おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

黄金色の…。

2012-03-29 23:56:41 | 我思う、故に書くなりよ。
たまには富士山でも撮ってみようかと…。

昼間の富士山は霞んでいながらも真っ白だったし、空は青くて雲も少なかったので、白いかな…と。

そしたら、なんだか黄金色になってたので、拍子抜けした感じ…。まぁ、これはこれで日没あたりまではキレイだろうからと撮りましたが…。

春の霞なのか、黄砂なのか知らないけれど、こんな感じの日本画を観た覚えもあるようなないような…。

あれって、想像とか創造の産物じゃなく、実際に見えた風景だったんだなぁ…と。

明日は昼間に白いの撮りたいなぁ…。

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N-04C 調教日記。その22。1年経った…。

2012-03-21 05:27:23 | 我思う、故に書くなりよ。
製造後、1年と言う節目を…。

我が手元にやって来たのは昨年の9月なので、半年経ったのですけれど、保証期間はお終い…って事。オーナーはおじたん。で3人目らしい。

まぁ、ハシにも棒にも…って不具合だらけの端末だったので、流れ流れてやって来たのが正直な理由ではなかろうかな…。手元にやって来てからは不思議とビッグなトラブルも少なかったし、OSアップデートでより快調な感じにも変わったのも事実。現在もそこそこスマホとして愛用している。

ただ、正直なところ、自分で購入するとしたら選んだだろうか? と、考えると、選ばなかった端末だろうと思う。

薄くて…ってのは確かに惹かれるポイントではあるものの、意外に持ちづらい。何かと落としそうになるので、ストラップは必須だったりする。まぁ、落としてもそうそう壊れないほどに頑丈みたいだけれど、写真撮影の時などは常にストラップを意識しないと危なかったりする。

コイツのカメラがこれまた意外に上出来で、結構素直に撮れるものだから、大変重宝している。これもアプリ次第なところは多分にあるのだが、標準搭載のカメラアプリで何ら不満の無い絵を残してくれている。昨年は十年ぶりくらいにデジカメも新調したりしたが、活躍の場はスマホの方が多かったりする。SNSへの投稿が楽だし、やおら高画質である必要も無いし…。それでも、なかなかキレイな写真だったりする。

保証期間が終わる前に、DSへ持ち込んで難癖つけてみようかとも目論んでいたのだが、不具合そのものが再現性に乏しいし、データを消して初期状態にするのも面倒だし…って事で、スルーしてしまった。多種多様な不具合のオンパレードな話が尽きない端末だったので、見てもらうのも手って事だったんだけれどね。

しばりとかも無いので、格安で多機種に乗り換えるチャンスを伺っているが、どれもこれも不具合が無いモデルも見当たらない感じに総じて未完成的な感じがするので、その辺は未だにスマホらしい…って事みたいだ。

まぁ、コレの不具合を一通り知っていれば、他のは不具合とも思わない感じらしいので…。

予てから懸案だった電池の消費については、未だに謎の部分が多く、アプリのアップデートくらいで大きく変わったりもする。その度にあれやこれやと調整を試みるんだが、大きく改善する気配は薄い。まぁ、当初は何もしなくても半日で空になっちゃった事を思えば、1日は十分に保っているので良い方なのではと思う。

そう考えると、個体としては中くらいにアタリ…って事なのかな? マジでアタリを引くと、スリープにしていてもほとんど減らない個体もあるみたいだ。

当面は、コイツを使っていくつもりだが、何かの拍子で別の端末を手に入れたら、rootを取ってみたい。取り方も確立されたみたいだし、その為に必要なものはそろえてはいるが、文鎮化も視野にいれておかないと困った事になるので、やはり別端末を入手してからじゃないとね…。

