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奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

稚内・市内散歩 … 稚内市北方記念館・開基百年記念塔

2024-05-17 05:35:40 | 北海道の博物館

稚内市の開基100年を記念して1978年、稚内公園に建設された建物です。
稚内だといつが開基になるのかわかりませんが、市では戸長役場が置かれた1879年としています。

1階と2階は「稚内市北方記念館」となっており、稚内や樺太などの郷土資料、
間宮林蔵とその足跡、アイヌ民族に関する資料が展示されています。

要は市立博物館ですね。
展示内容についての細かい解説はここではしません。

さて1階からエレベーターに乗ってタワーに上ると海抜240mの展望室があります。
晴れていれば利尻・礼文両島や樺太、更に樺太の東側にある海馬島(モネロン島)も見えるのだとか。

海馬島(モネロン島)は大韓航空機撃墜事件で飛行機が墜落した現場に近い。

残念ながらこの日は風が強く天気も薄曇り、利尻山の山影がかすかに見えただけでした。
また同じく強風のため外観の撮影もできずに終わっています。

稚内の街並みはよく見えました。
フェリーターミナルにいる利尻・礼文行のフェリーも確認できます。

ここに来たら、利尻富士が見れなければ価値半減だな。


*稚内市北方記念館・開基百年記念塔

住   所:稚内市ヤムワッカナイ
開館時間:9:00~17:00、6月1日~9月30日は~21時
入 館 料:一般400円、小中学生200円
休 館 日:11月1日~4月28日、月曜日(但し6月1日~9月30日は無休)

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札幌から稚内まで、オロロンライン北上旅 … 天塩川歴史資料館

2024-05-15 05:44:34 | 北海道の博物館

1951年に建築された旧役場庁舎を利用し1989年に開館した資料館です。
レンガ造り、地元では『赤レンガ』として親しまれていたそうです。

さて、天塩町とはどんなところなのでしょうか。

明治の開拓期は小樽から途中を経由し天塩に至る航路が開設されました。
小樽以北の日本海沿岸は小樽と結ばれる航路が重要でした。
当時の北海道の経済の中心である小樽と直接つながっていることが経済の発展に欠かせなかったのです。

天塩が他の地域と違ったことは、天塩川の河口にあったこと。

小樽からの物資や人はここから『長門(ながと)船』と呼ばれる船で天塩川の奥地に運ばれました。
海運は天塩の先、稚内を経由してオホーツクへ、あるいは利尻・礼文などへと延びています。

これにより天塩は海運と舟運の交通の結節点として栄えることになり、道北の中心都市の一つとして栄えていきます。

時代が進むと天塩川によって運ばれてくる木材の集積地となり、
それが下火になると農業と漁業が産業の中心となります。

天塩町の市街地は海沿いの天塩と内陸の雄信内(雄信内駅は幌延町)にしかなく、
その他の大半の住居は広大な内陸部の酪農地帯に点在しています。

統計によると天塩町の農家数は111経営体、漁業は20経営体、現在の中心産業は農業(ほとんどが酪農)です。
(2018年漁業センサス、2020年農業センサスなどによる)

この資料館は展示内容を更新することが検討されているそうですが、私もその必要性を感じています。


*天塩川歴史資料館

住   所:天塩郡天塩町新栄通6丁目
開館時間:10:00~17:00
入 館 料:200円、高校生以下は無料
休 館 日:11月1日~4月19日、4・10月は月曜、5・6月は第2第4月曜、7~9月は無休

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上川町郷土資料館 ふる里たいせつ館

2023-08-09 05:24:22 | 北海道の博物館

 

開館は2017年、上川町はいつも行っている場所なのでいつでも見学できると高を括ていましたが、
いざ見学しようとするとコロナ禍の制限など願いかなわずでやっと今年に実現しました。

