おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

トートバッグでゴー!

2005-07-31 01:34:31 | 我思う、故に書くなりよ。
と、意気込むほどのコトでは無いかもしれないが、お買い物には持参する事にした。

まぁ、あれだ、レジ袋が先々有料化されるってコトもあるし、ちょっとだけ「エコ」ってコトでもあるだろうし。

んでまぁ、おっさんが持ち歩いても悪くない様な「トートバッグ」をあれやこれや物色してみたんだけれど、結構するんだよねぇ…。良さそうなのはあるんだけれど、平気で4~5千円もしてしまう。

それくらいがどーにでもなるなら買っても良いのだが、無職のひきこもりにゃあ敷居が高いワケで、やむなくサルガッソーと呼ばれる部屋を物色してみたら、出て来た。

見覚えのある方も多いのではないかと思うが、何年か前に秋葉原の駅前でドコモのおねえちゃんがタダで配っていた物である。タダにしちゃあ出来が良いので、何度か貰わなかったフリや、あたかも初めて貰う感じを装って幾つか貰っておいた物。

全部同じものかと思っていたら、2タイプ出て来た。当時はバリバリのauユーザーだったんだけれど、今はFOMAユーザーでもあるので、ノベルティとしての効果はあったのかも知れない。

でまぁ、ちょいとジュースなんかを買いに出たワケだけれども、コンビニの人は当たり前にレジ袋を用意しちゃうんである。お会計しながら、目の前では別の人がベラベラと袋を広げちゃうし、あっという間に買った商品がスコスコと入ってしまうのが普通。

これを制して…

「あっ、こっちに…」

と言うのが意外に勇気が必要だったりするんだけれど、それは「普通」でないと思っている自分がいるからだ。どーでも良さげなバイトのネーちゃんだったり、おばちゃんだったら苦も無く言い放つコトも出来るんだけれど、ちょっと「萌え~!」なお姉さんだったりすると、何だか気恥ずかしさも20倍(当社比)な感じだったりする。

先々、これが普通なんだと思えば、何も強盗するわけでもないし、普通に言えば済むのだけれど、あっという間に用意してくれちゃったりすると、逆に申し訳なくなってしまう。たかだかレジ袋1枚で。

でまぁ、その恥ずかしさに負けてしまうと、わざわざ持って来たトートバッグの意味が無いので、メガネの萌え~なおねいさんに勇気を出して告げたら、隣からおっさんが飛び出て「ありがとうございます」だって。

かくして、意気揚々と引き揚げるのだけれど、お買い物に因ってはトートバッグの大きさも考慮に入れなければならない。ある程度のヘナヘナ感がそこにないと、持っていて邪魔になったりするが、ヘナヘナはヘナヘナなりに重量物に弱かったりもするので、あれやこれや探しては見る物の、大きいほどにヘナヘナなバッグが多いのが、ちょっとイヤだな…。

主婦の感覚で言えば「入れば何でもいい…」ってのは普段から使っているからこその意見であって、改めて「使おう!」と意気込んでいる者にしたら「ダメダメ」な意見でもある。

こうして「男のトートバッグ探し」が新たに始まるのであるが、おばちゃんのアイテムの域を出ない物だから、サッパリなワケで、ぐんにょり…なんである。セレブ的にゴージャスな方向性がたまに見受けられたりもするが、そんなのは「邪道」であり、受け入れられない。第一、丸坊主を怪しくハットで隠す、ゴツイおっさんがラメ入りキラキラなトートバッグが似合うであろうワケが無い。しかも、1ヶ月連続楽天ファッション系ショッププレゼントにことごとくハズレまくったし…。

まぁ、今のところはドコモのノベルティーで満足はしているが、それとて万能では無いので、よりナイスでイカス! ってバッグを手に入れなければ気が済まん。

「あーた、いっぱい持ってるデイパックじゃダメなの?」

うっ…。痛い所を突くなぁ…。帰国子女A改めっ…。これだから婦女子はいかん。男が敢えてトートバッグを持ち歩くと言う点に重きがあるのだよ。その気になれば、ブレントヘブンのPC対応デイパックなんて最強のも持ち出せるが、それじゃあいかんのだ。なんならALICEなんてちょいと前のフレーム付き軍用ザックも可…だが、そんな重装備で「お買い物」にゃぁ行かないだろうし、日常には成り得ない。

「やだわ…またあの人変な格好で来たわ…」

とか、メガネのおねいさんに深夜のコンビニで思われたく無いってのもある。

うぬぬ…。今に見ておれ…。

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スピードまうまう。

2005-07-31 00:03:11 | 我思う、故に書くなりよ。
ハムをみていたら、面白い事になっていたので動画で。
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見られたもの、見られなかったもの。

2005-07-30 20:44:58 | 我思う、故に書くなりよ。
夜中に不審なガサゴソ音…。

あまりに近いので飛び起きると、子供の手を広げたぐらいの大きさのクモが…。
ハエ叩きも、シューーも手元に無いので、エアガンで始末しちゃった…。途中、装弾不良で慌てふためいたりしたが、手入れはちゃんとしておかないとダメだなぁ…。

でまぁ、翌朝、四散したクモを片付けないと色々と支障も出るので、掃除機でンゴォ~っとしてたら、珍しいお客さんがレースのカーテン越しにいた。

とかく、自然の豊富なまま開発の進まない所に住んでいると、こうした来客も珍しくは無いと思うのだが、あにはからんや、このお客さんは生まれて初めてこの地で見る者。かつて、東京の麻布台に住んでいた時には珍しくも無いほどに来客としてお目に掛かったものだが、幼少の頃から変わらぬ自然に恵まれたこの地ではなかなかお目に掛かれていなかったのである。

先日は千葉へ行くのに早起きして出発を待っていたら、ひらひら…っと何やら飛んでいる。新聞配達の兄ちゃんが不思議そうに私を見ていたが、私が不思議だったのは「ひらひら…」の主の方で、紛れも無い「こうもり」。

これだって、いておかしくないこの地でありながら、ここで見たのは生まれて初めてである。

その代わりに、全く見なくなった者もいる…。

今年はカエルの合唱が聞こえない。昨年はほどほどに聞こえて来てはいたのだが、今年は皆無。この時期になれば、うるさいほどの合唱が当たり前だったのに。

また、この時期の雑木林は宝の宝庫でもあった。ちょいと早起きするなり、夜更かしするなりして雑木林に入れば、カブトムシやらクワガタは虫かごいっぱいにゲット出来た。

まぁ、これらは雑木林を壊してモータープールなんぞが出来た頃からパッタリといなくなってしまったので、急に…ってワケでは無いけれど、寂しいものである。

かつては、夜の網戸にホタルが飛んで来て、幻想的な光を見せてくれたりもしたのだけれど、小さなドブ川でさえコンクリートで護岸されてから消えてしまった。

挙句の果てには、その小さな川でさえ、ダイオキシンで汚染されたと、ワイドショーが取材に来てしまう程になってしまってからは、アメリカザリガニすら姿を消してしまう。

田畑や雑木林を壊して、産廃の最終処分場やモータープールを作ったからといって近所が格段に便利になったという事は無い。人の便利さすらなっていない上に、貴重な自然がボロボロなんである…。見た目だけではなく、そこに住んでいた「住民」をも消えてしまった。

なにもかも失われてしまうんじゃないか…って恐れはあったのだけれど、だからと言ってどうする事も出来ない事が、致し方ない事だと、何もしてこれなかった、何もしなかったのはやはり間違いだったのかも知れない。

そう考えると、新しいお客さんの来訪も僅かな救いなのかも知れないなぁ。
どうせヒマなんだから、何が出来るか考えてみようかな…。

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うなぎのやじちゃん。

2005-07-30 02:28:11 | 我思う、故に書くなりよ。
誰でも一度は漫画家を目指すのが、小学生の頃の流行でもあった。

土用の丑の日の1日前に、うなぎの蒲焼重を食べた。なんで1日前なのか知らないが、翌日はうなぎに群がる庶民の姿がテレビで流れており、かつて味わった老舗の様子を懐かしく見た。勤務先から程近く、かつて担当していた地域でもあったので、老舗がそこにある事も知っていたし、何度かご馳走になった事はあったが、自腹で食べた事は無かった。

と、同時に、小学生の頃に見た、友人の描いたマンガを思い出した。

「うなぎのやじちゃん」

どんな話だったか、どんなキャラクターだったか、さっぱり覚えてはいないのだけれど、タイトルだけは記憶に残っていた。描いた友人は、秀才と呼ぶのが適当だろう。そんな人だった。絶えずバカらしい事を繰り広げながら、勉強はあっさりと出来るし、百科事典が丸ごと頭に入っていそうな人だった。

今はどうしているのか、これもさっぱり判らない。まさか、マンガを描いているとは思えないのだけれど、秀才はそのままだと思う。

天才みたいなヤツもいたっけ。

小学生で万葉集を訳無しで読んでいたので、よほどのヤツだったんだけれど、今どーしているんだかなぁ。財務省で官僚でもやってんじゃないだろうか。脳味噌の出来の違いがあからさまに見せ付けられた6年生の夏…。

さて、うなぎは美味しく食べた。どこのだか知らないけれど、しっかりと焼かれており、タレも出来合いのものとちょいと違う。

老舗で食べた蒲焼が思い返される…。

江戸時代の庶民の食生活なら、まんざらでもないけれど、今の世の中、うなぎを食べたくらいで体がどーなる…って事も無いだろうと思うが、一緒に働いていた同僚が長らく続いていた体調不良を、これで1発解消しちゃったと言う伝説が生まれた事もあって、けだるそうな顔で果て無き労働に明日が見えないバイト君を1名おともに、老舗に足を運んだのである。

