おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

ちゅーちゃんと地震予知。 その3だか4。

2005-05-30 23:48:20 | 我思う、故に書くなりよ。
ここ数日、やたら「忙しない…」。世話しない…ではない。

ちゃんとケージ丸ごと塩素消毒付きで洗っているし、エサも種類豊富でお水も新鮮。真新しい床どこはパインチップの香りがいかにも健康で清潔感漂うものでもある。

まぁ、妙な動きが目に余ったのと、チビちゅーがどれも元気だったのが確認できたので、大掃除してやったんであるが、ママちゅーのここ数日の動きは明らかに「挙動不審」そのもの。チビちゅーほったらかしでロフトの2階を右往左往だったのである。それもかなりの「スピードまうまう状態」で、ケータイの動画にしてブログに挙げようかと目論んだが、あまりに速いので何の動画だか判らない事もあって挫折…。異様に忙しない様は何かの病気か、新たなるエサの要求なのか定かでは無いが、飼い始めて3年で初めて見るモノであった。

オスの方も「事件」は起きている。これも数日前だが、一緒に丸まって寝ていた仲間のオスを叩きのめして、天国へ送ってしまった。じゃれあうのはいつもの事だったので、特に気に止めていなかったのだが、じゃれ合っているのを確認した数分後にはピクリともしていなかったのである。

オスの事件は今回が初めてでは無く、以前にも似た様な事はあったので、特に珍しいワケでもない。何がきっかけになるのか見当も付かないが、一緒に生まれ育った兄弟であってもこうした「事件」は起きる。性格的に合わないと言うモノも中にはいるみたいだが、一緒に水を飲み、エサを食べ、仲良く丸まって寝ているのが常であっても、何故だか起きてしまう。頭が無くなるまで喰われたり、全身ボロボロ…なんて事ももの凄く短時間で起きる。今回は幸い、そこまでヒドイモノでは無く、流血は見られなかったのだけれど…。

そんなこんなが全て、何かの予兆とは言えないだろうと思うが、メスの忙しなさにはちょいと引っかかる。まぁ、これだって、よその飼い主の所では「日常」だなんて事もあるんだろうから、思い過ごしのうちかも知れない。そんな意味合いでは、こうした動物の行動を数値化して比較するプロジェクトはなかなかだと思ったのだが、うちのちゅーちゃんに代々伝わる伝統によって、これも挫折…。(1月か2月辺りに書いたと思う…)

そんなワケで、飼い主の主観で様子を観察する他に「異変」があったとするなら「受け取る」術が無いので、気をつけてはいるんだけれど「忙しない…」。
先日産まれたチビちゅーは、目は開いていないモノの、体毛がしっかり生えてきて、赤かっただけの地肌にハッキリと判る区切りが出来はじめている。お腹が白く、背中は黒いんだろうなぁ…っと。触ってみると、意外に冷たい。ゴニョゴニョ動いていなければ、死んでいても判らない位に「冷たい」。普段はママちゅーが上から覆い被さっているので、暖かいのだろうけれど、ママちゅーが忙しなく右往左往している間は少し可哀想なんだけれど、そんなこんなで育っているんだから、手出しは無用なんだろう。あんまりかまい過ぎて、育児放棄でもされたらそれこそ困る。

大掃除しちゃったから、どうだか判らないけれど、相変わらず「忙しない」。掃除しただけで、住まいのレイアウトを変えたりはしていないので、あっさりと馴染むのがいつもの事なので、今回も同じだと思うのだけれど、やっぱりロフトで右往左往。やはり何かを感じ取っているのであろうか?

新しく産まれた子供に恒常的に回し車を回す習性が宿っている様であれば、数値化プロジェクトも悪くないと思う。ちゃんとトイレは用意してあるにも関わらず、回し車で用を足してしまい、そのうち回さなくなる…って言うのが代々続いているので、種類が適さないのかと思いきや、ロボロフスキーでも参加されている方がいる様なので、ちょっと期待してもいいかなとも考えている。親の背中を見て子は育つってのもあるのだと思うが、動物だからねぇ、飼い主の思い通りに育つのも難しいだろうしねぇ…。

で、このプロジェクトについて興味のある方は「ハムスター観察の会」ググりでもしてご覧頂きたい。ハムスターには恐らく負担は掛からないだろう方法で、その活動量が数値化出来る優れた方法だと思う。もうちょっと簡単なカウンターはペットショップで売られていたのを見た覚えがあるので、手動…って事も可能だと思う。うちのケージでは取り付けが難儀だったので買わなかったんだが。

写真のライトは夜行性の彼らを観察するためのモノ。赤い色のLEDライトである。大昔に野ネズミの撮影で、夜間に撮影する時の必需品だったんである。これで照明しておくと、彼らは赤い色に鈍いので、照らされている事が判らないらしく、ありのままの姿が写真に撮る事が出来た。その時の応用で、夜間に明かりを付けてハム達を驚かすことなく観察が出来るんである。でも、近寄れば気付いているらしいんだけれどね…。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海の幸を堪能する…。(さざえ編)

2005-05-28 22:26:23 | 我思う、故に書くなりよ。
いせえびと一緒にお裾分け頂いたワケであるが、いせえびほど高級食材でも無くなりつつある。これは幾多の困難の末に「養殖」が可能となり、稚貝の放流なども盛んに行われて資源が豊富になった事による。

それでも、貝類では「アワビ」と共に「高級」って冠は未だに載っている。価格だけがその冠を返上してくれつつあるのはうれしい所である。

んで、今回届けられたモノはしっかりと荒海で育っていた「天然物」。さざえに付き物と言ってよい「イガイガ…」な角がしっかりと伸びている。これがある種のステータスでもあり、やはり「量産型」とは違うのだよ「量産型」とは。このイガイガ…は後で意味を帯びてくる。人を寄せ付けないだけのモノではないのだね。

まぁ、天然モノでもイガイガが短かったり、無かったりするモノもいるので、そう心配しなくても大丈夫だし、アワビほど味の違いが出る様な差も判らない食材でもある。まぁ天然物の方が「大きい…」個体に出会えるって事はあるだろうけれどね。

さて、さざえだが…。他の貝類と違って、勝手に開いてくれたり、茹でれば出て来てくるってモノでもない。頑強な要塞にこれまた頑強なフタが備わっており、得てして外界と遮断した形で佇んでいる。

よく、さざえの身だけ刺身になっていたり、細かく賽の目に切られた形で他の食材と共に殻に入れられて出されたりするが、これを普通の家庭で行おうとするのもかなり難しい。扱いに手慣れた業者の方なら「くるるっ…」と、殻からあっという間に身を取り出していたりもするが、螺旋状の殻の内部に肝の部分が潜んでおり、これを出すのと出さないとでは旨味は大きく違ってしまう。

磯遊びのついでに「たまきび」と呼んでいた小さな巻き貝をたくさん捕って帰り、塩ゆでにして食べた事があった。その容姿はマイクロサイズのさざえの角なしって感じで、食す部分は当然と少ない。にもかかわらず、口に入れた途端に広がる磯の香りというのか、海の香りはその苦みと相まって、実に素晴らしいものなのである。

だが、これもコツを覚えないと中の身や肝はうまく取り出せず、本来の素晴らしい味が味わえない。爪楊枝などで身を捕らえた後に、殻ごと「くるるっ…」と回しながら肝までキレイに取り出せればしめたもの。

