おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

ゆるゆるウェア。

2005-08-31 01:51:55 | 我思う、故に書くなりよ。
アロハなんだか、かりゆしなんだか知らんが…。

ファッションセンターしまむらって所で¥500だったので買ってみた。
人生で、こうした柄物のシャツは初めてである。アロハとかだと、もうちょっと「パリッ!」っとした感じなんだろうけれど、これ、『ゆるゆる…』。

Tシャツ1枚だと、それはそれで良いんだが、コンビにやらファミレスに入ると肌寒いワケで、長居するとなるとちょいとクール過ぎたりもする。冷房28度説なんか、客商売じゃ関係ねー…って感じ。

んで、まぁ3歳の姪にやる気無く選んでもらったのだが、彼女の希望通りにすると、40歳にして『ピカチュー』とか『プリキュア』がデカデカとプリントされたシャツになってしまうので、仕方なく彼女の興味の湧かない柄から選択するのだけれど、もーどれでもいーって感じのやる気無さが漂うワケで、その表情を見ているとなかなか面白い。子供は正直である。

「どっかの銀行員も夏はこんなので仕事してたな…」

そんな遠い記憶が蘇ったりもしたが、実際に着てみると、ゆるゆる…で、なかなか気持ちよい。そう。ゆるゆる…。

ビジネスしてないので、クールビズじゃなく、くーるゆる…なのだ。

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お腹が空いて起きる…。

2005-08-30 03:37:44 | 我思う、故に書くなりよ。
何よりも寝ている方が楽だし、好きなんだけれど…お腹が空いて目が覚めた。

夕方に食べた『中華無し冷やし中華』の得体の知れない「辛さ」にやられて、あまり食が進まないハズだったのに…。何か出来合いのモノが貯蔵されているのならともかく、そう言ったモノは無いと思っていたので、普段なら「寝る」方を迷わず選択するんだろうけれど、空腹で起きてしまうとは…。

んで、冷蔵庫をあさると、冷食のハンバーグが見つかる。ひじきと豆腐が練り込んであり、一応肉も入っているが、『代用食』みたいなもので、肉そのものの味を楽しむって所からは離れている。

まぁ、無いよりはマシなので、焼いて食べる事にした。エリンギも割いて、付け合せに。

焼きながら、過去に食べたハンバーグとかステーキが色々と思い出て来た。

社員旅行で行ったハワイ島の牧場で食べたステーキ。サービスなのか、目分量なのか知らないが、出て来たのは2ポンドはありそうな「肉塊」。何かの間違えじゃなかろうかと周囲を見渡すと、本土から来たと言うネェチャンが同じものをペロペロと食べている。口の中に入れた途端に『とろける…』んだろうと思いきや、普通の肉。ミディアム・レアなんて言う日本での頼み方をしたが、ほとんどレアに近い肉塊。これがまた岩塩と香草みたいなハーブで焼かれて美味かったし、すんなりとお腹に入ってしまう。

銀座のつばめグリルで食べた「ハンブルグステーキ」。会社が近かったので、先輩によくご馳走になった。「アイスバイン」なんて言うのも良く食べた。ほとんどがご馳走だったので、自分で支払った事は無く、幾らなのか見当も付かないが、きっと高いんだろうなぁ…と。しっかりと肉汁にまみれるハンバーグ。そして、ケチャップにまみれているだけでないハンバーグ。

バリ島から帰る岐路の飛行機での機内食。どうした事なのか、6回もでまくった。
お陰で寝る暇も無いし、寝ていると起こされる。その度にシートは直され、テーブルの上に並べられる機内食。微妙に味は違うが、ハンバーグには変わりなく、どうしてなのか疑問が渦巻く中、全部食べた。成田に着いた頃には、お腹はポンポンで、別ルートで帰った友人は1回出ただけだったと言う事も判り、謎は謎を呼ぶ。

先日亡くなった父もステーキは好きだった。車で出掛けると、牧場に併設されたレストランに向かい、食べたい肉を探してオーダー出来るなんて洒落た事をしていた。
当然、肉の良し悪しで値段も変わるし、量によっても変わる。普通にファミレスで食事する数倍の値段がかかってしまうワケだけれど、気にせずに食べろ…と。そうそう頻繁に行くワケでは無いが、サプライズな楽しみでもあった。

スーパーでステーキ用の肉…といっても、大した事が無いのがほとんど。安売りならばなおの事で、焼肉用の薄っぺらい肉とあまり差が無かったりする。そんな不平をブツブツ言いながら物色していると、白い正装に身を包んだおばちゃんが「切りましょうか?」と声を掛けてくれる。簡単な希望を述べると、奥から肉塊を示して、希望の厚さに切ってくれた。ヘットも少し付けてくれて、焼き方も教えてくれる。
スーパーではあっても、奥の人はエキスパートなのである。そりゃ、値段は並んでいるパック詰めとは比べられないほどの値段だけれど、肉としては「安い」。うれしくて、うれしくて、焼きながらもうれしさが充満したまま、肉を味わえた。

「あれ、これ肉汁出ないな…」

普通にハンバーグを焼くと、適当な時期に箸でも突き立てれば、そこから肉汁があふれて来る。強火で表面を焼き上げた後に、弱火で火を通し、しかる後にこれを確認しないと焼き加減がダメになる…。まるっきり肉が入っていないワケでもないだろうが、目の前のハンバーグからは肉汁が出て来ない。んー。

全体がカチコチからぶよんぶよん…になってるし、軽く焦げ目も出来ているし、両面も焼いたから皿に移す。余った肉汁と油でエリンギを炒め、ソースとケチャップを少し加えてソースを作る。

んー。想像していたハンバーグとは違うが、これはこれで美味しい。要は、肉汁が出るほど「肉」を使っていないと言う事である。『代用ハンバーグ』なのだから、仕方ないが、やはり、切り口から滲み出る透明な肉汁も含めて『ハンバーグ』だと思う。

「こりゃ、作るしかないかな…」

夜中の3時に何やってんだか…。ちゃんとしたひき肉を買ってきて、パテから作ってちゃんと焼く。ナツメグも忘れずに入れよう。しっかり練らないと、焼いてる最中の分解するしな…。

ファミレスのハンバーグも手軽でいいかな。そういえば『目玉焼き乗せハンバーグ』しか食べない男がいたが、彼はどーしているだろうか…。邪道とまでは言わないが、160g程度のハンバーグで至福の時間を過ごされては困る。1ポンドは食べて貰わないと、ハンバーグを満喫したとか、制圧したとか、征服したなんて言われても困るのだよ。だが、専門店でもそうした巨大なハンバーグはなかなかお目に掛かれない。

焼肉でもそう。肉を味わうために来ているので、肉以外のメニューには目もくれず、ひたすら肉を食べる。2人で1万6千円。ファミレスの業態変化した焼肉店ではあるが、ひたすらに「肉」を味わうのが「焼肉」。サイドメニューに「いかミソわた焼き」を見つけた事もあるが、これは別物。タン塩やらカルビやら、順番なんかどうでも良い。「肉を喰え!」。