「相当高い」

とは何となく判っていたが、注文する時までちゃんとした値段を知らず、2人であっけに取られたが、ご馳走してやる手前、こうなりゃ自棄だ! 一番価格の高い「ハ」(だったと思う…)を頼んだ。まかり間違えば「息子」ほど歳が離れているバイト君に懐具合を心配されたりもしたが、うなぎが江戸前なら、こっちも心意気は「江戸っ子」でぇい。

暫くして出て来た「うな重」を見て、あっけに取られるアゲイン。

うなぎの大きさもビッグならば、数も2匹。しかも重に入りきらず、はみ出ている上に、折り畳んであり…

「これでもかっ!」

ってモノだった。こりゃ値段相応と言うか、お値打ちと呼ぶのが相応しい。

何が「江戸前」なんだか知らないけれど、あまり深く考えずに「美味しい」と言う所が「老舗」たる所以でもあるんだろう。能書きはどーでもいいから喰ってみな…って逸品だと思う。デカけりゃ美味いのか? って次元に無い。丁寧に焼かれたうなぎはこーなるのか…と言うのが眼と舌で味わえる。

さて、豪華なうな重にまみれた2人の労働者がその後どーなったのか、書いておかねばなるまい。翌日からパワーに溢れて生産性が向上した…なんて事は無かったが、陰鬱とした気分からは解放された様ではある。臨機応変とはかけ離れた所でコロコロと変わる営業方針に嫌気が刺しまくっていたので、会社に従属する気にもなれず、さりとてその場を離れるのも何かきっかけが無く澱み切っていたワケだけれど、若干だけ、そうした気分から離れた感じはしたなぁ…。

まぁ、1食で何とかなる様なものじゃ無いだろうし、そもそもなんで「うなぎ」なんだか微妙でもあるし、江戸時代を考えたら「なまず」の立場も熟慮してやった方がいいと思ったりもするのだが、取り敢えず「土用の丑の日」はうなぎとして終わった…。

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面子が変わらないから同じだろう。

2005-07-28 23:08:53 | 我思う、故に書くなりよ。
日本道路公団の話。

お役所であるところの公団と、建設会社が徒党を組んでボロ儲けしまくってたのがバレたワケで、このお役所を民営化するにあたって細かいところを突いている最中でボロボロ…。まぁ、談合と言う「ナシの付いた話」でみなさん一緒に、仲良く儲けましょう…ってコトだったんだが、元々、これらの儲けられるお金は「税金」であったり「道路通行料」だったりしたワケで、仲良く儲けられて宜しいハズが無い…。

で、まぁ突かれる方は、逮捕されたりなんだりで、ちょろちょろと話を始めているみたいだけれど、全部話してしまうとそれこそ大変な事になってしまうので…

「覚えてない…」
「知らない…」

って事に終始するのは政治家の贈収賄事件とかと同じ。そのうち、誰かが首吊るのも同じじゃないだろうかと思うのだが、例え、公団が民営化されたとしても、やってる連中は大して変わらないのだから、ほとぼりが冷めたら同じ事になるんだと思う。

大手建設会社のほとんどが関わっているので、これらを全て永久に指名停止にするとか、こうした「談合」に関わりやすい出の者は公団から追放するとか、そうした事でもあれば話は別だけれど、そうはならない。

「膿を出し切れ…」

と、首相あたりが言ったところで、大して変わらない。談合して何が悪い? ってのが本音だし、何人かが犠牲になって、塀の向こうに勤めに行くだけ…って感じであるから、リフォーム詐欺と大して変わらないワケ。そもそも死刑になる様な「罪」でもないしね。

また、誰が困るのか? いまいちハッキリとしてこないから、世間の目も厳しいのはテレビで騒いでいる間だけのコト。テレビやマスコミが騒がなくなれば、あっさりと忘れるコトの出来る事件でもある。

「国民一人当たり幾らちょろまかされました…」

ってハッキリしたものが判れば、みんな怒るんだと思うのだけれど、判りもしないのにギャーギャー騒いでも、騒いでいる方がおかしく見られるんである。

それが、とても不自然ではあっても「自然」な社会だという所が「ミソ」なのであって、これはまだまだ続く。バレちゃっても、何人かが捕まって、何人かが命を絶てば済んでしまうコトなのだからね。何も言わないうちに死んじゃったほうが、後々の人は楽でいい世界なのだと思う。どうして楽でいいか?

だって、みんなで仲良くボロ儲け出来るんだから、関わらない方がおかしいじゃないの。発注先もが絡んでいるんだから、談合を拒否しても仕事なんか永遠に回ってこないワケだから。それで美味くやって来たのに…ってのが本音でもあるだろうね。

酷くダーティーな世界で、そういう「不正」を正す役所があるわけだから、逮捕者も出ているのであって、何とかなるだろう…と考えるのもひとつだとは思うが、あまり期待しない方が良いと思う。捕まえて、今までに与えて来た「損害」に照らし合わせてキッチリと弁済するまで労働してもらうなんてコトも無いし、重くても5~6年刑務所で過ごすだけで彼らの罪は消えてなくなってしまうんだから。

そうした意味でも、経済事件についても、罪と償いが全く一致しない現状が変わらなければ、大騒ぎしても意味はないし、罪を犯した方が「得」と言う勘定が成り立つんである。なんせ、扱う額がデカイんだから、おこぼれも「デカイ」からね…。

本当は社会を裏切って私腹を肥やしているんだから、重罪でよいハズなんだけれど、重罪の意味合いが全く世情と合っていないんだな。死刑とまでは行かないまでも、社会を裏切る行為なんだから「25~40年」くらいは刑務所で働いてもらわないと割りに合わないと思うのだけれどねぇ…。

ま、そーでもしないと、この手の犯罪は消えて無くならないから、心配しても意味無いか…。







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車椅子を押してみて判ったコト。

2005-07-25 13:51:50 | 我思う、故に書くなりよ。
てなワケで、千葉へ墓参りに行ったついでに「鴨川シーワールド」へ行ってきました。

病に倒れた父も一緒だったので、長時間歩くのはつらいだろうと思い、車椅子を借りる事に。長時間車に乗って移動するのはあまり苦でも無いのですが、降りて歩くとか、階段を昇るとかはつらそうなので、こんなトコ来ちゃってどーすんのよ? と、思ったのですが、この手の施設ってのはバリアフリーも進んでいるんだろうと考えたワケです。

入場改札を過ぎてすぐの所で車椅子(¥300)は借りられました。あまり新しい物じゃ無さそうでしたけど、各施設への出入りに必要なスロープの位置やエレベーターの位置が書いてあるプレートが背もたれに掛かっているので、困ったら見れば判る様になっていました。

んでまぁ、押して見学するんですけど、ハッキリ言えば「邪魔者」なんですわ。

時折、強い勢いで雨が降る天気だったのですが、大入り状態の各施設の中ではどの展示水槽の前でも人だかりだし、並んで順序良く見学するなんて人もいないもんだから、人垣の後ろで垣根が崩れるのを待って割り込む他に車椅子の人が見られる方法は無いワケで…。

ただ、そうした人への配慮なのかどうだか知りませんが、水槽の下辺が足元まで延びている水槽が多かったので、椅子に座ったままでも見学できたのは良かったと思います。

ひと通り、水槽の見学を見た後に、イルカのショーを見に行きました。

階段状のスタンドには上れませんので、一番下のスタンドの一部が車椅子で入れる様になっていましたが、ほとんど端っこ…。他に車椅子の人は居なかったので、ステージに向けて椅子を止めてしまえばなんとか見えますけど、整然と並んで見るとなると、どうなんだかねぇ。

シャチとアシカのショーは別の建物でやるのですが、そうとは知らずに待っていると、係りの人が親切に教えてくれて、その場所まで押してくれました。スロープの案内図やらを見れば辿り着くのも判るのですが、さすがに勝手知ったる人の方が移動はスムーズ。まぁ、良く考えたら、イルカのプールにシャチは入らないし。

ひょいひょいとエレベーターのある所まで案内して頂き、なかなか見晴らしの良いところで見学する事が出来ました。アシカの方には優先席と言うか、車椅子専用の場所が確保されており、そこに止めれば見晴らしよく見られます。シャチは最上段から見たのですが、そういった場所は無く、人垣の間から覗き観る…って感じでしたけど。

まぁ、どこも先制しないと良く見えるポジションには着けない…ってセオリーがここにもあるのですな。

「よしっ! 次だぁ!」

って、ダッシュが効かないものですから、致し方無いとは言え、寂しいモノがあります。

水槽の見学とは違って、海獣エリアでは車椅子だと見学出来ない場所も多々あったりして、素通りせざるをえないのも、ちょっと残念でしたけど。柵から身を乗り出さないと見えないってのも、大人でもちょいと怖い感じでしたねぇ。アザラシに喰われる事は無いでしょうけれど、視点の低い子供や車椅子からはほとんど見えなかったりします。

施設も、係りの人も、バリアフリーな感じでなかなか良かったのですが、他の見学者から見れば邪魔以外の何物でも無い感じだったのが、その視線からヒシヒシと判るのです。父もおそらく初めて車椅子でこうした所を回ったと思うのですが、自分の思う所に思う様に行けないって身の有り方にまんじりともしないというか、あきらめってモノもあったんじゃないかと思います。まぁ、それがハンディキャップって所でもあるとは思いますが。

食事もしたかったのですが、健常者がごった返す中に車椅子で入って行く勇気はありませんでした。メニューが若いもん向きだった事もあって、何とか入れてもねぇ…。途中、親戚から頂いたお寿司が車で待っている事もあったので、鯛焼きとかたこ焼き、焼きそばを食べましたけど、お弁当を持って来れば食べられるスペースはいくらでもあるので、持参した方が良いですね。ただし、晴れてれば…の話ですけど。