…暇なんだから、アプリでも作れば? って声もあるが…まぁ、ゆるゆると。いろいろと勉強せねばならんし。

ガラケーから突然としてスマホにデビューしちゃって半年だが、やはり高機能は便利だし、ガラケーには戻れないのも実感している。ところが、何かとスマホらしいことをさせるとトラブルになったりもするので、最低限の通話と言う機能を確保するために、ガラケーも一緒に帯同させている。スマホがトラブった場合、通話すら満足に行えないことは体験しているし、電池抜いてなんとかなるならまだしも、それでも簡単に回復できなかった場合も経験しているので、そうなった時に困るのはもちろん、非常にくやしいのだ。

そうした事もあって、1度は白い犬のお父さんが宣伝しているリンゴのスマホに乗り換えようかと本気で考えてたりもしたが…今でも目論んでいるけれども…諸事情がそれをおいそれと許さなかったりもするのでね。

アプリも…取捨択一があまり進んでいない。決定打…ってアプリがそれほど無いのも理由だが、同じ機能のアプリでも、それぞれ個性があったりして、選ばないのは忍びなかったりもする…。なるべくは無駄に入れない様にはしているが、まだまだな感じ。この辺を進めて、シンプルながらも強まって欲しいのだけれど、なにかとまだまだなのがアンドロイドなんだろう。

てなワケで、調教終了な感じにはあったものの、地味に続いちゃっていたりするんだな、これが…。



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17年経った…。

2012-03-20 17:25:14 | 我思う、故に書くなりよ。
地下鉄サリン事件から17年…。

あの日の事は、覚えている。

地下鉄のホームへ向かおうと階段を下りている最中に、下から怒鳴られたんだっけ。時間的には、もうこの時点で死者が出ていたみたいだが…。ただ、詳しい理由は言われなかった。明確に覚えているのは「地上へ出ろ!」だけ。

最初は酔っ払いか、ケンカでもしてるのかと思ったのだが、その怒鳴り主が駅員だと判ったのでそれに従ったが、会社へ向かうことが使命のひとつでもある人々に向かって、それだけ叫んでも理解はしてもらえないだろう。

案の定、すれ違いに降りていった4人ばかりは、私の知る限りで戻って出て来た事は確かめていない。

電車に乗れないと、会社へ行けないので困ってしまったが、通りを挟んだ向かいの地下鉄の出入り口では大変な事になっていた。よろよろと出て来た人が倒れ、それを介抱する人、担架で運ばれてそのままの人…。

飛び込み事故程度に考えていたが、そうとも違う様子なのは見て判った。道路挟んだ向こうは、こっちより全然地獄だったのだな。そうであっても、あの時間の誰しもの頭の中は「会社(学校)へ向かう」「電車に乗る」って事しかないんだよね。下へ向かえば毒ガスで死ぬ…って言われればまた違うのだろうけれども…。

潔く諦めて、タクシーで会社へ向かったが、タクシーの中のラジオで「全線不通」と言うことを知った。東京の地下鉄のほとんどが止まるなんて、聞いたことが無かった。運転手さんも驚いてた。地下鉄の別の駅へ送り届けたお客さんの事を気にしていた…。

ケータイはあったのだが、今ほど情報伝達が進んでもいなかったので、事の次第ってのはニュース以外に知る方法も無い。会社の後輩から「病院にいます」ってメールがあり、ヒットしちまった事と、築地の聖路加に運ばれた事を知った。

まぁ、幸いにして軽症の軽症程度で済み、後遺症も無く済んだが、身近に被害者がいたりもしたのだな。

この日、課長と2人で昼飯は築地の場外市場へ行こう…って事にしていたのだが、地上のそこはそういう雰囲気に無く、もう絶対に近づくとヤバイ感じに包まれていたのを遠めで確認して撤収したのを記憶している。総合防災訓練とかの大きな訓練でしか見掛けない様な救急車が実際に据え付けられているし、パトカーだの救急車だの…。

そう。単に事故とかじゃなく「テロ事件」なのだ。キチガイでマッドなオウム真理教が起こしやがったテロ事件。

あれだけの事を起こしておきながらも、この国はやつらの存在を許してしまった。多くの人が死んで、未だに苦しみから逃れられずにいる人も多いのに、この国はやつらの存在を許してしまったのである…。さすがに、それと思わしき連中は逮捕されて裁かれてもいるが、根絶やしにする事をせずに、後々に受け継がれる道を許してしまったのである…。