エリンギ…ふかふかふにょふにょして美味いな…。これも粉砕してパテに混ぜたらなかなかだと思うが。

そんな事はどーでも良く、空腹は収まった。

得も知れぬ「圧迫感」とも言える「おかしさ…」に包まれてはいるが、薬の力で熟睡出来たワケで、その挙句の「空腹」。なんやかやで、食欲がほとんど無かった事を考えると、元気が戻ってきた証拠の1つでもあるかもしれない。

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冷やし中華の中華なし。

2005-08-29 20:14:11 | 我思う、故に書くなりよ。
ラーメンは好きだが、自分で作って食べるインスタントも好き。

この季節は「冷やし中華」もインスタントで食べられるが、冷やし中華の中華らしき存在と信じているのが金糸たまごだったり、きゅうりだったり、ハムだったりなワケで、そんな物が所狭しと存在している冷蔵庫は我が家にはない。

ラーメンでもよくやるのが『具なし』。

スープと麺だけで味わうのがたまらなく好きだったりする。うどんも同じ。かまたま…程度で、うどんを味わうのが好きなので、冷やし中華も「具なし」にしてみた。

でも、これだと、酸っぱい麺…って言う、季節柄危なそうな雰囲気になってしまうので、ネギを少々と、ニンニク4片をすり潰して入れた。

仕上げに、ゴマ油を一回りさせて、香りと共に味わう…。

まいうー。まいうー以外にないまいうー。

これは久々の夏の逸品。ちょっと硬めの麺との絡み具合も満足。

だったんだけれど、食べ進むうちに、辛味が増してくる。ニンニクは辛いけど、4片くらいすり潰してこんな辛さにはなった事がない。変だなぁ…と食べていると、食べ続けるのには困難な辛味が襲ってくる。

激辛は大好きで、唐辛子ならかなりの超超激辛でも普通に食べられるのだけれど、それとは違った『激辛』に襲われて食べ続ける事が出来ない。麺を食べるのがやっとで、ニンニクのすり身がまとわりついたネギ等は食べられない辛さになってしまっている。これが無いと、美味しくないほどのアイテムなのに…。

ネギとのコンビネーションがそうさせたのだろうか…。余った1片のニンニクをかじってみたが、辛くも無く、食べられる。むむむ…。「おかしい…」。何か、シュウ酸の結晶にでも舌からノドから刺される様な感じもしないでは無い…。

これさえ、無かったら「超まいうー!」だったのだけれどなぁ…。やれやれ…。

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なんかおかしい…。

2005-08-29 07:04:31 | 我思う、故に書くなりよ。
鬱病だし、父も死んだし、いろんなだから…。

って事とは関係ない方向に「おかしい…」。何か圧迫されるような、おちおち寝ていられないような、そんな見えない「おかしさ…」に包まれちゃっている。

お陰で、変な時間に寝ちゃったりするし、見たかったTV見逃したりするし、なんじゃこりゃ…な状況がここ数日続いているんである。

何かに焦っている…感じと良く似ているんだけど、焦るものは無いしねぇ。居ても立ってもいられない感じなんだけど、何すりゃいいんだか判らないから何もしない方が良い…って事なんだけど、なんだろう?

と、言う事も書いて残しておくのが『日記』だったりもするので、書いておく…。

陽が昇り、セミが鳴き始めるとすやすやと爆睡状態に移るハム達を眺める限り、彼らはそうした感じ…って物を受けてはいない様子。何をそわそわしているんだか判らないけれど、そうした物を感じている私がとりあえず「おかしい…」。

んー。落ち着くためにコーヒーでもすするか…。

なんて事もやってはいるんだが、一向に収まらないこの「おかしさ…」。

漠然としたものか、ぼんやりとしたものか、それすらも判らないんだが、恐怖とも不安とも付かない「おかしさ…」に包まれて夜が明けて、一昨日あたりからそれが徐々に高まって、濃くなって行く感じは「おかしい…」。

寝られないまま…ってのも体調によくないから、睡眠導入剤でも飲んで寝るかな…。

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おいらが来たりて語り合う。 その2。

2005-08-27 00:33:25 | 我思う、故に書くなりよ。
台風が去ったと思ったら、そっそうとバイクに乗って登場。

ちょっと憧れたし、驚いた。750なんか乗ってるとは思わなんだし、乗れるとも思ってなかったのである。車の調子が悪いので、バイクらしいが。

車乗ってると、バイクと言う選択も無いもんで、スクーターすら縁が無いわたくし。ヘルメットを装着するところからちょっと憧れてはいるのだが、せいぜいが原付と呼ばれるクラスにしか乗れないワケだけれど、それでも乗ってみたい。

風と一体化したい…
風を感じながら…

なんて言う人もいるんだろうが、わたくしの場合は「自転車より楽だろう…」くらいな気持ちでしか無いので、そういった風情は無いんだけれど、ヘルメットをうやうやしくも、さも当たり前に被り(当然だが…)、びゅーーーん…ってのは、全く乗っていないわたくしから言わせると「カッコイイ!」んである。

んで、暑い中、わざわざやって来た「おいら氏」とは全く別の話で盛り上がったので、バイクの話は全くしていない。

そんなワケで、おいら氏。また来るよーに。

一応、カブ…なんか乗りたい旨は話しておいたが、この先どーなるんだか。
ちなみに、おいら氏が風…が似合うかどうかでは意見が分かれるだろうと思うけれど、バイクもヘルメットもセンス良かったなぁ。どーしちゃったんだろう…。

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久々に台風。

2005-08-25 23:20:35 | 我思う、故に書くなりよ。
いい感じで暴風雨。

こんな時はコーヒーでも入れて、静かにしてるのが一番…。

なワケも無く、ワクワクしちゃって来るのはどーしてなんだろうかねぇ?
デジカメ抱えて豪雨に溢れ湧くどぶ川の写真を撮りに出掛けた。

護岸されちゃっているので、期待したほどの濁流でも無かったので、早々に引き揚げたけれど、昔なら間違いなく「海」。

田んぼが広がっていた頃は、あぜ道さえ消え、どこが道路でどこが田なのかわからない泥水の海が広がって、なかなかのスペクタクルだったのだが、それも久しい。

ちょっと高台に家があったので、朝早く起きて、一面の海を見るのがたまらなかったりしたものだが、水が引くまでは孤立する事になり、畑や農家を突っ切って道を探して学校に通うのもなかなかだったなぁ。

