アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

玉山学生との交流

2010-07-10 20:00:59 | インポート
玉山神学院の学生と旭川、富良野、二風谷、帯広を回りました。
7日(水)の二風谷では研究で帰省されている新井かおりさんから二風谷ダムのレクチャーを受けることが出来ました。貝沢正さんのお孫さんである彼女は二風谷ダムをめぐる裁判で二風谷のアイヌが分断されたことや正さんの訴えたかったことをお話くださいました。正さんについては過去ブログに何度か紹介させて頂いています。ブログ左側下の検索が役に立ちます。

ダム裁判のことをまとめた「二風谷ダム裁判の記録」(三省堂1999年)の貝沢さんの陳述を読みなおしています。
1885年アイヌに農業授産の長期計画を立てて種と食料を支給し、農業指導員を二風谷にも置いて指導を行ったことが書かれています。帯広の伏古や音更などでも農業指導がおこなわれましたが、うまくいかなかったようです(帯広アイヌ民族文化情報センターURL参照)。しかし、二風谷の土地は沙流川流域の沖積土で栄養がふくまれていたので、開墾するほど収穫もあった、と。例えば2~3反のヒエ・アワをつくれば一年間食べられたそうです。それを続ければよかったのに三県制度が北海道庁に変わった途端にその事業もやめてしまった、と。

北海道ジャーナル「二風谷から報告 ダム開発とその波紋」(1989/6/6放送)にもご本人が建設大臣へあてた意見書を読まれている映像があります。
「どうにか土地を死守したものの、ダム計画で土地がなくなってしまう。一度ならずニ度、三度、大資本を太らせるためにわたくしたちは犠牲にならなければならないのか。我慢が出来ない。」

氾濫を繰り返す沙流川と闘いながらの開墾、旧土人保護法によって狩猟から農耕へと転換させられたにも関わらず、今度はその農地が開発の名によって取りあげられることとなるダム問題と、国によってアイヌが振り回され続けている状況を、怒りをもって述べています。

貝沢正さんの訴えたかったことをあらためて意識して、正さんの言葉を確認していきたいと思います。


かおりさんからレクチャーを受けているところ。ダム管理棟の展示室で。


二風谷では他にアイヌ文様彫刻の体験をしたり、萱野茂アイヌ民族博物館などで学びました。

8日は帯広に向いました。帯広ではトカチ・エテケカンパの例会に参加させて頂き、交流を持ちました。あいにくこども達は少なかったですが、とても豊かな時間を持てました。玉山の学生もそれぞれの民族衣装を着て歌や踊りを披露してくださいました。似合っていましたよ。

9日は名寄の道北センターへ移動して、わたしだけ留萌へ戻りました。12日まで名寄で農民交流をして、留萌に来られます。数日でしたが密な日を学生さんと過ごすことが出来ました。

富良野では見ごろのいい季節でした。


数日、滞ってたニュースブログもUPしました。