・・・朝九時ごろから散歩に出ようと思っていたら、とても出れそうもありません。
朝から、湿度も高くて、最高温度も高く、涼しい室内から窓外を見ると、太陽の光に眼がくらみます。
夜暗くなってから出ることにしました。
九時ごろ、散歩に出かけました。
さすがに、ほとんどの店は、室内の電灯の光は見えても、店は閉まっているようでした。
上の店は、コンビニとハンバーガー店で客は多かったです。
散歩には、涼しくて、とても気持ちが良かったです。
・・・朝九時ごろから散歩に出ようと思っていたら、とても出れそうもありません。
朝から、湿度も高くて、最高温度も高く、涼しい室内から窓外を見ると、太陽の光に眼がくらみます。
夜暗くなってから出ることにしました。
九時ごろ、散歩に出かけました。
さすがに、ほとんどの店は、室内の電灯の光は見えても、店は閉まっているようでした。
上の店は、コンビニとハンバーガー店で客は多かったです。
散歩には、涼しくて、とても気持ちが良かったです。
・・・私は、毎日朝にコーヒーを入れます。
焙煎してあるコーヒー豆が無くなったので、今日は、暑いのを我慢して、焙煎作業をしました。
ここ10年以上、続けている作業です。
市販のガスボンベコンロを使って、自作の焙煎器で一回200グラム焙煎します。
今日は、マンデリン、タンザニア、ガテマラ、ブラジル、コロンビアの5種類を焙煎しました。
私の焙煎度合いは、二回目のはじく音を聞くか聞かない程度で焙煎を終わります。
今まで、色々と試行錯誤して飲んでいるうちに、落ち着いた、現在の焙煎の煎り具合です。
・・・新聞記事欄に「子どもアドボカシー」という単語が書かれていた、ご丁寧にその文章の次の段落で、アドボカシーは代弁や権利擁護を意味すると書いてある。
こんな専門語をカタカナで書く必要があるのかと疑った。
まず、カタカナに書いた時点で、元の言語で表す発音とは違っているので、外国人には理解できない、新しい日本語の単語になっていると思う。
因みにアドボカシーはAdvocacyと書いて最初のAにアクセントがある。
ほとんどの人が使わない単語にカタカナ単語を新しく作る意味が私には、分からない。せめてこんな単語を書くなら、元語とカタカナの併記にしてほしい。
過って、明治維新の時、日本人は外国の日本にない、モノ、技術、言葉などに対して、新しい日本語を創作し当字した。
これによって、日本語による専門教育がすすみ、日本の近代化は進んだという。
こうした歴史を踏まえ、新しい日本語を作る事の重要性は理解できるが、前記の「子どもアドボカシー」のような変な単語を作る意味が分からない。
本当に必要で、言葉を新しく、作るのなら、漢字表記などで大体の意味が想像できるような言葉を作ってほしい。
日本がだめになった、最近、ここ数十年においては、何故か、外国語そのままカタカナ日本語導入で、国民全体に、その言葉を共有するようなことを、してきたように思う。
新しい概念の言葉を入れるなら、端的にその意味をくみ取れる日本語表記か、それが難しいなら、カタカナと英語の併記が望ましいように思う。
それほど、使わない単語のカタカナ日本語表記は日本文化を、遅らせるような気がする。
・・・久しぶりに、パン作りを始めた。
摘花しているリンゴがまだ残っていたので、それを2個使って、リンゴのロールパンを作りました。
リンゴを短冊にスライスして、30パーセントの砂糖を加えて、干しブドウも入れて、柔らかくなるまで、煮詰めました。
リンゴの煮詰めたものを板状に伸ばしたパン生地に載せて、巻き込み、そして焼き上げました。
結果は失敗でした。
なぜ失敗したか・・・・、理由は、簡単なことで、イーストを入れ忘れたのでした。
パン焼き器を使って、パン生地を作ったので、最後の焼きあがるまで、気が付きませんでした。
・・・私が住んでいる自宅近辺では、冬瓜が広く作られているようです。
夏のこの時期が収穫時期らしく、散歩途中で写真のような収穫風景を目にする。
夏場に収穫するのに、なぜ冬瓜というのか不思議になって調べてみました。
由来は、夏季が旬の野菜であるが、そのまま保存すれば、冬まで日持ちすることから「冬瓜」の名がついたそうです。
・・・何時もの散歩道でも、日によって、一本道を変えると、きれいな花と出会えることがある。
今は収穫の終わった農地の縁に立つ木の根元にピンクの花を見つけた。
葉が見当たらない、よく見かける「百合」の花ではないようだ。
私にはユリと同じに見える。
家に帰って調べると、「夏水仙」と云うらしい。
下に、解説の文章を載せる。
ヒガンバナ科に属するナツズイセンは、野山や道端に良く咲いている花で、本州全域に自生しています。
リコリス・スプレンゲリとリコリス・ストラミネアの交雑種だとされています。
・・・十日ほど前から、栗のイガの一部が茶色に変色していたのを見ていた。
今日、栗の木の下草を刈っていて気づいたが、イガがはじけて、下にたくさん実が落ちていた。