よくある郷土資料館ですが、ここは地元の在住の方か所縁のある方の施設となっています。

入ってすぐ、豊原地区の開拓の様子が展示されています。
その次は上川で早くから開拓された越路地区の開拓の解説が。

豊原ってどこだ、そして越路ってどこだよ。

地元の方であればすんなり入ってくるであろう地名ですが、私にはさっぱりわからない。
展示をさらに見ていくとしばらくして上川町全体の地図が現れてくる。

ここで私は豊原と越路の位置を知るわけだ。
なるほど、先ほどの展示はここのことを言っていたのか。

他には一般的な生活、教育、文化、考古などの展示が続きます。

上川町で特徴的なことは、北海道の屋根といわれる大雪山系を抱えていること。
この山奥の調査と層雲峡温泉、更にはオホーツクへ向けての道路の建設。

様々な苦難があって今の上川町があるのです。

最後に恒例ながら、昔の住宅地図があったのですがそれが一番面白かった。

 

*上川町郷土資料館 ふる里たいせつ館

住   所:上川郡上川町栄町49-6
開館時間:9:00~19:00(12:00~13:00は休み)、11月~4月までは10:00~
入 館 料:無料
休 館 日:土日祝祭日、年末年始

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士別屯田兵屋

2023-05-13 07:12:44 | 北海道の博物館

 

士別市は1899年(M32)に最北で最後の屯田兵が入植した地です。

配備されたのは屯田歩兵第三大隊第五中隊で、大隊の本部は剣淵町にありました。
剣淵町の屯田兵屋については「剣淵町資料館」でさらっと触れています。
    → https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/27a9613e0bd485294352bb153ef1c60a

士別はその大隊の第五中隊だったのですね。
入植した屯田兵は100名、給与地は1戸あたり5ヘクタールでした。

この兵屋は今の大通北2丁目にあった川津万次郎宅(兵屋番号67番)を移設、復元したものです。
原型の屋根は切妻で煙出し付きの茅葺でしたが復元に当たっては防火のためトタン張りになりました。

 

 

内部の展示に兵屋の平面図があります。
土間、6畳の板間、その奥に6条と4畳半の居室、トイレは外にあります。

昔はトイレが外というのは当たり前だったのですが、それはそれで合理的理由がありました。
どんな理由だったのかはここでは述べませんが。

「天塩国屯田兵第三大隊第五中隊 用地之図」から、中心部を拡大します。

今の士別駅の北側に兵村が広がっています。
屯田兵が開拓した街は道路が規則正しく広がっていますが、士別も例外ではない。

駅と兵村が微妙に離れているのは兵村が先にできたので駅用地が確保できなかったからでしょう。

所在地は士別市立博物館(士別市西士別2554)敷地内、
内部の見学は博物館開館日に可能ですが冬期間は見学できません。

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丘のまち郷土学館「美宙(みそら)」

2022-09-15 06:08:12 | 北海道の博物館

 

美瑛の郷土博物館です。
以前は別の場所にありましたが新築移転し名前も新しくなりました。

1階が展示室、2階がコミュニティスペースで左のドームの建物が天文台となっています。

展示内容は普通の郷土館と同じ、一通り揃っています。
展示物も最小限のものがスッキリ並べられていて、見やすくなっています。

いろいろなものを所狭しと並べるのもいいですが、シンプルな展示もいいですね。

ところで美瑛は十勝岳の恵みと危険がついてまわります。
今まで何回も噴火していて、美瑛に被害があったこともあります。

その恵みが美瑛軟石や温泉、そして十勝岳を背景にした丘の町の風景です。

ところでここで新しい発見をしました。
それは美瑛町の複雑な地形とその多様性です。

観光化された美瑛の他に複雑に入り組んだ町域があり、それぞれの歴史があった。
当たり前といえば当たり前のことなのですが、美瑛は“観光地”のイメージが強すぎる。

それを垣間見る頃ができたのが一番面白かったな。

 

*丘のまち郷土学館「美宙」

住   所:上川郡美瑛町栄町4丁目1-4
開館時間:10:00~19:00
入 館 料:無料(天文台は高校生以上200円)
休 館 日:火曜日(祝日の場合は翌日)、12月31日~1月5日

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晩成社展(帯広百年記念館特別企画展)

2022-09-07 05:22:28 | 北海道の博物館

 

折しも『晩成社』の特別展が開かれていたので拝見しました。
開館日、開館時間は常設展と同じ、会期は9月19日までです。

 

