士別市は1899年(M32)に最北で最後の屯田兵が入植した地です。
配備されたのは屯田歩兵第三大隊第五中隊で、大隊の本部は剣淵町にありました。
剣淵町の屯田兵屋については「剣淵町資料館」でさらっと触れています。
→ https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/27a9613e0bd485294352bb153ef1c60a
士別はその大隊の第五中隊だったのですね。
入植した屯田兵は100名、給与地は1戸あたり5ヘクタールでした。
この兵屋は今の大通北2丁目にあった川津万次郎宅(兵屋番号67番)を移設、復元したものです。
原型の屋根は切妻で煙出し付きの茅葺でしたが復元に当たっては防火のためトタン張りになりました。
内部の展示に兵屋の平面図があります。
土間、6畳の板間、その奥に6条と4畳半の居室、トイレは外にあります。
昔はトイレが外というのは当たり前だったのですが、それはそれで合理的理由がありました。
どんな理由だったのかはここでは述べませんが。
「天塩国屯田兵第三大隊第五中隊 用地之図」から、中心部を拡大します。
今の士別駅の北側に兵村が広がっています。
屯田兵が開拓した街は道路が規則正しく広がっていますが、士別も例外ではない。
駅と兵村が微妙に離れているのは兵村が先にできたので駅用地が確保できなかったからでしょう。
所在地は士別市立博物館(士別市西士別2554)敷地内、
内部の見学は博物館開館日に可能ですが冬期間は見学できません。