アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

「アイヌの血液を使い回した研究2例」より 

2018-05-18 14:57:54 | 日記

先日、ご紹介したdon-xuixoteさんの新たなブログ記事によると、新冠の少年たちの採(盗)られた血液(1964年のケンブリッジ調査隊によるアイヌ血液採取)が、二次利用されたということが調べられています。学者たちは血液を本人たちへの説明と同意を無視して使い回しているというのです。ここでは新冠と他の1例が紹介されていますが、これだけではないのでは? さらに今後もこれらの血液は「研究材料」になり続けるということでしょう。

二次利用の一つ目は先述のケンブリッジ調査隊で採取した日高地方の187人のアイヌの血液が、「アーサー ムーラント博士の厚意」で提供され、アーサーG. スタインバーグによって遺伝子研究がされています。1966年に論文になっています。

「序」には、なんと、「北海道からの人種的に謎めいた/得体の知れない(enigmatic)アイヌ人からの血清サンプルを試験する機会が提示された時、我々は即座に受け入れた」という一文もある! 格好の「研究材料」を得たとばかりの好奇心丸出しの表現ですね。

もう一つは、1980年に東京大学グループがDNA分析のためアイヌの血液サンプルの収集保存を続けていますが、その中の平取、日高地方の36人のアイヌの血液を2012年に二次利用したとのこと。ここには被験者(採血された人)への説明があったとも、地域の代表者たちおよび各被験者からの同意があったのかも記されていないそうです。

✳︎斉藤成也とティモシージナムが「アイヌ民族の代表たちに説明した」とありますが、同意が得られたとは記されていませんし、被験者への説明とはいえません。現在の二風谷の知人に聞いても「記憶にない」とのこと。ましてやブログで指摘されているように転居された方達を無視しています。

don-xuixoteさんは、最後に皮肉として「アイヌ政策有識者懇談会」の第5回会合こちらでの篠田謙一氏による発言(p.5)を書き直しながら引用しています。

「資料1に主なアイヌ人骨血液がどのように集められたかということを表にしました。古くは明治時代から集められた人骨もあります。大正時代あるいは昭和の初期、あるいは戦後に随分沢山の人骨血液が集められています。このような先達が集めた人骨血液の研究によって、私たちはアイヌの成立あるいはアイヌの集団の地域差といったものを見ることができたわけですが、決定的に本土と集め方が違っていたのは、本土の日本ではそこの人々自体に収集の目的、ないしはその意義を説明して人骨血液を集めましたが、残念ながらアイヌ人骨血液の中にはそのような手順を経ずに集めた人骨血液がかなり混ざっています。これは人類学者としても率直に反省しなければいけない点だというふうに思っています・・・」

同じことをしているのですから、ほんとうに皮肉な話です。さらに、このように続きます。

「このような人骨血液の研究、特にDNAの研究などは、今後更に研究が進めば、より多くのデータを得る可能性があります。ですから、このような人骨血液も合わせて、慰霊(??)とそれから研究というものの両方ができるような設備が整って、今後アイヌ研究あるいは日本人全体の成り立ちの研究といったものが更に進むといったことを私どもは願っております。」

慰霊施設と研究が一緒にできる! 遺骨は研究「サンプル」とされる! それが現在進行中の慰霊施設だということなのです。このまま進めていいのでしょうか。

さらに、何千もあるとされているアイヌ民族の血液「サンプル」に関して問題にしなくていいのでしょうか。 

ここまで書いて、先日(5/14)開催された第10回アイヌ政策推進会議の配布資料報告(ここ)が手に入り、アイヌ政策推進作業部会報告(資料1-3)に目を通しました。28〜31ページに遺骨の返還、集約等に関することが掲載されています。ページ数がわかりにくいのですが、たまたまなのか「29」ページだけ数字が記されています。

毎日新聞5/16記事にもなりましたが、政府はこれまで遺骨返還を祭祀承継者(遺族)個人に返還するとしていたのを、盗掘された地域のアイヌ民族団体にも返還すると決めたとのこと(P29)。

いままで記してきたように、遺骨はコタンのものゆえコタンに返還するべしとのわたしたちの主張をやっと認めだしました。

しかし、その一方で現在つくっている象徴空間の慰霊施設がいかに尊厳ある慰霊の空間か(P16)、また「温度、湿度等適切な状態でアイヌ遺骨等を保管」(P30)すると好印象をアピール。

遺骨を研究材料にすることは記されません。

天塩鏡沼海浜公園にある松浦武四郎像