そうした残党が、さしたる補償もせずに、私財を増やし続けている事が報じられてもいる…。被害を受けた人々は、様々な思いであることも違いないが…健康を大きく損なう結果に至ってしまった人もいる。そうした人への補償をないがしろにしているのならば、やつらを生かしてしまった事は、大きな間違いだったに違いない。

無差別テロ犯にやさしい国…。破防法さえ適用していれば…やつらを徹底的に葬り去る事だって出来たのに…。

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1年経った…。

2012-03-16 04:32:04 | 我思う、故に書くなりよ。
大震災から1年経った。

…とりあえず、市中に広がっていた瓦礫は片付けられたみたいだが…基本的に大きく困っている事にも変わりがないのだと、連日報道されている。地震も原発も…。

全く、過去の経験や教訓と言うものが活かされなかったのではないかと思っていたのだが、昨日の深夜から流れたTBSの番組で驚きを見た。

『報道の日』と言う番組の再放送だが…年末にも見た覚えが…あの震災を時系列に追うドキュメントなのだけれど、抗うことの出来ない想像を超えた災害の中で撮られた映像が主役だった。

まぁ、そうしたのは飽きるほどに流れても来たし、1年と言う節目にあたり、露出する量も増えていたのだけれど、災害そのものの脅威ではなく、それらに人々がどう対処してきたのかを見せる映像はそれほど多くも無かったかに思う。

そうした中、石巻赤十字病院が、あの大災害のマジで只中にありながらどうしたのかを記録した映像に驚いた。

大きな揺れの続く中、病院の体制をがらりと変え、震災対応に移っていく様を記録していた。それが、混乱の中であっても、あたかもいつもの事の様に…って感じなのだ。

「防災計画たてました…」「防災訓練しました…」

そんなレベルでは到底出来ない見事な備えと対応がそこに見て取れる…。ホントに日本の病院なのか? にわかに信じられないほどに、ドクターも看護士も事務方も、災害に対処出来る形に病院を変えて行くのである。

ま、幾度も大きな津波の被害を受けている場所だし、近くで大きな地震が起きる事は昔から言われていたし、実際に大きな地震も幾度かあった場所なのだから、当たり前と言えばそれまでだが、想定外の災害の中であれが出来るかと言えばおそらくは出来ないであろう事なのだ。

おじたん。の経験で言えば、大規模な病院ほど、防災訓練は規模の大きなモノになり、それ相応にマジメに取り組んだりはする。そもそもが多くの人命を預かっている場所でもあるので、おざなりでやるワケには行かなくなってくる。

ところが、その中にいても、どこか「机上の空論」的な感想がいつも漂うのである…。

「ホントにこんなので大丈夫かよ…」

そりゃまぁ、リアルに災害を起こして…なんて訓練は出来ないし、訓練の最中でも急患はじゃんじゃん運ばれても来るのだから、形骸化しなきゃならぬところも多々あるのだけれど、それを終えて思うのは、絶対に混乱に終始して収拾なんか付かなくなる…って事だった。単純な火災だけでもそうした感じが拭えなかったわけだから、加えて地震だ、津波だ、なんだ…って事になると推して知るべし…。

想定外のことを考えたら…病院なんかやってられないくらいの大惨事が結果として待っているワケ。

そこそこの幸運がそこにあったのかもしれない。大きく揺れはしたものの、病院としての機能を大きく損なう事が無かったとか、津波の直撃は受けなかったとか、そうした事は確かにあったみたいだし、何もかもが万全だったワケでは無かったのだけれど、あの想定外の災害と戦える形に備えていて、実際にそれをやっていた事は大きく賞賛されていいのではないだろうか。