集めると、笊に二杯分くらい拾えた。栗の木は二本です。
実の大きさは、例年並みですが、少し、甘さが足りないような気がした。
ここ数日、雨が多かったので、晴れの日が続いてから、収穫すると、甘いかもしれません。
・・・もともと、私は、外に出かけるのは好きではないほうだったが、それでも、今までは色々と用事を作って外出をしていた。
しかし、コロナが世間に出てきてから、殆ど散歩と食料品を買う以外は外へ出なくなった。
もちろん、旅行や、親戚との交流もなくなって、以来、二年、もう残り少ない人生の間口が閉ざされて先が見えなくなった気がする。
今のままだと、コロナについては、どんどん拡大するだけで、何時になったら、というのが見えなくなってきている。
昨日の横浜の選挙結果を見ていたら、医療関係の大学の先生が、市長になったらしい。
それを見ていて、国の指導者の中にも、今は、医療関係の識者が政治家になるべきかと感じた。
国会議員で、医師資格を持つ人は、ある程度数いるようですが、あまりぱっとした人はいないようだ、
特に目立つ人としては、共産党の小池晃氏、立憲民主党の阿部知子氏くらいかと思う。
この人たちが医療従事者としての、発言はしていないようだ。
今度の衆議院選挙に、国を救う意欲のある若い医療関連者が名乗りを上げて、政治に参加してほしいものだ。
今の社会をもっと論理性にもとずいて、運営する、科学者の政治家が現れて、政策を実施してくれることを希望したい。
・・・会社を退社して、年金生活を始めると、毎日が日曜日とよく言われます。
しかし、私の場合は平日は早起きし、週末はゆっくりと起床しています。
退社して、最初の一年は朝、出勤していた時間までは落ち着かないし、暗くなる前にお風呂に入ることは落ち着かなかった。
いまは、平日の毎日は、普通に過ごせますが、週末をなぜか意識するようになりました。
会社に行っている頃は、週末、特に土曜日は本当にリラックスできたものです。
今は、毎日が勤めていたころの週末の生活と、変わらない、同じパターンのリラックス生活なので、結果として、
今でも、平日と違って、週末は、よりリラックスし、気持ちが落ち着くようです。
・・・最近の日課の一つに、ユーチューブでの野球観戦があります。
数年前は、イチロー選手の活躍をユーチューブで見ていました。
そのころは、大リーグのホームランバッターに、日本人がなるなどは考えもしませんでした。
イチロー選手は努力の天才で、納得のいく選手でした。
ところが、今の大谷選手は日本人の体格から考えて、想像を超えています。
193cmというと最近の若い人にはいる背の高さですが、胸幅、腕の太さなどからは、大リーグ選手を圧倒する均整のとれた体格で、今までの私の想像外です。
きっと彼には、アメリカにわたってからの私たちには分からない努力をしていたことと思われます。
何はともあれ、今年は彼がいて、毎日、彼が出る試合の野球観戦の楽しみが出きました。
そして、彼は、休まないで、毎日、活躍して、楽しましてくれます。
・・・散歩は、主に住宅街近辺を散歩するので、何時もは、団地の中の公園で、季節の花を見かけることが多い。
今は、花の種類が少ない季節です。
同じような種類の花が多いです。
もうすぐ夏が終わって、秋が来ると、いろいろな花が咲き始めることでしょう。
・・・庭のレモンの木に卵くらいの大きさの実がなって来ました。
レモンは緑色でも食べれて、収穫できるので、もう少しです。
普通の収穫期は10月に入ってからですが・・・。
レモンの花は一年に何回も咲いて、そのたびに実をつけるのですが、年中、実をつけさすと、木が弱るので、春の実を収穫する。
・・・庭のブドウは、殺虫剤をほとんどまかなかったので、かなりの割合で、葉が落ちてしまいました。
したがって、それに応じて、当初、かなりの数の実が付いていましたが、袋掛けの効果もなく70%くらいはダメになってしまいました。
写真は食べれそうな実です。
もう少し置いておくと、甘くなります。
朝起きて、庭に出てぶら下がっている実を、一つ、つまんで食べると、とてもジューシで美味しいです。
・・・スマホをベッド上などに、縦において、手で支えて見ていることが多い。
そこで、木工屑を使って、短時間でスマホスタンドを作った。
縦に置くと重心がかなり後ろに行くので、一番下に、下板をつけた。
三角形の木っ端があったので、思い付いた。
薄い鋸刃で切り込みを入れて、1ミリのアルミアングルを、前記の切り込みに打ち込むだけのスマホスタンドです。
・・・我が家の夏は蝉の声で話もできないほどである。毎年、同じような、大量のセミが朝鳴いている。
今日は我が家のタイル張りの上に置いてある椅子の腕置きにセミの抜け殻を見つけた。
土の中から、ここにたどり着くには、距離が有りたいへんだと思う、が蝉は頑張った。
そう思って、庭を見るとアッチコツチにセミの抜け殻を見つける。
来年、また同じように、しかし、違う蝉がやってくることでしょう。