さざえも同じで、やみくもに箸で突いたり、ほじくったり、引っ張っても最高の味は出て来ないのである。磯でバーベキューやってる人の多くは実にもったいない食べ方をしている人がほとんどで、

「あーあ。やっちゃってるよ…肝が美味いのになぁ…」

と、他人事ながら「もったいない」でいっぱいになってしまう。

とまぁ、なんだかんだ言っても始まらないので、さっそく「壺焼き」に…。

ガスレンジに焼き網を乗せて、その上に生のさざえを乗せる。頑強なフタが見え、旨味の詰まった煮汁が出ない様に姿勢を整えなければいけない。ここでイガイガ…のあるなしが効いてくる。無かったり、小さいモノは姿勢を保つのが難しいのである。

後は中火でじっくりと焼いてやる。頑強なフタの脇から煮汁が泡立ち始めれば、フタもゆるんで来た証拠なので、そこから醤油でも注げばOK。姿勢が上手く保たれたままなら、ぐるぐるの奥の方に潜んでいる肝の部分にまで醤油は行き渡る。ほどよい時間の焼きが望ましいのだけれど、生焼けでもイヤだし、焼き過ぎは肝心な肝が焦げ付いて出て来なくなる。この辺はカン…だろう。

1個は醤油でそのまま味わう。ぐにょくにょ…した足の部分の味わいを過ぎれば苦みが広がる肝に…。んーーー。味わいと共に鼻を抜ける香り…。

1個は洋風にバターを垂らし込んでみた。合うんだねぇ、これが。どうしたのかねぇ? 特に肝との相性はヤバイんじゃないのぉ?

エスカルゴ風にちょいとすりおろしたニンニクなんか混ぜても、うまーなんだこれが。いせえびと言い、さざえと言い、こいつらは何よ? どーしてるワケ? あまりの美味に納得が行かなくなり、喜びが腹立たしさに変わるのもどーしたもんだか困ったもんだが。至福である事には違いないんだけど、なんだよ、もうっ!

てなワケで、頻繁に食すモノでも無いのだが、食す時はこだわりを持ってじっくりと味わいたい食材と言えようか。出来るならば自身の手で調理し、調理されながら変わっていく食材をも楽しみながら深い味わいを楽しむべきである。
うめーんだよ、こいつら…。あー。うまいさ。うまかったよ。ちくしょー…。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海の幸を堪能する…。(いせえび編)

2005-05-27 20:01:57 | 我思う、故に書くなりよ。
公国の名においてかなり美味であった。

母方の親戚筋に、千葉で釣り船をやっている家があり、たまにこうしたお裾分けに与れる。元は漁師であり、これがまた良いところに家があり、眺望は絶景そのもの「太平洋はオレのもんだぜ…へっへー♪」なワケである。まぁ、それだけに辿り着くのが急な坂道以外に何も無いワケで、おいそれと浜に降りるのも大変ではあるのだけどね。

おじたん。もご幼少の頃は家族ぐるみでの親交が盛んであり、夏休みだのになれば彼の地を訪れ、普段は食せない「海の幸」をたらふく御馳走になったのを覚えている。

また当時、この家の家長とおぼしき老人が健在であり、とてつもなく大きいのだが、物静かにそして無言で、古びて真鍮の地肌がほとんど露わとなった双眼鏡を手に、窓から太平洋をじっと眺める様は「ヘミングウェイ…」そのもの。「老人と海」であったのだ。この人が血縁関係にあったのかどうか、定かな記憶はないのだけれど、何か「近寄ってはいけない…」雰囲気が漂うのであって、家人の接する姿と、客人である私はどう接して良いのか判らないギャップに、ある種の戸惑いと畏怖感とでも言う物を感じたのである。

さて、ご幼少の頃に、彼の地の食卓に「普通」に上がるこうした食材は、珍しいだけのもので「高級」だとも、またその「価値」ともに全然理解していない。子供ながらに「美味しい」とは思ったのだが、それが何故自分の家の食卓には頻繁に上がらないのかは「海から遠いから…」ぐらいにしか考えていなかったである。

自ら働くようになり、その対価を手に好きな物を食べに出掛ける様にまで成長すると、世の中の仕組みの中でのこうした「食材」の占める位置や存在理由と価値観に遭遇する事となり、己の対価の価値観さえ揺らいで、そして蜃気楼のようにおぼろげな物である事の現実に苦悩するのである。

まー。要するに「すげー高けー!」。

最近じゃそれほどでも無くスーパーで新鮮な物が手に入ったり、企業努力のお陰で産地などでは無茶でも無い価格で食す事が出来る様になったのであるが、どちらも未だに「高級食材」である事に違いない。それもこれも養殖や繁殖が難しく、大量生産として市場に供給するってのも無いワケじゃないが少ないからである。従って「天然物」と言う自然の摂理からしてみれば「普通」な事なのではあるが、ここに「付加価値」が付くんである。

そう。今目の前にあるのも「天然物」。ご幼少の頃の記憶では、漁師のおじさんは私たちが朝起きる頃に海から帰ってきて、収穫を私ら客人に披露しつつ「みそ汁に入れて食べなさいよ…」と、アサリやらワカメとあまり変わらない感じで渡してくれるんである。何か特別な物…という感じはそこに無い。

「網や篭を沈めておけば、朝になれば入ってる…」

そんな感じだったのを覚えている。夜中の暗い中に船を海に走らせる事の方がとてつもなく「偉業」に感じながら、漁に同行させてもらったのだ。後は漁場に着いたら網なり篭なりを投げ入れておしまい。その場で「収穫」が目に出来ると思っていたので少々がっかりではあったが、そこに「高級感」と結びつく物は見て取れない。

だからこそその価値観が「不思議」だったのだけれど、そう言うのを見てるし、食べてもいたので、有難味をってのがほとんど無い。あれからだいぶたった頃に聞いた話では、そんな漁も不漁が続き、漁師として暮らすよりも「釣り船」として暮らす方が楽だし、収入も良いとの事だった。天然の恵みではあっても限りがあるワケだし、高齢化の波って事もあったのだと思う。

となれば、目の前の「天然物」は入手経路もさることながら、かなり「貴重」なんである。そんな想いも沸き上がることから、写真を撮りながら食べ始めた。

「痛っ!」

懐かしい痛みが指先に走る。いせえびはあちこちが「痛い」のだ。刺身や半身になってみそ汁に浮かんでいたりするとなかなか判らないけれど、実はかなり「痛い」動物である。この辺はかなり似ている「ザリガニ」などとはえらく違う。あれらはハサミに挟まれない限り痛い想いをする事も無いので、手に取るのも楽勝だけれど、いせえびは違う。同じ感覚で手に取ろうものなら、予想だにしない「痛み」に驚くと思う。特に大きな物で無くても、痛いんである。

これこそが「天然」の証。自然の荒波の中で育った物は、何でこんな所まで…と思う様な所まで鋭くトゲトゲしいのだ。その痛みも、久しぶりの嬉しさとなっている。

薄い醤油で煮られた2匹を、懐かしい想い出と共に丁寧に分解しながら食べる。大きな物では無いので、正直な所、あまり食べられる部分は少ないが、尾の身のブリブリ感は煮られても失ってはおらず、素朴に美味しい。頭と胴を割り、細かい部分に残る「ミソ」を吸い出すのも痛みが伴う。それもまた格別。

んーーー。どーゆーことよ? どーしちゃったらこーなんだろう?

