基地あるが故に二重にも三重にも苦難を強いられている。頻発する米兵
による事件が後を絶たない。県民総ぐるみで抵抗した事例は過去にも数多とあ
る。同じ日本国民であるのに何故、沖縄だけが犠牲を蒙らなければならないの
か。おまけに日本政府はアメとムチで懐柔する。見え見えの策を講じてきた。
普天間基地移設でも辺野古沖合への僅かな移動も譲らない。日米の合意事項
であり既定事実だと合理性を訴える。時にはアメを引っ込めムチをチラつかせ
る。常套手段としての従来の手法だ。見え透いた政府の遣り方に基地あるが
故の神奈川でも山口でも世論を二分してきた。基地再編に伴う交付金をエサに
ゴリ押しする。背に腹は代えられぬと、渋々受け入れる。受け入れた基地の在
る地方は莫大な赤字を抱える解消策として交付金を受け取った。その永続的
不動の万年策として交付金は今後もそういう風に機能するのか・・・。 生命、人
権、安全、安心と引き換えに交付金は等価値で機能するのか? 今一度、立
ち止まって考えてみたい。人間としての尊厳、人としての矜持をかなぐり捨てて
目先の一時的な赤字解消に呻吟するのが市民・県民としての責務なのか、頻
発する米兵による不祥事や事件は後を絶たない。古人は言った。(恰好の例と
は言えないが)「太った豚より痩せたソクラテス」。「武士は食わねど高楊枝」
等々。・・・そういう諸々の気概が日本人には、かつて有った。・・・私の結論を言
う。税の公平な分配で都市と地方の格差解消、基地の負担軽減、基地と基地
の公平な負担。それに見合う税金の支出(交付金)。<アメとムチ>ではなく国
会論議で国民に見える形・容での支出。民主主義の手法に則ったやり方で基
地のない都市や地方でも納得がいく手法を講じる。交付金は元々、私達が支
払った税金である。その税金をアメという前近代的な手法で遣る、遣らない、ム
チをチラつかせて強引に押しつける、そういう手法は、もうやめにしよう。今回
の沖縄の中学生少女の暴行事件だって基地あるが故に起こった宿命的な事
件である。しからば綱紀粛正という従来の手法と文言でケリをつけてはいけな
い。要は「日々の永続的常駐点検の強化と反省をくどい位、継続する事だ」。
事件事故を起こしてからの<謝りはいらない>。「事件事故の皆無が全てだ」。
その事を肝に銘じて日米両政府は取り組んでもらいたい。・・・