小さな小川は護岸されてどぶ川になり、そういった事も無くなった。台風の去った翌日に、どこから流されてきたのか大きなアメリカザリガニに出会う事も無くなった。

ちょっと寂しいが、雨で人は死んでしまう。だからこその治水でもあるし。

小さなどぶ川だけれど、国交省のパトロールが黄色いパトライト点けて見回っていた。相手が自然なだけに、ご苦労さんである…。

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自転車に乗る…。

2005-08-21 22:14:44 | 我思う、故に書くなりよ。
高校時代は「ユーラシア」が愛車であったが、自転車を乗らなくなって、ン十年経つだろうか…。

ちょいと小腹が空いたので、いつもなら「徒歩」でコンビニまで行くのだが、ふと、父がこ洒落た自転車に乗っていたのを思いだし、母に尋ねると「ある」と言う。

まぁ、癌と闘う様になってからは、それほど乗っていなかったらしいが、最後に入院する直前まで磨いていたりしたそうだ。盆地に住んでいるので、どこかしらに坂があり、歩くとあまり気にならないが、自転車だとどーなんだか? そんな感覚も忘れて久しいので、鍵を見つけて乗ってみた。

折り畳む事が出来る自転車だが、変速機も付いているし、なかなか。だが、ライトが付いておらず、このまま走ると「無灯火」で捕まりかねない。致し方なく、マグライトを持って出掛けた。

ちょっと走って、妙な違和感が襲う。

「サドルの高さかな…」

当初はそう考えていたのだが、立ってこぐにも、座ってこぐにも、どうも力が入れずらい。坂道に変速機で登ろうとしても、この違和感が増大して、歩いた方が楽。

体がなまっているのは間違いないにしても、何だか変…って感じは払拭出来ない。

でもまぁ、下り坂は座っていれば良いので、これは楽だった。すーーっと風が気持ちいい。聞こえてくる虫の音が、秋の虫の音に変わりつつある。

ちょいといじれるならいじってみよう。ライトも付けとかないと。昔はそんな事は朝飯前だったし、当たり前の毎日だったんだけどなぁ。オヤジ化しちゃってるなぁ…。

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癌と言う病気とどう向かい合う? その14。

2005-08-20 22:33:00 | 我思う、故に書くなりよ。
通夜、告別式を終える…。

正直、父には謝っても謝りきれない親不孝しかして来なかったので、泣き続けたい気持ちはどこの誰よりもあった。だが、泣いてばかりいても、事を先に進めなくなくなるばかりか、迷惑をかけるばかりにもなるので、堪える所は堪え、長男としての役目を果たしたつもりではある。

それしか、出来ない自分が情けない。香典ひとつ、身内でありながらも出す事が出来ない。少なからず、父が私の身を案じながら、帰らぬ人となったと思うと、私の残りの人生は、返しても返しても返せる事の無い、懺悔しか残っていない。

父は、腕の良い職人だったと、私は思う。一般住宅の左官仕事を多く請け負っていたが、どんなに小さな壁でも、手を抜く事無く、最高の仕上げを目指して塗り続けていった。完成してしまえば、人の目に触れる事の無い部分でもキッチリと塗り続ける仕事を見ている。

それが、父の誇りでもあったし、家族の誇りでもあった。また、自身が使う道具への愛着も、並大抵の物ではなく、大事に使い続ける事はもちろん、磨り減った左官ゴテに体を合わせる事で、自分なりの技術をも身につけて行った人でもある。

「あの世でも仕事してくれ…」

と言うワケでは無いが、左官屋からコテを取ったら、何も無い。何も恩返しの出来ない息子の私が、父の葬儀にあたって是が非でもしたかったのは、参列の方々に、使い込んだ道具を見て頂く事と、棺に入れてあげたい事だった。

見てもらう事は、特定の宗教に拠らない葬儀だったので、難しい事でもなかったのだが、棺に入れるのはかなり難しい。コテは金属で出来ているからだ。

そこで、木ゴテから金属部分を取り除き、総木製のコテを義弟に頼んで作って貰い、棺に納めた。

実際に使い、セメントやらモルタルで変質したコテだったので、義弟の力作となったが、素晴らしいコテを父は一緒に持って行けたのである。

そのコテで、左官の神様と言われた「伊豆の長七」みたいな、芸術作品の創作を心ゆくまで楽しんで欲しい。あの世なら、神様と語り合ったり、腕を競ったりも出来るんじゃないだろうか。父も、仕事の先に、そんな世界を夢見ていたに違いない。

「父さん。趣味で壁を塗る人が増えてるみたいだよ…タモリも塗ってたよ…」

クロス張りの住宅が増える一方で、職人が塗った壁はどんどん減っていく。
元気なうちに、伝えてあげたかった事なのだが、闘病中でもあったので、言えなかった。

可能な限り、父の「名作」の数々を訪れて、この目にしっかりと収めたい。





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癌と言う病気とどう向かい合う? その13。

2005-08-17 22:57:32 | 我思う、故に書くなりよ。
2時過ぎに病院から危篤の知らせが届く。3時から面会のつもりで、向かう用意はしていたのだが…。 到着して父の元に向かうと、心臓マッサージやら酸素吸入をされており、すでに自発ではそれが出来ない状態だった。 ほどなくして、医師から臨終が告げられた。連絡を受ける直前までは、昨日と変わらない様子だったと聞く。にこやかに、元気な頃と変わらない顔でこの世を去った。 どんどん冷たくなって行く父が、信じられないけれど、これが現実。
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癌という病気とどう向かい合う? その12。

2005-08-16 20:00:49 | 我思う、故に書くなりよ。
んまぁ、揺れたし、葬儀屋巡りだし、疲れたな…。

父を送る準備もしとかないとイケナイワケで、突然あの世に召されたワケじゃないから、出来る事は事前にやっておかないと後で後悔する…。

とは言え、葬儀屋なんか一生のうちでそうそうやっかいになる所でも無いし、初めての事でもあるので、どこへ行って聞けば良いんだか判らない…。判らないなりも、葬儀なんてのは近所でもちらほらあったりするもんだから、

「ご近所の評判…」

なんてものを頼りに出掛けてみた。値段があって無い様なモノ…と言う世界であるから、相場なんてものは当然知らないし、ちょろっとネットで調べてみても、これだ! なんてモノは無いワケだし、正直、何をどう聞いていいのかも判らないまま、飛び込んでみたワケである。

1件目は自宅から程近い駅のそばにある葬儀屋で、ちゃんと会葬所も併せ持つところである。まぁ、地元に根付いたと言えば良いだろうか。親切には応対して頂いた。

ところが、難点が当方にはある。特定の宗教に一切与しない父だったので、文字通りの無宗教。しかも、明確な指示や遺言も無いワケだが「シンプルに…」と言う希望だけは私も聞いている。普通かどうか知らんが、

