アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

「世界人権宣言」の具体化として

2007-03-02 18:53:32 | インポート
「世界人権宣言」(1948年12月10日)は、「宣言」ゆえに、法的拘束力を持たないことから人権保障を法制化するため、1966年に採択されたのが「国際人権規約」です。
その内、A規約(「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」)と、B規約(「市民的、政治的権利に関する国際規約」)に分かれます。日本もB規約の締結を承認し(1979年8月4日 条約第7号)、国会において,同年9月21日発効しています。

B規約(正式には「市民的及び政治的権利に関する国際規約」。自由権規約とも言う)の中に、「少数民族の権利」として以下のものがあります。

第27条「種族的・宗教的又は言語的少数民族が存在する国において,当該少数民族に属する者は,その集団の他構成員とともに自己の文化を享有し,自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない」
このように少数民族の権利の保護を規定したのです。

国連のこの規約と国内法の位置づけはどちらが上位かという点で、日本政府はB規約第40条に基づいて規約人権委員会へ第1回報告書を提出します(1981年)が、その際、「条約は国内法より高い地位を占める」と答弁していますし、国内の判例においては以下の通り、
「刑事事件ではあるが,大阪高裁の平成元年5月17日決定において,「我国が昭和五四年八月四日『市民的及び政治的権利に関する国際規約』を批准し(昭和五四年八月四日条約第七号),昭和五四年九月二一日発効したこと,同規約第三部第九条3に所論のような規定があること,条約が国内法上法形式としての『法律』より上位の効力を有する法規であることは所論指摘のとおりである。」と判示し,B規約が法律より上位の効力であることを当然の前提としているところである。」(参照:「共有財産裁判上告書」)
と、まあ、B規約のほうが上位法だというのです。



今日は暑寒別岳がきれいでした

コーボゥ報告書

2007-03-01 16:15:16 | インポート
前回に書いたことと重複しますが、国連経済社会理事会は1971年、人権小委員会が先住民に対する差別の実態を調査しそれを是正する処置の提案を認めます(決議1589)。
それを受けて人権小委員会はホセ・マルチネス・コーボゥを特別報告者として任命しました。
コーボゥは1981年から研究をはじめ、1983年に調査結果をまとめます(以下、「コーボゥ報告書」 1986年に国連文書として発行されている)。

その第5巻379では、先住民族とは
「先住民族」が「自己の生活領域において発達した侵略前及び植民地化前の社会と歴史的連続性を有し,自己の領域又はその一部において現在優勢であるところの社会の中の他の部分と自己を異なるとみなす者」と定義されています(参照:「二風谷ダム裁判の記録」P.433 萱野茂他編集 三省堂)

その間に、前述したように国連経済社会理事会は「先住民に関する作業部会」を
「①先住民族の人権の保護とその促進に関する各国政府の施策の見直し。②先住民族の権利に関する世界宣言の準備」を目的として設置します。
(北海道旧土人共有財産等返還手続無効確認請求上告事件 上告理由書 参照  以下、「共有財産裁判上告書」
(http://www.dogyousei.gr.jp/ainu/%82%81%82%8C%82%8Cjyoukokuriyuu.doc )

作業部会は1993年に「先住民族権利宣言案」(以下、をまとめ、1994年8月,人権小委員会は作業部会の草案をそのまま承認し,「人権委員会」に上呈します。
作業部会の草案は45条によって成り、先住民族の権利について詳細に述べられています。
ただし,この草案には「先住民族」の定義規定はありません。このことについて,
「各国政府関係者から主観的な解釈が入りやすいとして不備が指摘されたが,先住民族側は第三者に定義される必要はないと考えている。作業部会では「コーボゥ報告」の定義が該当するものとされている。」(「共有財産裁判上告書 参照」
とあります。そういった意味でコーボゥ報告書は大切なものです。

さて、共有財産裁判の公判で、相内俊一さん(小樽商科大教授)が証人に立たれて話された内容に、ご自身がオブザーバーとして参加された第2会期作業部会(1996年10月21日~11月1日)の際に、日本政府(ジュネーブにいる「日本大使館の担当者」)が文章でコメントした内容を述べています。
それは、「先住民族」の定義を、「二つのこれまでの国連に関係する文書に基づいて作ってはどうかという積極的な提案」だった、と。二つとは先ほどのコーボゥ報告書の定義、そして、ILOの169号の関係条文とのことです。
(1996年11月7日 際24回口頭弁論 参照:「二風谷ダム裁判の記録」P.415)

2005年には、日本政府は鈴木宗男さんの質問に対して、コーボゥ報告書のことは知っていると言いつつ、加えて「先住民の定義如何」の質問に対し、こう答えています。
「「先住民」及び「先住民族」については、現在のところ、国際的に確立した定義がなく、また、日本国政府としての明確な定義はない。したがって、これらが異なる概念であるか否かについても、お答えすることは困難である。」(2005年11月4日 答弁第57号 衆議院HP 参照 http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_shitsumon.htm)

約10年前の作業部会ではもっと積極的なことを言っていたのに・・・ねぇ~

ILOの169号の関係条文に関してはまたいづれ(日本は批准していないですね)。
以下参考に。ILOのHPです。
http://www.ilo.org/public/japanese/region/asro/tokyo/standards/st_c169.htm



札幌ピリカコタン内にあるチセ。茅葺です。以前にこれを作られた門別エカシのお話を伺いました。(機関紙ノヤ 30号にインタビュー掲載)