを得てないだろうか?

もしかしたら「ナイフ」はこの国の人間には不要な「道具」となってしまったのかもしれない。でも、道具を正しく使う事は人間だからこそ出来る知恵でもあるし、最もシンプルな「道具」のひとつだと思う。その使い方、扱い方を知らないまま生きて、人間なんだろうか? 正しく使う事を覚えないで、正しく使う時に課せられる責任を学ばないでいて、良いものなのだろうか? カッターナイフは同級生を地獄へ送る道具じゃない。

私は道具に責任を押し付けず、自分に責任を持って「ナイフ」をこれからも使って行きたいと思うのさ。
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gooに移ってみた。

2004-09-25 03:10:08 | 我思う、故に書くなりよ。
今まで楽天にいたのだが、gooに移った。

移った理由? 楽天の社長って馬鹿みたいだから。そんだけ。はははは。
まぁ、野球の経営がいかにダメなものか目に見えちゃったし、投資するに値しないと思うよ。
にしても、わざわざ宮城にするなんて、胡散臭い事しなくても良かったのになぁ。どう転んでもダーティーなイメージだと思うわけで、Livedoorはすっぱり手を引いちゃった方が身のためかも知れない。んで、別のところへ大きく投資した方が良い気がするなぁ。メジャーを買ってみるとか、サッカーしてみるのも手だろう。

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