「うちは○○学会だから□□宗で…」
「うちは△◎寺が菩提寺だし、檀家だし…」

ってのがあれば、話は早い。会葬者がおよそ何人来るし、なんて事を伝えればおのずと値段も判るだろうし、坊さんに掛かる費用と相談すれば良い。

そうしたモノが、全く無いモノだから、そうした場合にどーすんのか? 何すんのか? なんてのは「未知の世界」なワケである。

んで、まぁ、「そう言う方も最近じゃ増えているんですよ…」と、葬儀屋さんは言いながら、具体案が出て来ない。

「無宗教でお値段がこれ位なら、こう言う形になりますよ…」

ってのを期待したのだが、それが無い。そうした経験に乏しいと言うのが、何も知らない私らにでも判ってしまうのである。そうであっても、初めて飛び込んだワケだから、一応の概算を提示してもらい、見た限りべらぼうでも無いので、こんなもんだろう…って事に。

ただ、父の乏しい希望に沿うものかどうかは、やはり疑わしい。値段がどーのこーのよりも、そうした事を出来るのかどうか? 出来るとしたら、どーなのよ? ってモノが無いと、任せていいモンじゃないワケだから、他を当たってみる事に…。

結構大手で、自宅からはちょっと離れてはいるけれど、経験豊富そうだから、いきなり訪ねて、「どーなのよ?」ってのを聞いてみる事にした。著名人なんかも割りかしここで葬儀告別式なんかをやっていたりもするので、「高そー!」って感じはモロにあるが、話を聞く分にはタダだろうし、「そーゆーのもあるのか…」ってのが判ればめっけもんでもある。

まぁ、結論から言うと、値段もさほど変わらないのに、提案された事の中身が全然濃い。まさに「あー、こんなのもあるのかぁ…」と言う、見本のオンパレード。

希望通りの葬送が出来そうだし、実際にそうされた方の事例が示されると話も早いし、不安も無くなる。んまぁ、大体、訪ねて来た格好見れば、そうそうお金も掛けられないだろうな事は、あちらも判っているんだろうけれど、細々と色々教えて頂いた。

最低のランクを選んだからといって、葬儀として抜かりのあるものでは無いし、例えどの宗派だろうが、宗教だろうが、それは変わりない。葬儀無用なんて人もいるし、法律に則って埋葬まですれば、何も式典は行わなくても構わないワケだ。

だからと言って、そうするか? と言うと、そう故人が強く希望しない限り、あまり行わない。残された人のための「葬儀」でもあるからだ。お付き合いや、お世話になった方への「葬儀」でもあるので、お金を掛ければ幾らでも、如何様にも出来るが、無為にそうする必要も無い。故人の意を汲んで、それでいて故人ならでは…って葬儀がリーズナブルに行えれば、家族も会葬者も、送られる故人も満足できるモノだと、具体的に示して頂けた事は、丸1日の放浪の甲斐もあったワケである。

単に「無宗教形式」でシンプルに…ってモノでは無い形になりそうだから、あまり良い表現では無いが「楽しみ」でもある。父らしい形が実現出来るって事は、鬱でありながらも良い考えが出たもんだと思うし、会葬者も納得して頂けるものだと思う。

そんなこんなも、そうした提案がきちんと出来る葬儀屋さんと出会えた事…。これに尽きる。まぁ、そう遠くはないものの、必ずやって来る不安の1つが解消出来たってのは、心労が重なる家族には大きい事である。

とか、何とかやってる最中に、地震はやって来た。1件目の葬儀屋探訪を終えて、作戦会議をファミレスで行っていた最中だったのだけれど、大きく揺れる1分位前に妙な胸騒ぎがしたんである。

「やべぇ! 逝ったか?」

頭には当然地震よりも、父の容態の事が渦巻いているもんだから、そう思ったのだが、ゆらーりゆらーり…適度な不快の強さを保ったまま揺れ始めた。

長く、大きく揺れた割には、危険を感じる様な物でも無く、「だんだん大きくなるのか?」と言う不安はあったものの、落ち着いてしまった…。

そんな感じだったので、私鉄に乗り、JRに乗り継いで2件目を目指したのだが、JRは大きく遅れており、少々出鼻をくじかれる。私鉄が何事も無かったかの様に動いていたし、「お盆」でもあるから、空いていたし、かなり長い間電車が来るのを待つのは「こんな時に限って…」って思いもあるので、困ったもんだ。

2件目でかなり気分的にはスッキリし、病院の面会時間もまもなく…と言う事なので父の様子を伺いに行く。

大きな容態の変化は無いものの、顔や手足のむくみは驚くほど改善されている。一時はどーなるかと思ったが、それだけでもウレシイし、父もかなり楽にはなっている事は間違いない。

親族が見舞いに来てくれて、やはり視覚的にはショックを大きく受ける…。酸素マスクは外せないし、時折、何かをしゃべっても意味は判らないし、目を開けても見舞いの者を目で追う事も無い。天井を見上げ、大きく喘ぎながら横たわる父を見れば、ショックはやはり大きいだろう。そんなこんなもここ数日での事で、自宅にいる頃はまだ動けたし、疲れと咳以外にはそれほど「悪く」も見えなかった。

顔色もヒドク悪くないし、時折ちゃんとした受け答えも出来るのだけれど、やはり徐々に衰弱はしている。それが、父のこれまでを知っていても、やはり「ツライ」。

「がんばって、お家に帰ろうよ…」

父も、家族も、親族も、それが難しい事は知っている。でも、そうしたい。
父も、うなずいた。決して逃げる事無く、癌と向かい合っている。
慣れない事に疲れたのは確かだけれど、父のがんばりに比べたら屁でも無い。

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癌という病気とどう向かい合う? その11。

2005-08-15 07:12:41 | 我思う、故に書くなりよ。
やたらと口の中や、ノドが乾くらしい…。昨日とは変わって、ゴクゴク飲んでいる。

追記 13:44

24時間付き添いを覚悟して乗り込んだんだけど、ICUが空いたので、そっちに移る事になり、そうそうに閉め出された。

閉め出された…と書くと、何かとても悪い感じがするが、そうではなく、症状に変わりは無い。また、無いと言うのも正確ではなかったりする。何がイヤなのか、体に付いているモニターやら点滴を取っちゃうんで、意味を為さないので、病院としても困るって事で。

前日と比較して、顔や手足のむくみが大きく改善され、目が開けられる状態になった。ただ、現実と夢と記憶がごちゃ混ぜになった意識の中にいるみたいで、一応、一通り聞いてはみたが、この期に及んで語らなくてもよいだろう事を言っているので、とりたて重大な物は何も無い。

「ストーブで黒くなった部屋の壁を…」
「ポカリスエットはいいぞぉ…」

なんてのは聞いても仕方ないが、話相手にならないのも悪いしねぇ…。

「あーそうなの。ふーん」
「あー。あれは美味いよなぁ…。うんうん。」

ただ、故人となった方が頻繁に現れている様で、私には誰だか判らないのだが、もう迎えに来やがったのかと尋ねると、そうでもあり、そうでもないみたいな話をしていた。

もう、2人きりで話す事も難しいと思い、自分のふがいなさを詫びた。親不孝こそしたものの、孝行はしていない。自分がどういう状態にあるのか判らない父に詫びるのも親不孝だとも、思ったのだけれど、詫びた。小さく頷いたけれど、次にはストーブの話だったりもするので、伝わらなかったかもしれない。