感嘆とも驚きとも付かない「感激」の味。出来れば細い足の中の身まで吸い出して食べてしまいたいのを「諦める」って言う贅沢。ビバ甲殻類! 食す部分よりも捨てる部分の方が多く見えるし、実際にもそうなんだろうと思うが、赤く、そしていかにも「量産機とは違うのだよ…」的な武骨であり重武装な外骨格の残骸が「もったいない…」気がしてならないのであるが、食べられないんだから仕方ない。

半分にして、グリルで焼いても美味しいと思う。また、塩味で煮て、オマールエビの様にマヨネーズでも美味しいだろう。だが、私の記憶の中のいせえびは薄い醤油で煮られた物。丸ごと煮て、そのまま出て来る。余計な飾りも無ければ、味付けもない。痛みさえも伴う素朴な味。それはレストランなどでは恐らく味わう事の出来ない物でもあり、そこで出されるいせえびよりも、心に残る贅沢な味わいでもあるのだ。

「フッ…連邦の白いのがどういう味なんだか。喰わせてもらおーか!」

連邦の白いのが喰える物なのかどうだか、またそれが何なのか? 全くわけわからんが、もー、どーかしちゃった位に美味であったのは間違いない…。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ものさし」を大事に見る…。

2005-05-27 04:49:04 | 我思う、故に書くなりよ。
「ものさし」って言っても、いろいろある…。地震の話である。

地震の予知ってのが出来たら超便利なんだけれど、ハイテク満載でもままならないってのが「現状」。「いつどこでどれくらい…」ってのが判らないと「予知」とは言えないって事で、何か関係のありそうな事柄を少しづつ掻き集めながら「どーなんだろうねぇ、これは…」って考えているのが現実なワケ。

「明後日、大きな地震が起きる!」

なんて言う人もたまにいたりするんだけれど、これは予知じゃない。

「明後日の午後、関東地方南部を中心として、震度5強の地震が起きる!」

これはどうだろうか? 一見、予知にも思えそうなんだけれど、まだ予知じゃない。その根拠となる「データ」とか「事象」ってのがなきゃいけない。これが無ければ誰にだって言えるし、言ったところで確証が無い。

さて、じゃあ「確証」となりえる「データ」なり「事象」って何さ? と、考えると、ハッキリと決まっているのかいないんだか、定かじゃ無さそうなんである。一般的には大きな地震の前に「余震」と呼ばれる地震があるとされており、判り易いんだろうけれど、直下型と呼ばれるタイプはこれが無いか、あっても体感しづらい場合が多いのである。

特に、日本なんか地震が起きそうも無いって所は皆無に近いほど、地震の巣だらけなワケで、前もって余震が来てからドカンと1発…って事は少ないと言われてる。また、余震ではあったとしても、それが本震と変わらない位に大きな物だとすると、どっちでも良くなってしまうワケ。

となると、「確証」ってもんがいったい何なのか? 非常にわかんない物でしかないんであるのよ。

で、昔から「ナマズが暴れる」だとか「井戸が枯れる」とか、「虫や動物が見当たらなくなった」なんて言う伝承があってだね、これを「前兆」なんじゃなかろうか? って事で調べられて来てはいる。特に「雲」なんかは阪神淡路大震災の時に、非常に変わった物が前もって観察された事で、ここ最近では注目株なワケなんだけれど、こうした「事象」はそれを捉える人によっては「見方」が分かれる物であって、明らかにおかしい事象ではあっても、地震と確実に結びつくかどうかは「?」が付いてしまう。確実では無いのだけれど、関連性を疑っても悪くなさそうな位に、広く、多くの人がこの事象を見たり、感じたりしている事から、切って捨てるのも「?」ではないだろうか、と言うのがここ最近の捉え方でもある。

じゃあ、もっと分かり易い形で何か「指標」となる様な物は無いだろうか? って事で、いろんな方法を試している人や機関が増えて来ている。継続的な形で、指標となる物を計測して、その数値の動きに地震との関連性を見てみようって動きと言えば良いかな。

これだと、人による感覚の温度差って物を排除し易い事では「?」が取れ易い事は確かだと思うが、そもそもの指標の動きと地震の関連性において「?」が取れているワケじゃない。

取れているワケじゃあ無いのだけれど、今の所人間が得た科学とか化学とか物理とか…いろんな知識なんかで関連性を説明出来る方向にある物の方が「指標」として用いやすいワケだし「事象」としても「データ」としても「まぁ、何となく判るよ…」って事だと思う。

で、岩盤が崩壊する時に発生する電磁波を捉えるとか、その電磁波が他の電波に与える影響を調べるとか、地面に絶えず流れている電流の値を調べるとか、地面のゆがみとかねじれとかひずみを捉えるとか、植物の中を流れている電流の変化を調べる…なんていろんな方法が行われているワケなんだけれど、どれか1つやっておけば「間違いない」って物は今の所存在しないと言って良いんだと思う。これだけ見ておけば、間違いなく地震の予知が出来るって言う「指標」になる物が見付かってはいないワケ。

じゃあ、考えられそうな物全部…。ってワケにも行かないので、それぞれがそれぞれの理論なり根拠の元で、壮大なる実験を始めたばかりなんだと思えば良いと思う。それが「現状」。

で、それぞれが得続けている指標の動きをインターネットを通じて第3者に見て貰うって事を始めたのもここ数年の事。それぞれが指標の動きを基に、地震との関連性や、その仕組みやらを謎解いて行く努力を続けているのである。

だが、そのどれ1つを取ってみても「いつどこでどれくらい…」がハッキリ示される物は無い。

「どうも地震の前に、この様な指標の動きがあるようだ…」

と言う段階には来ている様に思える。中には、指標の動きから地震が起こるまでの大体の間隔や大きさまでが読み取れるに近い物もあったりして、不測の事態に備える様に呼びかけている所もある。

だけれども「?」は取り切れているワケじゃない。相手は自然なワケだから、指標の動きとピッタリなんて事も無いんだろう。また、指標となる物に影響を与える物が皆無なワケでもない。恐らくだけれど、ハッキリと判る指標は無いのかもしれない。

それでいても「何かおかしいぞ…注意しておいて損はなさそう…」って物が判っているのと、全く判らないのじゃあ、結果によってはエライ違いが出てしまう。そもそも地震なんか起きなきゃ起きないで良いわけだしね。

んでまぁ、いろんな指標の動きが自宅にいながらネットサーフィンするだけで見ていられる様になってるワケで、見ておかないのも何だし…、ここ2年位は見ているんだけれど、ここの所の1ヶ月、いろんな指標で動きがあるのは間違い無いと解釈している。これだって、地域による温度差は当然あって、例えば、関東では指標を見ているが、関西ではやってないとか、その逆だってある。私は関東に住んでいるので、関東で行われている指標、中部で行われている指標を見ているんだけれど、それぞれが微妙に動いている。全くどれもがリンクして動いているワケでは無いし、見方に因れば「いつもと同じ…」かも知れない。でも、どれもが「動き」を示している事なんじゃなかろうか…って事は判る。