車椅子は駐車場まで利用できますが、後で返しに来なきゃいけない手間を考えると、雨も降っていましたので、父はここで降り、駐車場までの長い道を歩く事になりました。んまぁ、施設に近い駐車場に車を停めるには朝早くから来い…ってのはどこでも同じです。国道を挟んだ反対側にある駐車場とは地下通路で行き来出来るし、ゆるやかなスロープなので、自前の車椅子ならさほど大変でも無いでしょう。

半日近く、車椅子を押して歩きましたけど、押したとたんに今までの「立場」が変わるワケで、興味深かったです。何となくすっ飛ばして見歩いていた視点では無く、絶えず困ってしまう始点が実に多いんですね。バリアフリーは進んでも、ちょっとした引っ掛かりってのは至る所にまだまだあるし、健常者の群集の中では「邪魔者」なのが現実なワケです。

今までは、そうした人を見ても、なんとなく避ける方向で「良い」と思っていたのですが、そうした人も楽しめるように一緒に「関わりながら譲る」方向で行かなきゃいかんなぁ…と、思いました。

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揺れたんだってねぇ…。

2005-07-23 20:11:59 | 我思う、故に書くなりよ。
その頃私は東京湾の久里浜に近い所でフェリーに乗っており、別の意味の揺れの最中、ソフトクリームを食べていた…。千葉の金谷を16時10分に出た船だから、久里浜に着くちょいと前である。

一報は船内のラウンジにあるテレビで見たのだが、大きな揺れは無いし、ゆったりとした気分でどんよりと曇った空と、水平線の境界線にかすかに浮かぶタンカーなんか見てたりしていた。

ハムの様子に特別変わった事も見られなかったし、極めて普通でもあったので、東京湾連発地震の時の様な「何かあるかも…」なんて事は微塵も感じてさえいなかった。おまけに、大きな揺れも体感していないワケで…

「あー。東京も揺れるんだね…」

って事で済んじゃっているが、交通情報を聞きながら帰る道中は、やっぱり怖いかな…と。時間が違えばちょっと危ないどころの騒ぎじゃ済みそうも無い「崩落危険」やら「土砂崩れ重点監視地域」やらの建て看板がやたらと目に付くところを走って来たので、深く考えると怖いねぇ…。

まぁ、数日~数週間は注意しても悪く無いだろうし、やっぱり揺れる! っと判ったワケだし。

関東圏のみなさんは心して過ごさないといけないかもですな。

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太陽にほえてきた。

2005-07-18 13:31:39 | 我思う、故に書くなりよ。
まぁ、せっかくお友達が来ていて、家でゴロゴロも無いもんだから、ちょいと出掛けたんだけど。

出掛けて初めて世間が連休だと知った次第。ここ1年半は連休状態なので、どーでもよいのだが。
で、まぁ葉山海岸辺りをてろてろとさすらっていたのだが、磯とも湾ともつかない海上に、ぽつんと灯台が見える。

「あれは、ひょっとしたら石原裕次郎灯台?」

遠目で見てもそうとは書いてないし、定かではないのだけれど、おそらく間違いないだろう。

昭和40年生まれの私であっても、石原裕次郎って人は「ボス」と「小暮課長」くらいしか覚えが無い。それだって、全てを見ているワケでも無いし、たまになぜか大き目のブランデーグラス片手にマイクを握る姿をチャンネルのザッピングの途中で見た記憶があるくらい…。だいたい、部下にはちゃめちゃやらせておいて、「よっ!」で何事も済ませてしまう警察官はどこにもいねーだろ…って見解で私が若かりし頃の認識は一致していた。その部下にしたって、ソウドオフのショットガンでヘリから狙撃して1発で犯人を倒すワケだし、そんなのを連射しまくりだし、ガルウィングのパトカーやら、スカイラインに機関銃積んでいたりもするわけだから、「危ネーおやじ連中の頭(かしら)」って人だった。

まして、連れ立って来ているコンパニ子や、その友達に至っては「誰それ?」って感じだし、東京都知事の弟で、気象予報士のおじさんで、日本の映画界・芸能界で語るのを避けて通れないほどの「スター」だと説明しても判らず、東京都知事は未だに「いじわるばあさん」だと思っていやがるヤツが2名もいるし、「あの気象予報士はSMAPの手下じゃないか?」ってのもいたし…。

そういう時代になっておるのも間違いないが、目の前にちょん…とある灯台は、この海を愛してやまなかった裕次郎さんの思いを残すためにわざわざ建てたものである。元々は無かったのか、あったんだが朽ち果てたのか知らないが、小さな灯台であっても無いよりはマシなのである。ちゃんと光るし。

そんなこんなでワイワイしてたら、おばさんグループがやって来て、ワイワイガヤガヤ始まった。

「おにいさん達も灯台見に来たの?」

ちょいと品の良いおばさんに声を掛けられて、それとなく返事をしておいた。別にこの灯台を見に来たワケではなく、何となく来たら「あった…」って話をする必要は無いだろうし…。

「今日は命日だからねぇ。裕さんもウレシイだろうねぇ…」

ええっ!? 17日って命日なの? あー。そー。奇遇だなぁ…。石原軍団はどーしてるんだろう?
と、ちょっと驚いたんだけれど、おばんさんに教えてもらった情報では、ちゃんとお寺で法要をやっているらしい。そっちは人で溢れちゃっているだろうから、おばさん達はこの灯台を見にやって来たんだと言う。静かに手を合わせ、光の海に拝んでいる姿は、我々にはちょっと理解の出来ない物かもしれない。今年で18年、19回忌とか。

もうそんなに経つのか…。どこぞの病院の屋上だかで、カメラに向かって手を振る姿は、病に倒れた「ボス」であり「課長」であり「グレさん」だったのをテレビで見た覚えがある。それから程無くして世を去ったワケだが、途中の大騒ぎも含めて曖昧な記憶でしかない。

昨年はテレビドラマで生涯を綴ったのをやっていたけれど、私は関心が無く見ていない。単なるドンパチドラマの親分ではない姿がそこにあったのだろうけれど、それが印象に強すぎて「嵐を呼ぶ男」辺りのイメージと重ならないのである。何か大きな「隔たり…」って物がそこにあるようで、解せない。

その辺を、放浪先に帰ってから調べてみた。

日本映画で絶対に外せない「スター」でもあったのだが、映画産業自体が傾くと「スター」ではあってもその活躍の場が限られてしまう。また、単に「俳優」で納まる器に無かった人でもあり、自身の撮りたい映画を製作する事にもなるのだけれど、作品の評価は高くても、興行的に成功するかは別の問題でもあり、ひいては後に「石原軍団」とも呼ばれる個人事務所は逼迫してしてしまう。

そんな最中、活躍の場をテレビに移して「太陽にほえろ!」が生まれるのであるが、これは日本じゃ知らない人がいない位にヒットとなり「西部警察」や「大都会」も生まれた。

映画人でありながら、映画に思うようには恵まれなかった時期が、私らの知っている「石原裕次郎」を作り上げたのかも知れない。これはそれ以前から知っている人と比べたら、雲泥の差となってしまうほどに、大きく違うかもしれないのだ。

そうした意味で「黒部の太陽」や「栄光への5000キロ」を見ておかねばならないと思う。そこにいる「石原裕次郎」は「ボス」でも「課長」でも無い。きっと、映画界の頂点を「スター」として極めた人間がさらなる「頂点」を目指している姿が見られるのだと思う。

残念な事に、どちらも私は見ていないし、今現在「見られる」状況にあるのかどうかも疑わしい。詳しい事は知らないが、フィルム以外のメディアとしてレンタルやらセルと言った形にはなっていないらしい。私がこの2つを知っているのは、若き日の父が映画館で求めた「パンフレット」とそれに挟まる新聞の切り抜き記事を遠い昔に本棚の百科事典の間に見つけたからである。それとて、もう記憶の中にしか残っていない。欠けてはイケナイ作品であると思うのだが、ある意味「パブリック」では無いようだ。映画スターとテレビスターを繋ぐ物だと思うだけに残念だと思う。

そんなこんなも、つまるところは「過去」。石原裕次郎と言う人が生きた証のひとつは、見て来た「灯台」なのである。これとて、彼の死後に建てられたものだそうで、彼が建てたワケじゃない。

でも、それに向かって静かに手を合わせるおばさん達の姿に、世代を超えたスターが本当にいた事を私らは知るのである。

「すごいね…おばさん泣いちゃってたよ…」

昭和の終わりに生まれた娘達には、おばさん達の心は一生掛かっても判らず終いで終わるかもしれない。心から手を合わせて、在りし日を想う「スター」が我々にはいるのだろうか? 娯楽もメディアも溢れるだけ溢れきっている中、星の如く散在するスターの中に、我々はそうした人物を見出す事が出来るのだろうか?