それでいて、何か用事…点滴を変えるとか、採血するとかを伝えると、ハッと目を開き「昨日もやったなぁ…」とかそれらしい受け答えをするもんだから、どうなんだかサッパリである。看護士さんが名前を間違えて思いっきり呼び掛けた事があり、私が直ぐに訂正したけれど、その時は…

「名前書いて貼っとかないと…」

とか言うし。まぁ、かなり大きく書いて貼ってあっても、慣れ…がそれを見ていないだけだが。半身を起こす事も無理なのだが、自分では出来ると思っているらしく、何かを掴んでそうしようとする。「無理無理…。だめだよ…。」と諭すと判るらしいが、度々、用も無いのにそうしたり…。昨日は全くそれも無かった事を考えると、僅か1日、いや、半日で見違えるほどに「良い動き」はしている。

途中、ICUに移る事が決まり、父は別の検査のために出て行ったが、「移って下さい」とは言われるが、座布団やら布団やら個室に持ち込んだ荷物はかなりの量になり、途方にくれる。ICUの中にはそのまま持ち込めず、持ち込める物の指示も無い。取り敢えず荷物をまとめて途方に暮れていると、移動の催促が…。

ブチ切れてやろうかと思ったが、別の看護士さんが教えてくれたので、暴れなくて済んだ。とは言え、やはりほとんどが持ち込めないので、それを抱えて途方に暮れる。廊下のソファーに置いておくワケにも行かないので、撤収部隊の増援を頼んだが、到着までは情けなかった…。頻繁に人が通るたびに、

「この人何してんだろう?」

って顔で見やがる。仕方なく、父が検査から戻って来るまで、空いたベッドの上にうず高く積んでやった。

それでもまぁ、そんな不親切な看護士ばかりでは無く、しっかりしたのがちゃんといるので「まぁいいや…」って事なんだけれど、目の前で医療事故なんか起こされたらたまったもんじゃない。患者の名前を間違える…なんてのもありがちだけれど、その単純なミスでさえ、命に関わったりするしねぇ…。

四六時中、家族がそばにいられるリーズナブルな部屋が空いていれば、それに越した事は無いけれど、空いてないから「特別個室」ってのも、ちょっと困るしね。かと言って、ICUは安心だけれどおいそれと押しかけるワケにも行かない所だしなぁ。

まぁ、父はどこでも快適なら良いみたいだし、家族も特に用が無ければ顔は出してるし。いろいろと用意しておかなければならない物が、現実にはたくさんあるのだ。裕福な家なら2つ返事で済ます事も可能だが、そうではないのでね。

「困った! どーしよー!」

で、時間を無為に過ごして悪い事はあっても、よい事は無い。手分けして動いておかねばならないってのも、人任せ…ってのよりは良いと考えている。

************************************************************
(以下、7:12 更新分)

父の容態が急に悪くなり、入院した。

万が一の…ために推された病院ではあるが、最初からここの方が良かったのでは…と、思うくらいに、ケアが行き届いている。日曜日にいきなり連れ込んだにしては、看護士の手際も良いし、当直医の説明も十分なもの…。

全く、動けないなら付き添う必要も無いらしいが、自ら動けないにも関わらず、ふいに外へ出ようとしたりするので、付き添いが必要となった。ベッドから転げ落ちる事は無いが、体に付いているモニターやら点滴を取ってしまったりする。幻覚でも見ているのか、寝惚けているのか判らないが、声にならない声で、何かを誰かと話している風にも見えるし、時にはちゃんとした会話がかろうじて出来たりする。

んなワケで、泊り込みで付き添う事になったので、ブログの更新は滞ると思う。
まぁ、付き添っても私が四六時中何かしている事も無いし、看護は当然、看護士が行うワケだから、書く事は出来るけどね。

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癌という病気とどう向かい合う? その10。

2005-08-13 13:53:28 | 我思う、故に書くなりよ。
記念しなくていい10回目となる。

ここまでのあらすじを書いておく。

風邪がなかなか治らない父は、掛かり付けの病院で「異常」を告げられ、大きな病院で検査をする事になった。結果は「肺ガンの末期」。自宅から程近い病院から、専門の病院へ移り、治療が始まった。桜の咲いている頃だったから、それほど遠い昔では無い。

さて、母の憤慨も収まった様なので、改めて話を聞いた。

改めて聞いた所で、前回と大差無いのだが、父の容態は日を追って悪くなり、当初の想像通りの物に近づいている。食が極端に細くなり、トイレに行くにもつらい状況となって来た。逆転ホームランどころか、現状維持すらも困難なワケだから、ガンの侵攻を防げないばかりか、肺の領土はほぼ制圧されているに近い。

少し前は、話しづらい…と言う感じは見受けられたが、話せない事は無かった。だが、今では声を出すのも大変みたいで、ほとんど話はしない。絶えず横になっているのは楽だからだろうが、それすらも、楽では無い様子である。時折、激しく、そして長く咳き込む事で、既に枯渇しかけている体力が余計に奪われる。

自宅にいても、酸素の吸入は出来るので、咳が落ち着けば楽にもなるのだろうが、咳止めの薬も効果があるのかないのか判らなくなっている。尿の出が悪いのか、顔や手足のむくみも酷く、容貌は大きく変わってしまった。

一時は期待の持てそうな様子もあったので、本人も家族も、頭の中に置いておかなければならない「最後」ってモノの置き場所を変えた事もあったけれど、いよいよ現実問題としてそれを正面に据えなければいけなくなって来たみたいである。

父の様子を見ていると、もう「頑張る」とかの意味がどこにあるのか判らないんじゃないかとさえ思える。既に、治療の効果の極めて薄い事は知っており、急速に衰えていく自分の体に抗う事もままならない事を、黙って受け入れざるを得ない感じでもある。

母は、担当医から「非常に厳しい」とだけ告げられている。シビアにズバズバと言う担当医みたいだが、さすがに本人には直接告げなかったそうだ。ガンの告知は極めてストレートに言われたが、余命については何も聞かされていない。その印象から、私は夏を迎えるのも厳しいだろうとは思っていた。医者にしても「読めない」ものだと思う。だけれど、家族の希望はいつまでと、期限を区切る様な物では無い。いつまでだって、父には生きてもらいたい。誰だって、どこの家族だって、同じ事だと思う。

首に転移したガンへの放射線治療も、顔のむくみの酷さから延期となっている。特に酷く痛むとか、そうした事が無いのが幸いでもあるが、このまま悪くなり、やがて来る最後を待つだけなのかどうか、現状では家族では判断出来ない。かと言って、医者から何かを指示されている事も無い。

