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北見滝ノ上 6:47
⇓
紋別 7:52
始発から約1時間後の紋別行きです。
通称“2番”と呼んでいました。
北見滝ノ上出発時は単行ですが
途中の上渚滑から1両増結、2両編成で紋別まで走っていました。
この列車の目的は、3つ。
1つめは紋別への通勤・通学輸送。
渚滑の次、潮見町は紋別北高校、終点の紋別は紋別南高校の最寄り駅でした。
滝ノ下までの滝上町域からは1学年10数名が、
そこから先の紋別市域からはほぼ全ての高校生が両校に通っており、
多くの高校生がこの列車に乗って通学していました。
その他の通勤客を含め、この列車は渚滑線で一番混みあう列車だったのです。
2つめは渚滑から接続する急行「天都」へのフィーダー輸送。
急行「天都」は網走地方の中心都市、北見・網走へ向うビジネス急行でした。
北見の到着は10:34、網走には11:38という時間に到着するため、
そちらのビジネス・観光のニーズも高かったのです。
私がこの列車に乗る時は急行「天都」で北見に行くときが多かったですね。
急行「天都」はこのブログで別に詳しく書いているのでそちらをご覧下さい。
→ http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/79a89c97923acb54212d424e893b6547
そして3つめは渚滑からの遠軽行普通列車に接続、
その遠軽から函館行の特急「おおとり」へ乗客を運ぶこと。
特急「おおとり」は石北本線の網走からはるばる函館まで走っていた列車で、
函館からは青函連絡船をはさみ青森からは寝台特急「はくつる」「ゆうづる」に接続していました。
これで行くと上野到着は翌日9時前後となり
飛行機が一般的になる前は網走地方から東京に行くには最も早いコースだったのです。
実際に私も1回だけですがこのコースで上野まで行ったことがあります。
当時はなんと贅沢でなんと早い列車かと思っていましたが、
今考えればなんとものどかな時代でした。
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紋別 7:52
始発から約1時間後の紋別行きです。
通称“2番”と呼んでいました。
北見滝ノ上出発時は単行ですが
途中の上渚滑から1両増結、2両編成で紋別まで走っていました。
この列車の目的は、3つ。
1つめは紋別への通勤・通学輸送。
渚滑の次、潮見町は紋別北高校、終点の紋別は紋別南高校の最寄り駅でした。
滝ノ下までの滝上町域からは1学年10数名が、
そこから先の紋別市域からはほぼ全ての高校生が両校に通っており、
多くの高校生がこの列車に乗って通学していました。
その他の通勤客を含め、この列車は渚滑線で一番混みあう列車だったのです。
2つめは渚滑から接続する急行「天都」へのフィーダー輸送。
急行「天都」は網走地方の中心都市、北見・網走へ向うビジネス急行でした。
北見の到着は10:34、網走には11:38という時間に到着するため、
そちらのビジネス・観光のニーズも高かったのです。
私がこの列車に乗る時は急行「天都」で北見に行くときが多かったですね。
急行「天都」はこのブログで別に詳しく書いているのでそちらをご覧下さい。
→ http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/79a89c97923acb54212d424e893b6547
そして3つめは渚滑からの遠軽行普通列車に接続、
その遠軽から函館行の特急「おおとり」へ乗客を運ぶこと。
特急「おおとり」は石北本線の網走からはるばる函館まで走っていた列車で、
函館からは青函連絡船をはさみ青森からは寝台特急「はくつる」「ゆうづる」に接続していました。
これで行くと上野到着は翌日9時前後となり
飛行機が一般的になる前は網走地方から東京に行くには最も早いコースだったのです。
実際に私も1回だけですがこのコースで上野まで行ったことがあります。
当時はなんと贅沢でなんと早い列車かと思っていましたが、
今考えればなんとものどかな時代でした。
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