~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

フランク 合わせ&レッスン

2008年03月18日 11時49分49秒 | 室内楽
昨晩、チェロとの合わせ&レッスンがありました。

先生は、友人のチェロの師匠で、舞台ではよく拝見するのですが、こんな至近距離ではお会いするのも初めて。
お弟子さんは地元の交響楽団員をはじめ、プロの方がほとんどときいています。

8時過ぎから一時間半ほどかかりましたが、当然のこととはいえ、ピアノだけをピアノの先生にみていただくのとはほんと違うんですよね。

フランクのこのソナタは、テンポの変化が激しく、ルバートやタメも多いので、そういうこまかな点をよくつめておかなければならないのですが、ソロのときはまあ「本番はクレッシェンドやアッチェレランドがはやくかかっちゃった」ですみますけど、デュオの時は「この音から」ということを一応びしっときめておく必要があります。
それと「譜面上はこうだけど、演奏する場合はこちらの方が一般的」とかいう点なども多々あるようで、まずはそういう楽譜の書き込みをしなければならないことがたくさん。

次に、チェロの奏法に関係する独特の間の取り方。
特に難しかったのが、ピアノはただ順次進行でアルペジオがずるずるっと続いているそのど真ん中で「時間をください」といわれるのですが、どうしても次につっこんでしまうんですね。メロディーと弓の動きを意識すれはできるのでしょうけど、単純なことなのに難しい。

ピアノ部分そのものについても多々ご指導いただきました。
最初おっしゃる時に「私は、ピアノのことはよくわからないので、無理なことを言ってたら、言ってくださいね」といわれたのですが、「大丈夫です」といってしまったせいかどうなのか(笑)、だんだん「それは・・・難しすぎるっ!」みたいなことが出てきて、でもそれは私が自分で弾いているのでなくてもし他人が弾いていたら絶対要求するよな、と思うことでしたので、心を入れ替えて(?)今難所の練習に取り組んでいます。

それはたとえばどういう部分かというと・・・
ピアノ弾きならわかるように、何が難しいといって、右の小指でメロディーを弾き右の残りの指で内声(アルペジオなど)、左の小指でバスの長い音を弾きあとの指で内声を弾くというのは大変難しいことです。
それがまた音がとんだり、速かったりとなるとこれは並みのテクニックでは弾けません。
で、当然というか内声は相当おさえて弾かなければならないし、メロディーとバスはバランスも大事です。
もちろんピアノの先生にもこういうことはかなり言われますし、大変大切な技法なのですが、指導にどこか「こういうの難しいものね」というやさしさがあるわけです。「自分でも難しいと思うし・・」みたいな。
これが楽器が違うと容赦ない。メロディーは肉厚の音でずーっとレガートで、バスはたとえオクターブの速い動きであっても絶対にはずせない箇所だからしっかり、という感じです。


それってたとえば、私らがシンフォニーをいつもベルリンフィルだとかウィーンフル等々のCDで聴いてて、実際にある日リーズナブルなお値段で聴けるようなオケで同じ曲を聴いたとき、バイオリンの高音のキメの音がはずれたり、気持ちよくきいていたい管楽器のロングトーンが「ぶちっ」と切れたりしたときに、心のどこかで「・・・ヲイ・・」とつぶやいてしまうのと同じことなんですよね、たぶん。
そんなこといってしまえば、たとえばピアノを弾かない人がゆっくりゆっくりの「革命」とか「木枯らし」を聴いたら、「・・ヲイ・・」どころか、「・・コロス・・」と思うかもしれないです(爆)。


うちは夫婦で楽器が違うので、以前合わせをしたりしていた時は、よく「そういうけど、ここはメチャクチャ難しいのよ」とか「そりゃ、ピアノではそういうことは簡単なのかもしれないけど」と、お互いいうことがありました。
でも、その場合は結局「楽器違うからね」で終わりでしたが(汗)。


ちょっと前にH先生にレッスンを受けたときに、「ソナタのときは、相手の楽器に合わせた音と弾き方を」といわれたことがちょっとわかったような気がしました。
でもそれって、すごく難しい。
でも、曲として仕上げていくというのは、やはり難しいものを難しいといっていてはいけないですね。
いい機会なので、もう少し頑張ってみます。







