私たち夫婦は10年くらい前には毎年、一回は海外旅行をしていた。
ヨーロッパを主体に、多くの国を訪れました。
コロナが終わったので、また、海外旅行に行こうかと思いますが、金銭的に、約二倍から、三倍の値段に値上がりしているので、ちょっと無理かと思います。
夫婦で行くと、一回の旅行で最低百万円は必要になっています。
昔なら、半分の五十万円でした。
これからの旅行は国内旅行ですね。
私たち夫婦は10年くらい前には毎年、一回は海外旅行をしていた。
ヨーロッパを主体に、多くの国を訪れました。
コロナが終わったので、また、海外旅行に行こうかと思いますが、金銭的に、約二倍から、三倍の値段に値上がりしているので、ちょっと無理かと思います。
夫婦で行くと、一回の旅行で最低百万円は必要になっています。
昔なら、半分の五十万円でした。
これからの旅行は国内旅行ですね。
車で、大阪に行ったときに、車の運転を奥さんに任せて、まっぱら助手席で、車外の風景写真を撮っていました。
私が日常、車で走っている名古屋の場合は道が広々としています。
それに比べて大阪市内はビルの隙間を縫って走っている感じで、道路の車線数も名古屋より少なく、狭い感じが都会と云う気がした。
名古屋の場合は環状線は四車線の道路や側道も完備して、広々として、ビルも高架道路とは離れている場合が多い。
大阪ではの、ビルがまじかに迫ったり、道路同士が混み合っている。
今回はそんな大阪の高速道路の風景の写真を撮影してきた。
上の写真はいずれも、梅田近辺だと思いますか、ビルの通路の下とか、道路の下とか、出来上がったビル街に、後で高速道路を建設して、開通したという感じです。
四国の愛媛県大洲市という町は割と知られていない、位置的に松山から宇和島に行く途中の町ですが、どちらかと云うと隣町の内子町の方が私的には、有名です。
大洲の町で観光をしたときに、町が観光で売り出そうとしているのを感じましたが、大洲城以外には、あまり観光資源というものはなかったようですが、「お花はん横丁」という通りを訪ねました。
特にこれと言った物はないのですが、昔、樫山文江主演の朝ドラで「お花はん」の舞台だったというのを売りにしている明治の雰囲気の街並みでした。
大洲城はコジンマリとまとまった良い城です。
山合いの小さな城下町があり、川が城下を流れている典型的なまとまった日本の城という印象でした。
今回、旅行した愛媛県の観光名所としては一番目立ったのはお城です。
先日は海水のお堀がある、海城で有名な今治城を紹介しました。
愛媛県には今治城以外にも、有名な城として、宇和島城、大洲城などがありますが、スケールの大きさから言うと松山城です。
城に行くと、眼下に城下町が広がります。
城の大きさは城下町の大きさで決まるようです。
愛媛県の城で、城下町の大きいのは、やはり松山城かと思います。
街の何処からでも、松山城天守が見えます。
上の写真は、城に上るロープウェイ乗り場がある観光客が多い繁華街です。
城へは、このロープウェイを使うと便利に登れます。
しまなみ海道に行くときに、最初に頭に浮かんだのは大山祇神社であった。
歴史には古代から、瀬戸内を通る時に必ず出てくる名前である。
御祭神は天照大神の兄神の大山祇大神です。
海上安全の守護神なので、古代から瀬戸内を通って戦いに行ったと言われる武人が必ず参って武具を寄進したので、個々の宝物殿には、国宝級の甲冑、刀の類が多く所蔵されている。
南北朝時代の護良親王の太刀、源頼朝・義経の鎧、木曽義仲の胴丸、弁慶の薙刀など歴史上の有名人に係る武具が多くある。
境内には、神代の時からあるという楠の大木があった。
近畿以外で所蔵物が豊富な神社は此処くらいかと思う。
三泊四日の日程で四国の愛媛県に行ってきました。
主に行ったのは、松山空港から久万高原町、西予市、大洲市、今治市、しまなみ海道です。
主な目的は長らくあっていなかった久万高原の親戚と、西予市に旧友がいて、その人達に会いに行くのが主な目的でした。
しまなみ海道は最後の日に、飛行機に乗るまでの時間、大島の亀老山展望公園、大三島の大山祇神社などを観光してきました。
上の写真は大島の亀老山展望公園から見たしまなみ海道の風景です。
大三島の大山祇神社は古墳時代から信仰を集めた神社で海難ゃ戦いの上として、源義経や頼朝、斉明天皇などがこの神社に収めた国宝の品物をたくさん所蔵する神社です。
したがって、神社の門には、菊の紋が付いています。
その日一日、しまなみ海道の眺めのよい橋の上を、気持ちよく車で旅してきました。
今日は我々夫婦と娘親子の五人で湯の山温泉に来ました。
湯の山温泉は伊勢湾に面した四日市市の山辺にあります。
鈴鹿山脈にある御在所岳にふもとの温泉です。
我々の部屋から四日市の町と伊勢湾を見下ろした風景です。
温泉の露天風呂は正月五日の平日でしたが、ほぼ満室でした。
三時ごろから旅館に入り温泉を満悦してきました。
札幌の近くの野外博物館「北海道干拓の村」に行った時に、アッチコッチに、咲いていた花が表題の「コウリンタンポポとブタナ」でどちらもタンポポに似た花です。
名前は博物館の受付で聞きました。
赤い色の花が「こうりんたんぽぽ」、黄色の花が「ブタナ」です。
広い場所を覆うように咲いていて、きれいな花です。
