~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

イゾルデは男でも可?

2008年03月12日 12時38分15秒 | 見る・読む
午前中、どうしてもやらなければならないデスクワークがあって、しかもそれはほんとに「イヤイヤな」仕事なもので(笑)、テレビでもつけましょう・・とつけたところ、あるチャンネルではバイオリンの演奏をやっており、あるチャンネルではバレエをやっていた。
バイオリンだとそのうち向き直って真面目に見てしまって仕事にならないだろうから、とバレエをとりあえず選択した。

最初の頃は、割合にクラシックなバレエだったのだが、そのうちにどんどん現代的になりそうな気配。そうなるとなんだか気になって仕方がない。
振付家ノイマイヤーのドキュメンタリーものだった。

私はバレエはさっぱり・・・なのだが、モーツァルトの「レクイエム」、ヘンデルの「メサイア」のバレエくらいからテレビを振り向く回数が増え、「ニジンスキー」というバレエで椅子から立ち、「かもめ」(原作:チェーホフ)でついにテレビの前にすわった。
「かもめ」のラストシーンは衝撃的なものなのだが、そこにショスタコーヴィッチの15番の交響曲が使われていたことで、表現のしようのない複雑な感情をかきたてられた。

そして、続いてなんとも聴きなれた曲が・・・

なんと「イゾルデ愛の死」のワーグナー=リスト版。もちろん楽器はピアノ(エリザベス・クーパー演奏)
これがなんというバレエのどこに使われていたかというと、「ベニスに死す」のラストシーン。
もう、びっくり!
固定観念だとは思うのだが、「ベニスに死す」というと、やはり作者トーマス=マンの交友関係、それからなんといってもビスコンティ監督の映画の影響からマーラーの交響曲5番のアダージョで決まり!みたいなところがあった。
原作は老作家が美少年にぞっこんになってしまうという話なのだが(これはマンの実体験なのだそうだが、実際はマンはそのとき30代で妻も子もあったとか)、バレエのほうは「功なり名遂げた振付家が美の化身ともいうべき少年に殉ずる」というストーリーになっていた。
ラストシーンでは、ワグナー=リストの「イゾルデ」が途中のカットなくそのままの形で流れ、舞台では真っ青な空と海を背景として、老振付家と美少年の最期(?)が演じられるというわけだ。

「イゾルデ」というと、これはもう<男&女>の愛の話としか考えてなかった(もちろん原作がそうなので)私にとって、<男&男>であの音楽というのは目からウロコ。
でも、実際舞台をテレビで見てみると「これもありかな」と思えた。
あのダラダラとしたしつこいほどの転調が、どこかこう老振付家の少年への未練と、あの世まで持ち込まなければなんともならない哀しさと陶酔みたいなものを表現しているようでもあり・・・・・。
そう思えるのはもちろんノイマイヤーの振り付けのすばらしさなのだろうけど、逆に曲そのものをストーリーから離れて聴いてみる、という貴重な体験をした。



・・・・というわけで、デスクワークちっとも進まず・・・・