 

晩成社は農業を中心に様々な事業を行ったがほとんど失敗したと書きました。

開拓には天災やバッタの大群による被害、他様々な苦難があったのですが、
一番の問題は何を作っても消費地からは遠いということがあります。

マルセイバターは当時の道内では消費されることはなく主な販売先は東京、
函館に牛肉店を出しましたが牛は十勝から徒歩で連れていく。

開拓した農場の面積も広大でしたが事業に手を広げすぎて赤字も増えた。
生産物に付加価値を付けようとしても売る場所がない。

そのような繰り返しで最後はせっかく開拓した農場を売却して会社は解散となりました。
昨日も書きましたが、依田勉三の功績は功績として冷静に人物評を見る必要があるようです。

ところで晩成社の中心は依田勉三でしたが他に渡辺勝と鈴木銃太郎というブレーンがいました。

最初は一枚岩だったのでしょうがやがて意見を異にするようになり、2人とも晩成社を離れます。

渡辺勝は妻のカネと共に然別(今の音更町)で開拓に従事し、村議会議員にもなります。
鈴木銃太郎は西士狩(芽室町)で同じく開拓に従事し、芽室町発展の基礎となりました。

会社が創立した時の幹部2人が会社から離れればなかなか大変だろう。
それが晩成社が苦戦した原因の一つなのだろうなとも思います。

展示からは様々なことを見とれますが、それをどう解釈するかは各人でどうぞ。
常設展と合わせ、見応えのあるものでした。

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帯広百年記念館

2022-09-06 05:19:43 | 北海道の博物館

 

この建物は市立博物館と、市民活動を行う複合施設です。
館内には博物館の他にアイヌ民族文化情報センター、創作活動センターなどがあります。

今回は博物館の常設展を拝見してきました。

 

 

市立博物館としてはかなり内容の濃い、十勝全体を俯瞰した展示となっています。
自然、考古、開拓の歴史、産業など一通りの解説があり、内容も充実しています。

ここでは開拓の歴史の中でも帯広の開拓の嚆矢となった『晩成社』について書いていきます。

帯広で最初に本格的に開拓者として入植したのは依田勉三率いる『晩成社』でした。
今の静岡県賀茂郡松崎町出身の依田勉三は北海道開拓の志を立て帯広にやってきます。

入植は1883年、以来晩成社は帯広や大樹町などで開拓にあたり、
十勝の発展に大きな功績を残したというのが一般的な評価だと思います。

象徴的なのは“マルセイバタ”で、六花亭のマルセイバターサンドのパッケージにも使われています。

晩成社は農業の他、木工業や缶詰製造など様々な事業を起こしましたが、
そのほとんどは手を広げすぎたことと市場が遠いということもあり失敗に終わっています。

晩成社は開拓した農地を売却し赤字を穴埋め、そして解散します。

依田勉三は十勝開拓の功労者ではありますが、実力以上に美化されている。
事業には失敗しましたがそれが呼び水になって開拓者が集まったのも間違いない。

功罪相半ばするのは人の常、ですね。

 

*帯広百年記念館

住   所:帯広市緑ヶ丘2
開館時間:9:00~17:00
入 館 料:大人380円、高校生190円、65歳以上190円
休 館 日:月曜日(祝日の場合は翌日)、土日以外の祝日、12月29日~1月3日

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はまます郷土資料館

2022-08-07 05:51:08 | 北海道の博物館

 

 

国道231号線を北上、浜益の市街地を超えたところに郷土館の看板と左へ向かう細い道があります。
入り口手前に駐車帯があって紛らわしいし、注意していないと通り過ぎてしまうぞ。

その細い道の行き止まりがはまます郷土資料館で、元は網元だった白鳥家の鰊番屋でした。

 

 

建造は1899年、ご多分に漏れず大変栄えていましたが1950年代以降の漁の衰退により放置されていました。
1971年、旧浜益村の開村100年の記念事業として復元され浜益村郷土資料館として開館しました。

