初の日本全景地図の掲載だ!ヤッタ!(クリックでジャンプ)
第壱章 DARKNESS: 果てしなく続く闇の関東平野
第弐章 CONQUEST: 頂にたち、関東平野を征服す
第参章 THE FORGOTTEN: 事件発生
第四章 THE DEJECTED: 現代社会の名無しのゴンタ
第五章 MESSIAH: 救世主
第六章 LESSON: 人間モルモットとしての価値
第七章 A THANK-YOU-NOTE
第壱章
Darkness: 果てしなく続く闇の関東平野
↓走っても走っても坂東の国
夏も盛りの三連休前夜。金曜日。
いつかはやってやると、構想一年。太平洋から日本海まで、渋峠越えで、ほんとに一日で行けるか、試してみた。会社から帰り、支度を整え、10時に就寝。
寝れない…
興奮してお目々パッチリ
しかたがない、寝ずに出発だぁ!
(編集部注:旅の前半の写真がごっそりSDカードからデータ抜けしていました。こんなデータ紛失ってあるんでしょうか?というわけで、写真の記録は、渋峠登頂直前からスタート。それまでは、駄文を弄し風景の解説に代えます)
まずは、お約束、太平洋にタッチから。
ふれ~ゆにて、独り出初式。このとき日付が変わった。
まずは15号線を六郷方面に。環状八号に入ったら、しばらく道なり。深夜なので交通量も少なく、意外と走りやすい。ちとネムイが、何せ今日は300kmの長丁場、省エネ走行で30kmをぎりぎり越えるか越えないかの域で巡航する。関越の入り口のところでキャンプ道具満載のバイカーに「どこにツーリングですか?」と声をかけると、北海道とのこと。いいなぁ。チャリダーの俺も二週間後だ!
和光を左折して、254(川越街道)を北上。だんだん景色が田舎になってくる。
川越の手前で、ファミレスで大休憩。ここまで3,4時間。これからは長い。しっかり補給を取らなくては、ということで、ドリングバーを全部空にする勢いで飲みまくる。
闇夜に浮かび上がる満月が、自分の左サイドをずっと固めてくれていた。満月が目線の高さまで落ちてくると、東の空が明るくなってくる。夜なのに、蒸し暑い。サングラスは曇り、深夜のコンビニのガラスが外気の湿気により一面曇っていたのには萎えた!
東松山から407号線。標識に小川、と出た。私の生誕の地だ。
熊谷にて、夜明けを迎える。日本で一番暑い町も、夜明けだからまだ蒸し涼しい。左におれて、17号(中山道)に乗る。
本庄近辺を走る頃、そろそろ眠気がピークに。何しろ、24時間前日から寝ていないのだ…どこかにいいあんばいの場所は…っと。
ありました!新庄の公園のベンチにて、朝寝。
太陽の光線で目が覚める。30分くらいしか寝ていなかった。脚全部にインドメタシンを塗ってマッサージしてから、再出発。
おぁ!脚がクルクル回る!復活!
高崎から、25(三国街道)号線に入り、渋川を目指して北上する。日はすっかり高くなり、8時を過ぎた。気温を見る。32度。まだまだ暑くなりそうだ。とにかくたくさん水をかぶり、たくさん水を飲む。コンビニ休憩は何度したのだろうか…
渋川から、長野街道(通称日本ロマンチック街道)にはいる。ここからは勝手知ったる道。少し安心した。そして、渋峠までの登山口、草津まであと40kmと出た。イェッェィィィッス!だが、この時点で走行距離が自分の予測を大いにオーバー。既に200kmを越えんとしている…だんだん脚から元気が吸い取られいく。
まずい、まだ日本海までの行程半分じゃないのか…それなのに、何でこんなパワーがでないんだ…
岩櫃城を越え、我妻佳代(古っ!!)、じゃない吾妻峡に差し掛かろうとした頃、突然
BONK!
という音が立ったかどうかわからんが、確実にハンガーノック警告音が体内で鳴った。タイミングよくドライブインが左手に。時は10時半。
切れていた水分を補給し、日陰にへたりこむ。
気をとりなおして食堂でタンドリーチキンカレーを注文するが、疲れたお腹に入っていく予感がしない。だが、これが私のガソリン。食わねば燃料枯渇にリタイヤです。
がんばって食べていくと、その、滋味というか、栄養分が体内にサーッと吸収されていくのが分かります。やはり、ハンガーノック一歩手前でした。(ゼリーやお菓子では絶対に200km以上は走れないということ)
すこし元気も回復し、吾妻峡の日陰のベンチでまた40分ほど昼寝タイムです。ハイカーが横を歩きますが、気にせず爆睡。12時。さあヒルクライムの始まりです。本当は渋峠は12時に登っておきたかったのだが(←そのためには前日の夜6時に出る必要があるな)
長野街道に入ってから、ここまで400mほど標高を長い距離をかけ登ってきた。
渋峠が2172m、草津の標高が1222m、そして草津への交差点、大津が638m!