これが「いつどこでどれくらい…」とまで判れば「予知」なんだろうけれど、残念ながらそうじゃない。でも「なんだか変らしいな…」って事は判るので、ちょっといつもより慎重に「備えておく…」事にしてみたんである。

いろんな「ものさし」が転がっていて、それぞれを読んだって事なんだけれど「?」はどの「ものさし」にも付いている。「ものさし」の読み方は、人に因って温度差が当然ある。どれもが「ノギス」や「マイクロメーター」なワケでも無いし、読み方が統一されたワケでも無い。

非常に漠然としてあやふやな「指標」なんだけれど、大まかな動きを見るには「使えない事も無い…」んじゃなかろうか? そう考えている。

指標としての温度差が有りすぎるからと言って、雲を見ないワケでも無い。散歩の途中で虫を見付けてみたり、飼っているちゅーちゃんの様子をあーでもない、こーでもないとしげしげと観察したりもしている。そうこうしているウチに、私が何か新しい「ものさし」を発見するかもしれないんだし。

得てして、地震絡みとなると、こうした記事は大騒ぎの基になったりもしかねない。例え、そうであったとしても、その「質」がそろそろ変わっても良い頃なんじゃないかと思うんだ。

「大地震が来る! 逃げろ!あーどーしよー!」

だけで、騒いでいても何もならない事は今までで判っているハズだと思う。そもそも、地震が起きるのを我々は止められはしない。また、地震が起きればしっかりと揺れる「日本」って所に住んでいる。地震や津波って言葉さえ知らないほどに地震の起きなかった所だって、大災害が起きてしまったワケだし、地球の表面を探してみても、逃げ場はそうそう無い。

だとしたら、起きる物として捉えて、それに備える事に重点を置いた「大騒ぎ」に変わらなければ、いつまで経っても似た様な「被害」しか受けられないワケ。

少しでも「被害」を少なくする為に前向きな「大騒ぎ」へと「質」を変えて行かなきゃならんだろうに。

「地震が起きたら、この辺りはこれぐらいに燃えちゃって、ぐちょぐちょでダメダメで…」

なんて事は判っていないよりは判っていた方が良いかも知れないけれど…

「じゃあどーすんだよ、それ…」

って事に進んだ方が良いのでは無いかと思うのよ、そろそろ。燃えさかる瓦礫の中から断末魔の悲鳴を聞きながらボー然とすんだろうけれど「さて、どーしましょうか?」って事への切り替えが早ければ早いほど事後は良いんだし。地震じゃないけれど、それが出来ていたのが尼崎の列車事故だった様な気がする。

「うわぁぁ…大変だぁ…」

で、終わってしまったら、命が助かった人はもっと少なかったかもしれない。もちろん、規模は違うので一概には比較なんか出来ないけれど、そういう「質」の違いがあのマンションの近所の人にはしっかりとあったと思うのさ。それもこれも大きな震災を体験しているからだと、そして、そこから「次」って物を見極めたからに違いない。

前向きに、質を変える大騒ぎ…ならば、ちっとも悪く無いと思う。今までの大騒ぎは、大事な「ものさし」をへし折って来たばかりか、新しい「ものさし」の発見さえも潰してばかりだったんじゃなかろーか?

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

にゃほにゃほたまくろ~♪

2005-05-26 02:10:26 | 我思う、故に書くなりよ。
どこかで異様に懐かしい気分だったのだけれど、何か思い出せなくて、引っかかってぐにゃぐにゃ…。

まぁ「トリビアの泉」を見終わる頃に流れるEDなんだけど、あれは確か昔、戸川 純が歌っていたマハラジャの歌だろうと…言うところまでは思い出せた。確か、NHKの「みんなのうた」で歌ってた気がするんだが、詳しい事まで思い出せない。当時の彼女の勢いはそりゃあ凄かったワケで、後を継ぐ者が出なかったのが残念というか…。

当時産まれた子供が、とっくに成人しているかのような昔からなぜ今なのか判らないけれど、にゃほにゃほたまくろーは歌詞の通りの人の名前である。にゃほ、で切るワケで「にゃほ・にゃほたまくろー」さんと言う事になるが、そんな人の名前を知ったのはサッカーのニュースか何かで、サッカー協会の会長を辞めたとかなんとかだったなぁ。

元の戸川 純が歌っている方が聞きたいがために「みんなのうた」のベスト盤を買おうか買うまいか悩んだ覚えがあるので、3歳になろうとしている姪の情操教育の一環として…妹にレンタルさせてみようかと企んでみる。

こういうのはネットで調べれば詳しく判るんだろうけれど、何もかもスッキリしちゃうのも、もどかしくも、もったいない感じがするので、敢えてしないでおくのである。それにしたって、随分と昔なハズで、写真学校の連中と水道橋のハンバーガーショップでたむろってた頃だよなぁ…。懐かしいなぁ…。やっぱり20年は前の話だろうと思うなぁ…。

「印度の子供がなりたいものはぁ~らじゃ~らじゃ~まはらじゃあ~♪」

おお、少しづつ思い出してきたぞ…。なんか「薬を飲んで千年長生きぃ~♪」なんてのもあったかに思うぞぉ…。あー。なんか脳ミソがかゆいぃーっ。

昔の記憶を辿るに辿れないジレンマに酔いしれて、なかなか高尚な自虐趣味にハマるのも密かな楽しみで良いかもしれないねぇ…。

「パブロ・ピカソのフルネーム言ってみ?」

あー。昔覚えたんだけどなぁ…。くぅ~! 寿限無並に凄ぇのだけは覚えてるんだけどなぁ、出て来ないんだよなぁ…。

過去の凄く「どーでもいいこと…」を必死に思い出してみるのも、脳の活性化に良いと思われるが、かつて「過去にすがって生きないゼ…」と粋がって生きていた自分を思い出すのも恥ずかしい事であって、別の意味で自虐的かもしれないねぇ。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんにちわ、赤ちゃん。

2005-05-25 18:19:36 | 我思う、故に書くなりよ。
とは言え、私は独身だし、無責任に子供を産ませるような接し方で女性と交際しているワケでも無い…。

我が家で飼っている「ちゅーちゃん」こと、ハムスターが数日前に子供を産んでいたのだ。

どこかで小鳥が鳴いているのかと思いきや、カンガルーの赤ちゃんみたいなのがごにゅごにょメスちゅーちゃんの下で動いており、

「なんだ産まれてんじゃん…」

なワケ。以前は賑やかに多頭飼いしていたのだが、それも突然のカニバリズムと得体の知れない病没で数が減り、ちょいと寂しくなったって事もあるし、陽気も良くなってきたのでペアリングをさせていたのが、1ヶ月位前だったかな。
大抵は妊娠するとメスが殺気立ち、オスの接近を拒む様になるので、オスを元のゲージに戻して、子供が産まれてくるのを楽しみにしておくワケなんだけれど、今回はそう言った「兆候」も無く、ペアリングは失敗だと思っていた。

この小動物を飼う前に、いろいろと調べては見たんだけれど、あまり詳しい事はどこにも書いてない。他の種類のハムスターと違って人に馴れず、繁殖は難しい…と、大抵の指南書には書いてあり「観賞向き…」なんて分類分けされていたりもする。

