常紋トンネルの犠牲者を慰霊する碑は、常紋信号場辺りに1959年に建てられた「勧和地蔵尊」があります。
それとは別に1980年からお遺骨を納める墓と慰霊碑を建てるため寄付を募りました。
その寄付をもとに、1980年に建立されたのがこの慰霊碑です。
尚、お遺骨は「常紋トンネル殉難者之墓」として留辺蘂町宮下墓地に納骨されています。
追悼碑の入り口の目印は留辺蘂町金華の国道242号線沿いに建っています。
入り口の向かい側には駐車場があり、その先にはかつては金華の市街地がありました。
入り口の案内から階段を上りその先の広がる平地にその碑はあります。
ここはかつて金華小学校があった地で、敷地内にはその跡地の碑があります。
碑文を以下に記します。
常紋トンネルは、大正元年から3年の歳月をかけ、本州から募集された人々の強制労働によって建設されました。
工事の途上、粗食、重労働、リンチなどによって殉職された方々は、百数十人以上と伝えられています。
この鉄道によって限りない恩恵を受けている私たちは、無念の死を遂げた方々を追悼し、
北海道開拓の歴史から葬られてきた人々の功績を末永く後世に伝え、
再び人間の尊厳がふみにじられることのないように誓いをあらたにしてこの碑を建立します。
昭和55年11月 常紋トンネル工事殉難者追悼建設委員会 留辺蘂町
我が国では人権を無視しし尊厳を踏みにじられた労働は今でもあります。
『タコ部屋労働』を過去のものとは、今の私たちには言えません。
この碑文は我が国の今を照らしていると思いませんか?
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