バックに写っているのが、この博物館の玄関です。
この博物館は北海道の開拓時代の建物を集めてきて、移築したものです。
愛知県の犬山にある、明治村をイメージして作られたと聞きました。
敷地内を定期的に、馬車鉄道が走っていました。
犬山では、電車が走っていたように覚えています。
この野外博物館は、あまり知られていませんが、私は行って良かったと思った場所です。
北海道の風景で、一番目立つのは、普通の家の玄関が飛び出していて、そこが透明板で囲われていることです。
必ず、玄関は必ず庇が付いているのは特徴だと思った。
その他に、二階建ての家は屋根に上る鉄製のタラップ階段が付いている。
最初はどの家も、こんなタラップが付いていて、異様に見えましたが、積雪の時期に屋根に上るための必需品なのですね。
その他に、道路の幅が広くて、雪をよけるスペースをとっている。従って、夏は一車線の幅が広く、さらに、東海地方では、自転車用にとってある0.5メートルくらいの道脇のスペースが、軽自動車用が走れるくらいの幅で採ってある。
多分、冬には、積もった雪を道のわきによけると、夏は広い道幅も、車一台がぎりぎり走れる位の道路幅になると思う。
昨日まで、北海道の札幌、富良野・美瑛、旭川に旅行してきました。
こちらを25日に出たのですが、蒸し暑くて暑い日でしたので、飛行機の旅の間、2時間ほどを挟んでの湿度と温度の差を身をもって感じました。
名古屋は最高温度32度くらいだったと思いますが、とても、蒸して空港まで、汗だくでした。
新千歳空港では、20℃くらいで、とても枷ッとして、半袖では、少し風があると、肌寒く感じました。
もう一つは、着いたのは6時ごろですが、行く前の名古屋の4時ごろの空の明るさと同じような明るさでした。
夜8時ごろの札幌の街中
朝は3時ごろから、空が明るくなりました。
今回の旅の経験から、夏は、住むなら北海道ですね。
過日、京都の竜安寺に行った時に、水戸光圀公が寄進されたという「つくばい」が庭にあり、横に説明立札がありました。
「つくばい」は、苔むして、年代を感じましたが、本物ではなくレプリカだそうです。
「つくばい」の表面は写真では良く見えないので、寺のパンフレットの写真を借用しました。
中央に水が溜まっているところが「口」の文字で、上に五、右に「佳」、下に「疋の上の横棒がない字」、左に「矢」と書いてあり、それぞれの文字に中央の口を足すと、『吾唯足知」と四文字の漢字となり、禅の格言『吾、唯、足ることを知る」を謎解きに図案化された無言の悟道と書いてありました。
ちょっと面白い謎解きクイズに出会って、旅を楽しみました。
昨日、仁和寺の桜を見て来ました。
仁和寺は京都の町中の北西にあり道路標識で、「金閣寺前」という交差点を北に入る道の奥にあります。
前日の前を通った時に、翌日に名古屋に帰る前に、金閣寺と仁和寺傍の竜安寺を訪れるつもりになりました。
金閣寺は、子供の頃、何度か、遠足で来たことがあります。
京都でも有数の名所なのですが、大人になってからは、来たことがありませんでした。
平日とコロナ禍
時々訪れる修学旅行生も、時間が昼めし時だったので、人は少なかったです。
金閣寺の黄金色は最近、修復されたのか、とても光り輝いて奇麗でした。
しかし、残念ながら、池と反対側に回ると、金色に塗った樋が屋根から長く伸びて、きれいな屋根を台無しにしていました。
誰がこんな工事を許可したのか、残念なことです。
仁和寺の桜が、京都で一番遅いと聞いて行ってきました。
入ってすぐに桜の花のの中を歩きながら、時々見える五重塔や青空と山をバックに桜の花が鑑賞できるように植えられています。
此処の五重の塔も重要文化財になっている形の良い塔です。
境内は上のようにつつじの花、シャクナゲの花も見ごろでした。
京都市の左京区一乗寺にある八大神社にお参りしました。
神社の境内から本殿に入る入口に、上の写真の看板がかかっています。
「宮本武蔵の悟りの地」と書いてあります。
意味が分かりにくいのですが、この神社が宮本武蔵と関係がある事は間違いがなさそうです。
本殿の境内の隅に宮本武蔵の銅像がありました。
そもそも、映画で有名な「一乗寺下り松の決闘」という松は境内にはなく、少し離れた場所にあります。
叡山鉄道の一乗寺駅を降りて、東にまっすぐ来ると、この写真の松がある場所にたどり着きます。
そして、そこから、チョット言ったところに八大神社があり、説明によると、武蔵は吉岡道場一門の人と決闘したのが、下がり松があるところで、八大神社はその前に祈願に寄った所だそうです。
この所、所用で、度々、京都を訪ねている。
今回は時間もなかったので、宿泊した場所の近くの下賀茂神社に、散歩がてらで、お参りしてきた。
土曜日で、天気も悪くなかったので、下賀茂神社は、たくさんの人でにぎわっていました。
叡山電鉄の出町柳駅に出てから、糺の森を通って下賀茂神社の境内を歩いてきました。
途中の糺の森の木々は、まだ十分紅葉が楽しめました。
紅葉の落ち葉の中を白い馬車に乗って走るイベントを、やっていて、これは、チョット違和感がありましたが、乗っている人もいました。
白い馬車はドイツの古城で見かけた時は、その風景に、よくあっている気がしましたが、ここでは・・・?。