おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

夜桜見物。

2013-03-26 02:10:03 | 我思う、故に書くなりよ。
まぁ珍しいことでもないんだけれど…。

夜桜を愉しむってよりは、夜桜を写真に撮ろうかな…と。

なかなか見た目通りには写らないので、ああでもこうでも…って事はやるのだけれど、そもそもの光源が天然光とは違うものだし、蛍光灯とかね、そうしたものともまた違うワケで、バランス測って…なんてのもやるんだが、見た目と同じ…って事にはならなかったりするので。

そんなこんなをしていると、時間が過ぎるのを忘れていたりでそれはそれで愉悦なんだが…傍から見たら…

「…怪しいおっさんが深夜の公園で…」

って事になるんだろうな…。まぁ、デジカメでパシャパシャやってれば、ああパシャパシャと桜を撮っているんだろう事くらいは理解してもらえると思うが…。

今年はあっという間に咲いて、あっという間に散ってしまう感じがアリアリとしているので、それほど多くを撮ったりも出来ないんだが…やはり桜にまみれた夜ってのは、いいんだなぁ…。

もうちょっと咲く予定のポイントが幾つかあったりはするのだが、どれほど見て回れるか…。花見の名所…なんて所には滅多に行かず、地味に愉しめる場所を探して独り占めにして愉しむのがまたいいんだけれど…。

出来れば、じっくりと楽しみたいものだけれど、こればかりは自然任せだしね。

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ふくろう…。

2013-03-26 01:12:03 | 我思う、故に書くなりよ。
どこかしらで鳴き声が聴こえた事はあったのだが…。

明け方、無性にのどが渇いたので、近所の自販機までオランジーナでも…と思って出掛けてみると…どぶ川沿いのガードレールの上になにかしら置いてある…。

なんだろう? と、ゆっくりと近づくと…突然、形が変わり…飛んでいってしまう…。結構な大きさで、首も無いところからフクロウだろうと思ったんだが…あの大きさであれだけバザバサして飛ぶのに、音が全く無い…。

近くの電線に止まり、こちらを一瞥すると、闇の中に飛んで消えていった。

比較的、自然が豊かな方に属する田舎だが、あれほどの大きさのフクロウが住んでいたとは…。

近くの雑木林がごっそりと更地にされ、住宅が乱立するんだろう勢いにもなっているので、住処を追われてしまったのではと思うが…。

まだ、住めると思われる雑木林は残ってもいるんだけれど、開発の波はじわじわと田舎にも広がってきており、そうした住民達にはひどく気の毒な話。

そうかと思えば…なかなか凶暴な何かしらの動物がいるのも間違いなく、胴だけ喰われたサギとかカモなんてのが見つかったりする。数年も前から『いる…』ってのが判っているアライグマが犯人なんじゃなかろうかと思うが、開発と一緒にそうした動物が現れたりもしている…。

昔は…飼育場から逃げ出して野生化したミンクなんてのもいたんだけれど、砂利道がアスファルト舗装に変わった頃に姿を消した。少なからず、見掛ける事もあったタヌキも姿を消し、カエルの鳴き声もほそぼそと聴こえる程度で、大合唱だった頃が懐かしい。ホタルも飛んでいたし、カブトムシやクワガタムシも獲り放題だったのに…。

そういえば…アメリカザリガニもいなくなったな…。フナやドジョウも見掛けなくなったが…ドジョウはサギが食べてるのを見ているのでいる事はいるのだが…。

豊かな自然は、人間にとって良いのか良く無いのか…。良くなかったから更地に変えられるのだろうし、そうなってしまった事で失うものを何か考えての事かといえば、そうじゃないな…。

