ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

「菅総理は止めた方が」・・・

2021年08月15日 09時11分50秒 | 新聞・ラジオ・テレビ

・・・菅総理は、首相になってから、急にボロが出てきた人だ。
   先日も、原爆の式典で、挨拶原稿のペーパーを一枚読み飛ばした、といろいろな報道で知った。

   たとえ、人が書いた原稿であっても、自分の口から出る言葉として、一度は前もって、読むだろうと思うが、彼はそうではなかったらしい、読み飛ばした原稿のつじつまが合わない言葉のまま、間違えたと思わないで、挨拶を終わったらしい、としか思えない。
   彼の頭の中では、世界に発する日本が被爆国としての考えを述べるという発想はなく、すべて任した部下が書いた演説原稿は間違いのないものであるから、原稿を受け取った時点で、一度も読まないで挨拶の準備は終わったと考えたのでは、と邪推した。
   そして、そんな人に日本を任せられないと私は感じた。
   
   そこで、今日の表題の言葉であるが、昨日の朝日の夕刊に、表記の新聞タイトルが私の目に付いた。

   コロナ対策について、物事の真実を見ないで、側近の方策を自分の方策として行い、上記の挨拶間違い事例と同じ間違いをしている内容について、言いたいことの論旨が、新聞記事と私と同じだったので、以下に、記事の内容を引用させていただき、併せて意見も述べます。

   去る三日に「患者が急増する地域では、入院対象者は重症化の恐れが高い人に限る。」という政府方針が出た。
   これについて現場で患者を診ている医者が、テレビで「菅総理は止めた方が」・・・、という発言をした、そして社会の多くがそう思っていたから、世の中に賛同者が増え、その結果、二日後に政府は「患者が急増する地域では、入院を決めるのは医師の判断による」と修正した。
   そもそも、コロナ患者が入院が必要か否かは政府が一律に線引きするのではなく、医師が決めることは当たり前である。
   

   先の、広島原爆の式典の原稿読み飛ばし事件と基本、それらの問題の底流に流れるのは、国の大事な政策の決定に、政争を考慮したり、側近の意見、言葉だけを聞いて決めるのでなく、政策決定の原点に、自国の国民が、どう苦しみ、どう犠牲を払っているかの実態を、自分が身をもって中に入って把握するという動きが、菅首相や大臣の政治家から、欠けているのではと感じる。

   この新聞記事の最後に、現在のようなコロナの危機は聡明な政治家が居なければ乗り越えられないと感じたと、結ばれていた。

コメント
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