失ったものを悲しんだり、懐かしむ事は容易く出来る。失った物から得られた計り知れない大きさを感じたり、改めてその大きさの意味を噛み締める事はなかなか出来たりしないもんだ…。

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夏だから怪談。

2005-07-17 00:38:05 | 我思う、故に書くなりよ。
家中の窓で網戸になる所を全部網戸にしても32度もありやがる…。

陽が沈めばなんとかなるかと思いきや、2度程しか下がらず、諦めて締め切ってエアコンで除湿冷房するワケだけれど、電気代を考えるとちょっとねぇ…。開け放って、僅かながらの庭に打ち水、蚊取り線香…って昔ながらの涼み方もやってはみたいが、得体の知れない虫が明かりを求めてバンバン来襲するワケで、後の掃除を考えるとちょっとなぁ…。

ハムを飼っているので、放浪中はどうしているかというと、知人宅に預けてあるが、それも長々と…ってワケにも行かないので、用があって家に帰るときは引き取っている。だが、放浪はまだまだ続くので、別の預かり先をハム達は転々とするワケで、彼らは家ごとほどよく涼しい生活を持続しているので大変穏やかな様だ。

「地震の前の1週間あたりに運動会始めたりするから、観察してみるといいよ。」

そう言って預けるんだけれど、ここの所はどこでも穏やからしい。

ま、私も放浪先では気候や温度にさほど苦戦しているワケでは無いので、家に帰って来た時のギャップが余計に苦しいのだけれど、風も無くぐんぐん上がる気温の中で、何か手立てを施さないと、熱中症にもなってしまうだろう。

ここ、コンパニ子の家はマンションで、冷暖房はエアコンと、なっている。海に程近く、夜風は潮風でもあるので、開けておけばかなり涼しいのだが、ほおっておくとベタベタして来ちゃう。おまけに、もうこの時期はかなり夜が騒がしい。たまに開けて風にあたるくらいの事がまぁ良いんだろう。

で、今夜は締め切ったマンションの中が騒がしい。コンパニ子のお友達が6人も来ているので、3人よれば「かしましい…」モノが2倍とちょっとだから、自然ななりゆきだろうと思う。

んで、まぁ手巻き寿司パーティーやらビデオやらで盛り上がった後に、この娘達は部屋の明かりを消して、わざわざ東急ハンズで買って来た「和ろうそく」に火を灯し、怪談話に華を咲かせるとですよ。

私はマグロの赤身の筋をうっかり噛んでしまい、それどころではなくグッタリ…していたのだが、逃げ場も無いので強制参加しているワケですが、家から無線ルーターとノートPCを持参しているのでキッチンでちょこちょことブログを書いていたりも出来るのです。ちょうど1ラウンド終わって、お菓子だのおかしだのオカシだのの買出しの時間であります。

勝手に行ってもらおーと考えてはいたのですが、ここにいる理由が「番犬」なワケなので、あっさりと路線変更し一緒に付いて行ったり…。むさくるしいヒゲ面の迷彩おっさんが美女をぞろぞろ連れて歩くのも悪くは無いのですが、奇異ではありますし…。

てなワケで、普段ならあっという間に進んでしまう行数ではありますが、なかなかどーして! って感じの時間の流れが行間に隠れているのですよ…。

さて、夏になると「怪談」。お盆って言う死者の魂が里帰りするイベントもあったりするので、昔から何となく定着しちゃった風物詩でもあります。それが「商売」みたいな芸能人もいたりするし。

私も、自室で幽霊を見てからはかなりあちこちに見に出掛けたりもしましたが、納得の行く幽霊(と、呼ぶんだろうモノなんだろうと思うが…)は最初に自室で見たモノだけであります。6畳のプレハブの勉強部屋でありましたが、その長い方の壁側に急に浮かんで現れたのです。大阪の大学に行っていた友人が帰省中に遊びに来ており、夜の10時くらいだったかなぁ。室内の明かりはばっちり付いていたし、寒かったので締め切ってはいましたけれど、直前に部屋の中に風が吹き荒れると言う珍現象でそれは始まりました。

「おいおい…なんだよこれ!」

と、かなりのギャグ的な明るさを持ったまま驚いていたのですが、ふと見た対面する友人の頭上に、おっぱいの辺りから下がスッパリと切れて無い、今で言えば「ふかわりょう」みたいな髪型をしたおばさんともおねえさんとも付かない人間が浮かんでいるのですよ。

少し、そうだなぁ…、2~3歩先の地面を見つめる感じで、目を細くして、無言で浮かんでいましたが、顔色は「ダンボール」と言うか「ガムテープ」みたいな感じの色。おっぱいの辺りから上しか居ませんので、着ている服はよく判りませんが、丸首のトレーナーの様な素材じゃなかったかな。色は薄いピンクだったと思います。

これが、幽霊さんから見て斜め左ちょいと上…って感じから私が見ている事になり、友人の頭上は大体2mあたりが天井なワケですから、すごく不自然な見え方だったにも関わらず、ハッキリクッキリで、それがじわじわ…っと、長い壁面に沿う形で動き出したのです。

まばたきもせず、一言もしゃべらずに見入ってしまったのですが、友人は恐ろしくなってその私をじっと見ていただけなのですが、後ろに何かある事は感じていたそうです。

悲しくも無いのに、目からは涙がボロボロと落ち、鼻水はでろでろ。ベッドに腰掛けていた友人に対し、床にあぐらかいて座っていた私は立ち上がる事も出来ず、生まれて初めて「腰が抜けた…」と言う事を体感したのでもあります。また、腰が抜けると下半身に全く、全ての力が入らなくなり、また、それを維持する事も出来ないワケで、膀胱に尿、直腸に便が溜まっていれば、チャイナシンドローム級の大惨事にもなるんだろうと、齢20にして感じたのであります。また、変な汗とともに音も聞こえなくなるのですね。友人が何か話しかけているのは判っても、音が聞こえない。耳を指で塞いでも何かしら聞こえると思うのですが、それが無く「無音」。

幽霊は角まで来ると、一瞬で消えてしまいました。

「あー。これが幽霊なのか…?!」

率直な感想は、あれなら写真に間違いなく写るだろうと言う事でした。トレーナーだろう生地の目さえもしっかりと見ましたし、口元の細かい皺や、頬に残る産毛が光る様な感じさえも見ています。だけれど、私が見ている方向と言うか、視点がとてつもなく不自然で、おっぱいから下がバッサリと切れて見えず、切り抜いた写真のおねえちゃんをカッターでバッサリと切り落としたみたいに「無い」のです。当然、3次元のモノなら切り口と言うか切断面が見えておかしくない所に居たワケですけど、これが見えない位置から見ているワケです。つむじと言うか、髪の分け目までハッキリ見えてはいたのですけれど。かと言って、2次元でも無いと。

動いて、移動しているのをじーーーっと、見ていたのですが、幽霊の向こうが透けて見える事も無く、幽霊に遮られて見えません。極端に濃くも薄くも無く、そこにあるモノや友人と同じ見え方と言うか、光の反射がそこにあったからだと思います。反射といっても、キラキラの反射じゃなくて、光の反射が波長の違いを伴って色だの、形だの、明暗を構成するって意味でです。捕まえたら捕まえられるモノだとも思います。

ただ、驚きと不可解さに身動き出来ないばかりでありました。当時は写真学校の学生だったので、この部屋でプリントをするために、暗室用のカーテンを使っていたんですけど、これがゴム引きでかなり重さのあるモノなのですが、締め切った室内でこれがバサバサするほどの風が起きる事自体が変でもあったわけで…。

「多分、おれが連れて来ちゃったんだろう…」

と、友人は言っておりましたが、それ以前に「誰」なのか未だに判りません。幽霊さんが。また、普通に明るい室内で全てが起きたと言う事と、距離にしてせいぜいが3mの話です。よく、「白くもやもやした…」とか「黒い影が…」なんて言ってる怪談話がありますけど、ちゃんちゃらおかしいよ、あんたら…って感じです。

また、これがそれ以後続いている(?)私の霊感体質の始まりでもありました。

ただ、これ(私が見たおばさん、おねえさん?)が「幽霊」と言うものかどうか、かなり悩みましたよ。誰もが見る事の出来るモノならば、それ相応の「名称」が付いたりもしますけれど、そうでない場合は何と呼べばいいのか? 「未確認飛行物体」と言う言葉の意味が実に深いモノだと言う事も、この頃判った次第で、単に言っちゃえば「幽霊」で通るからそれでいいんだろうとは思ってますけれどね。

「白くもやもやした…」とか「黒い影が…」なんて言ってるのを全否定するワケでもありません。いろいろ見てきた中にはそう言うのもありましたから。出張で泊まった福岡・清川のホテルで見たそれは、まさしくおぼろげに見える女郎さんの様な姿でした。時代劇で出てくるエロいちょっと派手な着物の。外の明かりが差し込んで、真っ暗では無いのですが、ぼーーーっと佇んでおりましたね。何を言うでもなく、こっちを見るでもなく、ただそこに2時間位居ましたよ。途中で一服しましたから、わたし。下に落ちている何かをずーっと見ている様でしたが、現実にはそこには私が脱いだ靴くらいしかありませんし。見た限りこの人の大きさもちょいと小さい。小さいのに、裸足だと判るのですから、宙に浮いているワケです。

同じ福岡・清川でも別のホテルではかなり昔の人がやはり、ぼーーーーっと現れました。格好が「聖徳太子」ですから。これも時間こそ計らなかったですけど、延々と何かをしゃべってるんです、あらぬ方向に向けて。私はベッドに寝て、下から天井を見上げている状態なんですけど、途中で大きく息を吸いなおしたりして、延々と話しているんです。手に持った、あの変な板のようなモノを途中で取り替えたりしているみたいでしたが。その日の朝早くが会議だったりしたものですから、途中で私は寝ましたけれど、金縛りとか、いわゆる定番のセットメニューはありませんでしたけどね。

実はこの時に、変な発見もしているんです。あの、妙なべろべろん…の付いた帽子と言うのは、ちょこんと乗っかっているのではなくて、かなりきつめにあご紐で縛っている様でした。そのせいか、なんだかしゃべりづらいのをこらえてしゃべっている感じがありありだったんですよ。もちろん、ホントかどうなのか知りませんが。むしろ、そのべろんべろんの揺れ方を見ていると、なんだかおかしくてねぇ。お腹がよじれそうだったなぁ。

