日本古代史好きの私としては行きたくなって、急遽、この前方後円墳に寄ってきました。
大塚山古墳は会津の地を支配していた豪族の古墳で副葬品からも大和朝廷と関係があったものとされています。

小高い丘全体が市民の墓地になっています。

大塚山古墳は築造年代は四世紀後半の古墳時代前期の前方後円墳で全長114mの大きさでこの時期の古墳としてはかなり大きな古墳です。
先日ここのブログで紹介させていただきました仙台平原にある雷神山古墳は東北一の前方後円墳で全長168メーターありました。
雷神山古墳は古墳時代前期(西暦400年頃)の古墳で、全国で同時期で一番大きな古墳は奈良盆地にある景行天皇陵とされている全長310メータ古墳です。
そのほかにこの時代で大きな古墳というと関東の浅間山古墳が173mぐらいで、その次くらいに雷神山古墳が大きいです。
その他の地方ではもっと小さな古墳しかなく、前期の古墳時代の段階では、大きな古墳を作っていたのは主に奈良盆地の大和朝廷の勢力範囲の近畿地方がほとんどです。
なぜ東北に大規模な前方後円墳がと思うわけですが、これについては今まで検討された資料はとても少ないです。
雷神山古墳は港に近い場所にありますので比較的都に行きやすいのですが、山の中にある会津の大塚山古墳は都から遠く、且つ、山の中にあるので何故ここに114mの大規模前方後円墳があったのか、この謎についてはとても興味深いいと感じました。