フクロウがいつまでも住んで欲しいと思うのだけれどね…。

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姫に会いに行く…。

2013-03-20 23:52:45 | 我思う、故に書くなりよ。
近所に、中将姫って地名があって…。

なにか祀られている…ってのはぼんやりと解っていたのだが、一度も訪れた事がなく、場所さえおぼろげだったので散歩ついでに訪れてみる事に…。

途中までは案内らしきものがあって、それをたどって進むと…普通の民家があって、いよいよ判らなくなり…ゴミを燃やしていた住民らしき人に尋ねてみる…。

「この先上ると、赤いのぼりが見えるでしょ…あそこです。」

雑木林の中にそれらしき赤いのぼりが見えたが…獣道みたいな道とも言えない感じの道を登る…。わずかな距離だが急な勾配を登る…。

…しかし…いったいなぜあのおじさんは今にもピストバイクで走り出しそうな完璧ないでたちでゴミを燃やしていたのかが謎だが…。

そこには…写真の通り、立派なお堂と言うのか…丁寧に祀られている事が判る…史跡が残されている。

んでまぁ…誰が祀られているかと言えば…姫である。その名を『中将姫』。姫の像でも鎮座しているのかと思ったら、ご尊顔の絵が…。

浄瑠璃なんかの題材にもなっている、かなり有名な人なのだが…生まれも育ちも奈良とその近辺で、747年に生まれて775年に入滅したと…。かなり美人だったので、それを継母に妬まれ、暗殺の憂目に遭いそうになるも、逃げ延び、仏門に入ったとか…。

んで…それがどうして近所に?

史跡としての説明を読むと…逃げてる間に近所まで来たらしい。顔を隠すために面をつけており、その面は近所の神社に納められたらしいが盗難のため散逸…とか。

その辺、Wikiには全く書かれていないだけでなく、逃げ延びたのは和歌山であるらしい…。墓所もあっちの方にあるらしく…遠く離れた関東と何のゆかりがあったのかしら…?

まぁ、ある種『伝説』の人にもなってしまっているワケで、そうした伝説が時代を経ていく間に尾ひれが付いたり…なんて話はいくらでもあったりするので、唐突に近所に存在していても不思議では無いんだが…当時の交通事情とか考えると…ちょっと無理がありそうな感じだが…。

ともあれ、姫に会いに来たので、しげしげと史跡を眺め、お線香をたむけ…謎は謎として飲み込んで…。

…奈良県葛城市のゆるキャラの『蓮花ちゃん』はこの中将姫をモチーフとしていて、ゆるキャラにしては美人である…。アメーバでブログもやっている…。好きなタイプは『せんとくん』。

…長年、住んでいるけど地元の事はあまり詳しくない…ってのもちょっとアレだし、こうした史跡が隠れてもいたりするので、調べてみようかな…。

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さようなら…ごしょみ幼稚園。

2013-03-19 23:20:37 | 我思う、故に書くなりよ。
回覧に、地元の幼稚園の閉園と特別解放のお知らせが…。

地元の農協が設けた幼稚園で、47年間、5678名の卒園児を送り出したそうな…。

おじたん。も、この幼稚園の卒園生って事になり…3期か4期あたりになるのかな? 定かじゃないが…通っていた記憶がある…。

他の記憶は…と、考え込んでもあまり出ないんだが…同級生がジャングルジムの一番上から落ちたのを見た…って記憶、担任の先生が病気でしばらくいなくなった記憶、トイレに間に合わずに漏らしちゃって泣いている子がいた記憶…それくらいかなぁ…。

途中で園舎も建て替えられているので、観に出掛けても想い出はあまり無いんだと思うが…。

一番の記憶…は、朝の迎えがバスではなくて、セダンの車…あの科特隊が使っていた外車(シボレーコルベア?)と同じだった記憶が残っている…。横にあのマークが付いていれば…と、思っていたのだけれど…。

まぁ、バスでピックアップするほど園児がいなかった方面だったんだろうと思う。気が付くとバスに変わり、いつもの運転手さんがどこかへ消えちゃったのがちょっとショックだった覚えも…。

ウチは農家じゃないので、入園するのに農協の株を2株ほど買わなければならなかった事を後に聞いた。

ほとんどの同級生が同じ小学校へ行くことになったのだけど、幾人かは別の学校に…って事になり、あれ以来の記憶が無い。あの当時の顔でしか記憶に残っていない…。どうしてるのかなぁ…。