そう、実は、渋峠ヒルクライムは、大津から考えると2枚腰になっているんです。
草津から白根山を登って満足してはダメ!ダ~メ!
それは、いきなり前菜もデザートもなく、ステーキだけ食べるようなものです。
しかも、大津から草津まで、この区間が容赦ない。草津から上は、絶景のごほうびがモチベーションを高めてくれ、勾配も比較的ゆるいのですが、大津~草津は、景色もたいしたことない上、勾配が・・・
時々壁があります。
しかも気温32度。不安たっぷりで、酷暑の中25kmのヒルクライムを始める。
第弐章
Conquest: 頂にたち、関東平野を征服す
大津の交差点で気合を入れなおして、草津までの第一次ヒルクライムの開始。草津まで辿り着けば、絶景が背中を押してくれる筈。とにかく草津まで8k、我慢、我慢だ。
登りだしていきなり悟る。
脚が売り切れている…
時速10km以下
暑い…日陰がない…
熱中症の危険を感じながら、上がる体温におののきつつ、山岳用へたれギア34 x 28Tあざみスペシャルを回す。というかマジ暑い。いつ奴が襲ってきても不思議ではない。
日陰で一回休憩をいれて、やっと草津道の駅に到着。
この体調では、これから20kmの渋峠ヒルクライムに耐えられない。たまらず草津の湯畑へ。目的は、足湯。
三連休ということもあり、大混雑であったが、なんとか足湯に漬かれた。20分ほどマッサージして、血液中の乳酸を流してから、再スタート。
カーブを曲がり、登っていくと、前方に待ちかねていた、白根山の緑が
ちらり
ちらり
と見え始めた!
もう200km走りボロボロだが、やはりヒルクライムの神様はいたようだ!
「やはり俺はこの峠がだいすきだぁ~!」
と思わず叫んでしまった。体中に鳥肌が!
殺生が原を過ぎ、Z坂を過ぎ、白根山を前方にすえて、終始「笑顔」で登っていく。
速度は10kmだが…気持ちよすぎる、疲労困憊でも、それでもこの峠のあたえる麻薬のような高揚感は代えがたい。
空に突っ込む
途中の展望台で、自転車を降り、今まであがった来た道を見る。
いや、上がってきた道路ではなく、来し方を、見る。
眼下の道だけではなく、あの山も、あの山の向こうから、ずーっとむこうからこの足でここまでやってきた!山の向こうの、関東平野の端っこの、太平洋からここまで来た!
鳥肌がたってくる。なんなんだこの快感は
達成感?高揚感?充実感?いや、
征服せし者の快感だ!
たとえていうならば、城の天守閣の一番高いところから自らの領土を眺める殿様の快感だろうか…
うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!と気持ちよく叫んでみた。
↓こんな雪場をつかってスキーをしている変態さんがいました。
↓白根山でソフトクリームをぺろりとなめ(編集部注:特大の*)た後、今度は渋峠をめざし稜線をつなぐ。絶景かな絶景かな。
気温もやっと20度くらいになったかな?水の消費量も減りました。
そして…何キロ走った後か知りませんが、夕方四時半、とうとう渋峠に降り立った。
イェス!
何度登っても、天国です。渋峠
だが、時間が押している。直江津まで、あと100km。日没には、間に合いそうにない。とにかく急がなければ…
まあ、この後は2000mの標高を一気に下るだけなんで、気楽といえば気楽だが。
第参章
The forgotten: 事件発生
山頂から、麓の町までは30kmに及ぶダウンヒル区間。
今までさんざん足に乳酸をためていた足を、クルクル回しながら高速ダウンヒル。
だが、その頃山頂の白根山レストハウスでは
『にゃろめさ~ん ニャロメさ~ん おい、このやろう、ニャロメ~』と館内放送で自分が呼ばれていたのを知る由もない…
途中休憩してもよかったが、結局先を急いで下る。これが命取りだった。
360度ループ橋。バイク軍団のお尻にひっついて恐怖の高速ダウンヒル。
麓の湯田中を過ぎても、緩斜面は続く。何もしないでも50km巡航。気分だけフォイクト&カンチェラーラ♫♪
ここまで267kmか…あともう少し、飯山の山を越えればあと40kmで日本海だ!
日はたそがれ、影法師は足長に。あの山霞の向こうから降りてきた。
グランドフィナーレに向け。テンションはうなぎのぼり。体力はスッカラカンだが、なんとかぎりぎり、届きそうだ。
第四章
The dejected: 現代社会の名無しのゴンタ
あと50km
富倉峠を300m上れば、35kmのダウンヒルで、日本海到着。あと3時間。
のはずだった。
このコンビニで気づいた。やっと。
さ~てジュースとおにぎりで、腹ごしらえしてっと。
ガサガサ。
んんっ?
ゴソゴソ
れれれっ?
ない…
にゃ、にゃ、にゃぁい!