「どーすんだよ? このままか?」

父の1日は、今では24時間では無く、1年にも10年にも値する。このままで良い訳がどこにも無い。確かに、ガンの治療については成す術は無いかもしれないが、父の人生にはまだ術が残っている。終末が来るのを避けられないならば、それまでをどうするか? その時をどうするのか? 何も考えずに苦痛の末にやってくるだろう昏睡に任せるだけで良いとは考えていない。

専門の病院だから…こっちは素人だから…って気持ちは確かにあった。スタートが末期の肺ガンと言う事もあった。だから、任せる事にしたし、覚悟も出来ていた。だが、極めて厳しい状況にありながら、患者と家族の方向性も指示されないのは、見えない期限が確実に迫る我々にとってはいささか役不足である。今が適当な時期なのかどうか知らないが、終末に向けての病床もある病院だと聞いている。そうした話が出て来ないのに、他病院への転院を実際に勧められているのはどういう事なのか。また、転院先でどうするのかさえ聞いていないのが現状である。

どうやら、この専門病院は「ガン」については深く考えているらしいが、それ以外は深く考えていないらしい…。ある意味『看板に偽り無し…』だな。

確かに「疑問」は生まれた。が、この疑問が今のこの時期に生まれるべきものなのか、もうちょっと後なのか、それとももっと以前に…なのか、どうなんだろう?

自分なら…と思う事は多々あるんだが、父の病気だし、母や妹の考えもある。協調こそ求められてはいるが、独走は求められてはいない。鬱病なんかに罹っていなければ、もっとスパスパと考え込む事も出来るのだが…。

まぁ、疑問をそのままにしても良くないから、解消に向けてのアクションは起こしておくかな…。感情に任せて動いてもいいのだけれど、父にとって良い事だとは思わない。成す術が無いのも事実だし、時間が無いのも事実。どう暴れても、捻じ曲げる事は出来ないし、正直な所「無条件降伏」なのかも知れない。また、ガンとはそう言う病気である事がほとんどだし、闘って散っていった者の数は知れない。

例え、無条件降伏ではあっても、降伏調印文書には少しでも有利な条件を盛り込む努力は出来る。それが癌という病気と向かい合う「外交官」の役目でもあるんじゃないかと思う。癌による父への蹂躙を欲しいままにくれてやる必要は無いからね…。

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なんで堕ちたの?

2005-08-13 02:57:07 | 我思う、故に書くなりよ。
「急減圧なかった」 日航機墜落、事故直後に生存者証言 (朝日新聞) - goo ニュース

諸説いろいろ出て来た20年でもあった。

524人が乗った飛行機が堕ちて、20年経った。テレビで特集やらドラマが久々にしっかりと流れたので、見た人も多いと思う。私もちょこっと見た。まぁ、とにかくいろいろと言われて来た事故でもあるので、目新しい事も無いだろうと思っていたので、じっくりとは見ていない。実際、その様だ。

「矛盾点」もいろいろと言われて来た中では一番のウェートを占めるモノだと思う。だから記事にある様に、再調査を求める声が未だにあるし、そのための残骸保存を求める声も大きい。

この事故に関しては、一応のケリが付けられている。簡単に言えば、

「メーカーでの修理ミスが元で事故が起き、山に堕ちた」

これが結論である。専門家が残骸や、飛行中に得られる記録を元に調査して得た結論だから、これはこれでそうなんだろうと思う。たまたま撮られた飛行中の事故機の写真には、垂直尾翼が僅かしか残っていない事からも、大方、堕ちた原因は間違いでもないだろうと思う。

それでは改めて、当事者でも関係者でも無いのに、事故に関してブログに書く事も無いんじゃなかろうか? と、思ってはいる。今更、何か書いた所で、520人は帰って来ないし、裁判すら終わっている。

それでも書いているのは、事故の調査を行った者の『視点』に疑問を感じたからだ。

「結論には自信をもっている。ただ、客室の空気の流れなど、圧力隔壁破損という主原因と関係ないと判断したことについては細かく精査しなかった。それに、証言は証拠より信用度が低い」

この事故では奇跡的に4人が助かっている。当たり前だが、事故が起きて、山に堕ちるまでこの飛行機に乗っていた人だ。それらの人達は、事故について世間話をしているワケでなく、事故原因に関わる重要な証言をしている。

それが、物言わぬ残骸より信用が低いモノだと、どうして言えるのだろうか?
細かい矛盾や疑問点があったのに、それを追及しなかったのは何故だろう?
そうした視点に立った調査、報告を許してしまったのはどうしてなんだろう?

果たして、こんなので調査を終えてしまって、本当に良かったのだろうか?

そうした視点で完成した報告書を元に、問題点がフィードバックされ、安全対策が施されたり、新たな設計が行われているとしたら、それは果たして「安全」で「信頼」出来るモノなのだろうか?

「客室の空気の流れなど、圧力隔壁破損という主原因と関係ないと判断したことについては細かく精査しなかった」

専門家の集まりが、与圧の掛かった状態の圧力隔壁の破損と、客室の空気の流れとが『関係ない』と判断している事が全く信じられない。相当な空気の流れが起きない限り、垂直尾翼が吹き飛ぶ事は想定出来ないワケで、調査結果そのものに『矛盾』が生じているとも言える。いったい、何を調査したんだろうか?

そんなこんなも、昔から言われていた。そうした事からも、たくさんの矛盾が明らかになってはいったし、こうした点を追求する声も多くあったのだが、何1つ解明されていないまま20年経ったと言う事だ。

これで、今までの20年果たして本当に良かったのだろうか?
これからのン十年、ン百年、これで良いのだろうか?

旅客機はイチかバチかで乗るものでは無い。堕ちる事は死を意味する結果に繋がる事の多い乗り物だし、そうなってしまったら、よほどの幸運が重ならない限り助かる事を望めない乗り物でもある。だからこそ、堕ちた理由は何だったのか? 調べ尽くす必要があるし、その努力を怠ってはイケナイ乗り物ではないのか? 520人の誰もが、最後の瞬間まで最大の努力を怠らなかった事は、残骸や残されたモノから判っている。その努力を少しでも報いるために事故原因を調査しているならば、少なくともこうした「視点」で調査を行う事が、また、調査を行ってしまった事がそれに相応しいモノかどうか…。そう考えると、

『証言は証拠より信用度が低い』

これは、事故で無くなった人に対しても、助かった人に対しても、そして、家族や友人、知人を失った人に対しても、ひどく「不遜」だと思う。

本当の意味で、この飛行機が堕ちた理由は何1つ判っていないんじゃないだろうか?