そういった「見え方」を人に伝えるのも難しい場合が多いのですが、最初に見たのは他人を自分が見るのと全く同じなので問題ないのですけど、こうした「ぼーーーっ…」ってのは難しいんです。一番近いのは、数年前にTVのアンビリバボーでやっていた、伊豆で撮られたビデオに写った着物姿の女性…とされる映像。見ていて怖いとか、恐ろしいとかよりも…

「あー! これ! これだよ、これっ! こうでないと!」

と、何か久しぶりに懐かしい人に会ったり、無くして見つからなかったモノが見つかった時のように感激しちゃいました。だから、あながち、そういう場合が無いとは言えないのですけれど、出るんならハッキリ出ろ。見るんならシッカリ見ろ…って姿勢が大切だとも思いますのでね。

何度か、自分の写真にもそれらしいモノが写ったことはありますけれど、そこにいるから撮ったって事は無いですし、見えたから撮っても写っていない事のほうが多かったりもするので、不思議なモノだとは思いますが…。むしろ、見たい時には見えないで、突然に見えたりするから困るってモノだしねぇ。

ちょろちょろと、お友達が覗きに来るのですが、ハエのごときに追い払い、26時から始まる怪談の丑三つ時パーティー(仮)に備えて何を話そうかと考えたりもするのですが、いろいろと見て来た中で、怖いとか恐ろしいってのは少ないのです。自分が怖いと、思っていないワケですから、話をしても怖いのかどうなんだか判らないのですが、どうしましょうかねぇ…。そんなワケで、人の怪談話も怖いと思った事は皆無ですし…。

キリンレモンブラックはなかなか美味しいな…。

んまぁ、ここは心霊スポットにも近いから、見に出掛けてもいいし…。楽しい夜になりそうだ。




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なんやかや。

2005-07-15 18:00:00 | 我思う、故に書くなりよ。
放浪中の身でもあるので、ご無沙汰気味のブログではあるが、その間にもちょろちょろと書き溜めたものがあるのであげて置く。

★メガネが欲しい…。

顔、デカイんだよ、おじたん。は。でまぁ、目も悪いので、メガネは必需品であり、シャワー浴びても外さないと言うか、外せない。外すと怖いのである。見えなくて。

メガネを選ぶ基準に、耐久性と視界の広さって物が最低条件でもあるのだが、これだと流行とかムーブメントからは全く外れてしまうので、自分で見てもいい加減ダサい。まぁ、可能な限り大きなフレームを選んだりするのは病院勤務時代に感染症を恐れた予防的な意味合いもあるんだけれど、普通の人が掛けたりすると、えらく大きいので顔のデカ差がイヤにもなるのである。実用本位だから仕方ないと言えば仕方ないんだけど。レンズ面が大きい事で視界も良くなるんだけどねぇ。

何年かおきに、度が合わなくなるので作り変えるんだけれど、左目が既製品のレンズじゃ合わない特殊な目玉なので、高くついてしまう。おまけに、フレームも流行とかムーブメントに沿ったモノでは気に入らない場合が多いので、何となくメタルのオーソドックスな形に納まってしまうのだが、それでいて満足しているワケじゃない所が「あーもう!」なのである。

メタルじゃないフレームも多々選んでは来たのだが、あれは眉間の所で真っ二つになるアクシデントが多く、そうなるとスペアが用意されていないと生活が出来なくなってしまう。でまぁ、そのスペアがメタルだったワケで、度も合わないし、いい加減飽きたのだ。

「メガネは顔の一部です…」

そんなCMが流行った当時はメガネがうっとおしくて、そんな事たぁねえーぞ…と思っていたのだが、今じゃまさしくそれ。寝ていても掛けていたいほどに無くてはならないモノなのである。

「んじゃあコンタクトにすれば?」

これはかなり魅力なのだ。好きなサングラスが幾らでも選べる事は、常々まぶしい事に悩まされている身としてはすげえありがたい。今の技術ならば、私の目でも合うコンタクトが作れると言う。慣れてしまえば苦も無いと言われるのだが、メガネを掛けていない自分がちょっと不満でもある。

結局、どーするのか決め兼ねているままなのだが、眼鏡屋さんをしばらく覗いてもいない事に気がついた。ちょっと物色しないといけないな…。どんなのが欲しい…って漠然とした物も決まっていないのだけれど、とりあえずメガネは新調したいなぁ…。

★パンツを買う…。

バリバリの右翼なので、普段好んで着ているファッションはミリタリーな私である…。

ま、これは冗談でも、冗談とも付かない怪しさはあるのであるが、本当は着心地が良いからである。所持品としてはアウターが多かったのだが、必要な所に必要なだけあるポケットとか、動きやすさ、機能性とかを含めて着心地が良いものが多いからである。放出品とかであっても、中古ってのはちょっと抵抗があるので、なるべく新品を探して買うのだけれど、同じ機能やデザインと考えると、他のブランドよりもかなり安い場合が多いのもウレシイ。

一般的に「野戦服」と言われる上下のウェアは「BDU」とも言い、本物か、本物に近いレプリカだと、かなり快適に過ごせたりする。これは素材から考えられているし、デザインもダサいが実用に適ったモノであるからという事が大きいのだろう。レプリカならばサバゲーのアイテムとして安く買えたりするし、冬はちょっとだけれど、3シーズンは気兼ねなく着ていられるし、ヤワな物でもない。元々が「クールビズ」の発想で研究開発された衣料なのだから、単なる野良着じゃなかったりする。

そんなワケで、OD(オリーブドラブ)な「緑おじさんファッション」が着心地良くて、ここ数年愛用していたのだが、パンツが擦り切れてお尻が丸出しになってしまった。これはちょっと悲しい。先日買った高機能クールビズ対応Tシャツと組合わせれば、かなりジメジメのムシムシであっても快適な事この上ない物なのだが、お尻丸出しは誠に遺憾である。

で、新たにパンツだけ探したのだが、サイズが無い。米軍の放出品ならば日本人のサイズよりも遥かに大きめだったりするのが普通なのだが、流通している物の殆どが日本人のMサイズ。私の場合はLかXLじゃなければ入らないのだから、幾ら安く売られていても意味は無いのである。

で、やっと探し出した、価格と折り合いの付くパンツが「6ポケットカーゴパンツ」。今まで履いていたパンツとデザインは一緒だが、柄が付いたし、生地がちょっと普通。本当ならリップストップと言う裂けても裂け広がらない工夫のされた生地で作られたパンツが欲しかったのだが、サイズから探すと無かったのである。そうであったとしても、擦り減って「お尻丸出し」なのだから、関係無いと言う実例の元に選ばれたワケだし。

届いたのはホンジュラス製なんだけれど、縫製が細かい所までしっかりしているので、これはちょっとウレシイ。中韓製のダサダサな作りに「そんなもんだろう…」って諦めムード全開な場合が多かったりするのがレプリカの宿命だったりもするんだけれど、ホンジュラスやるじゃねぇか! ってくらいに「良い仕事」しております。レプリカであっても、規格を厳密に守って作られている場合はしっかりしているんだよねぇ…。これはちょっと予想外にウレシイ。

ちょっと柄付きになったので「下だけ迷彩緑おじさん」になってしまうが、お尻丸出しよりはいーか…。上下これの、坊主頭で目つき悪く街中を歩くとなると、自分で想像してみても「ヤバイ…」。BDUならば上下セットも珍しくないけれど、今回はパンツだけの購入。

注文した後で、ホームセンターで作業ズボンでも買っておけば良かったんじゃないかと気が付いたが、形は同じでも素材が違ってたりすると、この快適さは履き馴染んだとしても同じにはならないだろうと思う。幾度か洗って糊が落ち、ヨレヨレっぽくなった頃の感じはたまらない物があるのが、野戦服ならではなのだ。汚れてもジャブジャブ洗えるし、何か特別な配慮をして洗う必要も無い。不快指数を下げるために乾燥も早く済む様な素材だし。

こうした感じも含めて民生用として「作業ズボン」にしてくれればいいのに、妙なアレンジが加えられたりして、形ばかり真似した感じがぬぐえないでいるのは、ちょいと悲しい物がある。

ファッションとしてのミリタリー、迷彩、カモフラージュ…って物も、ちゃんと選ぶとかなり実用に適ったものであると、もっと評価していいと思うんだけど、思想がどーだの、軍国主義がどーだのってのが絡んでつまらない評価なんだよねぇ…。まぁ、別に素材や作りが同じなら柄はどーでも構わないんだけど、ストリート系…ってくくってしまうには惜しい程のアイテムになれるハズだと思うんだけどなぁ…。

★日本でのテロを考える…。

イギリスが大騒ぎだったんだけど、日本も他人事じゃ済まされないだろうと思う。

でも、増えたとは言え、まだまだ外人さんは目立つ存在でもあるし、違和感をそこに覚える世代も多いワケだし、自爆出来るほどの爆薬を揃えるのも難儀だとすれば、ちょいとテロを起こすのも難しい。ロンドンだからこの時期に出来たって条件が重なったからだとも思うが、日本でテロを起こすとしたら、どーすんのか?