そんなこんな…だが、卒園してからは一度も足を踏み入れていない。

先生に会いに行くとか…そうした事もあってもおかしくなかったのだが…同級生のお母さんが園長さんだったりしていた関係からだろうか、前は通っても、中にはいる事はなかったのである…。

担任だった先生の名前は…まだ覚えている…。途中でいなくなったりしたもんだから、記憶に残ったのかなぁ…。

閉園となる理由は…少子高齢化等々、園舎の老朽化…って事だ。最後の卒園児は63名だったそうで、これが少ないのか多いのかさっぱりだが…近所に他に幼稚園も無いけど…大丈夫なんだろうか…。

卒園以来、足を踏み入れるチャンスはあと2日あるけれども…やはり園舎が建て替えられてしまったので、あの頃の記憶を呼び戻す材料は乏しいのかもしれない…。



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…この波に乗るしかない…?。

2013-03-03 10:03:48 | おじたん。的便宜耳机評論。
…もう2月も終わっちゃうんだなぁ…。あ、終わっちゃったなぁ…。

なにやら、AMがFMに変わる…なんてニュース記事が流れていたが…これはちょっと驚き。

まぁ、もっともらしい事は書いてあり、AMが都市部では聴きづらくなってきた事と、聴取者が減り続けていて、広告収入も極めてよろしくない…って事であった。

そもそもラジオ業界はだいぶ前からラジオのデジタル化って事を目指してはいたのであるが…こうもよろしくないご時世だと、莫大な資金のかかるデジタル化するよりはFM化して当面しのごう…って事に向かっているみたい…。

加えて…防災面でも有利なFMを国として推す…みたいな話も出ていた。

さてと…果たしてFMへと生まれ変わることで、何かとよろしくなり、景気のいい話になるのかどうか?

FMだって苦しい事に変わりなく、聴取者とてAMと同じ様に減り続けているワケだし、防災に有利かどうかなんて実際にはAMだろうがFMだろうがSWだろうが関係ない。比較的限定された範囲なら開局が簡単だし、市中に出回っている安価なラジオでも聴取が可能な点でFMが手っ取り早い…ってだけの話。非常にローカルなFMであっても正規に申請して開局にこぎつけるなんてのはえらい時間が掛かるが、震災なので特例措置として簡易に開局出来る様にしただけである…。

そうした規模の小さな放送局とは違って、広域をカバーするAM局がFM局に移行する…ってのは実はかなり面倒くさい事になる。ローカルな小さなFM局へ転進するのなら簡単だが…今までどおりのエリアをカバーするにはあれこれと面倒になっている。設備的な問題もあれば、ラジコで判るとおりに、エリアによる制限なんてのも当然出て来るので、単純に出力を上げれば済むとか、中継局を増やせば済む…って話でもない。

そんなこんなはともかく…FM化したところで聴取者が増えて、それが広告収入に繋がるのかどうなのか?

これは甚だ疑問である…。とても良い番組であってもスポンサーがコロコロ変わる、たまに無くなる…なんて番組だってあるし、かつてはスポンサーを読み上げるのにさえ時間が結構掛かっていた有名な番組でさえ、1社の他は各社…って事で端折られていたりする。

まぁ、聴きづらいよりは良好に聴けた方が、聴取者にとってはありがたい事だけれど、単にそうなったからと言ってラジオを聴く時間が増えるかどうかは別の問題だ。どんなに聴きづらくても、耳を澄ませて雑音の中から番組を拾って聴く…なんてのは当たり前になっている。そうした意味ではラジコの登場は福音にも似たありがたさを持って迎えられたワケだけれども、この話ではネット経由のこうしたコンテンツの送信はさておかれる…。

あくまでも、放送局の送信所から送られた電波を比較的安価に所有できるラジオで直接受信して…って所が肝なのである…。

こうした仕組みが、災害時には最強の情報伝達手段に変わらないからね。一方的な情報の伝達ではあっても、ラジオ放送に勝る仕組みがまだ出来上がっていないのだ。

そうした事を含んで考えたら…短波放送が実は最強なのかもしれない。AMやFMとは比較にならないエリアをカバーできるし、そこそこの電力で日本はすっぽりカバー出来ている。まぁ、AMやFMとは比較にならないほど音質が悪い…ってオチはあるのだけれど、単に言葉の伝達だけならさほど問題にもならいないだろうし…。