20年前の過ぎ去った事故である。ここから次へ生かさなければイケナイ事は山ほどあったハズだが、そのために大変重要な物となるハズの『調査』が、こうした『視点』を元に作られてしまっていた事が、どんな事情があったにせよ、悲しいし、情けない。

やはり、新たな視点で調査し直すべき物だと思う。たとえ、多くの時間と労力を割いたとしても、きちんと報いる為の調査は行うべきだ。それは、次を飛ぶためにも必要な物だし、無くてはならない物でもあると思うし、疎かにして良い物では決して無い。また、そうした視点で調査を行う事は、飛行機事故に限ったモノでは無いから。

現実問題として、ケリは確かに付いたかも知れない。だが、そこで終わらせてしまうのではなく矛盾を潰していく努力すら行えないワケでも無いだろう。時間の限られた宿題をやっつけで間に合わせる様な物じゃ困るんだ。

こうした疑問や不信を持ち続ける事で、事故の風化を防ぐ努力の1つになると思う。
事故の忌まわしさを風化させまいと努力を未だに続けている人は多い。だが、それすらも時間は風化させてしまう。また、残念だが事故は必ず起きる。その事故を1つでも減らすための「調査」でもあったハズなのに…。

そう書いている間にもリアルに事故が起きている。疑問点を残して次へと進んでしまったツケは、いつの日かまた、大惨事としてやって来るに違いない。その時、それは「事故」と呼ぶべきモノかどうか…?。

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窒息マニア。~マニア考~。

2005-08-12 16:46:24 | 我思う、故に書くなりよ。
世の中いろんな「マニア」がいるからなぁ…。

私には殺人だの傷害だのして性的快感を得る趣味は無いので、こうした連中の気持ちだの気分だのはサッパリ判らん。判るとしたら、成人女性の裸の映像だの画像だの、視覚、聴覚から得られるコトで…ってコトにはなるが、それだって「相手」によりけりだし、

「こんなんじゃイヤだ…」

ってのも当然ある。若くて巨乳がイイ! とは言っても、若くて巨乳ならなんでもイイ…ってワケでは無いところが「マニア」的なコトなのかも知れない。が、大方の人も大体は同じだろうと思う。

窒息マニアに限らず、こうした「マニア」が時として事件の主役として世間を騒がす事は今時珍しくも無くなった。「連続幼女誘拐殺人事件」なんてのもあったし、最近でも似た様な事件は起きている。

人の数だけ「マニア」がいてもおかしく無いが、性的な快楽を得る…となれば、ぐっと範疇は狭まるし、事件にまでエスカレートするとなると、それもかなり限られるだろうし、得てしてメジャーな分野のマニアでも無さそうだし。

ただ、これを「趣味」として継続させるならば「限度」ってモンの手前で止めておくのがベストだと思うのだが、何故か「限度」を越えて事件として露見する様な事まで行っちゃうんだよねぇ…。

そうした意味で「限度」とそれを越えた「点」と「理由」は興味深い。単に「自制心」が無くなったと思えばそれまでなんだけれど、妄想と現実の境界を越える時に、損得勘定の天秤が出て来ても悪くないし、普通なら出て来そうなもんだと思うんだがなぁ…。

さて、自分にも「マニア」的なところは多々ある。「マニア」なんだか「おたく」なんだか、ハッキリとはしないが、例えば「軍事マニア」。

一般の人よりは詳しいけれど、戦闘機や爆撃機にぶら下がっている爆弾だのミサイルだのの型番までそらんじて言えるレベルでは無いが、ECMポッドとの違いは判ったりする。「ガンマニア」でもあるが、細かな部分の改修の違いで形式や改修点がそらんじて出て来るワケでは無いし、おもちゃのカスタマイズはしても、法外なパワーを求めたりはしない程度の「マニア」であり「おたく」。

カメラや写真についても、これは仕事の道具だったワケだから、マニアとは違うかもしれないけれど、あるもので遊んでいるってだけだが一般よりはずっと詳しい。PCもそう。あれこれいじったりはするが、特殊なところに情熱を注ぐって事では無い。

「少し深いが、幅広く…」

ってのが言い得て妙な感じもするが、その通りなんだと思う。だが「マニア」と呼ばれたり「おたく」と呼ばれたりするワケだから、そうでない人との違いがハッキリはしているんだろねぇ…。「博学マニア」って事でもあるみたいで、クイズ番組なんか見ていても、かなり高額賞金が貰えた事になっていたりする。だけれど、

「V6とSMAPを足したら何人?」
「モーニング娘。今何人?」

なんてのは「感」で答えざるをえない。従って、実際に参加してもよほど「運」が無ければ賞金は頂けないだろう。

一昨日、おいら氏がやって来た事は長々と書いたが、日本のマニアについても語り合った。

3本の指に入れるとしたら…

「アニメ」
「アイドル」
「ゲーム」

なんじゃなかろーかって事だった。もちろんこれらは「大枠」なワケで、それぞれから派生したり、兼ね合いを持つ「ガンプラ」だとか「フィギュア」なんかもメジャーな部類に入るが、それぞれに「派生」するものは数知れず、カウントし切れない。

んで、これらはまた誰もが普通に楽しんだりもするワケで、その度合いの深さの違いで「マニア」だか「おたく」なんてレベルの判定が行われるが、どれも明確な基準は無いもので、最近じゃ「検定試験」なんてのも出たりしているらしいけれど、線引きは極めて難しい…。

ちなみに、おいら氏は「PCマニア」と自称している。が、私と比較すると深さの度合いはずっと浅いものだし、私は自身を特別「PCマニア」だとは思っていなかったりもする…。興味が無いわけでも無く、詳しく無いわけでも無いが、「普通…」って感じだと思ってる。その辺の「温度差」は枚挙に暇が無いくらいに広がるんだろうけれど、この2人に限った事じゃない。

強いて、自身何のマニアかとカミングアウトすれば…

『変なニックネーム付けられるマニア』

だろう。なんせ…

「奇妙さん」
「珍ちゃん」
「おじたん。」
「裏おじさま。」

なんて呼ばれている。電話やネットだけならまだ良いが、至極一般的な生活にかかるシーンでさえもこう呼ばれるワケだから、普通ならたまったもんじゃない呼ばれ方もある。

が、それも慣れれば「涼しい顔…」でいられるワケで、前2つはかなり昔から呼ばれているし、今じゃ別にどーにでも…って感じ。

例えば、客の少ない大き目のスーパーやショッピング・モールなんかで、かなり距離はあっても声は届く場合がある。そこで…

「珍ちゃーーーん! こっちこっちーーー!」

なんて呼ばれたらヒドク恥ずかしい。恥ずかしいのだが、周囲にいる人の反応を見て楽しむ余裕が出来ると、これは立派に「マニア」だと思う。

「えっ? 何?」
「ち、ちんちゃん?」
「まぁやだ!」

と、驚いた顔で周囲を見回し、呼ばれたであろう「私」を探したり、関わってはイケナイものだと伏目がちにそそくさとその場から離れたり、そうであっても目でその人をさがしてたりする人もいるワケで、反応は様々だが、当事者でありながらも見ていて楽しかったりする。

まぁ、あからさまに放送禁止用語の類で呼ばれれば私だって怒るし、発音だけではヒドク誤解を受ける呼ばれ方やそれに類似したモノで呼ばれたりする事があったりもするが、ヒドクない限りはそれもまたニックネームじゃ「アリ」だと思うし。