そんな「危ない考えはしなくてよろしい…」って考えが多数なら間違いなく似た様なテロはこの国でも起きる。考え付くだけ考えておいた方が、防ぐ力は大きくもなるのである。まぁ、普通に生活している我々は残念ながら巻き添えにはされても、それを回避するなんて事は無理だとも思うけど、もしかしたら普段より多くを目で見て行く事で避けられるかもしれない。

んじゃテロだが、大きな被害を与えなくても、小規模でも同時多発なら目的は達成出来るんじゃないかと思う。死傷者が出なくても、その心理的な効果は絶大な物になるだろうし、爆竹よりも少々演出過多であれば、簡単にパニックは起きるんじゃないだろうか。そうした環境の整った空間がどんどん増えているのが首都でもあるし、主要地方都市でもあったりする。超高層ビルのワンフロアでドカンドカン連鎖爆発が始まってみた事を考えたら、それがガラス1枚割れなくても煙の充満だけで心理的な効果は絶大になる。下か上かどちらかにしか逃げられないし、911で見た映像の記憶は下に逃げる以外に助かる術は無い事を示した。

まぁ、日本じゃビルが倒壊するほどのテロは難しいのが現実だけれど、恐怖心はあまり変わらないと思う。

生物や化学物質によるテロも容易い様に見えるが、地下鉄サリン事件で人の目は意外に敏感になった事もある。その後の生活の中で、あの恐怖を忘れてしまったとすると、その目は鈍るかも知れないが、さすがにあれだけの被害を出しているケースだから、同様な手口は難しいだろう。

何気ない安全を突くとしたら…。

送電線や変電所の一斉破壊とか、水道水への毒物混入とか、毒ガスを噴霧しながらトラックで走り回るとか…やられそうでもある。ま、考え出せばキリは無いのだけれど、普段は普通に眺めて済んでしまう所、重要なんだけど関心の行かない所を狙われていると考えた方がまだいいのかもしれない。

この時期で言えば、花火大会とかね。特大尺玉3000発乱れ射ちに乗じてやられたら「キレイだ…」なんて口あけて夜空を眺めてるワケだから、被害甚大、阿鼻叫喚も容易い。ま、これはかなり不穏当な発言ではあるけれど、誰かしらの目がそこに注がれる事が大切なんだと、考えても悪くないと思う。

★DVDドライブ増設。

HDDがいっぱいになっちゃって、捨てるには惜しいデータなんだけど、CDRじゃ収まらない…。
んで、DVDドライブを増設する事にしたのだが、なんだってこんなにメディアの種類が増えてるかなぁ…。

一応、RAM以外のメディアは対応できるドライブを選んだのだけれど、ちょっと離れている間にプラスだのマイナスだの2層だの増えていやがる。何したらこんな事になるのか見当も付かないのだけれど、これをすんなり理解出来てる人がうらやましいぞ…。

まぁ、ドライブだけ買うのが精一杯な生活なので、メディアはおまけでもらった1枚の-RWだけなんだが、実のところ、何を買って良いんだかサッパリなワケ…。容量的には2層の8GBくらい焼けそうなのを選ばないと、当面の目的は達成できないみたいなんだけど、ドライブとの相性ってもんがこの複雑さに加わる事を考えると、引くなぁ…。萎えるなぁ…。

世の中の人はこれ、判ってんのかな? オヤジ的にはベータかVHSかって位にシンプルにしてくれねーとサッパリだぞ…。義弟が新調したデスクトップにもドライブ付いてたけど、あれは判ってねーだろーしなー。扱えるメディアが豊富になったって事は確実に便利になった方向性は感じられるが、利便性とか実際はどーなんだろうか? ブルーレイだのなんだのって言う以前に「玉砕気味…」な感じがユーザーに漂うのもいかがなものか…。複雑化することで便利になる方向性ってのは、先行きどうなんだろうねぇ? 玉砕気味で万歳クリフなのはオレだけなんだろーか? 整理してシンプルに考えればそんな事も無いのかな…。

★百聞は…

トロツキーだか言うおっさんが昔ソビエトにいたんだが、スターリンだかフルシチョフだかの顔が気に入らなかったのか、メキシコに亡命したとさ。で、メキシコで消されちゃったんで世間は大騒ぎになったんだけど、その時の凶器の「アイスピック」がこのほど見つかったとか言うニュース。

「アイスピック」って言うからバーテンやスナックのママとかが氷をザクザクしながら細かくする細く尖ったものだとばかり思っていたんだが、写真を見たら全然違ってんだ、これが。

「これは登山に使う何て言うんだか…確かピッケルとか言うんじゃないの?」

まぁ、そんな感じの物だったワケで、世界的にはこれは「アイスピック」と言うのか、どうなんだか? って疑問が渦巻いちゃってるワケだよ。

私の想像にある「アイスピック」でトロツキーなるおっさんを襲撃すると言う暗殺的葬り方はなかなか理に適った物なんだが、写真で見る「アイスピック」で襲撃するとなると、かなり豪快な葬り方となり、あんまりだぜベイビーでハラショーにニエットな事になるのである。

まぁ、どっちにしてもおっさんは頭をやられて殺られちゃったワケなんだけれど、記事だけ読んで想像してると実際とは豪快に違ってたりするのも、今の時代どうなのよ? って事。

ネットで見るニュースなどでは、見出しだけで取捨択一なんて場合も多いんだけど、ワケのわからない見出しが目に付くのもなんだかよぉ…。ウケ狙いならまだいいんだけど、そうでない場合にも目にするので、ひどい場合はどっちが加害者で被害者なのかなんだか判らない物もあったりする。

まぁ、情報の送り手もおじたん。とあまり変わらない世代がやってんだろうから、自分を省みれば何となく判るんだけど、信頼性を損なっては報道とは言えないんじゃなかろーか。

★アスベスト・パラダイス

父の肺がんもこれじゃねーかと思ってはいるんだが、今更確かめる術は無い。

建築関係者にはありふれた製品に数多く使われていたので、疑うだけの余地はあるんだけれど、こうなると判って使っていたワケでも何でも無いからこそ、今後の成り行きが心配されるんだよねぇ…。

吸い込んで直ぐに病気になるワケでもないし、どーしたものなんだか困ったものなんだが、それよりも困ったのが「国の対応」である。一応は「早急に調査して…」とか「かなり踏み込んだ対応で…」とか大臣や官僚が言ってたりするが、裏を返せば「とっとと死んでくれ…」と言う意味と同じ位に何も現実的な対応を取らないのが常態化している。

国なんてそんなもんだし、役所なんてそんなもんさ…ってのに慣れちゃってる社会が完成しているんだと思うのだが、徹底的に弱者救済を目指す国家的主導者が現れないのも仕組みの1つだからなのではないだろうか。

「うちの党が政権政党になったら、無駄な税金は全てこっちに回す勢いで対処するぜ!」

ってのが出て来てもおかしくないのだけど、60年程度の社会じゃまだ無理なのかなぁ。こういう災害にも似た国民の損失には、政党だの政権だのの関係ない所でバッチリ解決してくれないと困る問題だと誰も考えないのかねぇ…。大臣や官僚が変わる度にどこまで、どれだけって肝心な部分までが変わってしまうんじゃ困るんだよなぁ。

ちょっと前も、TVで日本じゃ手術が出来ない病気の方のための募金を募っていたが、先進国として情けなくないか? 自国民を自国の医療で命が救えないんだぜ? そうした技術の無い後進国なら話も判るけど、日本だぞ、ここ。郵便局の改革もいいけど、国民の命を救い易くする改革の方が先じゃねーのかな? 自腹で1億用意しないと助からないなんて、死ねってのと同じだろーが。そうした不幸にして弱者となってしまった人を助けるのがお上の役目なんじゃないのかね?

と言う壮大な疑問は昔からあるワケで、改めて言った所で変わらないんだろう。後、何年したら変わるかなぁ…。小学生でも、ちょっと考えれば「おかしい…」と判る、命に関わる問題をほったらかしにする社会を、政府や役人が作っているとしたら、いつの日かしっぺ返しが訪れるんだろうな。そう言った自浄作用が長らく起きないでいるのも、社会としては問題なのかもしれない。

まぁ、少数の国民の命を救うよりも、無駄な高速道路を1本でも多く作った方が金儲け出来ると考えてるんだから、ダメだろーけどな…。

★託された意味。

父は私が生まれた40年前には既に1眼レフカメラを使っていた。キャノン製のキャノフレックスRMと言うカメラだったが、趣味で使おうとしたのか、新婚生活の必需品と考えたのかは知らない。ところが、あまりこのカメラを使っている父を見た覚えが無い。当時の5万円が今のどれだけの価値なのか判らないけれど、コンパクト・カメラが普及する前の話だから、贅沢品のひとつには違いないのだが、私が生まれて、それどころじゃ無くなったのかも知れない。

私が小学生の頃になって、カメラに興味を持ち出すと、あまり使われなくなったカメラではあっても触ってみたくなる。だが、あまり触らせてはくれず、滅多に使われない事から、カビに侵されてしまう。それでも大事にしまわれて、陽の目を見る事は少なかった。ようやく許しを得て持ち出せるようになったのは小学校の修学旅行の時だった。

一応、露出計らしいものは付いていたのだけれど、どうやって使うかも判らず、父も忘れてしまったみたいだったので、その場の明るさを読んで露出を決めるなんて事を小学生ながらにやっていた。ほとんどが「カン」だけれど、なかなか上手く撮れていた。当時は110カメラ全盛期だったワケで、友達のほとんどは労せずにキレイな写真が撮れるなか、重いカメラをいじっている楽しさのアドバンテージだけが誇りでもあったのだな。

今にして考えると、大量のアサヒカメラが家にあったので、やはり趣味として続けたかったのだと思うが、コンパクト機のちょいと良いカメラを父は使い出すと、往年の名機も「ジャンク」になってしまう。カビはそれだけでなく、腐食ももたらすのでね。私が写真学校に通っている間にメーカーに持ち込んで点検をしてもらった覚えがあるが、その時点で再起不能と判定され、オブジェにしかならなくなっていた。