とまぁ…懸念はいろいろあるので、おいそれと一気に進むとは考えられそうも無いのだけれど…本質的には聴取者の減少が著しいことに尽きるのではないかと思うんである…。

でもね、結構ラジオ聴いている人はいるんだよね…そこがまた不思議なのだが…聴いている人がいるにも関わらず、聴取者が減り続けているのも変な話だが、実際にはそうなんだと言う。おかげで、ラジオでの宣伝広告の効果すら疑わしくなってしまい…スポンサー離れに繋がってもいると言われている。これはTVでも同じだろうな…見たいのはCMではなくて、番組のほうなんだから。見たいと思われるCMが無いわけではないが、数少ないだろうしね…。

どうも、通り一遍ラジオを聴いてみると…番組に付いて回る聴取者の影が極めて薄い事に気づく。

昔の人気番組にはマスと言う単位で聴取者がそこに付いて回っている感じが聞き取れた。またそうしたマスを相手に行う特別なイベントでも、外しは無かったのも事実だ。今、同じタイトルの人気番組を聴いていても、そこにマスの影がちらつくことすら感じない…。

…コンテンツの陳腐化…。

要は、面白くなくなった…と言うことか…。

先日、ニッポン放送の看板番組「オールナイトニッポン」が45周年を迎えての45時間特番が行われ、ほぼ全部聴いていた。総じて…面白かったのではあるが、かつての面白さはやはりそこになく、何か空々しい感じが付いて回っていた。

45年と言う歴史を裏付けるだけの膨大なアーカイブはあるのだろうけれど、現在では放送に出来ないとの理由で、かなり限られたモノしか再披露されなかったのである。いわゆる、コンプライアンスに抵触する恐れ…ってのと、著作権の改定によって…放送に値できないアーカイブとなってしまったからだと、少しだけの説明がやんわりとあった。

そんなこんななので…目新しい事も少なければ、過去すらも存分に振り返ることも出来ないままに終わってしまった感じが否めない。現状で、これが精一杯って事なら、惨憺たる結果の末じゃなかろうかな…。

聴取者の求める面白さと、放送局の作り出す面白さがひどく乖離し過ぎてしまっているのかもしれない。ニッポン放送に限った話ではない。どこの局でも同じだろう。どこで何を作っても均一化が著しく、聴取者がそこに面白みを感じる事が出来なくなってしまっているのではないか。

昔なら…どの局でもマスと言う聴取者が付いて回る番組が1つはあったもんだ。得てして、若者を主体としたマスが築き上げられ、それらが動けば金も動く…。そうした一連の動きがどこで終わってしまったのか?

ライフスタイルの変化に伴う…なんて言い訳は免罪符のようでイヤなのだが、確かにそうした面での変化はあるかもしれない。中には、マスを対象とせずに、限られた人達を対象にする事で人気を得ている番組もある。オタクならオタクに向けて特化することでコミュニティーすら形成し、一定の評価と人気を得ている番組もあったりする。そうした努力がそこに成功を導いている事は間違いないが、商業的に大きく成功していると言えるまでになってもいないんだろう。

単純に、ラジオ聴く方の身としてみれば、ラジコでエリア制限が外れてくれたらハッピー! ってだけ。どこの放送局もクリアに聴ければ、こんなに良い事は無いんである。電波だろうがネットだろうが、コンテンツに差が無ければどっちだって良い話しだし、それらを受信できるツールは既に手元にあるんだから…。

さぁ、何してどうしたらラジオがさらに強まって、面白くなって、景気が良くなって、みんなが幸せになれるのか? それとも、もうラジオは一定の役割を終えてしまったのか? 電波の電気代もったいないからラジコ専門局なんて放送局が現れるのか? 

誰にも判らないんである…。ただ、その他いろいろの制限のおかげで、昔よりつまらなくなった事だけは確かな事だと思うよ…。

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