展示内容は鰊漁のこと、鰊の加工、その製品など、当時の様子を解説したものがメインになります。
その内容は郷土館としては当然ですし、必ず必要なものではあります。

ですがそれは鰊漁で栄えた地域全体に言えることで、特に珍しいものではありません。
その上で、浜益の鰊漁ならではの何かが欲しいところです。

残念だったのはせっかく鰊番屋を復元したというのに、そこでの生活感が感じられなかったこと。

番屋では親方と労働者(やん衆)が一緒に生活していましたが、
漁期にはお互いにそれぞれのしきたりや生活様式がありました。

それを積極的に展示することこそ、鰊番屋を郷土館にする意義があるのではないか。

それでも1971年に開館した小さな村の施設としては、展示内容は充実しています。
誤解ないように、それは明記しておきたいと思います。

 

*はまます郷土資料館

住   所:石狩市浜益区浜益77-1
開館時間:10:00~16:00
入 館 料:大人(高校生以上)300円
開 館 日:5月1日~10月31日(火曜日は休館、祝日のときは翌日)

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道の駅石狩 あいろーど厚田 … 歴史・自然資料室

2022-08-04 05:44:06 | 北海道の博物館

 

平日の午前中、10時過ぎですよ。
厚田の道の駅は結構混んでいました。

この道の駅の2階に「歴史・自然コーナー」があります。

 


石狩市厚田区(旧厚田村)の郷土資料室、のような位置づけになるのかなと思います。

厚田の自然、歴史、ゆかりの人々などがコンパクトにまとめられています。

壁に大きく展示されている歴史年表を見ているだけでも厚田の歴史がよく理解できます。
こういう小規模な展示室では歴史年表は大変ありがたい。

 

 

展示はこの地方のご多分に漏れず、ニシン漁、北前船などのジオラマ、
パネルでは厚田の自然や産業、石狩にあった油田のことなども解説されています。

ゆかりの方々では作家の子母沢寛、画家の三岸好太郎、第43代横綱の吉葉山などが取り上げられています。
私は吉葉山の来歴が面白かったのですが、、人それぞれだろうな。

展示スペースは小さいものの、なかなか面白かった。
ごちゃごちゃ何でも並べればいいというものではない、ということですね。

道の駅では他にもいろいろなお店などもあるのでお立ち寄りください。

 

*道の駅石狩 あいろーど厚田 … 歴史・自然資料室

住   所:石狩市厚田区厚田98-2
開館時間:10:00~16:00(季節により変動あり、道の駅に準ずる)
入 館 料:無料
休 館 日:年末年始

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池田町郷土資料館

2022-07-25 05:54:29 | 北海道の博物館

 

池田町の中心市街地辺りは当初、アイヌ語に由来する凋寒(しぼさむ)村と呼ばれていました。
周辺の8村が合併、後に十勝川と利別川が合流する地点にあることから川合(かわあい)村と改称しています。

当時の池田町の中心は舟運に便利なことから利別付近にありました。

鉄道が開通し池田農場があった場所に駅ができたことから池田駅と命名され中心街が移転、
町制施行時に町名も池田町となっています。

池田の地名は池田農場を拓いた池田仲博(元鳥取藩主、徳川慶喜の5男)によります。

開拓期には横浜の実業家、高島嘉右衛門により高島農場も開設されています。
高島農場も池田町高島の地名の元になり、かつては高島駅(池北線、のちの北海道ちほく高原鉄道、廃線)もありました。

展示内容で珍しいのは稲作に対する解説が詳しいというのがあります。
減反政策が導入される前は実は十勝やオホーツクでも盛んに稲作が行われていました。

今ではほとんど稲作が見られない地域ですが、そんな時代もあったのです。

 

 

展示としては自然、考古、産業、教育、鉄道などテーマごとに見やすく並べられています。
もちろん、ワインのことも。

建物は2012年に閉校した高島中学校の校舎を活用し、2017年に開館しています。
この建物も立派、往時の付近の賑わいを偲ぶことができます。

 

*池田町郷土資料館

住   所:中川郡池田町高島81-1(旧高島中学校)
開館時間:10:00~16:00
入 館 料:無料
開 館 日:5月1日~10月31日、日曜~木曜(金土祝日は休館)

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