ここ最近では「おじさま。」と「裏おじさま。」と呼ばれるのが一部で流行している。自分の歳の半分位の年齢の若い女性がそう呼ぶのだから、悪い気はしないが、どちらかと言えば「裏おじさま。」が特に気に入っている。

このブログとは別に「裏おじたん。的ぶろぐ生活。」を始めて、そこにコメントをくれた方がそう呼んだのが始まりだが、それを読んだ仲間内で呼ぶ方も呼ばれる方も「大ウケ」。何となくブラックでダーティーな感じだし、アンダーグラウンドな所が面白い。また…

「裏おじさまーーーっ! メンマ見つかったよぉぉ…!」

なんて大声で呼ばれる人もまずいないだろうしね。単に「裏おじ。」って略されがちな傾向の強いものでもあるが、彼女らはそうしない。そうする事で、面白さが半減してしまう事を知っているんである。まぁ、こっちも「帰国子女A改」だの「コンパニ子」だの「エロい人」(初登場!)だのと呼んでいるのだから、お互い様だけれど…。

振り向けばそこにマニア…ってくらいな世の中が出来ている。そこで様々な事が起きるのは必然でもあるのだけれど、得てしてコアな方向に進むと悪性のモノが現れる事が多い。人間の心まで壊れてしまう「圧壊深度」まで深く潜らないために、世の中をどうしたらいいのか? 答えは見つかっていないが、見つける努力を惜しまない世の中であって欲しいし、その中で楽しみたいと思っている。

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癌という病気とどう向かい合う? その9。

2005-08-12 05:36:14 | 我思う、故に書くなりよ。
逆転ホームランは難しいみたいだなぁ。

スタートが末期の肺ガンだから、難しい状況にある事は理解しているんだけれど、現状維持すらも難しく、相変わらずガンの侵攻は衰えを知らない…って感じだそうだ。

クスリの効果がどれだけあるのか、定かじゃないけれど、現状を維持出来ていないのは間違いない。じゃあ、効き目無いんだから止めちゃえば…となると、ガンの侵攻はそのスピードに加速が付いたりもするので、止めるワケにも行かない。

最近の父は通いで治療を受けているので、私が特に付き添ったりはしていない。
んで、これらの「近況」的な様子は主として付き添う母から得られる情報なんだけれど、要領よく話す事が無理みたいな典型的な話し方する人だもんだから、聞いてる方も「要領を得ない」。

つい先日聞いた話では、とても「憤慨」しており、全く要領を得ない。
何に憤慨してんのかさえ、掴みづらい…話だったが、要約すると…

「医者が言う事がとても患者を勇気付けるモノでは無い」

と、言うことらしい。現状でどういう状態か、担当医から説明を父と一緒に受けたそうだが、母の受けた印象では…

「病気と闘うのに頑張っている人を奈落の底に突き落とす様な事を言われた…」

のだそうだ。元々が要領を得ない話だから、どうなんだか定かじゃないが…

「今頃はとっくに『新盆』だろう…」
「治療はやめてもらっても結構…」

なんて事を言われたらしい。こうした言葉に、母が憤慨している…と言うトコロは掴めたが、これが初めてでは無いらしく、「そういう先生なんだ…」とも言っており、最後の決まり文句は「では頑張りましょう…」でいつも終わるんだとも言っていた。

理路整然に話が聞ければ、

「そりゃひでえ!」「なんだその医者は!」「う、訴えてやる!」

なんて事もあるかもしれないが、理路整然に聞けないので、本当がどーなんだかサッパリなんである。ただ、そう言われた悔しさはとても大きかったらしく、良い方向に

「少しでも長く生きて見返してやろう!」

って事になっている。

ま、医者もいろいろいるんで、優秀な医者だとしてもこうした「突き放した」言い方をする人もいれば、さほど優秀でなくても「優しい」言い方をする人もいる。どちらがどうって事は難しい。

患者の家族として、贔屓目に見れば「ひでぇ医者だ!!」とも言えるかもしれないが、現実をリアルに伝えるとなれば、多少はシビアにならざるを得ない。その点でどう患者と接するのか、どう医者と接するのか、どっちも「難しい」。

ま、「死」と言う結果が非常に近い病気の、非常に近い状況だから、難しいながらも「思いやり」が欠けるとこうしたトラブルも出て来るんだろうし、起き易くもなる。
希望を持たせるためにはいろいろと言う事は簡単だけれど、それが結果的に「ウソ」であっては医者としてやはりマズイ。死期迫る患者の方としては「もうダメ…」とか「長くもたない…」とか「手立てが無い…」とかは聞きたくは無い。

その狭間ではこうした感情の行き違いは起き易いし、医者と患者と言うよりは「人間と人間」の問題なんじゃないだろうか。

「全ては患者のために…」

と、スローガンだか標語だか目標だかを掲げた病院の中で働いた事がある。まず先にこれが無ければ良好な医療を提供する事も出来ないし、これは医者だろうが看護士だろうがコメディカルだろうが一緒だと、教え込まれた。患者さんと直接触れ合う事の無い業務に携わる人も病院の中にはいるんだけれど、もちろんその人も含めての話が前提となっていて、そこに従事する者は決して忘れちゃいけない言葉として、日々従事するんである。

それでも、こうしたトラブルってのは起きる。皆無にするべく努力はしても、起きるんである。得てしてそうしたトラブルが起き易い現場に近かった所で働いていたからって事もあるが、医者の要請で患者さんの病変部の写真を撮ったりする時に、医者が患者さんにちゃんと説明しておかないと、そりゃトラブルになる。

トラブルだけ避けるための努力ってのもある。意外に簡単だが、得てして機械的、事務的にコトを進めれば、あたらずさわらず…って感じでトラブルも少ないが、それが「医療」かと言えば違うだろう。だからこそ「全ては…」が生まれたんじゃないかと思っている。

どこもかしこもの病院がそうだったら、こうしたコトも書かなくて済むが「医は算術…」と昔から言うように、算術と関係ない面まで算術の影響があったりで、算術=お金…ってもんでもないからやっかいだ。

まぁ、父に関して言えば、あまりヒドイ事言われるようなら、私が直接対峙しなきゃならんかな…とは思ってる。

「院長を出せコノヤロー!」

って騒ぐのは素人。医事課の偉そうなのか、総務の偉そうなのを最初に相手にしないと出て来る者も出て来ない。県立の医療組織だから話の持って行き所はいろいろとあるだろうしね。

「じゃあ来るんじゃねぇ! この死にぞこないめがっ!」

って病院だったらそれはそれで面白いが、そんな病院も珍しいし、大方の従事者は患者さんのために…働いているのがほとんど。そう言う人にまで迷惑かけちゃいけないし、迷惑をかけられるようなコトもしちゃいけないんである。

癌と闘うには、他にもいろいろと闘う必要が出て来るんだよねぇ。
出て来なくていいものなんだけど、やれやれ…である。

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