実際に、人にはあまり馴れないみたい。手に乗せて餌を食べさせるなんてのは他の種類のハムスターだと時間を掛ければ可能らしいが、うちのはそう言った気配が全く無い。手渡しでひまわりの種をあげられれば御の字って感じ。

だが、繁殖となると、難しくも何でも無い。オスメス一緒にしておけば無尽蔵に増えるのは「ネズミ」そのものであって、何が「難しい…」のかサッパリな所でもある。

特別な飼い方をしているワケでもないし、強いて挙げれば「お掃除のタイミング」くらいだろうと思う。

指南書を見ると、大抵の場合「1週間でお掃除」って事が書いてある。これが我が家だと3週間と言うスタンス。これ以上のスタンスでも良いと思っているが、ネズミ独特の臭いが強くなり、こっちがたまらないのでそうしているだけである。ネズミにしてみれば、余計なお世話なのかもしれないし、1週間ってのは飼育する側の都合なんだろうと思う。本当のところはちゅーちゃんにでも聞かない限り解りはしないだろう。

そもそも、ペットとしてさほど悩むような値段でもなく買える動物ではあるけれど、素性は全くと言って良いほどに判っていない。生態の研究が確立する前にペットになっちゃったワケで、ハムスターに限らず、こうした事情でペットになっている動物は増えているんである。ここ数年、人気のエキゾチック・アニマルと呼ばれる、は虫類とか両生類なんか特にね。昆虫まで含めると結構な種が該当するだろうと思う。

で、これがまぁ問題無いかと言えばウソだろう。特定外来種なんたら…なんてのもそうだし、人への影響だって大きい。極端な例を挙げれば「鶏インフルエンザ」なんかも極端すぎるが、ベトナム辺りではペットとして飼っていた鶏から感染者が出て死亡者が出ていたりするし。アメリカではペットとして輸入したコウモリから狂犬病ウィルス…とかね。

そうした事態にならないように…って事も含めて獣医さんは街にいる。とはいえ、牛豚羊鶏犬猫は大学で習っても、コウモリやらトカゲやらはあまり習わないらしい。両生類とかは虫類専門の獣医さんが極端に少ない事からも察しが付くけれど、獣医という本来の趣旨からみれば「想定の範囲外」なワケ。

だけれども、そうも言っていられなくなってしまった程にペット化される動物の種は増えており、獣医さんも大変な様である。また、少なからず、そうした想定外の動物を専門とする獣医さんが実在するのだけれど、これはその先生個人的な研究や知識の蓄積と、牛豚羊鶏犬猫…を基礎とした上での「応用」で成り立つ「スペシャル」な存在だと言われているだけに「絶滅危惧種」でもある。
てなワケで、動物によっては資格を得ている獣医さんよりも、ペットショップのおねえさん(20代・独身)の方がすげえ詳しかったりする場合も多々あったりする。また、ペットのオーナーの方がより詳しい場合もあり、動物園や水族館でさえ難しかった動物や魚類の繁殖に成功したり、種の固定に成功したりしている場合もあったりする。趣味や商売とは言え、日々接する中から汲み取った情報なり実績は、どっちが専門家? なのか、既に垣根を越えている場合すらあるのだ。

そんなこんなも含めて、動物の今まで判らなかった部分が広く知られる様になれば、もっともっと身近で安全に、いろんなペットが増えて行くに違いないとは思うのだけれど、なかなかそうならないのも現実。「売れりゃあ何でもアリ…」な世界でもあるワケで、学術的などーのこーのや、倫理的なあーだこーだなんかは、金が絡むとどーでも良くなったりするんである。

でも、昔よりは情報は多く入るようになった。それもこれもネットの普及。昔は亀を飼うのに専門書など皆無だった。「小動物の飼い方」って子供向けの本がせいぜいで、その中の数ページが「亀」でしかなかったけれど、今では種類毎に専門書が売られていたり、実際に飼育している人からの情報が手軽に手に取れる。ちゅーちゃん達も同じで、人気アニメのお陰で飼育する人が増え、その情報がネットに載る機会が多くなった事も事実だし書籍も探すのに大した苦労はしない。

私もそうした情報を基に飼い始めたワケだけれど、ペットであるが故に「思い入れ」の深さが先行してしまいがちな情報が多く、ちょっと引いてしまう事が多々ある。それはそれで別に悪くは無いのだが、度を越えれば「キモイ…」のはペットに限らず…って事だろう。またそれが徒党を組むとなると、ペットとの接し方もやはり考えないと難しいのかなって思う。

犬猫をペットとする接し方が変わり始めたのはもう、10年以上も前の事だろうか。単なる「ペット」としてではなく、人とのパートナーとしての「ペット」「コンパニオン・アニマル」に変わり始めた事を忘れちゃいけない。その枠を広げるのも狭めるのも、飼育者である人間に他ならないワケで、常に考えておかなきゃなぁ…と思う。

ちびちゅーと一緒にすやすや寝ているママちゅーを見ていると、ただひたすらに「かわいい…」。だけれども、それだけでは無い世界が人も自然も含めて広がっているワケで、そこを見ずに、狭い世界で済ませてはいけないんだと思う。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引き続き無線LAN…。

2005-05-23 11:57:36 | 我思う、故に書くなりよ。
あれやこれやいじっているのも落ち着いて来たので途中の話を…。

んでまぁ、PCカード型の無線LANって物を使っているのだが、これをPCに認識させるためのドライバーやらユティリティソフトなんてものが無いと困るんである。まぁ、普通に買えば付いてくる「付属品」。

で、困った。

カードはあれど、ドライバーやらユティリティの入ったCDなんかはどっかへ行っちゃって久しいワケで、親切なメーカーならWEBサイトで公開してくれていたりもする。不慮の事故に備えるとか、過失に備えるんだか知らんが、ネットからダウンロードすれば手元に無くてもいいわけだ。

このカードは用意してねぇんだよ、SONYは…。

中身のチップが判れば、大元のメーカーのサイトで探してくるなんてのもアリなんだけれど、これとて上手く行くとも限らないワケで、昨今の市場再編の嵐は日本だけに限った事ではなく、あちらでも同じ。合併や統合でブランドや会社自体が消えちゃったりしていると、その辺の経済事情も鑑みながら探さないといけなかったりする。また、ドライバーはあっても、ユティリティが無いとかね、そんな感じで少々イライラしていたのである。

長期間作られ続けた商品でも無いし、販売終了となってだいぶ経っていたりもすると、ネットで得られる情報も少なくなってしまうんだけれど、ユティリティだけはちょっと探し行き当たらなかったんである。

で、これが無くてもドライバーは見つかったので、使うに困る事も無さそうだけれど、無線の状態が一目で判らないって事もあるので、不便は不便。おとなしくサポートにでも電話を掛けて、指南を仰ごうかと考えたんだけれど、メーカーがメーカーである。

公開出来る物は公開している…って大人の事情で「終了」の憂き目に遭うんだろうと、察しが付くし、それ以上でも以下でも無いワケだ。我が家の環境にギガ・イーサの時代がやって来れば、そんなこんなも不要となってしまうだろうし、市場の動きはそれに近づいている。僅かな間だけの「辛抱」とするか…。