さ、さ、さ、財布!
し、し、し、白根山の頂上に忘れてしもた!
この後の状況:
1 しばし路傍の石となる。
2 YOMEに事情を報告する。
3 白根山レストハウスに電話するも、営業時間…終了
4 長野原警察署に電話するも、届出なし
5 飯山警察にて、紛失物届け
さあ、これからが問題だ。
家から280キロ
所持金は…ゼロ
持ち物…自転車と装備。そんだけ。
身分を証明するもの…なし。何にもなし。
携帯電話の電源…ちとヤバい
体力残りゲージ…ほぼゼロ
モチベーション…ぐだぐだ
仮に財布があっても、2000mを再び登れる体力…スッカラカン
どどどどうする。裸一貫荒野の大地だ。
6 飯山のビジネスホテルに行き、正直に事情を話す。
7 当然初めてのケースで双方困惑したが、身分証明は妻がファックスでしてくれ、代金は後日書留で送ることになった。宿泊代+食費+千円の雑費。担当のK林さんあなたは命の恩人です。ありがとう。
8 とりあえず寝床は確保した。しかし財布はみつかるのか?見つからなかった場合、一文無しで横浜にどうやって帰るのだ?不安をかかえたまま、疲労困憊であっという間に寝る。
翌朝…
8時半に起床。すぐに白根山に電話。
「あ~。財布の人。」
この声が、電話先で聞こえたとき、安堵感で内臓のどこかが溶けていった…よかったよかった。
先方に「体力すっからかんで山を登れない」事情を説明し、結局白根山から車で一時間の麓の道の駅までブツを降ろしてもらうことに。
11時に待ち合わせができたので、これから20km後戻りをして、待ち合わせ場所に向かう。昨日悲壮感一杯で越えた川は、千曲川でした。向こうに見えるは、高社山(高井富士)、向こう側が、北志賀高原。
そして、湯田中への登り返しで、皮肉にも300kmに到達する。
第五章
Messiah: 救世主
道の駅にて待つことしばし、ピンクのワイシャツを着たそれらしい人が現れた。
おお(・人・)救世主登場。
お礼をし、昨日の発生状況、向こうの人が心配していた旨、などを聞く。
どうやら疲労困憊でチョコソフトを食べていたテーブルに忘れていたようだ。
先を急ぐとろくなことが起きない。反省。
車で麓まで届けてくれた人は、白根山レストハウスの支配人その人でした。
感謝感謝 (・人・)
私にできることは:
① 来年のツールド草津に出場する
② 渋峠の宣伝部長になる
というわけで、これからも渋峠の宣伝をさせていただきます。
この後は、渋温泉の風情ある温泉街を冷やかし、長野へ進路をとります。
と、ここで、携帯の電源が切れた。
携帯ショップを探していたら、信州中野の町中でAUショップを発見。
入店したときの携帯と出店したときケータイが、機種変していたのは怪我の功名か。
ながの電鉄。長野と松本は東急の電車が第二の人生を送っていると聞く。確かに小田急のロマンスカーも古いのが走っているし…
信州中野から乗車したら、車窓の風景は信州だが…
私を育ててくれた日比谷線型車両でした。ナツカシス。
この形は、よく冷房が完備されていないことが多く、夏乗るとなんか貧乏クジひいたみたいだったな。
この後、長野駅を3時に出発。自転車で16時間の道のりを3時間で帰ってまいりました。
長い戦いは終わった。人に心配をかけ、残り60キロのリベンジを残したまま。
第六章
Lesson: 人間モルモットとしての価値
旅先のトラブル対策
① 独りでいくと、トラブル発生時に身内に迷惑がかかってしまう。なるべく仲間で行くべし。
② 財布の中に、携帯の番号、家族の携帯番号などを入れておく
③ 所持金は、小分けにしておく。
④ できれば、自転車保険も加入しておく。
⑤ 携帯電話の予備電源を持っておく。
⑥ コンビニ補給を過信せず、しっかり座席で飯を食う。
Coast-to-Coastをするにあたり、留意すべきこと。
① 出発は、前日六時がよい。
② 時間に余裕があれば、補給や睡眠も無理なくでき、ペースが維持できる。
③ サロメチール、バンテリン系のクリーム(これは大正解。休憩のたび刷り込んでマッサージしました)
④ 地図はツーリングマップルでオケ。
⑤ UVアームカバー。これも大正解。暑くないし、日焼けによる疲労はゼロ。
⑥ ギアは軽めで。私には最低27Tが必要だった。28Tは楽だった。
第七章
A Thank-You-Note
お世話になった人々
YOME…あやうく自転車類打ち払いの令をくらうところでした。
飯山のホテル、ノーブル飯山のK林さん…こまった案件に対応してくださり、ありがとうございましたm(_ _)m
白根山レストハウスの支配人…3連休の稼ぎ時に、一介の自転車乗りのために2時間を削ってくれ、ありがとうございました。これからも渋峠を宣伝して参ります。