真似してもそうそう真似できないに違いないが、あの病院からはとてつもない大きなものを学べる事には違いが無い。

他のインフラが、ある程度備えてはいたものの、ほぼ壊滅している事を考えたら驚きなのである…。

想定出来たにもかかわらず、ろくな備えも無しに壊滅したのは原発。

かれこれ40年も動かしておいて、何の考えも無かったのかよ…ってのが驚きだった。揺れと津波で被災した現地はともかくとして、バックアップする体制などほとんど無いか、意味が無かったんである。

案の定、消防車すら全国から掻き集める始末…。水が切れればメルトダウンする事など、想定内の話だったのに、何も用意が無かったのである。原発としては、それが最悪の事態だという事が判っていながら。

専門家集めても対処は進まず、現状を知りたくても誰も判らない…なんて緊急事態じゃ、誰が首相をやっていても必ずブチ切れて乗り込んで行かざるを得ない話だったんである…。

福島第一がああなったので、他の原発ではそうした事に備える様にはなったが、今までは何もしていなかったに等しい。それらを加味して、点検後の再稼動をどうするのか検討中だったりするが、普通なら、再稼動してもおかしくないし、悪くも無い。もとより、電気は足らなくなる恐れがある。

だけれども、大方の国民はそれに「ダメ! 絶対!」の答えを出している。

どんな連中が原発を進めて、動かしてきたのか? あからさまになったからだ。あの連中の姿勢、考え方、発言を見て聞いて、信頼度と言うものが限りなく無限にマイナス方向へ向かって戻って来ないんである。東電が、事故は事故として国民にもっと真摯に応えていたら、状況は全然違っていたと思う。

技術的には動かして運用を続けても大丈夫な原発も数基はあるんだと思うが、それらを扱う連中が全く信じるに値しない連中だという事が露見してしまった上に、その姿勢に大きな変化も無いもんだからねぇ…。

そもそもの原発の出発点から始まる胡散臭さがこれほど露呈してしまっては、東電だけでなく、他の電力会社、政府、関係機関、どれもが全く信じるに値しない事に大きく変わったんである。

現実には、近々にも、どじょうが頭下げて幾つかの原発を動かさなきゃならなくなる…って事にはなりそうだが、このツケは限りなく大きくなる。撒き散らした放射性物質の片付けもままならず、被害の補償すら満足に進んでいないし、これだけの大惨事を起こした連中にキッチリと責任を取らせる動きも緩慢な限り…。

「電気が無いなら仕方ないか…」

そうした、なし崩しの妥協で済ませられるほど、国民はバカじゃないんである。現在進行形である事は加味しても、責任を取るべき連中のあぶり出しと、自然死を迎える前にキッチリと責任を取らせない限り「ダメ! 絶対!」は続く。

「値上げは権利だ」と、東電のバカが言い放ったが、撒き散らしたセシウムをキッチリ片付けるのはコイツらの義務だと言う事を忘れてはならない。キレイサッパリと片付けて、被害を受けた多くの人に補償を済ませた後に言うべき事だ。

…つまるところ、そうした連中がうだうだやってるだけで1年過ぎちゃったワケで、絆だ復興だ…なんて話は別として根本的な事はあまり大きく進んでいないんである…。この状況、ある意味「日本終了」のきっかけになっていると思われる。

まぁ、未来をある程度は変えられる事は出来るし、それ以外に方法も無い。ちんたらやっていてもそれはそれで構わないが、天災は待ったなしの場合がほとんどなので、新たな備えを可及的速やかに築いていかなければならないのだが、その中に「あーした連中」が混在するだけでそれはもう絶望を意味していると言って間違いないんである。なにか、システムとしての日本をごっそりと変えないと、同じことの繰り返しになっている事は、存分に判ったのでなかろうか。

本気で、そうした事になるには、あと数百万人死なないと判らない国だったかな? 数千万人死なないと、そうした動きに向かわないのかな? それとも…滅ばない限り、判らない国なんだろうか?

石巻の赤十字病院がやってのけた事から、可能な限り多くの事を学ぶことで、いろいろな災害に強い日本に変われる気がするのである。

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