辛抱できないタチなんである。わたくし…。

「日本に無ければヨーロッパはどうよ? アメリカはよ? メヒコは? どーなのよ?」
ネットの世界は国境を越えているんである。だがしかし、文字が読めないとサッパリな場合もある。メヒコはいかんだろう。ドイッチェもウィルコンメンとクラフトヴェルクとアオトバハーン位しか判らんし、フレンチもケツクセじゃ怪しい…。となれば英語圏で攻める他に道も無いな…。

てなワケで、某国から探して連れて来た。ヨーロッパの英語圏を探したんだけど、商品の扱いが無いのか、行き当たらなかった。これは無理も無いだろうねぇ…。扱いがあったとしても、日本で売っている商品と同じかどうかは定かではないが、型番が同じなら恐らく同じであろう…って言う「自己責任」の元での行為。だいたいがそんな物だPCなんて。
で、無事に電波度…電波状態が一目で判るし「良好」って見ると「あーそーかい…」な所が「Excellent」なワケだから気分も「エクセレントっ!!」な深夜のダウンタウンなノリなワケである。

さて、他にもカードはあるのだけれど、このカードの作りが変わっていてお気に入りでもある。PCに刺して使うワケだけれど、出っ張りが異様に少ないのだ。反面、その分を厚みで補う形になっているので、カードスロットの入り口あたりの形状がこれに干渉する場合は「刺さらない…」のである。元々は以前所有していた「VAIOーU3」だったかと一緒に購入した物で、あの小さなPCは両手でホールドして使うタイプである。となれば、出っ張りは無い方が好ましいと言うか、あっちゃマズイんである。

言われているほどに電波の感度も悪くなく、PDAでも使えたし、電波ダダ漏れ検出ソフトでも使えたので愛用してはいたのだが、付属品は一切が消えた…。だいたいそんなもんだ、PCは。

こうしたスマートな商品を作り続けて欲しい気もするのだが、肝心なPC本体のデザインを自由な物に出来なくなるって事もあるし、下手に刺せば、他のスロットが塞がれちゃったりもするので消えちゃったんだと思う。今やPCに内蔵しちゃってる位のデバイスだから、今後もお目に掛かる事は無いんじゃないかな…。

そんなワケで「無い物は世界を股に掛けて拾ってこい…」というお話でした…。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無線でいろいろ…。

2005-05-22 19:56:20 | 我思う、故に書くなりよ。
復活した無線LANで、いろいろやっているうちに、ブログそっちのけ。

普通にノートPCをネットに繋げる手段としても面白いけれど、古くなったPDAとかを繋げてみるのも面白いので、これにハマってしまったぁ。「Jornada548」が出て来た物で、つい…。

まぁ、現在入手できるPDAならば無線LANとか青い歯が当たり前に付いているので、かなり便利らしいのだけれど、私が持っているPDAはそんなのが「オプション」でくっつけば良い方だったワケで付いてもかなり「無理矢理…」って感じもしなくは無い。

それでも、何となく異常に便利になった「錯覚」を味わうのには面白いワケで、データのやり取りはかなりスムーズになった。万事がこうであれば、すんげえ事になるんだけれど、帯に短し、たすきに長し、タオルならどーよ? 的なデバイスなので、やはり「無理矢理」って感じはそこかしこに。

高機能電子手帳だったワケで、それとて「Palm」に勝る入力環境は得られず、存在意義の希薄さだけが極だってしまった所が悲しいんだけど、全てをまかなうには無理があったんだろうねぇ。

なんとか、メモ帳としての復活と無線で便利になる使い方を模索してみようかと思うが、厳しいなぁ。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無線LAN復活。

2005-05-19 17:01:32 | 我思う、故に書くなりよ。
結構ポピュラーにはなって来てはいるんだよねぇ。

我が家でもADSLになったのをきっかけに、無線LANルーターを導入して、端末との接続をケーブルレスにしていた。「子機」なんて呼ばれるノートPCやらPDAなんかを、ケーブルレスで「親機」もしくは「母艦」なんて呼ばれるデスクトップPCと繋げて使うのはかなり楽ちん。

こうした無線によるネットへの接続は、今や街のあちらこちらで可能になっているワケで、自宅以外にも便利さは広がったのである。PDA持ってマックに出掛けて、そこからネット…ってのも私の場合よく使う。

んでまぁ、楽ちんで快適だったのだけれど、ちょいと前から「不便」で「ださださ…」になってしまった。

無線ルーターの無線を司る「無線LANカード」って物がお亡くなりになってしまった。
カードだけ買い換えれば済むのだが、既に販売終了商品となっており、修理って事になるとルーター毎買い換えた方が安かったりする。やたらと手元にある「無線LANカード」を差し込んでも動く事は少ないし、ルーターまでお亡くなりになったら、不便どころの騒ぎでは無くなる。

致し方なく、有線での便利を選ぶ事にして、この難局をしのいで来たワケだが、有線の限界って物もあるわけで、ちょいと離れた台所でお茶をしながらネットを見たい…ってのも実は結構な長さのケーブルが必要だったりしてしまう。おまけに、台所では私が一番楽な椅子に座った姿勢って言うのも魅力だし…。

んで、意を決し、ネットオークションでカードを探す事にしたのである。

本来なら、自分で落札してどーたらこーたら…って事が良いのだけれど、ことオークションに関しては「疎すぎる…」頭脳しか持ち合わせていないので、商品は自分で探し、落札はその道に長けた「友人」に任せる事にした。

まぁ、壊れたカードと同じ物が出ていれば「それ。」って事にはなるのだが、流石に数も少ないし、少々値が張る。どうせこんなカードは製造元は数社で、後は自分の会社のロゴ付けて売ってんだろう…的な事はよくある事なので、壊れたカードと同じ外見の物を選んで見た。

「何となく、大丈夫そう…」

ってだけで入札して貰ったが、周波数とかの違いも調べておらず、少々焦る。結果、同じ「b」なので、そのまま落として貰う。万が一、動かなくてもあまり困らない価格で落とせたところがミソでもあるし…。

そんなこんなのカードが届いた。

ルーターの電源を切ってからブチ込み、再度電源を入れる。インジケーターがちかちか…し始め、やがて落ち着く。ルーターの設定から様子を見ると、ちゃんと認識している。問題は電波のやりとりと、データのやりとりが正常に出来るかどうか…。

PDAに無線LANカードを差し込み、電源を入れる。すると、コネクションし始め、データの同期を終えてしまった。ついでにネットを見てみるとちゃんと見られる。

これで元の快適な状態に戻ったのだけれど、やらなければいけない事はたくさんある。

快適になった…の裏を返せば、電波がダダ漏れ状態になるという事なのだ。

何も手を加えずに放っておくと、タダでネットに接続できるばかりか、私のPCの中身まで見られるまさに「ホットスポット」の完成である。これはこれで、かなり便利だし、面倒な事も要らないんだけれど、やはり困る。

そんなワケで、いろいろといじくり直し、接続への「制限」を施しておいた。これでネットのタダ乗りも無ければ、不正な侵入も幾分は難しくなる。100%完全に防げるって事じゃ無いけれど、無防備よりはマシ。

お陰で、台所でのんびりとこうしていられる様になった。有線よりはちょいと速度が落ちてしまうのだけれど、ケーブルに縛られる事を考えたら、まぁ許せる範囲だし。今のノートPCではワイアレスが当たり前に付いていて、とても便利にはなっているが、その裏もちゃんと考えて使わないと、場合によっては痛い事にもなりかねない。何も考えずに繋がった事を喜ぶ前に、繋がったらどうなるかを考えて、それなりの準備なり対策はしておかないといけませんよぉ…。

街中にあふれるタダ乗り電波を求めてさすらう、流しのモバイル野郎…なんてのもいるそうですからねぇ…。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

COMBAT!