で、私が高校に入学すると、自分のカメラを買ってもらう事になり、父にならってキャノンを選んだ。当時、カメラロボットと呼ばれたA-1である。これは写真学校に進んでからも使っていたのだけれど、先行きニコンにする必要が出て来たので友人に売却する事になった。あれはあれでなかなか良かったのだけれど、電子頭脳の塊みたいなカメラはその電子頭脳をフルに使って撮る場合には高性能なんだけれど、手動一筋の道を歩むには使い勝手が違ってくるワケで、あのまんまデジカメにしたら今でもまんざらでは無いと思う。

その先代にあたる「AE-1」が、今、目の前にある。シャッター優先AEと言う画期的な機能で世界的に大ヒットした名機。「連写一眼」のキャッチコピーは覚えている人も多いかな。後にプログラムAEの付いたモデルも出るが、目の前にあるのは付いていない。

しかも、大変にキレイな状態で、使用感はあるものの、使い込んだ…と言う痕は無く、機能も問題ない。

父が入院先の病室で、同じ病気を患う人から頂いたモノだと言う。入院中でもあるし、対価を差し上げる事が出来ない事を申し出ると…

「じゃあここに捨てるから拾ってくれ…」

とさえ言われたそうである。奇特な人がいるもんだと、思ったのだけれど、父も病室じゃ使う事もないし、旧式の1眼レフを使う事もままならない体となってしまっているので、私の手元にやってきたのである。

父にしてみれば、通販で買ったオートフォーカス1眼レフなんかひっそりと持ってたりするので、今更要らないんだろうけれど、そこまでして父に貰って欲しかったカメラだと思うと、無下にほったらかすのも気の毒な感じがする。捨ててくれてやるほど、程度の悪いものじゃないし、定期的に補修を受けていなければ、劣化の末にボロボロとなる部分もキレイなまま。真意は判らないが、いつとは判らないが、命を限られてしまった身である元の持ち主はまだ余力のある父にこれを託したのだと思うんである。

父は父で、これからゆっくりと、趣味の世界に浸ろうと考えていたんだろうと思う。でなければ、デジカメじゃ無いにしろ、1眼レフなんか買う必要も無い。趣味らしい趣味も無いままだった父が、やっと自分の時間を得たと思う矢先の癌の宣告。交換レンズも揃えて新調したのが、今となっては痛く悲しい。体を蝕む癌のスピードに、今はそれどころじゃ無いと思うが、好きな写真を撮らせてあげたいと思う。残念ながら、託されたカメラは父が扱うには難し過ぎるので、私が使う事で託された役目を務め様と思う。それが何であるのか定かじゃ無いけれど、オークションに出したり、眺めて楽しむって意味じゃ無い事だけは判っているつもりである。

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ああっ終わってた…。(まんが、アニメ、コミックを想う…)

2005-07-15 00:42:34 | 我思う、故に書くなりよ。
なにげに木曜日なのでビデオをセットして気がついたが、何となく見始めて欠かさず見ていたアニメが先週で終わってた…。

「ああっ女神さまっ」って古くからあるアニメと言うか、コミックなんだけれど、そう言うコミックがある事は知っていたのだけれど、見るとか読むとかって行動が起きないままずーっと時間が流れ、この歳になって初めてアニメで見ていた。その前にやってた「ジパング」の流れで見続けていたという話もあるのだが、妙にのんびりとした内容で、まぁ出て来る「女神さま」がのんびりしているものだから、のほほんとして面白かったんである。

深夜のアニメなので、エロだのグロだの…って物が割りと多い中、そう言う心配の要らない内容だったのでもう少し続いて欲しい気持ちも正直あるのだけれど、コミックはまだ連載が続いているワケで、長々と作ってもいずれ追いついてしまったりすると何かと差し障りがあったりするんだろう。

ここのところ、特別編成とかで放送時間が変わったり、休止になったりしていたので、最終回を見逃してしまったかと残念がったりしていたのだが、ビデオに録っていたので、1週間遅れで見たワケです。

これがまた絵に描いたようなハッピーエンドなんだけれど、本当に絵に描いた…エンディングがほのぼのと言うか、のほほん…とした雰囲気を出していて、視聴率何%か知らないけれど、ちゃんと作ってあるのがまたニクイんだなぁ…。まぁ、DVDで販売って兼ね合いもあるんだろうけれど、作り手が作品に対する愛着とか、そんな感じのモノがしっかりと見て判るのはウレシイく思うし、また面白く思う。

放浪中に、夫婦揃ってアニメおたくって家庭にお邪魔した。関連グッズで溢れた生活の場を想像していたのだが、そう言ったモノは見当たらず、怪しいといえば5台のHDDレコーダーくらいしか見当たらない。だが、DVDやらVHSやらを含めたメディアのストックは膨大な量であり、きちんと収納されていて、ほとんどが未開封だったりする。見るのが追いつかないらしい。

そんな夫婦の会話はやっぱりアニメばかりなのだが、聞いていて特に苦にならない。今でこそ当たり前だけれど、古いアニメであっても「作品」として捉えて話しているからである。それは、映画のそれとなんら変わりないものであって、極端な嗜好性の強い会話でも無く聞こえる。

ここで、おじたん。は戸惑うのである。自分の中でアニメとかコミックが映画と同等の評価を得られたのはさほど昔の事ではない。幼少の頃に見ていたアニメはどう比較しても映画と対等な関係には成れないモノであって、同じ位置づけにする事に戸惑いがあったのは事実。

「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」と言ったストーリー性の強い作品も劇場版映画となって、劇場で見たワケだし、コミックも読み漁ったワケだけれど「まんが映画」の域を自分の中で越えていなかった。それが少しづつ変わるキッカケとなったのは「AKIRA」や「オネアミスの翼」だったと思う。原作が劇画とか小説ならば、まんがとはちょっと違うんじゃなかろうか…って曖昧な感じの線引きが何となく出来ていたんだろう。目に留まって、ツボに入れば「お気に入り」って事なんだけど、「まんがじゃん…」で見過ごしていた「作品」も実に多い事に気がついた。「まんが」に始まる表現を「ごみ…」と捉える世代と「作品」として捉える世代の過渡期の人間なんだろうなぁ…。

そんな話を夫婦にすると「うる星やつら ビューティフルドリーマー」と言う劇場版を見せられた。
そういうコミックとアニメが長く続いていた事も知っているが、ツボにはまらなかったので全く見ていない。簡単な説明をしてもらって見てみたのだけれど、そこに描かれるパラドックスが痛く気に入った。

「おじたん。の好きな攻殻機動隊の押井さんの作品なんですよ。」

奥さんに教えられて、何となくイノセンスと通じる所があると判る。だが、この作品は原作とは掛け離れた所にあるために、賛否分かれる作品だとも教えてもらった。原作がどうなのか見てないし読んでもいないのでどう違うのか判らないのだけれど、ドタバタしてれば同じってワケでは無いらしい。

うむぅ…。そんなこんなを聞いているうちに、見過ごしたアニメがひどく惜しく思えて、かなり悔しい所に自分がいたりする。だけれど、受け入れられないアニメも自分の中では実に多い事も事実。

「手塚治虫と宮崎アニメとディズニーが全くだめなんですよ…」

おそるおそる白状する。あの絵が全く駄目で、鉄腕アトムやらナウシカやら、ツボにはまらない事を打ち明けた。片や「伝説」とも「伝統」でもあり、片や「旬」でも「頂点」でもある。

「あ、それは誰にでもありますから、いいんじゃないでしょうか。例えば、原作とアニメじゃ画が違ったりするんですけど、そう言うの駄目な人も多いですし…。」

手塚治虫に限って言えば、昔、同級生のお父さんが持っていた「全集」みたいなモノに載っていた短編なんかは結構気に入っていて、大人向けの作品ではあったけれど気に入った作品が多く、よく覚えている。だけれど、アトムやジャングル大帝なんかはツボにはまらない。宮崎アニメで言えば、もう全てが駄目。ディズニーも同じだし、TDLで黒鼠とケンカした思いも重なる。何度かトライしては見たのだが、世間の評価とは全く一致出来ないんである。例えるのもおかしいが「タイタニック」見て全く感動しない人なのである。自分の中では「駄作」の烙印がバッチリなのだ。

「少女コミックとかアニメは駄目ですか?」

内容からすると、とても少女コミックとは思えないのだが、青池保子の「エロイカより…」にはハマった。少女コミックでNATOだのレオパルドA1だのG3だのバンバン出て来るし、その描写も緻密でなかなか正確だったワケで、あの世界だけは「冷戦」が続いて欲しいモノだと思っているくらいに好きな作品である。それ以外には見てもいない。

「えっ? コミックだけ買って読み始めたんですか?」

週刊誌だか月刊誌だか知らないが、少女まんが誌に連載されている事は知っていたが、自分がどうしてそれを最初から読み始めたか全く記憶に無い。当初はとんでもなく耽美な泥棒と学生だかの話で始まるのだが、回を重ねるうちに、NATOの情報将校と泥棒の話に置き換わるんである。途中、部下の話に置き換わったりもするが、そこまで読んでいたのはどーしてなのか? 今でこそ当たり前に近いとは思うが、当時の男子高校生が書店でその手の書籍を買う勇気といったら、イヤラシ本の自販機の前で数十分悩む事よりも恥ずかしさは大きかったのである。毎週なのか毎月なのか、開き直りなのか、絶対心なのか、無意識のうちに書店で買い求めていた奇行でもあったのだろうか…。

てなワケで、少女コミックが全く駄目ってワケでもない。意外にも「きんぎょ注意報!」なんかはアニメで見入っていた。が、その世界で名作と言われる「エースを狙え!」とか「ガラスの仮面」とか「ベルサイユの薔薇」だとかは触手が全く動かない。

多くのアニメやコミックを見過ごした悔しさとか、惜しさと、相当な偏食ぶりとが入り混じって何とも不完全燃焼な放浪だったワケだけれど、新たな価値観を頂けたと思っている。そうした点においても「女神さまっ」はもうちょっと見続けたかったなぁ…と思うのである。一度は「写真」と言う映像表現を学んだ身でもあるワケだが、なんだか「まんが」から始まった表現を理解していない自分がまだまだいる事が悔しい。

悔しいのだけれど、どうしても受け入れられないモノがある…と言うジレンマ。漫然と受け入れて、作品として消化していけるだけの度量の無さ。木を見て森を見ず…。うむぅ…。

「酢豚にパイナップル入れんなっ!」

って感じがぴったりなんだなぁ。「どーして入れちゃってるのよっ?!」って感じで不快感たっぷりなまま、忘却の彼方のまんが、コミック、アニメを想い、新しく始まる「苺ましまろ」をどうするんだか悩むのである…。この奥の深さを堪能せずに世を去っても良いものかどうか…。マグロの握りは好きでも、山掛けに入っている筋たっぷりのブツ切りは食えねーぞ、オラッ! って態度で接して良い物かどうなのか? 