なにごともビギナーは大変

2008年03月18日 10時11分22秒 | 家族・友人等
一昨日某国でのデモの様子がテレビに映り、それを見ているうちに、こういうことになると俄然エキサイトする友人のことを思い出し(特に思想的にどうこうという友人はではないのですが・・)、メールを打ってみました。
すると、「先だって父が亡くなり、葬式ビギナーはもう大変です・・・」

・・・・・・知らぬこととはいえ、バッドタイミングで変なメール打ってすまん・・・

と思っていたところ、昨日昼いきなり電話がかかってきました。

私 「大変だったのね。知らなかったこととはいえ、ごめんね。ところで、今どこ?」

友人「東京。父は、年も年だったから心の準備はできていたのだけれど、実技がねえ・・・」

私 「実技?」

友人「そうそう。夜中にトイレにたってそのままだったから、警察の事情聴取があったらしく母はパニック、葬儀屋さんには大金を渡さなければいけないのに、お金が引き出せない。父の口座も閉められちゃうわけだし。私が帰った時には、すでに遺影が置かれていたのだけれど、これがまた・・・」

私 「なに?・・・・」

友人「えっと・・うちの父って船長さんだったっけ?駅長さんだったっけ?って」

私 「どういうこと?」

友人「遺影はほんとに慌てて弟が探し出したらしいんだけど、晩年の父はずっと帽子ばかりかぶっていて顔に影が入っているわけ。ちゃんと顔を写っているものが一枚もない。唯一ちゃんと写っていたのが、コスプレっていうか・・・」

私 「コスプレ?・・・」

友人「父は旅行が好きで、身体が不自由になってからも旅行ばかり。亡くなってから、母があちこちの旅行会社の電話して解約しまくらないといけないくらい先の先の予定まで組んでいた。で、釧路だかどこだかにいったときに、船長さんの格好をしてるのだけが唯一顔がちゃんと映ってて・・・」

私 「もしや、それを遺影に?」

友人「そうなのよ。しかもこれが<オッス>のポーズ。私の友人もそれを見て『あなたのお父さんて船長さんだった?』と」

私 「・・それは・・お父さん怒ってないかなあ(笑)」

友人「まあ、写真が笑ってるからいいや、と」(←そういう問題か?)


友人のお父さんというのは、昭和一ケタの九州男児で、病気で半身が不自由になられてからも、「年寄り扱いするな」「手助けなんかいっさいいらん」という自分に厳しいお方で、話から想像するに「コスプレでオッス!」な方ではまったくない。
トイレで逝かれたのも、ここのところそちらの方で身体に不具合があり、さすがに独力でまかなえない部分が出てきたので、その哀しみと怒りのあまりの憤死なのでは・・という憶測さえも周囲から出ているほど。
それにしても・・・・おそるべし遺影・・・・・


遺影といえばですね、私の祖母が亡くなったときも、ご多分にもれず、バタバタして写真を探したわけです。
小さいサイズの時はたぶんあまり目立たなかったのでしょうが、引き伸ばすと前歯が2本ほど不足している(笑)。
で、父が歯を描き足したのですが、これがまた慌てて描いたもんでミョーに白っぽい。遠方から慌てて帰ってきた叔父(絵描き)が「これじゃいかんだろう」というわけで、色味を調えてなんとか遺影にして今に至る・・というわけです。


友人は、
「もうね自分たちは冠婚葬祭タブー集にのってるみたいな、<これやってはいけません、あれやってはいけません>みたいなことばっかりやってしまったのだけれど、一人、ほんとにしっかりした親族(40歳くらい)がいて、地元の焼物(食器)50組くらいを『これ使ってくださいね、全部洗ってありますから』と持ってきてくれて、ほんとに助かった。弔問客の応対も地味にそつなくやってくれたし」
と言ってました。
こういうときにきちっと仕切ってくれる親族ってありがたいですね。
当事者は、普段予習しておくわけにもいかないですから、こればっかりは・・・。