2005-05-19 00:10:00 | 我思う、故に書くなりよ。
友人が住む所のマンションでは何気にケーブルTVが映るらしく「コンバット!」が見られるらしい。
おじたん。もご幼少の頃、早く学校から帰って、遊び、夕方家に帰り、夕飯までの間の時間に見るのが楽しみだった番組でもある。たしか、フジテレビでやっていたような…。

でまぁ、見ちゃったら翌日は「サンダース軍曹」なワケで、リトル・ジョンを引き連れて遊ぶんだが、カービーとかケージェーはいないんである…。それほど賢い後輩もいなかったし、コンバットを見ているヤツもいなかったからねぇ。

懐かしTV番組でもあまり取り上げなくなってしまったが、あれは名作でしょーに。未だにサンダース軍曹の声がテレビから聞こえ、懐かしさに振り返ると藤岡隊長が映っていたりするのがイヤだ…。

サンダース軍曹が亡くなった時は、亡くなる原因となった映画がどうのこうのよりも…

「2度とコンバット!は亡いんだなぁ…」

と言う事の方がショックデカかった。ビック・モローと言う俳優の死ではなく、サンダース軍曹の死なのである。ちょいと詳しく書くと「トワイライト・ゾーン」という映画の撮影中にほぼ真上からヘリコプターが落ちた。モロー氏は子役を二人を両脇に抱えながらその下を歩いていたワケで、悲惨な死を遂げてしまったんである。この場面はたまーに、衝撃映像なんかでやってたりする…。このニュースで「サンダース」は「ソーンダース」だったって事も知った。CNNのSHOW BIZかなんかで見たんだよねぇ…。

ヘンリー少尉の訃報も悲しかった。松田優作の主演している「人間の証明」に牧師さん役でリック・ジェイソンが出て来た時はとてもうれしかった。今でこそ2カ国語なんてので、吹き替え無しの肉声が聞けたりはするが、当時はそんな物は無くてねぇ、この映画で初めて少尉の肉声が聞けたのである。トヨタだか日産だかの車のCMなんかも出ていた気がするのだが、定かではない。この人は結構な親日家で、確か平安神宮で結婚式挙げてるんじゃなかったかと思う。何が原因だか知らぬが、拳銃で自殺してしまった。ヘンリー少尉らしからぬ最後だったんである。

病に倒れたリトル・ジョンも逝き「コンバット!」で、いなくてはならない3人が故人となってしまったワケで、本当に永遠の名作になってしまったのである。後の面々はどうしているんだろうか…。訃報は届いていないので、健在だと信じているが、それにしてももう良いお歳であるには違いない。

数年前、新たにTVシリーズが作られる様な話が出ていたと思うのだけれど、その後、どうなったのかは判らない。あのメンツだから…って思いは強いが、作られないよりは良いと思うんだけど、他にも第二次世界大戦の戦争話は映画やドラマになってるから…って事なのかな。

今でこそ名優って人が若き日に出ていた事でも有名だった。テリー・サバラスとかデニス・ホッパーなんかね。「地獄の黙示録」で「サーフィン大好き中佐」だったロバート・デュバルや、「トップガン」で教官だった人も出ていたような気がする…。

どうも、DVDが幾つか出ているらしいが、どのシーズンのもので、どんなのかサッパリ判らないんだけれど、VHSは幾つか出ているのは昔レンタル屋で見掛けたので知っている。幼少の頃に見たのはモノクロで、最終回の2回だかはカラーだった気がする。突然、カラーだったので幼少の身ながらかなり驚いた。大人になって「ウルトラセブン」がカラーだった事に気がついたのと同じくらいに…。

「プライベート・ライアン」じゃないけれど、大戦で亡くなった方の墓地をハワイに見た事がある。黒い御影石だと思うが、長~い塀の墓碑にびっしりと彫り込まれた膨大な数の「名前」。その下には、無数の花束が新鮮さを保ったまま風に揺れている。彼らの活躍はカッコイイものが多かったけれど、カッコイイばかりでは無かった現実が今もそうして残されている。

そうした悲哀も含めて見応えのあるドラマだったワケで、あー、見まくりてぇ!!

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スタイル変えてみました。

2005-05-18 20:31:16 | 我思う、故に書くなりよ。
ちょいと、目に優しくしてみました。そんだけ。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

gooのRSSリーダー。

2005-05-18 16:23:00 | 我思う、故に書くなりよ。
なんかおかしくねぇ?

ちょいと使ってみようとインストールしたのは良かったんだが、満足に表示出来ない状態に。

「なんじゃこりゃ…」

って眺めていると、自滅して反応なし。面倒だから放っておいて寝た…。

すっかりと寝て、起きてみると、相変わらず「反応なし…」。処理に時間が掛かっていたワケでは無さそうだったが、PC自体の動作が非常に重くなったので、ブートし直してネットで調べると、どうも不具合があって、修正されたらしい…。

自動的に修正される様な話だったが、それらしい動きも無かったので、新たにDLし直してインストール。早速、動かしてみると表示の不具合は消えたものの、何やら挙動不審。

いったん、リーダーを終了させて、起動し直そうとすると…

「既に起動しています…」

なんじゃこりゃ…。こりゃダメかもわからんねぇ…。

18:10追加~♪

どうも何か操作しようとクリックすると、表示の全てが消え、バックグラウンドで動いているらしい。
終了してしまったと思い、再度デスクトップのアイコンから起動すると、「既に…」と言われるが、起動しているのかどうかは外見上判らない事になっている。タスクトレイに見えているならともかく…。

んでまぁタスクマネージャーから探し出して終了させるワケだけど、ここでこのリーダーが使っているメモリの使用量が見られるのだけど、スゴイ事に…。何か通信で稼働中ならば理由も判るが、通信しているフシも無いのにメモリが喰われて行く…。

メモリが潤沢なデスクトップはまだ何とか出来たモノの、乏しいノートPCじゃ起動させる度に固まり魂。

時節柄、新手のサイバー攻撃かとも思ったが、そうでも無さそうなので、単に「使わない…」って事で良いみたいである。まぁ「使えねぇ…」って事だろうが、よくこんなもの配ったもんだよなぁ…。数ヶ月すれば落ち着くだろうから、それからでも悪くは無いし…。

 → 
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歯医者さん、ごめんなさい。

2005-05-17 22:01:59 | 我思う、故に書くなりよ。
ちょいと前に、虫歯で死にかけた。それくらいの激痛で、休日の夜中に総合病院の床に頭をガンガン叩き付けながらのたうち回った。その様子を見ていた妹は、頭が割れちゃうんじゃないかと、虫歯よりもそっちの方が心配だったらしい。

まぁ休日に、それも夜中に歯医者なんぞOPENしている所は無く、病院からケータイで救急車呼んでも意味もなく、かなり効き目のある鎮痛剤を座薬として処方され、その晩は何とか凌げたが、放って置いても同じ事の繰り返しが続くわけで、恐れをなして翌日近所の歯科医院に駆け込んだのである。