他に考えなくちゃイケナイ事は山ほどあってもだな、とりあえず悩むのであるのだな…。

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癌という病気とどう向かい合う? その8。

2005-07-14 10:57:09 | 我思う、故に書くなりよ。
その後の父は、治療の効果が上がらずに、癌に圧され気味である。

最初のうちは効いていた化学療法が効かなくなり、効果の出るだろう薬を探さねばならない状態となっているんだと思うが、首に転移した部分が大きく腫れ上がるなどの見た目の変化も著しく、放射線療法も始まっている。

今は、入院して治療を受けるのではなく、通院しながら放射線治療をして、化学療法の効き目がどれくらいあるんだかないんだか見極めているんだろうと思うが、総じてあまり良い方向に向かっているとは思えず、当初の予想と大きく違っているワケでもないみたいだ。

まぁ、スタートが「末期」なんだから、大きく良い方向に違ってくれたらいいな…ってのは、無理だと思っていたので別に驚きはしないのだけれど、最後まで「希望」やらに賭けるのもいかがなものかと…私は思う。まだ、自分の意思で何か出来るうちにさせておいてあげたい…と、思うのである。

自分で動くのもままならず、おおよそ「希望」通りにならない事が目に見えて来ても、「希望」に賭けて、苦しくツライ治療を続ける事が本当に良い事なのかどうだか。最後まで諦めずに戦うのもひとつの選択だと思うが、限られた時間を有効に使うのもひとつだと思うし…。

そんなこんなを、本人が決める時間も無く、治療にせかされて流されている様で、傍で見ていて、

「オレだったら嫌だな…」

と、思うことがしばしばなのである。出来ること、したいこと、やらなければならないこと、いろんながあっという間にやって来てしまう病気だから、身内はそれぞれに考えなければイケナイ事を強いられるんだけれど、周囲の考えに圧倒されて、本人の考えが伝わらないのでは、何のための闘病なのか? 誰のための闘病なのか? 見えなくなったままに進んでいってしまうのでは…と言うのが、何だか怖いんである。

この期に及んで、身内が妙な宗教にでも頼りだしたらもっと怖いが、得体の知れないサプリや水を急に買い出したするのが怖かったりする。「癌に効く…」と名のつく書籍が目に見えて増えるのも恐ろしい。だが、それもこれも父の回復を願う心からだと思うと、何も言えないのである。

ちょっと理性的に考えれば、癌に効くような物が通販で気軽に買えるワケが無い。一時的に免疫力を高める効能のある食品などはあるかもしれないが、それが癌に効果が著しいならば「薬」になっているワケで、対処的なものだと割り切って買い与えるならいざしらず、飲んでるうちに、食べてるうちに「治る」なんて事は極めて稀であって、極めて稀な部分に期待するにはあまりにも小さいと言うか、無視だろうと思う部分だと思う。そうした心理を見越して儲ける事を考えられた価格すらも目に入らなくなるから、なおさら恐ろしい。

そうした事を、何も疑わずに「正しい」と捉えて実践する家族を見ていると、やり切れない。まぁ、反対は唱えても、決定権は私には無いので、こうして書いても意味は無いが、何か見えてない。

やはり「癌」と言う病気は、何か特殊な病気なのかもしれないと、嫌々ながらに思う。私だって、父にはもう少し元気でいて欲しいと思う。出来るなら、病から抜け出して欲しい。だが、それも限りがある。現実はずっと厳しい。現実に晒されている父を、仮想でなんとか出来るワケではない。

厳しい現実の中であっても、父らしく最期まで生きて欲しいと思うだけなのだが、もはや難しくなっているのかも知れない。

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シスの復讐。

2005-07-12 23:14:36 | 我思う、故に書くなりよ。
せっかくだから、見に行ってきた。

んでまぁ、体調も悪いんだろうけれど、勢いってもんで、コンパニ子と一緒にスターウォーズ全部借りてきて通しで見ておる。

最初の作品が公開されてから28年だというので、コンパニ子は生まれたばかり。おじたん。は小学生だったワケで、当時は全く興味なかったし、映画をおいそれと見に行ける環境にも無かった。どちらかと言えば、ロッキーとかジョーズの方が記憶に残っている。

それでも何となく何かしらで見ていたので、何となく話の繋がりは判っているんだけれど、細かい所まで見る興味も情熱もよそに行っちゃってたんで、ちょっと真面目に見てみた。

ちゃんばら…好きなんだなぁ、外人は…。

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気を失う…。

2005-07-12 17:00:22 | 我思う、故に書くなりよ。
必要な物を取りに、家に帰った。

小用を足そうと、トイレに入り、ハエの数匹いるのを確認したあとに、用を足す。
用が足し終わり、さて戻ろうと思ったら、急にむせて咳き込んだ。

「あー…」

目の前が急に暗くなり、音が消えて無くなり…

「ぐしゃ…」

トイレの小窓のガラスに頭から突っ込んで、ガラスを割っていた。痛かったが、頭の方は何とも無く、怪我すらもしていない。レースのカーテンが1枚あって、これで頭を切らなくて済んだらしい。

「あー。割っちゃった…」

破壊王と呼ばれたプロレスラーが突然倒れてこの世を去ったばかり。年齢も同じ。はたけばボロが出て当たり前だとは思うが、あまりこういう形で世を去るのもなんだか忍びない。

「あー。死んでゆくぅ…」

別に生きながらえる事には大して執着はしていないが、せめてそんな感じとか感覚は最後に持っていたいとは思う。別に、どこで死んでも構わないが、そういった「死んで行く感じ…」ってのはあって欲しい気がする。

寝ている間に、夢の中で右往左往している最中に絶命している…ってのも悪い感じはしないのだが、なんだか死んでしまうことを少しでも認知しておきたいって感じかなぁ。

なにはともあれ、やれやれな日だな…。あちいし。

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依然として放浪中である。

2005-07-12 00:49:37 | 我思う、故に書くなりよ。
今日からまたイベント・コンパニ子のところで放浪しておる。

ここは無尽蔵にネットが使えるので、ようやくのブログでもあるが。
放浪先が転々としているのでそれぞれの家庭が見られて面白い。この前に放浪していた先は、夫婦揃ってアニメおたくだったので、アニメを心ゆくまで堪能できた。とは言え、度を越えた情熱の注ぎ方には多少引くものも多かったのだが、門外漢からみればどんなマニアでも多少の引きはあるので、これはアニメに限った事じゃないとも思う。

さて、数週間ほどしてコンパニ子のところへ戻ってきたのは理由がある。コンパニ子が仕事で出張していた事もあり、その間は出番が無いが、自宅に戻ってくると出番がやってくる。まぁ、簡単に言えば「用心棒」とか言っておけば判り易いかな。

んまぁ、ひどいストーカー被害に遭っているので、友人の帰国子女A改のつながりで私が執事とか僕(しもべ)としてお守りするのである。ちゃんと、地元の警察にも届けており、今日も警察署と近所の交番に挨拶に行ってきた。

本来なら、都内にマンションでも借りて住んでいたほうが、彼女の仕事としては便利至極なのであるのだが、ストーカーに被害を受けてからは便利でもなんでもなくなってしまい、転居せざるを得なくなってしまったと言う。彼氏でもいればまだ何とかなったんだろうけれど、そうでもなければ逃げ場は無くなってしまう。仕事を辞めて、実家に帰ろうかとも考えたそうだが、それではあまりにも悔しい…そうだ。

まぁ、ストーカーなんで、さわやかな手法で接触を試みるなんてヤツはいない。得てして全てが陰湿であって、常人では考えられない事を仕掛けてくる。まともに相手にしていたらこっちが気が狂うだろう様な事は平気でしてくるワケだ。

まぁ、転居してからはその被害も減ったらしいが、そういう仕組みのマンションだからと言う利点でもある事は確かだ。そういうマンションも増えて来ているが、絶対数は少ないのでよくぞ探し当てた! って感じだと思う。

に、しても、相手が定かでは無いと言う「恐怖」が現実にある以上、身を守る術にはたけておいた方が良い事は間違いない。いきなり刺されたり、ガソリン掛けられて火をつけられたりなんてのも現実の話だ。

そんなワケで「盾」になることはやぶさかでないが、「剣」にはなれないのが日本の法律である所が不満でもある。武装は認められないワケで、体力勝負の素手バトルが良いところ。だけれども、そうならない様に動くのがボディ・ガードの一番の役目であって、拳銃ブッ放したり、特殊警棒でやりあうなんてのはボディ・ガードとしては失格なんである。

とはいえ、光学迷彩とタチコマ1機はあると便利だろうなぁ…。

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