でまぁ、大きく穴の空いた虫歯は抜いて貰い、事なきを得たのだが、他にも悪い所は少々あって、ゆるゆると治しましょう…って事になったのだが、痛みが無くなった事もあったり、体調が優れなかったりもあったりで、そのまんま…。

「そろそろ行っておかないといかんなぁ…」

とは、思っていたのだが、お買い物から帰るとハガキが届いていた。誰からだろう?っと裏を見ると、例の歯医者さん。

保険証には生年月日が記載されているので、それを元に今月が誕生日だと判ったのだろう。バースデーカードとなっていた。

とてもきれいな病院だったし、説明も丁寧なドクターだったので、行くのが面倒って気分では無いのだけれど、なんとなく…足が向かないって日が続いちゃったワケで…。もちろん、何も問題が無ければ行く必要は無いのだけれど、問題ありなワケだから、伺っておかないとまた地獄を見るかもしれない。

と、判っているのだけど、なぁ。来週にはお邪魔しようかと、思ってはいるんだけれどねぇ…。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こどもB銃教室。

2005-05-17 10:56:26 | 我思う、故に書くなりよ。
10歳の甥が、おもちゃやさんでエアガン(10歳以上仕様)を買って貰った。私が甥と同じ年齢の頃に、BB弾を撃つ銃はまだなかった。良くて「銀玉」。高級で「つづみ弾」。最近では「エアガン」とか「BBガン」とは言わないらしく「B銃」って言うんだって。

どうも、学校で一部の生徒の間で流行っているらしく、学校や公園で遊んでいると言い、欲しくなったって事もあるし、おじたん。の所へくればゴロゴロ…していたりもするので、欲しくなるのも致し方ない。

買う時に甥の母でもある私の妹も口を酸っぱくしながらきつく言っていたが「危険なおもちゃ」には違いない。残虐な内容のテレビゲームがどのくらい「危険」なのか判らないが、エアガンのそれはおもちゃとは言え、怪我に直結しかねない「危険」がつきまとう。

ちょっとお小遣いを貯めれば買う事の出来る値段でおもちゃ屋さんに置いてあるし、「おもちゃ」って事からあまり真剣に考えずに買い与える親も多い。実際、甥が買うにあたって「ゴーグル」という目を被弾から守る防具も一緒に買う事を提案したが、親から「オタクみたいでイヤだ」と拒否された。

だが、メーカーはこうした危険が伴うおもちゃである事と、そうした防具を付けて遊ぶ事を薦めている。これは何も関連商品の売り上げを目論んでの広告でもなんでもなく、そうした危険を防ぐためのマナーの1つとして薦めているのだ。動物や人間に向けて撃ってはイケナイ事はもちろんの事。

買い与えはするものの、その危険性ばかりなじって遊ばせないのも可哀想だし、危険な事がある事を認識しながらも防具はその格好が悪いからと言って買い与えないのでは「無知」も良いところ。他人の目でも潰してしまったら、取り返しの付かない事になる事は恐れていても、それを防ぐ手段まで用意されているにも関わらず、用意しない…。

てなワケで、おもちゃではあるが、ちゃんとしたマナーと、それを守って遊ぶための教室を甥と二人で始める事になったのである。取り敢えず、ちゃんとしたマナーが守れるまでは、子供だけでB銃で遊ぶ事を禁止した。もちろん、公園や学校とかで遊んではイケナイ。B銃とは関係ない人も被弾しかねない所ではあらぬ誤解を受けかねないし、危険である。

「えらそーな事言って、あんたに撃たれたじゃん!」

って人も、このブログを読んでいる人の中には幾人かいるんだと思うが、大人同士が遊ぶのとはワケが違う。そうさ…トリガーハッピーと呼ばれたのは紛れもないオレ…。1人で外部タンク式の連発銃とか高性能狙撃銃買って君らをベトコンやドイツ兵に見立て地獄へ追いやったのは紛れもないオレさ…。

それはさておき、ちゃんとした銃器の扱いをおもちゃとは言え、教えて、ルールに従って遊ばせる事も大事な事だし、こうした事が将来のオリンピック選手を育てる事に繋がるかも知れないんである。あれは、かなりメダル取るには「穴場」だぞ。やってる人少ないしな。うしし。

まずは、親が買い与えなかった「ゴーグル」を用意しなければ。教官であるところのおじたん。は眼鏡人であり、そこに使うレンズは必ず強化された樹脂製と決めているので問題は無いが、子供の目は必ず守らないと…。

屋外で遊べる場所があればいいが、あまり無いし、理解を得られる遊びでも無いので、ちょいと難しそうだなぁ。アーチェリーみたいに弾の回収も用意じゃないし…。近所にショップがあって、レンジが用意されていたりすると良いんだが、そんなのも無いし。

前途多難ではあるが、ちゃんとしきたりとルールを守って遊べば楽しい事を、教えてあげようと思う。

Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵に描いたようなモンスター

2005-05-16 22:06:50 | 我思う、故に書くなりよ。
犬の首輪付き監禁事件だが、手錠監禁も現れて、そんなこんなで騒いでいる中、あまり驚く事もなくニュースを見ている。

そうした事件が実際に起きている事に、もっと驚いてもおかしくないのだが、ネットの世界じゃこんな鬼畜はゴロゴロいるみたいだし、大騒ぎするなら10年ほど前でもおかしくは無かったと思う。いや、もっと以前から騒いでいても何らおかしく無かったハズだ。

空想の産物であったモノが、具現化するのには何かどこかである「線」を越えなければならないわけでそれをそうさせないための「ハードル」や「防壁」と言うモノもあるのだろうが、それが失われた時点でこうしたモンスターの出現は時間の問題でもあったと思うのだが、それを危惧して憚らない事件や事象は幾らでもあったのに、誰も何も考えていなかったワケでは無い。

にも関わらず、緩やかな形式だけのハードルしか存在しなかった事が、モンスターを産み、育ててしまったとなると、どこかでハードルを高くするか、強固なモノに変えなければならないんだけれど、そうした動きもまた非常に緩やかであるので、今後もこうしたモンスターの出現は何も珍しい事ではなく、多くの人の目に止まる事が増えるんだと思う。

空想と現実の垣根の手入れをしなくなったのが、いつの事だかさっぱり判らないが、もう垣根なんか無いに等しいと思えば恐ろしがるのもおかしな話で、連続幼女誘拐殺人事件だって、もう昔の話である。あの頃に危惧された事が、然るべき垣根や防壁を築かれずに野放しに近かったと言う結果が現れてきたとすれば、モンスターの成長も緩やかなものだと、意外な感じすらしないでもない。

何かきっかけを与える様な大きな事件が起きても、騒ぐのはその時だけで、後々の事をいかに真剣に考えて動かなかったか? そして誰がどう動かなければいけなかったのか? いくらなんでも、そろそろ判りそうなものである。

こんな小さなモンスターで驚いている様では、想像を絶するモンスター達がわらわらと世間に現れては世の中を掻きむしる日がやって来るのだから、本当に為す術も無くなるんだと思う。今まで為す術が無かったワケじゃない。それをゆるゆるとした術にしてしまった事が、後戻りできない今日なのだから、明日も大して代わり映えはしないのである…。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする